脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2021年10月24日日曜日

10月22日、子ども脱被ばく裁判控訴審 仙台高裁にて始まる 支援者が仙台にてデモ行進!

10月22日、子ども脱被ばく裁判控訴審 仙台高裁へご参加の皆さん

ありがとうございました。

原告代表今野さんらの頑張りと仙台の支援者の方々の協力のお陰で、約80名の参加でのデモ、
その後の報告集会も90名近くの方で会場が埋まりました。

とりあえず、報告写真と現在いただいている裁判の報告、感想などを掲載します。

後ほど、動画も掲載予定です。



















 仙台高裁といえば、2012年に子ども脱被ばく裁判の前裁判とも言える、ふくしま集団疎開裁判が仙台高裁で行われた時、11月26日に裁判支援の集会とデモが行われました。
 その時の集会デモには原発事故直後からこの裁判を支援しておられた山本太郎さんが怪我を押して車椅子で参加して下さいました。下の画像はその時の写真です。




以下は今回の仙台高裁を傍聴したボランティアからの感想です。

20211022日子ども脱被ばく裁判控訴審第一回期日に参加して(感想)

    冨塚元夫

31日福島地裁の不当判決から約8か月後、仙台高裁で逆転勝訴めざし、第一日目は好スタートを切った。

1.始めにデモがありました。

福島地裁での裁判ではデモはなかったので久しぶり。仙台の中心部、繁華街を小一時間歩く。マイクで裁判の説明をして支援を訴える。「子供をひばくから守ろう」のほかに、馴染みのないコールもある。放射性廃棄物の焼却を止めよう!など。仙台高裁の近くの公園に着いた。デモに間に合わなかった人が合流する。久しぶりに見る原告のかた。デモ参加者75人。福島地裁のときは見なかった顔が多い。宮城・仙台の人たちが参加してくれた。あとで知ったのだが、女川原子力発電所反対運動や大崎放射性廃棄物焼却反対運動をしている人たちでした。裁判の傍聴券を求めて並んだ人たち約80人に対して入れる人は39人。私は抽選に外れたのに親切な人のおかげで傍聴できた。原告側弁護士さんは井戸さん始めみな簡潔に控訴理由を訴えた、原告代表の今野さんはお子さんが浪江町津島地区で無用の被曝をさせられた悔しさ、国と県の犯罪的事故対応とその後の無責任な言い逃れを批判した。思わず傍聴席から拍手が起こった。裁判長の注意があった。


2.傍聴メモ  弁護団の控訴理由説明

行政訴訟(子ども裁判)

学校における子どもの安全については、文科省によって学校環境衛生基準が定められています。しかし、放射性物質については基準がありません。定めるべきことを怠っている国の責任です。

ベンゼンなど他の毒物の場合環境省が定める環境基準によれば、閾値のない毒物の環境基準は10のマイナス5乗、すなわち生涯70年間さらされて10万人に一人に健康被害が生じるレベルで定められています。ICRPの理論では100mSvの被爆で100人に0.5人が余分にがん死しますから、年1mSvの被ばくをすれば、生涯で10万人に350人が余分にがん死します。年1mSvでも高すぎるのに、まして年20mSvでは7000人が過剰にがん死します。

基準の7000倍というのは、豊洲のベンゼン汚染地下水を毎日6リットル飲むのと同じです。

原発事故から10年が経過し空間線量は下がってきましたが、学校周辺の土壌汚染についてはいまだに放射線管理区域の基準を超える汚染が広範に残っています。そして土壌中の放射性セシウムは不溶性微粒子を構成しているので、子どもが土埃を吸い込んで内部被ばくを招く危険性にさらされている深刻な状況です。

国は答弁書において「年1mSv程度の被ばくは法的保護に値しない」と主張していますが、このような居直り違法発言は言語道断です。


国賠訴訟(親子裁判)

事故の情報を県民に速やかにできるだけ正確に伝え、住民の避難の判断に資するべき国・県は山下俊一を使って逆のことをしました。放射能を実態以上に低く伝え、この程度は心配ないと住民を汚染地域にくぎ付けにしました。地裁での証人尋問で山下俊一は出鱈目発言の数々を追及され、記憶にないとか、そうだとしたら間違いだったとか言い逃れに終始しました。しかしその内実は確信犯でした。そのような国の違法を不合理でないという地裁の裁判官も犯罪者です。

事故後子供に安定ヨウ素剤を服用させなかった背景について、国は甲状腺がんを回避できるベネフィットを無視し、副作用のリスクをWHO6000倍大きく見積もっていました。

福島県の県民健康調査検討委員会は、チェルノブイリ原発事故と比べ被ばく量が少ないから、福島での患者発見は放射能と関係ない、見つける必要のない患者を発見し、必要ない手術をしていると主張しています(スクリーニング効果)。しかし、大多数の手術を行った鈴木眞一医師は福島地裁で、患者の症状は早期手術が必要な進行性のがんだった証言しています。放射線無関係論は結論ありきの主張でとうに破綻しています。これは水俣病を始め多くの公害事件が辿ってきた悲劇の歴史と同じです。

3.報告集会は仙台弁護士会館において90人ほどの参加者で開かれました。共同通信、時事通信、河北新報、福島民友新聞、Our Planet TV, 民の声新聞なども参加しました。

弁護団は今日の裁判官の態度が、早急に判決を出す恐れのない聞く耳のある姿勢と受け止めたようです。マスメデイア記者の質問は内容のないものばかりでしたが、独立系メディアからは困難な状況をいかに切り開くか真剣な問いがありました。山下俊一をもう一度証人尋問したいという声や、内堀(福島県知事)を証人尋問すべきという要望もありました。

福島県のかつての広報誌「アトムふくしまNo.194 2008.12月号」によりますと、内堀雅雄知事は事故当時は副知事でした。事故前平成20年(2008年)10月に行われた原子力総合防災訓練に参加しました。この訓練は福島第一原発3号機の原子力災害特措法10条事故(原子力緊急事態)を想定したもので、国・県・地元自治体等2500人以上が参加したものでした。この訓練では、首相官邸、経産省、県、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、オフサイトセンターをテレビ会議で結び、情報共有が行われました。安定ヨウ素剤が配布されました。このように訓練として定められたことは実際の事故後は一切行われず、地元自治体・住民を無視して官邸と県は違法に住民を被ばくさせました。内堀知事は生き証人です。 以上




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