脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2012年6月4日月曜日

【裁判報告9】100mSv問題:Mr.100ミリシーベルトによって3.11以後の人々をマインドコントロールできたとしても、3.11以前の人々をマインドコントロールできない証拠を提出

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1、視差の中で考える――欺瞞を避け、認識能力を真の位置に置くための唯一の手段――
3.11以降、私たちを襲った最大のものは福島原発事故から放出された大量の放射性物質、そしてもう一つ、様々な所から放出された大量のマインドコントロールされた情報でした。
欺瞞を避け、正しくものを考え、判断するためにはどうしたらよいか?3.11以降くらい、多くの市民にとってこれ以上切実な課題になかったと思われます。
これについて、今から250年ほど前、カントは次のように語りました。

さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である」(視霊者の夢

要するに「視差」の中で考えることが光学的欺瞞を避けるために不可欠なので、それは2つの異なった立場からの考察を比較することによって得られる、と。

この方法が有益であることを示す有名な例が、100年ほど前、アインシュタインが後に「生涯で最高のアイデア」と語った彼の「エレベーターの思考実験」です(参考図「アインシュタイン・ロマン」第2回より)。
人はエレベーターの中にいて中の情報しか知らない限り、果してそのエレベーターがロープが切れて落下しているのか、それとも重力のない宇宙空間で浮かんでいるのか、そのいずれかを判断することができない、というものです。それを正しく判断するためには、「エレベーターの外」というもう一つ別な立場からの考察を加える必要があり、「エレベーターの中」とのズレ(視差)の中で考える必要があるのです。

2、チョムスキーの考察方法:9.11は、それ以前に9.11を経験した人にとって別に目新しくはなかった
このカントの教えに最も忠実な人物がチョムスキーです。彼は、私たち市民が、《民主主義が高度に発達した「自由主義社会」において、全体主義国家にひけをとらぬような思想統制(マインドコントロール)》がマスメディアらの手によってどのように実現しているかを考察し続けてきた人物です(「マニュファクチャリング・コンセント(デッチ上げられた合意) マスメディアの政治経済学」「メディア・コントロール」など)。
チョムスキーは、どうしたら、このマインドコントロールの呪縛から逃れられるかという問題を考え抜いてきた人物です。その際、彼が採用した方法が、上記のカントの「視差の中で考える」のと同じものでした。例えば、9.11事件は大きなショックを全世界に与え、多くの市民が9.11事件をどのように評価したらよいのかと途方に暮れました。そのとき、チョムスキーは次のような考察を語りました。
――9.11は残虐非道の行為でした。しかし、欧米や日本以外の地域ではとくに目新しいことだとは思わないでしょう。なぜなら、あれは帝国主義国家が他の国々を何百年にもわたって扱ってきたやり方だからです。パナマでは、メディアが「目新しい事件ではない。我々も、(労働者が住む人口密集地域)エル・チョリージョ街爆撃(※)で、3000人が殺された」と報道しています。1989年のアメリカのパナマ侵攻で、時の独裁者ノリエガを逮捕するために、貧民街への空爆をおこなったのです。そういうことをよく知っているので、「自分たちがこれまでずっと我々にしてきたことをよく見なさい」となります。

(※)パナマ侵攻・エル・チョリージョ爆撃について→写真 年表 ドキュメンタリー「The Panama Deception」(1993年アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞受賞) 

つまり、ほかの人々がアメリカに対しやった9.11事件は、アメリカが世界のほかの人々に対してやってきたこと(ベトナム戦争など)と対比して考察することによって正しい評価が得られる、と。
そして、100mSv問題も基本的にはこれと同じ問題です。

3、100mSv問題の正しい評価
Mr.100ミリシーベルトとして一躍有名になった元長崎大学の山下俊一教授は、3.11以来、福島県内で精力的に講演会を行い、「100ミリシーベルトまでは大丈夫。避難する必要はない。笑っていれば被害が少ない」といった発言をし、県民に絶大な影響を及ぼしました。のみならず、疎開裁判においても、相手方の郡山市すらためらった「100ミリシーベルトまでは大丈夫」という主張を、裁判所(福島地裁郡山支部)は郡山市になり代わって採用して「避難する必要がない」という結論を導く際の第一の理由に活用するという風に、多大な貢献を果しました(決定19頁)。
しかし、3.11以後、Mr.100ミリシーベルトによって大量に放出された「100ミリシーベルトまでは大丈夫」(尤も、時と場所によって、「100ミリシーベルトまでは健康障害が発生するかどうかは証明できない」と使い分けています)という主張に対する最大の批判者は、ほかならぬMr.100ミリシーベルト自身でした、ただし3.11以前の。
つまり、3.11以前の山下氏の見解を鏡にして、3.11以後の山下氏の見解「100ミリシーベルトまでは大丈夫」を映し出すことによって、ズレ=視差が明らかとなり、正しい評価が可能になります。
それが次の2つの論文です。
ⓐ「被爆体験を踏まえた我が国の役割」(2000年)(甲124号証)
この論文の中で、山下氏は次のように言っています。

4.今後の展望
 チェルノブイリ周辺住民の事故による直接外部被ばく線量は低く、白血病などの血液障害は発生していないが、放射線降下物の影響により、放射性ヨードなど による急性内部被ばくや、半減期の長いセシウム137などによる慢性持続性低線量被ばくの問題が危惧される。現在、特に小児甲状腺がんが注目されている が、今後、青年から成人の甲状腺がんの増加や、他の乳がんや肺がんの発生頻度増加が懸念されている。」(3頁)

ⓑ「放射線の光と影」(2009年第22回日本臨床内科医学会の特別講演 要約 動画)(甲125号証)
この論文の中で、山下氏は次のように言っています。

その結果、事故当時0~10歳の子供に生涯続く甲状腺の発がんリスクがあることを疫学的に、国際的な協調のなかで証明することができました。」(535頁右段)
いったん被ばくした子供たちは生涯続く甲状腺の発がんリスクを持つということも明らかになりました。」(537頁左段)
小児甲状腺がんのほとんどは、染色体が二重鎖切断された後、異常な修復で起こる再配列がん遺伝子が原因だということがわかりました」(538頁左段)
主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません」(543頁左段)

ここで問題にしている「事故当時0~10歳の子供」たちの被ばくは、最初の論文の引用文で指摘しているように、いずれも100mSv以下の低線量被ばくのことです。
つまり、山下氏は、3.11以前は、
チェルノブイリの教訓を過去のものとすることなく、「転ばぬ先の杖」としての守りの科学の重要性を普段から認識する必要がある。
と述べて、チェルノブイリの研究・考察から、100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでも、20歳未満の子どもたちなら「発がんが起こりうるというリスクを否定できません」と証言しました。
しかし、ひとたび、ほかならぬ彼のお膝元の日本で原発事故が起きるや、ひたすら《チェルノブイリの教訓を過去のものとすること》に努め、チェルノブイリに対して適用した科学的な知見を我が国の福島に適用することを拒否しました。つまり、3.11以前の自らの見解を撤回・変更しました。

だが、このような撤回・変更に正当性はあるのでしょうか。

その検証のために、児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長が述べた、
危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということです。安全基準を変えていいのは、安全性に関する重大な知見があったときだけ」である(昨年11月25日「第4回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」での児玉龍彦氏の発言〔21分~〕)
というリトマス試験紙にこれを当ててみます。
つまり、3.11のあと(厳密には上記の2009年の論文のあと)、山下氏は100mSv問題で「安全性に関する重大な知見」を見つけ出したでしょうか。
そんな話は聞いたことがありません。3.11以後、彼は、もっぱら講演等で忙しく、100mSvに関して新しい知見を記した論文をどこにも発表していません。
そうだとすると、3.11以後の彼の見解の撤回・変更は、危機管理の基本原則に反する、科学者としてあるまじき振る舞いということになります。

むしろ、3.11以後、現代科学の到達点として世界標準となっている「LNT仮説、閾値なし」(放射線の被ばく線量と健康障害の間には、しきい値がなく直線的な関係が成り立つという考え方)の見解を唯一受け入れようとしなかった日本原子力ムラですら、昨年12月、ようやくこれを受け入れる論文(※)を公益財団法人放射線影響研究所から発表し、3.11以後の山下見解を支持する人は日本原子力ムラでもはみ出し者だけとなってしまいました。


(※)論文「原爆被害者の死 亡率に関する研究 第14報 1950-2003:がんおよぴがん以外の疾患の概要」(英文日本語訳

4、まとめ
3.11以後の山下氏の「100ミリシーベルトまでは大丈夫。避難する必要はない。笑っていれば被害が少ない」という見解の正当性は、3.11以前の彼自身の見解と比較検討することによって明らかにされるという方法は別に私たちの専売特許ではありません。
例えば、前述の児玉氏が既に次のように指摘していることです。
山下氏は、福島原発事故以前は、学会で、放射能を使うPETやCT検査の医療被曝については、2ミリシーベルト程度の自然放射線と同じレベルについても、「医療被曝の増加が懸念される」と述べ(※)、学問的には危険性を認め対応を勧めている。》(「放射能から子どもの未来を守る」9~10頁)

(※)「正しく怖がる放射能の話」(長崎文献社)、「長崎醫學會雑誌」(長崎大学) 81特集号

では、このMr.100ミリシーベルト見解は、これを正しく見抜いた福島の人たちに、どのような感情を呼び覚ましたでしょうか。これについても、上記の児玉氏が引用する、福島在住の医者の奥さんの感想を紹介します。
そのお医者さんの奥さんが「これはおかしい」と思ったのは、山下先生たちはチェルノブイリで牛乳を飲んだ子どもたちの甲状腺がんが増えたことを知っているし、医療用の放射線被曝の危険性についても著作で書かれている。そういう専門家の説明会だというのに、「放射線の影響は、ニコニコ笑っている人にはきません。クヨクヨしている人にきます」などと言っている。その瞬間に、地獄を見た思いがしたそうです。だって、チェルノブイリに4000人の子どもの甲状腺がんが出たと言い、それを調査するのに日本の研究者である自分たちも貢献しましたと書いているわけです。なのに、「大丈夫」ということを言うために、わざわざ福島までやって来ている。これはどういうことなんだろう?‥‥》(「放射能から子どもの未来を守る」64頁)

3.11を境に、それまでの黒(危険)を白(安全)と言い、その結果、真実を知らない多くの人々がむざむざと危険な目に遭わされることになるのを目撃したこの女性が、世界の善と悪が入れ替わったのではないか、Mr.100ミリシーベルトのおかげで我々は地獄に落ちてしまったのではないか、頭が完全におかしくなっているの私なのかそれともMr.100ミリシーベルトの方なのかと煩悶せざるを得なかったのは当然です。
で、このような人なら、昨年12月に裁判所(福島地裁郡山支部)が下した却下決定の第一の理由として、このMr.100ミリシーベルト見解が掲げられているのを知ったら、きっと次のように思ったでしょう。
3.11以前の山下氏がチェルノブイリで低線量被曝をした4000人の子どもたちに甲状腺がんが出たと言い、医療用の放射線被曝の危険性についても著作で書かれているのに、3.11以後突如として「100ミリシーベルト以下なら危険の証明がない」と言い出した言葉を鵜呑みにして、裁判所が「避難しなくても大丈夫」と判断したのなら、その瞬間に、裁判所にもまた地獄を見た思いがした

きっと彼女にとって、3.11を境に、裁判所も「人権の最後の砦」から「地獄の砦」に変質したとしか思えないからです。
チョムスキーは、常々、偽善者とは「他人に対して適用する基準を、自分自身に対しては適用しない人間のこと」だと定義し、それは道徳・倫理の最も根本的な問題であると言います。例えば、アメリカは自国がベトナムやパナマを空爆しどれほど残虐非道なことをしても許されると考えるのに、他国がこれと同様なこと、9.11のような攻撃をアメリカに加えることは決して許されないと考える態度のことです。Mr.100ミリシーベルトはこの意味で正真正銘の偽善者です。なぜなら、チェルノブイリに対して適用した科学的な知見(100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでも、子どもたちには「発がんが起こりうるというリスクを否定できません」)を自国の福島に適用することは拒否したからです。偽善者の見解が科学的な知見たり得ないことは今さら言うまでもありません。

(※)以上の100mSv問題について、今回の抗告人準備書面(1)の第2、1、事実論1(100mSv問題)(7~11頁)で、山下氏自身の論文その他の証拠(証拠説明書(10)甲123~129号証)で主張・立証しました。

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