脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2013年3月20日水曜日

【裁判速報】ロスタイムに入った裁判所に、緊急書面の提出(17):それでも、伝えたい福島の親の声:どんな被ばくと健康被害の中で生きているのか(伊達市からの報告2)

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仙台高裁に、2月22日、重要書面として緊急に提出した証拠の1つとして、伊達市に住むお母さんが、3.11以来どのような被ばくと健康被害の中にあるのか、また自主避難についてどう思っているのか、率直に語ったものです(公開用に、個人情報を削除してあります)。
 
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陳 述 書
――原発事故後の伊達市での被ばくと健康被害と自主避難について――


2013年2月22日

福島県伊達市‥‥

○○○○

目 次
1、           自宅、学校の高い線量と学校の対応について
2、           特定避難勧奨地点の解除とその支援
3、           被ばく量データーと体調不良について
4、           避難について
5、           まとめ

1、 自宅と避難先及び学校の高い線量について

我が家は、福島第一原発から約50キロくらいの伊達市○○町にあります。夫、私、長男(○歳。小学○年)、長女(○歳。幼稚園 )、次男(○歳。幼稚園 )祖母の6人家族です。我が家は平成23年(2011年)6月に特定避難勧奨地点に指定されました。
平成24年10月に、自宅敷地の除染を実施しました。しかし、除染が終わっても室内で0.4μ㏜/h前後はあります。また、屋外でも地上1㎝で0.5μ㏜/h前後、50cmで0.64μ㏜/h前後、1mで0.66μ㏜/h前後あります。(平成24年10月19日に測定した、別紙の伊達市による放射線量測定記録)
除染をしたにもかかわらず、宅地内にはいまだに2μ㏜/h前後の場所が数カ所あります。地上より上に行けば高い線量が出るのは、周りの線量が高いからです。

除染前は、室内で0.8μ㏜/h前後、窓際で2μ㏜/h前後
宅地内には40前後~70前後μ㏜/hの場所が数カ所ありました。
また、平成23年6月、線量計で初めて測定した時は、室内の中央でも1.8前後μ㏜/hありました。寝室も同様です。また、窓際や天井に近づけると2・8前後μ㏜/hでした。

除染のやり方ですが、表土をけずりとる。ホットスポットに関しては線量が下がるまで掘るが1μ㏜/hを切れば掘るのをやめそこに土をかぶせる。まるで、埋め立てです。
また、屋根の洗浄はせず、雨どいをペーパーで拭き取る。コンクリートは線量が高くても削り取る作業などは一切していません。高圧洗浄機も一切使用していません。
除染担当の西松建設にも除染についてなど話しました。「伊達市に伝えます」と
言ってもらえましたが、返事がないので直接伊達市へ行き話をしましたが、全くわかっていないようでした。ただ、「国が決めたから、市としては何とも言えない」と言われました。

長男が通う小国小学校ですが、事故後高い線量だったためその年の5月に校庭の表土をはぐ除染が行われました。しかし、いたるところにいまだに高い線量が見られている状態です。
平成24年(2012年)9月19日に保護者あての学校からのおたよりには「197μ㏜/hありましたが、除染で3.9μ㏜/hまでさがりました」とあったので驚き学校へ問い合わせました。3.9μ㏜/hで除染完了ではなく、もっと下げるように依頼しました。しかし、いまだにそのままです。
また、電話で「高い線量について、いつから知っていたのですか」と尋ねたところ「前々から知っていた」と教頭の口からいわれた。学校の敷地内の線量を一番把握しなければならない保護者には何も知らされていなかったことが分かりました。
これについて、教頭は「皆さんに公表すると動揺するからしなかった」と言ってきました。

平成24年7月にもPTA、CRMS(市民放射能測定所)、きれいな小国を取り戻す会の方々にて測定されていたが全く公表しようとしない。その後、平成24年10月19日に「Aエリア小中学校の空間線量率モニタリング」調査結果についてのおたよりが配布され、線量の高さに驚きました。学校敷地内でも2μ㏜/hに近い数値の場所がいたるところにあったからです。

そんな時、持久走大会及び練習についてのアンケートがきました。それをきっかけに学校の線量を測定させてもらうことにしました(平成24年10月26日)。その際、保護者4名に対して校長から
「学校は、最善のことをしている。そういった中で、このように心配されるお母さん方の期待にはこれ以上寄り添うことは出来ません。私たちは、公務員ですから。」
と言われてしまいました。また、「他に私立の小学校もある」というようなことまで言われてしまいました。
その後、このときの測定結果を(私以外の人から)学校に対し、「受け取って下さるならば保護者に公表してほしい」と依頼しました。しかし、測定結果は受け取ってもらえず、そのまま突き返されました。
その年の12月5日PM14時30分より息子の個別懇談があり学校へ行った際、校長に教室の出入り口にて呼び止められ「10月の測定結果がほしい」と言われる。測定結果を学校に提出したのに受け取らず返還してきたことなどを話したのですが、「一度も受け取っていない」と言い切り、しまいには、「それを出さないと○○(息子)がいじめられますからね」とまで言われてしまう始末でした。
私は、「測定結果を公表して頂くのはありがたいです。それでは、その測定結果を作成された保護者の方にも御連絡入れて頂きたい」と校長に依頼しましたが、その後、学校からは一向に確認の連絡を入れようとしません。その後も、電話や息子の連絡帳で「確認できたのですか?」とたずねていますが、学校からは、何の返事もない状態です。

平成24年度が始まり4月20日の総会の際に、教頭から「1日に1時間を目安に屋外活動を行う方針である」と言われた。保護者の思いを一度も聞いていないのにどうしてそのように決まったのか納得がいかず、小国小学校の保護者全員にアンケートを実施しました。アンケートの結果はさまざまではありましたが、不安に思っている、注意してほしいといった方が多かったです。気にしていないわけではないとわかったので学校に要望書を6月13日付で提出。その足で教育委員会にも提出しました。

 平成24年6月28日19時~20時に、学校で、私たちの要望書に対する学校からの説明がありました。その内容は、
「学校移動もしくは、屋外活動の際の移動授業などは、移動のための時間、
経験のない場での安全確保、事前指導を考慮すると相互の時間を要する。
現在使用していない学校は総合支所の管轄にある。『あびる必要のない線量は、
あびさせない』の考えのもと、今後も指導が伴わない場合は、屋外活動を
控える。屋外活動の参加について活動時間をへらしてほしいというお子さん
については、屋内での活動を工夫する。」
というものでした。校長、教頭は保護者の前でこのように約束しました。
「地域の除染が始まったらどうするのか」という質問に対し「除染中は屋外活動を控えます」と答えましたが、実際には、地域で(住宅)除染が行っていようと、その間も運動会(一部の競技のみ)持久走大会、そして日々、野外授業1時間目安で取り入れておりました。
持久走の練習の際、私の息子は屋外で思い切り走りたい思いを我慢させるのがとてもつらかったです。屋内での活動を工夫して頂けるとばかり思っていましたが、息子は昇降口で見学だったようです。
また、ひょうたんの栽培も2μ㏜/hあるフェンスに棚をつくり収穫まで手入れをさせていました。収穫時は1~2年生は喜んでひょうたんをなめていたようです。
野外へでるならガラスバッチを持参して欲しいと学校にお願いしてもいっこうに実行されませんでした。風が強くても、野外で活動していました。
安心で安全な学校生活をして頂きたく、できることをしていただきたかったのですが、結局、学校の教師は他人です。そして、ただ仕事をしに学校にきているだけです。
子供の将来などを口では思っているように話しますが、先のことを考えて
行動してくれる先生ばかりではありません。
学校での一部始終を保護者が見ているわけではありません。教師の心の中には、どうせ保護者はみていないのだからという気持ちをもって働いているようにしかみえません。
 いくら頼んでも、いくらお願いしても無駄ならば、せめて線量のない所で学校生活を送らせたいと思います。
 

2、 特定避難勧奨地点の解除とその支援

昨年12月14日に特定避難勧奨地点が解除というニュースを13日の夕方に初めて知りました。その後、伊達市より解除の通知が届きました。住民として相談会や説明会があるのだとばかり思っていましたたが、いまだにその通知はありません。ただ、12月25日付で特定避難勧奨地点解除後の支援措置についてのおたよりだけが届きました。地域から市に、説明会の開催や早すぎる解除の要望書を提出していますが市として実施することは考えていないようです。

 今年1月24日、湯田健一伊達市教育委員会教育長より学校を通して避難している小学生に対して特定避難勧奨地点指定解除に伴う今後の通学支援についてと学校からおたよりが配布されました。特定避難勧奨地点に指定された我が家は23年7月、線量がより低い伊達市の○○町に避難し、そこから小国小学校まで、タクシーで通学していました(タクシー代を伊達市が支援)が、解除に伴い「特定避難勧奨地点」からの避難している児童生徒に対するタクシー送迎Aエリアの除染は本年3月末までに完了することから、避難先より自宅に戻られても影響のないレベルになりますので、タクシー送迎代の支援は平成25年3月末をもって終了といたします。とのことでした。民間借り上げの制度は平成26年3月まで利用できるにもかかわらずタクシー代の支援がなくなるという事は、自宅に戻れ。戻りたくないなら転校しろと言われているものと同じです。

平成24年10月に自宅の除染が終わったと同時に自宅周辺の線量を測定したところ、除染をしたところは上記のような線量でしたが、除染した場所としていない場所の境界線は1m地点で0.8μ㏜/h前後。していないところを測定すると1㎝で2.5μ㏜/h前後だったり土手などは3.5μ㏜/h前後という高い線量がみられました。
そのような場所に戻り生活すれば、除染していない高い線量の場所に行かず、除染した宅地もしくは室内だけで生活できるはずがありません。
いろいろと考え、仕方なく息子を転校させるしかなくなりました。昨日2月15日に転校手続きをしに伊達市教育委員会に行きました。

また、特定避難勧奨地点の解除が納得いかず、昨年12月末に主人が伊達市に行き市放射能対策政策監付 半澤隆宏次長に「自宅に戻れとは30年気を付けて生活しろということか」と聞いたところ、「そうです」との返事でした。


3、 被ばく量データーと体調不良について

事故後、ほとんど室内で過ごし窓も開けず、換気扇なども使用しませんでした。どうしても心配だったので、事故直後の3月末から4月の始業式前日まで横浜へ避難しましたが幼稚園、学校が普通に再開され子供が通学通園したとたん、朝、長女(当時○歳)は大量の鼻血がでました。長女は、生まれてから1度も鼻血を出したことがなかったのでとても心配でした。

どうしても心配だったので、長女の尿検査をふくろうの会を通しフランスのACROで測定してもらいました。平成23年9月に採尿した結果は、セシウム134(0.51㏃/l±0.21㏃/l)セシウム137(0.59㏃/l±0.20㏃/l)の値が出てしまいました。
その後、室内のハウスダストに含まれる放射線量も測定。ほとんど締め切って生活していたにもかかわらず10月までの掃除機のゴミパックからセシウム134(2230㏃/kg±260㏃/kg)セシウム137(2950㏃/kg±350㏃/kg)検出。翌年(平成24年11月)再度測定ではセシウム134(4160㏃/kg±830㏃/kg)セシウム137(5600㏃/kg±1120㏃/kg)と前年より高い数値が出てしまいました。
これは、平成23年は窓を閉め切って生活していたのですが、平成23年7月に私たち夫婦と子供3人が伊達市内のより線量の低い場所に避難し祖母だけが避難せず(できず)、自宅に残った祖母が窓を開けることが多くなったため、平成24年はハウスダストの線量が上がってしまったと考えられます。

このような線量がある私どもの地域(小国)で、特定避難勧奨地点に指定されず、そのまま生活していた或る中学生とその父親は
中学生:平成23年11月4日、南相馬市立総合病院にてホールボディを受けたところ
セシウム134(1400㏃)セシウム137(1900㏃)
父:平成23年11月11日、南相馬市立総合病院
セシウム134(1400㏃)セシウム137(2000㏃)
という考えられない数値がでてしまいました。このように高い数値で2次検査に至った子は霊山中学校で2人。その2人とも伊達市霊山町小国から出ていいます。

このような状態の地域に子供が住めば今後どのような健康被害が出るのかとても不安でなりません。

平成24年3月の福島県の甲状腺エコー検査の結果、私の子供3人とも異常なしでしたが、その結果の通知の書き方が漠然としていてろくな説明もなく、なおかつ、あのような数分のエコー検査でなにがわかるのかととても心配になり、かかり付けの小児科(伊達市○○町の○○小児科)で何か甲状腺の検査が出来ないのか聞いたところ甲状腺多機能検査があると聞き、その検査を平成24年8月22日に行いました。
結果は、遊離トリヨードサイロニンの数値が長女(○歳)4.32pg/ml 、次男(○歳)4.45pg/mlとほんの少し高い値が出ました。先生によるとその日の体調とかもあるので、このまま経過をみて6か月後に再検査をしましょう。と言われました。少しの値でも異常がみられたのはとても心配でなりません。


4、避難について

特定避難勧奨地点ですが、原発事故の起きた年の平成23年6月に地域の班長や区長などだけが集まり、仁志田市長より「計画避難になると、みなさん強制的に出されてしまいますよ!避難勧奨地点は、避難してもしなくてもいいのです。賠償は、計画避難同等の賠償にします」と言われたのを主人は聞いています。
その当初、皆、避難に関しての知識がなく強制的に避難させられる(計画避難)より、避難をしてもしなくともよい(特定避難勧奨地点)のほうがいいという考えの方が多かった。それでも、「特定避難勧奨地点になるのは困る」と言った方(年配のかた)が多く、「特定避難勧奨          地点に指定された方のほうが、大変だ、かわいそう」などと言われていました。しかし、現状は全く違い、特定避難勧奨地点になった方には、賠償金のほか、税金等の免除などがありますが、特定避難勧奨地点にならなかった世帯には何の賠償もなければ免除もありません。お金をもらっているもらっていないの違いで地域の中は、分断が起きています。市長は、この分断は避難解除を早急に行えばまた以前のような状態に戻ると考えています。私は、この分断をつくってしまったのは不平等さだと思っております。
しかし、特定避難勧奨地点の指定になったから良かった、では済まされません。私は、仕事をしており避難とともに仕事を辞め(当時タクシーなどの通学支援もなかったので)避難先から学校や幼稚園までの送迎をしなければなりませんでした。
 長男は、避難が嫌で避難する前日の夜声をあげて泣きました。家族がバラバラになるのが不安、転校もさせられてしまうのではないかと不安、何もかもが不安だったのです。避難から1か月後くらい学校から帰っても落ち着かず、勉強も手につかないようでした。
 
避難しながらも、高い線量の元の地域の学校へ通学するのはとても不思議でした。
学校は除染が済んでいたから避難指定にならなかっただけで除染していなかったら特定避難勧奨地点の指定になった所です。

特定避難勧奨地点なので、祖母がペットの世話の為自宅におります。そのため、電話代、水道代、ガス代等2重で支払いもしております。
  
 
5、まとめ

 福島原発事故により家庭環境、生活環境とおおきく変わってしまいました。食べるものを気にしたり、洗濯物や布団の中干し、水の購入とやれることはすべて行っていますが、これが何年続くのか30年このままの生活をしなければならないのか不安でなりません。

子どもの戸外遊びの制限――外に出るとどうしても不安です。砂、草花、枯葉など一切手に触れさせません。地面に体の一部がついた際には必ず払落したり、すぐに着替えをさせるようにしています。そんな生活をしているせいか、保養のため県外へ行くと子どもたちからすぐに
「ここは、放射能ないの?石をもっていいの?水を水道からのんでいいの?花を摘んでいいの?」と質問ぜめです。幼い子供が自然に親しむこと、触れる事ができないのです。
今まで、普通に行ってきたことがほとんどできないのです。

不安な気持ちや明らかにおかしいと思うことを、学校に尋ねると「教育委員会が・・・」、教育委員会に尋ねると「学校からは聞いていない」、伊達市に尋ねれば「国が・・・」、国に尋ねれば「伊達市が・・・」と言われてしまいます。いったい私たち住民はどこに聞けば返事がいただけるのでしょうか。

2月16日現在、小国小学校新入生はゼロです。(6名入学予定でした)
また、我が家以外に転校を考えている方が出てきたようです。
以 上


1 件のコメント:

  1. 自分がこの立場になったらどうするか、全ての日本人は考えなければならないと思う。理由は国が決めいることが間違っているからです。
    横浜市に住んでいますが、横浜市で何ができるか仲間と考えていきます

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