脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2016年11月10日木曜日

原発労働では1日1.5ミリシーベルト被ばくさせると事情聴取された。1日2ミリシーベルト以上被ばくさせたら逮捕。今の福島は子どもにまで年間20ミリシーベルトを強要。

 10月18日に神楽坂のセッションハウスにて、作家の渡辺一枝さんのトークの会「福島の声を聞こう!vol.21」で子ども脱被ばく裁判の原告であり、脱被ばく実現ネットの仲間でもある今野寿美雄さんがお話をしました。
 今野さんは元原発労働者であり、浪江町からの避難者です。
 渡辺一枝さんが丹念に書き起こししてくださり、一枝通信で3回にわたって報告してくださったものを許可を得てブログにアップさせていただきます。渡辺さんは10.22デモにも参加してくださいました。ありがとうございます。

 原発で29年間働き、311の時は女川原発で地震と津波に合った今野さんは私たちの街頭宣伝やデモなどで短い時間お話していただいていますが、避難時のことや原発労働のことなどたっぷりとお話された貴重な内容の書き起こしです。ぜひご覧下さい。
以下 一枝通信より−



18日()に、トークの会「福島の声を聞こう!vol.21」を催しました。
ゲストスピーカーは、浪江町の今野寿美雄さんでした。
今野さんは電気計装設備や機器の建設・メンテナンスの技術者として原子力発電所及び火力発電所での仕事をしてきた人です。
原子力関連では、東電福島第一・第二、東北電女川、原電東海第一・第二、JAEAもんじゅ、動燃東海・大洗、原研東海・大洗、原燃六ヶ所他に関わってきました。
29年間、原発・火発のエネルギー関係の仕事に携わってきた今野さんのお話からは、事故を起こした原発の今と、事故による影響がリアルに伝わってきて、多くの人にこれらの事実を知って欲しいと思うことばかりでした。
当日今野さんは「です。ます」調で話されましたが、以下に「だ。である」調でお話の概略を記します。
長いので3回に分けてお送りします。(注:当ブログは3回まとめて載せました)

① 
●原発作業員の被ばく量は管理されている
仕事の内容は自動制御計測専任で、オートメーション化されている制御をコントロールする機械やそれらを計測する機械の定期点検、修理・メンテナンスを主にやってきた。
電気関係がメインだったが、その他に派遣社員という形で日立製作所や IHI の指導員や監督として、作業員を使っての特殊な作業の指導をしてきた。
全面マスクを被って、原子炉の下に潜ってするような仕事もしてきた。
今までで一番被ばくをしたのは、その仕事に関わっていた時だ。
新しい原発は汚染が少なくきれいなので被ばく量は少ないが、フクイチは古くて汚染がひどい。
放射能が漏れていて放射化しているので、被ばくする量が多い。
フクイチの1~6号機まで全てに入ってメンテナンス点検をし、その時に最大で年間12 ミリシーベルトの被ばくをした。
それが29年間働いた中で一番多い被ばく量で、たった1ヶ月でそれだけの量になった。
1ミリシーベルトの場所で作業して0,8ミリシーベルト浴びると、そこで作業を終えて上がるのだが、2週間足らずの間に毎日連続で入るとそんな被ばく量になる。
他の作業員よりは被ばくしないように管理されていたが、監督として現場確認をしなければならないので中に入り、その時に年間被ばく量12ミリシーベルトになった。
国が言う年間20ミリシーベルトは国の基準であって、発電所の基準は年間15ミリシーベルトだ。
20ミリシーベルトをオーバーするといけないので、各メーカーや事業者(東電など電力会社)などは、年間15ミリシーベルトで管理されている。
そうした中での12ミリシーベルトだった。
年間20ミリシーベルトというと5年で100ミリシーベルトになるが、1年間最大50ミリシーベルトかつ5年間で100ミリシーベルトを超えないというのが法律上の制限値だ。
そして1日1ミリシーベルトを超えないことにされているが、労働基準局に届け出て特別協定を結ぶと、1日最大2ミリシーベルトまで許される。
ただし2ミリシーベルトと言っても、ちょっとしたことでオーバーしてしまうことがある。
高線量の場所なので、作業場から上がるのがほんの1、2秒で遅れただけでも2ミリシーベルトを超えてしまう可能性があるので、2ミリシーベルトの場合はアラームメーターは1.5ミリシーベルトでセットする。
東海村での仕事中に、1ミリシーベルト超え、1.5ミリシーベルト超えが発生してしまったことがある。
原子炉の下にはCRDといって燃料の制御棒を駆動する装置があるが、そのメンテナンスの監督として仕事にかかっていた。
作業員が中に入って制御棒を下に引き抜いた時に、損傷燃料が装置についていた。
損傷燃料は50シーベルトもあるので、一瞬にしてアラームが鳴り出し、作業員は一斉にそこから飛び出した。
原子炉は直径5メートルくらいの広さで、2~3mの分厚い壁があるが、その通路を伝わって逃げたが間に合わず、1.5ミリシーベルトをオーバーしてしまった。
すぐに労働基準監督署が来て、事情聴取されたが、2ミリを超えていなかったので事後報告提出ということでその作業は許されることになり、逮捕されることもなく済んだ。
常にそうやって労働基準監督署や、放射線障害防止法や電離則(電離放射線障害防止規則)など法律や法令など厳格な基準で原子力発電所の作業員は管理されている。

●作業員以上の被ばくを強要される福島県民
ところが現在福島では、なんの管理もされずに年間20ミリシーベルトなどの基準が小さい子どもにまでも強要されている。
それが今の大きな問題だ。
だいたい1ミリシーベルトというのも追加被ばく線量であり、宇宙や大地、食物など自然界から2.4ミリシーベルトを日本人は浴びていると言われるが、自然界にないものからはそれ以上に1ミリシーベルで抑えようということなのだ。
1ミリシーベルトという値にも根拠があり、人間が100歳まで生きるとすれば累積して100ミリシーベルトまでは大丈夫だろうということから、100100で割って長生きする人で年間に1ミリシーベルトという基準で決まったのがその数値だ。
だから1ミリシーベルトが安全だと、ハッキリ言える基準ではない。
ICRP(国際放射線防護委員会)では、できる限り被ばくは低くするように勧告している。
それを、事故が起きたからといって基準を20ミリシーベルトにまで持っていく、しかも事故当時のことだけではなく現在も、福島県民にはその数値を強要している。
他の都道府県では、1ミリシーベルトだが、福島では20なのだ。
だから南相馬では「20ミリシーベルト基準撤回訴訟」が起きている。
なぜ20ミリシーベルトが許されているかといえば、「原子力緊急事態法」があり、それが出されたままであるからだ。
事実上事故は今も収束していず、今現在も放射線は漏れて汚染水は溢れている。
海にも大気にも、放射能は漏れだしている。
緊急事態法の範囲は当たり前の数値だが、それを逆手にとって福島は20ミリシーベルトだとしているのだ。
原発で働いている人以上の被ばくを子どもたちにさえ強要する、とんでもない話だ。

●甲状腺ガンが増えている
県内の子ども38万人に対して174人の子どもが、甲状腺ガン及び疑いと発表された。
100万人に一人とされていた病気が、原発事故6年目でこの数だ。
一昨年から始まった県民健康調査発表では、(注:自分のFacebookの)スタート時には112人くらいだったが、1年で50人、60人も増えた。
昨年2月に最初の発表があったが、1ヶ月に4、5人くらいのペースで増え続けている。
一巡目でA判定だったのが二巡目でC判定になって手術した人が多数いた。
今後どう増えていくか判らないが、チェルノブイリの例から見ても30年は増え続けるだろう。チェルノブイリでは、今もまだ新たな発症が出ていて、当時子どもだった人が結婚して生まれた子どもがまた、体調が悪くなっている。
そういう世代にまで、影響が出ているのだから、長い目で見ていかないといけないだろう。
これまで甲状腺ガンの症例があまりにも少なく、データがないことから「チェルノブイリとは違う。だから福島の健康調査の結果は、原発事故由来ではない」などと、御用学者や政府は訳のわからない屁理屈で否定している。

●「6国清掃活動」
県や健康調査委員会は、事故が起きた当時から真逆の政策をしてきているが、ここにきてまた問題が起きている。
「6国清掃活動」といって、イチエフから20Kmの広野町の国道6号線の清掃活動をするイベントで、中高生たちも参加した。
そのイベントは事故前には、ただ道路のゴミ拾いをするイベントだったが、事故後は中止されていたのだが、6号線が開通した翌年の2015年にハッピーロードという団体が主催して、一気に活動が再開された。
「みんなでやっぺ!きれいな6国」の標語のもとに、故郷をきれいにしたいという子どもたちの気持ちを利用して、周辺の道路は高線量のところがあって被ばくの危険性があるのにそこでゴミ拾いをさせる。
道路のアスファルト部分は高圧洗浄機で洗ったりしていても、通行する車のタイヤから撒き散らされる放射性の粉塵を浴びて路肩の草むらなど除染されていないので線量が高いままだ。
こうした活動に抗議の声を上げると、「復興の妨げをする」などとお門違いの声が出たりする。

●新たな安全神話
警戒区域内でわざわざ田んぼを作って、収穫した米は100ベクレル以下だから安全だと言って、汚染されていない田んぼの米と混ぜて、汚染を薄めているような状況もある。
そんな風に、やってはいけないことをやっている。
そんな場所でわざわざ米を作らなくてもいいのに、莫大な税金を投入して田んぼを除染して土を入れ替えたりして汚染地域で米や野菜を作っている。
結局そこからの作物は汚染が検出されるが、それでも100ベクレル以下だから安全だと言い流通させる。
子どもの清掃活動も同じだが、こうして新たな「安全神話」が作られている。
非人道的な許しがたいことだが、それを復興だと言い、イベントをすれば、あるいは建物を造れば復興したと言い募る。
そして事故は終わった、もう大丈夫だと喧伝する。

●ふざけるな!
実際には全然大丈夫ではなく、体の具合が悪い人はどんどん増えている。
甲状腺ガンは子どもだけの問題ではない。
還暦過ぎた大人でも、なっている。
友人は兵庫県に避難しているが、甲状腺ガンの手術をした。
彼女に会ったら首にスカーフを巻いていて、「年取ってシワになって手術跡が目立たなくなるまで、スカーフを巻いている」と言った。
甲状腺ガンは男性でも発症して、知り合いの男性も手術をした。
こうした状況を原発のせいではないと言い、これまでも、今後も健康被害の出ることはないと、安倍晋三は先日参議院の質疑応答で答えた。
傍聴席に居てそれを聞いた時、思わずサンダルを脱いで投げつけたくなった。
それ以上そこに居たら絶対にやらかしてしまうと思ったので午後の傍聴は止めて帰ったが、腹が立ち頭にきてどうしようもなかった。
共産党の市田さんの質問に対して「原発はコントロールされています。汚染水はイチエフの港湾内で完全にブロックされてコントロール下にあります」などと吐かした。
ふざけるな!と思ったが、その時に自民党席からもどよめきが起きた。
誰が聞いても、自民党の議員たちでさえおかしいと思うことを、シラ~ッと言うのを聞いて腸が煮え繰り返るようだった。
「福島県民に寄り添っています」などと訳のわからないことを言い、「大丈夫です。オリンピックをやります」だから、とんでもない話だ。

●弁当持参でいじめを受ける
IOCでは、オリンピック村では福島産の食材を使うなと言っているくらいなのに、日本ではどんどん食べるよう仕向けている。
県庁の職員食堂では、使用食材の産地が表示されている。
事故後には福島県産は一切なかったのだが最近は少しずつ増やしていて、米は福島産だが県庁食堂で使用しているものは0ベクレルと表示されている。
学校給食で使用する米は、100ベクレル以下で安全な米だという。
県庁食堂で大人たちは0ベクレルの米を食べ、子どもたちには100ベクレル以下だから安全だという。
給食を食べさせずにお弁当を持たせるという選択肢もあるが、それでいじめられた子どもがいる。
先週の「子ども脱被ばく裁判」では、泣き泣きそのことを訴えた母親がいた。
これが今の福島の現実だ。
被ばくを避けることが悪いことのように思われ、被害にあった人が悪者扱いされる。
加害者が堂々とお天道さまの下を歩き、被害者はひっそりと生きている。
悲しい現実だ。

●ふるさとを隠して生きる
故郷の浪江町津島地区の住民は今、「津島訴訟」を起こしている。
彼らは避難して他地区で暮らしているが、自分の故郷の名前を口に出せない。
津島から来たと言えない。
そこの子どもと結婚するなとか、放射能は移るとか言われるから、自分たちの素性を隠して新たな場所に住居を求めて生活している。
知人は10人家族だが、避難当時は10人が6ヶ所にバラバラに分かれて暮らした。
2人の高校生はそれぞれ学校の近くに下宿し、ジジ・ババは別の所、夫は単身赴任、知人と下の娘はアパートを借り、もう一人の子どもはまた別の所とみんなバラバラになった。
今ようやく中古の住居を買って家族が一緒に暮らせるようになったが、近所には津島から来たとは言えずにいる。

何もかも奪われ、それだけではなく故郷を負い目に生きなければならないのだ。

●今野さんの場合
3月11日は女川原発に居て、地震に遭い、津波も見た。
15日まで女川を脱出できず、その間は救援活動をしていた。
津波で道路も流され、帰宅も避難も、できる訳がなかった。
あのような半島にある所は、伊方原発の立地地区もそうだが、避難計画など絵に描いた餅だ。
自然災害の前には、太刀打ちできない。
5日目の15日になって、やっと仮の道路ができて女川から脱出できた。
それまでは携帯も繋がらず家族とも一切連絡が取れなかったが、石巻まで出てやっと電話が繋がった。
家族は茨城の古河市に避難していることを知って、追いかけた。
会社の車で郡山駅まで行き、そこでみんなと別れて郡山からタクシーで那須塩原まで行き、そこから新幹線で古河に着いた。
朝7時に女川を出て、古河に着いたのは夜の8時だった。
高速道路も使えないし新幹線も那須塩原までしか通じていなかったし、その時の格好といえば作業服のままで髭茫々、復員兵みたいな姿だった。
それから2週間、古河の親戚宅に居たが、気を使ってとても居辛かった。
きょうだいの家であっても、相手には生活があるのにそこにいては迷惑で、気を使ってしまう。
浪江の役場が二本松に避難したということで、古河から5時間かけて4日間、毎日役場まで往復し安否確認や避難所の空き状況を調べた。
古河にいては、そうした状況は何も知ることができなかったからだが、空いている避難所もすぐには見つからなかった。
当時幼稚園児だった子どもと妻、妻の母親の3人は避難所には連れていけないと思い、妻の叔母の家に預け、男たちは避難所に移った。
3日目か4日目に浪江に自分の車を取りに行き、高圧洗浄機で洗車したが、フロントガラスのワイパーの下に汚染が溜まってしまって、しばらく汚染は落ちなかった。
夜10時までは避難所は電気が点いていて明るい中でテレビを見たりしているが、10時になると消灯で皆寝るので、避難所ではとても寝られずに自分の車に戻った。
自宅から持ち出したアルコールを飲んで寝たが、そんな風にして車で2週間、被爆しながら過ごしたが、寒い毎日だった。
その時は毎朝、スギ花粉で車が真っ黄色になったのだが、くしゃみが出るようになって花粉症を体感した。
ところが半年後から鼻血が出るようになり、ただのスギ花粉ではなかったことが判った。
1ヶ月に2回くらい、突然洗面台が真っ赤になったり、タオルが真っ赤になったのだが、その時期のスギ花粉はセシウムをたっぷり吸っているわけだから、セシウムを吸い込んでいたわけだ。
最初に鼻血が出た時は血圧が上がっているのかと思ったのだが、二度、三度と出てそれに気がついた。
『美味しんぼ』で、井戸川さんの鼻血問題がパッシングされたが、間違いなく鼻血はそれしか原因が考えられない。

●嚢胞の出た子どもたち
またその頃は子供が1ヶ月に2回も風邪を引くようになり、治ったかと思うとまた病院通いで、子どもは花粉は吸っていなかったが、型の違うウィルスに次々とかかって、それが2年ほど続いた。
子どもは3月15日まで津島に居て、その時に外で遊び降った雪を食べたりもしていた。
いま我が子には嚢胞が出ていないので安心しているが、子どもの同級生たちには嚢胞がある子が大勢いて、母親たちが心配している。
嚢胞があるその子どもたちは、福島市や郡山など中通りの子どもたちだ。
浜通りの双葉郡の子どもたちはその時に東京や他の場所へ逃げた子どもが多いのでまだ被害が少ないが、情報が隠され、避難指示も出ずにそこに留め置かれたのが、中通りの子どもたちで、ガンの子どもやガンを切った子どもたちが大勢いる。
我が家では一ヶ月古河に居た後で会津へ行ったが、会津は比較的汚染が少なく線量も低いのが良かった。
9月に飯坂温泉の借り上げ住宅に入居し昨年9月までそこに居て、10月から復興公営住宅として建てられた県営住宅に移った。
その飯坂温泉復興住宅の一周年記念のイベントが、先週日曜日にあったばかりだ。
そこは敷地も、また隣接する公園も全て除染してきれいになったところで、環境も良い所だ。
飯坂温泉は福島の端で、もともと比較的線量の低い地域だが、今住んでいるのはそういう条件の良い所だ。

●70cm掘ってやっと事故前の値に
それ以前の借り上げ住宅として住んでいたホテル聚楽の社宅の隣は飯坂小学校で、そこでは
事故の半年後くらいに、校庭の土をどれくらい掘れば汚染がなくなるかの実証実験をした。
cm、10cm、15cm、30cm、50cm、70cmと掘り、70cmでやっと事故前の値になった。
掘り返したその土を運ぶ場所がなかったので、校庭に6mの穴を掘って、シートに包んだ土をそこに埋め新しい砂を持ってきて敷き、グランドにした。
どこかの御用学者は「3cmか5cm土を剥げば汚染はなくなる。田んぼは反転耕作で畝えば下に沈んでなくなる」と言ったが、とんでもない、半年後で70cmだ。
グランドは砂地なので雨とともにどんどん染み込んでいく。
早ければ早いほど表面近くにある時に剥げばいいが、半年後で70cmだから5年経った今は相当深く染み込んでいる。
何十年かして地下水脈に達すれば、井戸水に出る。
今はまだそこまでは至っていないが、そういうリスクがこれからの未来にあると思う。
セシウムでもコバルトでも、ヨウ素でも、放射線を出さないとしても重金属だから、それを体に取り込むのはとても良くないことだ。
重金属中毒を起こすので放射能だけの問題ではない。
重金属が生物に濃縮され陸上ではイノシシ、クマ、海ならカツオやマグロ、海底にいる魚に溜まる。
子どもの頃の話をすれば、春は山菜、秋にはキノコ、冬はイノシシ料理だったが、そんなものは一切食べられない。
ワラビもキノコも、土に生えるものはダメ、川底にあるものはダメ、一切食べられない。
浪江には鮭の簗場があり、請戸川の河口から200300mの所が大きな簗場だが、いつも川が真っ黒になるほど鮭が遡上した。
先々週行って何匹か遡上しているのを確認したが、毎年9月末から12月くらいまで遡上する。
それを捕ってどれくらい汚染されているか調査するが、その立会いに妻の父親が行くことになっているが、まず、すべて終わりだろうと思う。

●住宅支援を打ち切るな
なぜ田舎暮らしをするかといえば、給料が安くても半自給生活ができるのが田舎だからだ。
畑で野菜を作り、山で山菜やキノコを採り、魚を自分で捕ってくれば、お金を出さなくても生活していける。
半自給自足暮らしだから、田舎で生活できた。
それを奪われてしまったら生きる糧がない。
今から帰って生活しろと言われても、水は飲めずペットボトルで買わなければならない、食物も買わなければならない、生えているものはすべて食べられないで、お金がかかるだけ。
そこに帰って生活しろと言われても、できない。
来年3月で自主避難者の住宅支援の打ち切りが問題になっている。
平成30年3月には、自主避難でなく警戒区域内の避難者の住宅支援も打ち切ると言っている。
警戒区域外自主避難者たちは、ほとんどが母子避難だ。
夫は仕事があるので残り、母子だけで避難している。
彼らは月10万円の精神的苦痛慰謝料も貰っていない。
ただ住居を無償で提供されるから、なんとか生きていけるのに、それを奪おうとしている。
そうした始末の悪いことをしているのが、福島県の内堀知事なのだ。
山形県、新潟県の県知事は災害救助法を延長して住宅を供与しろと言い、各市町村会議も打ち切り撤回を採択した。
神奈川県でも京都の方でもそうしているが、福島県はやらない。
福島県は甲状腺ガン検査縮小をするなという採択はしたが、住宅支援打ち切りするなの採択はしていない。
自分で自分の首を絞めているようなものだ。
自分たちで声をあげて支援の継続を望めばいいのに、内堀知事はそれをしない。
昨年6月に内堀知事と竹下亘、小泉進次郎が赤坂のホテル9階の会議室で密談したが、神奈川に避難している人と2人でそこを“襲い”、エレベーター内で持って行った要望書を渡した。
「これを読んでください。避難者の声です。住宅支援打ち切りはやめてください」と言って手渡した。
そうして住宅交渉問題に関わることになったので、今はその活動も続けている。
県庁への申し入れを、これまでに既に三回やってきたが、避難者たちはその度に京都・東京などから新幹線を乗り継いで福島に来るが、新幹線代などその費用も大変だ。
でもそれでも訴えないとどうしようもない状況だ。
山形県は無償で50戸を2年間提供すると言ってくれ、隣の県なのに被災者に寄り添っている。
福島県は被災当事者なのに加害者と組んで、加害者に寄り添って県民いじめをしている。
12月に県議会の定例会があるので、その時に全国からの請願書と採択した決議文を持って、県と交渉することになっている。
問題はたくさんあるが喫緊の問題は住宅問題だが、その間にも被ばくは続いている。

●ロボットは放射能に弱い
最近また空間線量が高くなっているという話もあるが、風の影響でもずいぶん変わる。
要はそれだけ危ないということで近くにいれば吸引による内部被曝の可能性も大きいということだ。
原発でいま何が起きているかというと、汚染水だけではなく排気筒の問題が大きい。
最近ようやくこの問題もクローズアップされてきたが、1、2号機のスタックと呼ばれる排気筒が問題だ。
火力でいえば煙突だが、原発の排気筒は煙は出ないが発電所内の空気を外に放出するものだ。
その支柱が錆びて腐食している。
地震や竜巻が来たら、ポキッと折れて倒れるのではないかと心配される。
支柱が倒れたら排気筒自体が倒れる。
排気筒が倒れたら何10、何100シーベルトになるかも判らない大量の放射性物質が放出されてしまう。
ドライベントして2号機の排気筒の中に原子炉の空気を出したから、その汚染は半端ではない。
それが倒れたら、風下は相当の被ばくをする。
風向きによっては原発事故そのものよりも酷い状況になる可能性があるのに、人が近づけないので直すに直せない。
東電は遠隔装置を使って半分ほどに切ると言っているようだが、技術としてできるわけがない。
鉄を切るには、グラインダーで切る、バンドソーで切る、ガスで切る、プラズマで切るという方法があるが、その装置を誰が付けに行くのか、どうやってセットするのか。
アーマースーツのようなロボットがあって、その中に入って物をつかんだりできるなら可能かもしれないが、ロボットも近づけない状況なのだ。
2号機の調査のために線量を測るドローンを2機飛ばしたが、排気筒の中に落ちてしまった。
とても人が行けない高線量のところなのでロボットを使おうとするが、ロボットはコンピューターを積んでいるが、マイコンは1、0、1、0でプログラムされている。ところが1、0、1、0、は放射線で飛ばされて全部0、または全部1になってしまう。
だからいままで投入したロボットが全部動かなくなったというのは軍事用のクインスでさえ動かなくなり、太刀打ちできない状況だ。
クインスは核戦争が起きた後に調べに行くロボットだが、入り口まで行ったら動かなくなってそれを回収もできない。
撮影するために投入したロボットが行くのに、瓦礫をどかすアームのついたロボットもあるのだが、それもひっくり返って動かない。
ロボットは放射線に弱いのだ。
画像で見ると霧のようにノイズが入っているが、あれが放射線だ。
放射線はロボットの頭脳部分を、人間の内臓を損傷し壊す。

●なぜガンになるのか
なぜガンになるのかというと細胞のDNAに損傷を起こすからで、普通は単純な損傷は修復されやすいが、複雑な損傷は修復時に間違いを起こしやすく、それがDNAに変異をきたし細胞が分裂するときに異常な細胞の増殖がガンを引き起こす。
細胞内で遺伝子情報を持つDNAは螺旋状に連なって、そこにはGCTAと4種の塩基がATと、GCと結びついて突起となっている。
細胞内を放射線が通過するときにこの塩基の繋がりの一鎖切断の場合は切断された塩基はまた繋がるべき相手の塩基と結びついて修復されやすいが、二鎖切断になると、繋がるべき相手の塩基を誤ってしまい、それがDNAに変異を起こすのだ。
これを崎山比早子さんが分かりやすく説明しているが、放射線とガンの仕組みは解明されているのに御用学者たちは、判らないと言い、因果関係はないとかチェルノブイリとは違うなどと言う。

●原発を廃炉にしない理由
原発を廃炉にしたらその瞬間に、それまで資産だったものが放射性廃棄物に変わってしまう。燃料棒は使用済みでも、そうでなくても、全てが廃棄物になってしまう。
設備として資産担保があれば銀行は資金を回すが、廃棄物になってしまうとお金は回らなくなる。
使用済み核燃料は兵器になるから経済界は軍需産業で潤うし、政府もそれを望む。
核被害国の日本は核の威力を手放したくないから、原発を廃炉にしないし持続する。
東電は国が護り、経済界が護っているから潰されない。
政府・経産省・経団連・東電幹部、彼らはみんな好き放題にやっている。
原発事故後白血病やガンで死んだ人は多く、友人夫婦もガンで死んだ。残されたのは中学生の一人娘だ。
自殺も多いし、仮設住宅での孤独死も多い。
たかが電気のために死んだ彼らは、みんな核災害の関連死だ。

原発は、人々に悲しみだけを残し、残ったプルトニウムで人殺しの武器を作り、その武器がまた悲しみを生んでいく。

*トークの会「福島の声を聞こう!vol.21」の報告は、これで終わります。
長文を最後までお読みくださって、ありがとうございました。
次回の「福島の声を聞こう!」は、来年2月24日(金)です。
二本松の若い女性農業者さんに話していただきます。

先のことですがご予定に入れていただけたら嬉しいです。               いちえ

(注)と写真は当ブログが付け加えました。

いちえ通信はオフィスエムさんのホームページからご覧になれます。


0 件のコメント:

コメントを投稿