脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2014年5月29日木曜日

【報告】5.23~25北海道4都市の、ふくしま集団疎開裁判連続講演会のレジメ

以下は、今月23日から、北海道の4箇所(旭川・札幌・苫小牧・室蘭)で行った「ふくしま集団疎開裁判」の講演会(講演者:弁護団 柳原敏夫)のレジメです。

レジメ

0、はじめに(自己紹介)
3.11まで原発や放射能に無知だった。3.11以後、なぜ疎開裁判に関わるようになったのか。 →「バイテク・センチュリー」との出会い

禁断の科学裁判=先端科学技術である遺伝子組換え技術の裁判に関わる中での「遺伝子組換えムラ」の住民たちとの異常な体験

1、福島原発事故 (1)、福島原発事故は2度発生する。
 1度目は「人間と自然との関係」の中で、2度目は「人間と人間との関係」の中で。


  科学技術(テクノロジー)の問題を、すべて自然科学の中で、つまり自然と人間の関係の中で解決できる、それさえうまくできれば、それで全部、結果オーライだと考える傾向があります(もちろん、それで解決できる問題もあります)。しかしそれは、科学技術の問題を、もっぱら自然と人間の関係でしか見ない発想であって、そこには人間と人間の関係の問題が抜けている。現実に、科学技術(テクノロジー)を左右し、それを押し進めたり止めたりする力が必ず作用していて、それが人間と人間の関係の力です。たとえば国家の力と か、経済の力とか。市民の力とか。そういう人間と人間の関係の中での力が、最終的に科学技術(テクノロジー)の方向が決まるので、そこを無視しては環境問題やテクノロジーの問題、安全の問題は解決できない。
だから、科学技術の災害についても、人間対自然という関係だけではなくて、人間対人間の関係を絶えず念頭に置かなければならないし、むしろ人間対人間の関係のほうが、根本である。(柄谷行人「世界史の構造」31~32頁。305~306頁参照)

2度目の「人間と人間との関係」の中で発生する事故とは、1度目の「人間と自然との関 係」の中で発生した事故がその後意図して操作(マインドコント ロール)されたものである。従って、その操作が発覚したとき、市民の科学技術とそれを運用・管理する人たちに対する疑心暗鬼・不信感は極大に達する。

但し、たとえ運良くその操作が発覚せず、市民の目を欺くことができたとしても、自然を欺くことはできない。どんなマインドコントロールも「人間と自然との関係」の前で無力である。自然は情け容赦なく人間を裁く。

そ の上、「人間と自然との関係」で、今日の専門化し、細分化し、分断化された科学技術では自然の全体像を正しく把握することができない。そのため、自 然を人工的に利用するにあたって生じる危険性についても正しく把握することができない。この意味でも、今日の科学技術は「人間と自然との関係」の前で無力 である(『安全と危険のメカニズム』補足より)。
参考->危険は人によって作られる! 共著「安全と危険のメカニズム」第3章「市民の科学への不信はいかにして形成されるか」第4章「座談会」184~187頁より)

(2)、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」を認識する視点:視差(ズレ)の中で考える。

さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
 両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。(カント「視霊者の夢」)

A.時間的な視差:3.11以前と以後との対比

B.場所的な視差:チェルノブイリと福島との対比

C.人的な視差:「政府要人・自治体要人・原子力ムラ住民とその家族」と一般市民との対比 
  例 郡山市長 

※本日の検討
 
①.世界からみた福島原発事故(日本内部との対比)  
②.世界史から福島原発事故(百年前との対比)

2、世界からみた福島原発事故


①.菅谷昭松本市長14.4.24) 

  なぜ、今頃、こんなメッセージを表明したのか?


②.外国から 5人の代表的な声(2013年4~5月) 
         ファッション・デザイナー キャサリン・ハムネット
     スイス・ジュネーブ市長 レミー・パガーニ 
         人権活動家 ノーム・チョムスキー     
         フランス前環境大臣 コリンヌ・ルパージュ
    小出裕章(非日本的日本人)


  外国から無名の人々の声  イタリアからのメッセージ  
 なぜ、彼らはこのような声を発したのか?
 
③.ふくしま集団疎開裁判を報道するニュース


国内。テレビは2011年6月24日の申立時にTBSのNEWS23一社のみ。
    しかも、このときは、特集として詳しく報道。以後、一切なし。




国外。韓国、ドイツ、フランスの公共放送が取材・放送。  


④.福島の現実(2012年10月のジュネーブ国連でのスピーチから)


  日本政府の三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」
          チェルノブイリ事故から徹底して学んでいること。
          例 キエフの学童疎開→2011.4.19 20倍引き上げ

  健康被害の実態:小児甲状腺がんの検査結果

           ベラルーシの35倍14.2.7)->最新の5月19日の発表で40倍
           スクリーン効果論の「崩壊」確実(14.5.19)

           郡山保健所から配布の副読本「がんのおはなし
    最近の福島 福島市の中学校正門付近の線量            
           車窓の線量(磐越東線 引船~郡山)
 
 映画『シンドラーのリスト』を作ったあとのスピルバーグの発言
 「ホロコーストで起きていたことは、当時、チャーチルもルーズベルトも知っていた」(歴史の反復)

⑤.2013年4月24日の仙台高裁の決定(判決) 


  →画期的な事実認定(理由)と理不尽な結論(主文)との矛盾

⑥.松本子ども留学プロジェクトのスタート
一刻の猶予もならない子どもたちの救済を、市民の手で市民型公共事業としてスタート
 
3、戦争との対比
 大岡昇平の「レイテ戦記」
 

4、世界史から見た福島原発事故
 第一次世界大戦との類似性

5、「美味しんぼ」の言論抑圧問題

私の抗議文->自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する


※ 3つの主体の人権侵害、その結果、最大の被害者は、福島の「子どもたちの命と健康」


    作者の表現の自由 (1)、経験した事実(鼻血・除染) (2)、不確実な科学的事実(被爆と健康被害の関係)


    市民の知る権利(表現の自由は民主主義の基盤である「自由な言論と討論の広場」にとって不可欠)


    被害者である福島の人々の経験した事実や真実と信ずる見解を表明する自由
 「鼻血は事実」~福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議
 
    最大の被害者である福島の子どもたちの命と健康という人権

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