脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2021年10月26日火曜日

20211022 子ども脱被ばく裁判控訴審 仙台高裁 デモ・裁判後集会等の動画です。

 皆様

子ども脱被ばく裁判控訴審でのデモおよび裁判後集会などの動画をご覧ください。

動画撮影及び、編集等、松岡さんです。ありがとうございます。

また、裁判行動に参加したボランティアの感想も追加いたしました。


❶子ども脱被ばく裁判控訴審 デモ前集会

➋子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景①

➌子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景② 


❹子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景③


➎子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景④


❻子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景⑤


❼子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景⑥


❽子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景⑦


❾子ども脱被ばく裁判控訴審  高裁前の三角公園 原告挨拶


➓子ども脱被ばく裁判控訴審  仙台高裁 原告入廷 


⓫子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 今日の法廷の報告


⓬子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 記者会見①


⓭子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 記者会見②


⓮子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 記者会見③


⓯子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 宮城県の支援グループ紹介


⓰子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 会場から・終わりの挨拶




子ども脱被ばく裁判控訴審に参加して

    岡田俊子

202131日、福島地裁前で原告によって掲げられた「子どもの未来を閉ざす 不当判決」

垂れ幕を見た時の無念さは怒りとなり、地裁前は騒然となったことを忘れません。

原告の皆さんが控訴して闘うという決断は私達支援者にとっても当然のおもいでした。

 

1022日、熱血弁護団の皆さまの準備に準備を重ねた仙台高裁での第一回控訴審に私達・脱被ばく実現ネットの

ボランティアメンバー6名と支援者は東京から応援に駆けつけました。

 

東京を出る時は雨でしたが、仙台は天気がよくてホッとしました。

報告会のある弁護士会館で会場準備の手伝いをしてから デモの出発地点へ。

原告、弁護団をはじめ各地から80人近くの支援者の方々が集合し、「子ども達を被ばくから守ろう!」と

裁判所までのデモ行進はしっかりと仙台市民の方々に訴えた素晴らしいデモでした。

 

会場準備の為法廷へは入らずでしたが、報告会での弁護団の揺るぎない決意をお聞きして

改めて感動と感謝の気持でいっぱいになりました。

参加していた福島の知人からも素晴らしい弁護団の報告に感動で涙がでたと連絡がありました。

 

そして仙台の支援者の皆さんのご協力なしではデモも集会も出来なかった。。。。

本当にお世話になりありがとうございました。 

214日 またよろしくお願い致します。



反原発の方々と共に、仙台デモ

    そらのますみ

10.22.仙台高裁での控訴審第1回に参加しました。

福島地裁での「不条理」な判決を受けての当然の控訴審です。

 裁判を前にしての目抜き通りのデモ行進のコールには今迄には無い「仙台高裁は 公正な判断をしてください」、「福島でも宮城でも放射性物質を燃やさないでください」などもありました。折角集めた放射性廃棄物を燃やして放射性物質を含んだ灰が再拡散され、無差別な被ばく強要が行われているのは 「福島でも宮城でも共通する問題」として、共に闘おう!と道行く人々に呼び掛けが行われました。

本日の裁判には4名の原告の皆さんがそれぞれの様々な事情、体調不良などを抱えながら出席され、絶対勝訴の決意を語って下さり 胸が熱くなりました。

 宮城県内で反原発の様々な活動をされている方々がコアになってくださった本日の控訴審、報告集会。本当にありがとうございました。お疲れさまでした。
又 次回 お会いしましょう。




2021・10・22 第1回控訴審(仙台高裁)に参加して

   松岡加代子


 いよいよ、子ども脱被ばく裁判の控訴審が始まります。福島地裁に提訴して7年、原告は日々のきびしい生活の中で原告であり続け、弁護団は最新の内部被ばくの研究の成果、土壌汚染の実相、不溶性セシウム微粒子の問題、さまざまな切り込みをして、国や県の欺瞞を追及し続けました。しかし、地裁は応えませんでした。裁判長は逃げました。そして、仙台で、仕切り直して、第2弾の闘が始まります。


仙台に向かう列車の窓から見る福島、宮城の田んぼは稲刈りがすんで、わら干しが積まれていました。おだやかな晩秋の風景です。福島二本松の屈指の有機農業家・菅野さんが、セシウムを土壌の中に閉じ込めるのだと語っていました。農家は、土壌のセシウムと闘い緊張を強いられているのだなと思いました。

 

 14時の裁判開始の前に、デモをしました。宮城の原発、被ばくに反対するグループが、「子ども脱被ばく裁判」控訴審を共に支えてくださるのです。心強い援軍、鳴子やボードをたくさん用意してにぎやかなデモが出来ました。デモ参加者は75名。終点は裁判所前の通称三角公園、原告が3名がそれぞれ「負けるわけにはいかない裁判だ」と決意を語りました。


 13時30分から傍聴券配布は、抽選でした。コロナ感染防止で一人置きに座るため、法廷には約半数の方

が入れませんでした。整理番号券をもらって並んでいるとき、「今日は、大ぜいの県警が待機している。傍聴人が暴動を起こすのではないかと警戒しているんだ」という話が伝わってきました。何を言っているのだろう、暴動って⁉意味がわかりませんでした。(報告集会で井戸弁護団長の話で了解。弁護団は今回の口頭尋問で結審、次回判決――その可能性は55分と見ていた。公判前の進行協議が設定されなかったこと、高裁の民事は67割の裁判が、結審、判決の2回で終了していることから危惧していたというのです。杞憂に済んでひとまずホッとしました)


 仲間に譲ってもらった傍聴券で法廷にはいりました。最初、いろいろ文書上のやり取りが弁護団と裁判長とあり、6人の弁護士さんが、控訴理由書を読み上げました。今野原告代表の陳述がありました。「地裁判決は、国や県の言い分をなぞって、否定するだけ、口惜しさと虚しさが込み上げた。当時5歳の息子は全町避難でまさにプルームが流れ、雪となって降り高濃度汚染地帯となっていった浪江町津島地区の高校の体育館で2日間すごした、子どもは降ってきた雪を丸めて食べたそうです。その後、2年間息子は万年風邪状態で医者に通い続けた。免疫低下だといわれた。子どもを被ばくさせてしまった口惜しさと福島県への激しい怒りを持っています」「このままでは、もし他所で原発事故が起きたら、同じことが繰り返される。福島の司法は福島の子どもを守りませんでした。仙台高裁は子どもたちを守る判決を期待してます」原告たちの思いを単刀直入に語った陳述でした。次回期日、21414時を決めて閉廷。

 

 弁護士会館での裁判後集会で井戸弁護団長から今日の裁判の様子が語られました。その後記者会見。

フリーランスの記者が、「法廷で傍聴させていただいた。弁護士さんの控訴理由は、一審の繰り返しのようで、弁護士さんたちが正しいと主張だと思っても、高裁は一審で済んでいると無視されてしまうのではないか」と危惧を述べた。

井戸弁護団長は「一審で地裁は我々の論点をスルーしました。被告からも、実質的な反論はなかったのです。スルーするのは許されないのだということを今日の陳述でも意識して強調しました。一審のような逃げ方は許されないんだということを裁判所にわかってもらうことが一番大事だと思っています。」と答えた。

フリーランスの記者は「失礼な質問かもしれないが、勝つ見通しがあるのでしょうか」と問うた。

井戸弁護団長は「この裁判で勝利する見通しはと尋ねられてもわかりません。勝利するのは容易ではないと思います。われわれを勝たせるということは、今の政府の方針と真っ向から対立することですから、簡単にはいかないと思います。だけどやるべき裁判だと思っています。」と穏やかに答えた。

原告たちも支援者の私たちもこのままあきらめるわけにはいかない。子どもたちの未来がかかっている裁判。

崔弁護士が「裁判は、少しずつ、少しずつ変わっていくのです。劇的にバアーっと逆転して状況が変わっていくこともあるかもしれませんが、多くの場合は、そういうものではない。今回の裁判も非常に難しくて、何かの証拠が出て、劇的のガラッと変わって勝訴というではなく、一部認められたとか、少しずつ進展していく、時間のかかる、しかしあまり時間がかかっても健康にかかわることで困るんですが、でも原爆訴訟だって何十年もやっている。少しずつ前進していくものかなと思っています」と自分自身に語りかけるように答えました。。


法廷で傍聴しただけではわからなかったことが、報告会で弁護団からの説明、控訴理由要旨プリントを読み見えてきました。


強く印象に残ったことは、井戸弁護団長が語った「放射性物質の特別扱い」への矛盾――2011年以前、放射性物質は環境基本法の適用を除外されていた。3・11福島原発事故の後、山、森、川、田畑も野原も放射性物質におびただしく汚染された。人々の不安、怒り、絶望の中で、環境基本法の除外条項は維持できなくなった。しかし、環境基本法下に入ったものの、いまだに他の毒物と同じレベルで規制されていない。閾値のない毒物、例えばベンゼンは生涯70年間さらされて、10万人に1人のガン死が発生する厳しい規制基準に縛られている。原子力規制法で定められた放射性物質の規制は年間1ミリSv、生涯70年間1ミリSvにさらされると、70ミリSv被ばくして、10万人に350人のガン死が発生する。(ICPRによれば、100ミリSvの被ばくで、100人に0.5人がガン死、10万人だったら500人がガン死)。ベンゼンの規制と比べると、350倍も緩い基準だ。年間1ミリSvまでは我慢するものと思い込まされていたけれど、環境基本法が決めている規制数値に基づけば、危険極まりない毒物・放射性物質は、もっともっと厳しく規制されるものなのだ。市民たちの突き上げがないから、福島県は20ミリ㏜の故郷に住民を帰還をさせるなんてとんでもない暴挙をやってのけてしまうのだ。被ばく量について誰でもうなづく論理だと思った。。

学校環境衛生基準からも、放射性物質は除外されている。この法律で規制されていれば、2011年4月放射性物質に汚染された福島の学校は、学校環境衛生基準違反で、学校閉鎖になっただろう。否応もなく学校移住だ、学校疎開だ。子どもたちは放射性物質から健康が守られたのではないか。実際、福島の小中学校は当時20μSv/時あったけれど、「法令がないから裁量で」と新学期を開始してしまった。

「放射性物質の特別扱いはおかしい。他の毒物と同じ環境規制基準で規制しろ」と被ばくさせられないために、市民の皆さんは声をあげ要求していってほしいと井戸弁護団長は語った。環境規制基準だって、60年代、70年代の公害との人々のきびしい闘いがあって実った法律、私たちが生かして実行していかなくてはならないのだと思った。

 

一審で、国、県、自治体は「裁量権」を振りかざし弁護団の追及を払い除けた。二審では憲法に記された人権の持つ力で闘っていく。 帰りの電車で、柳原弁護士は、二審に臨む核心を熱く語ってくれた。

福島原発過酷事故、初めて遭遇した原発事故、避難指示勧告がでる、住民は訳も分からず避難、どこへ逃げたらいいのか皆目かわからない、風がどちらに吹き、放射能雲がどこに向かっているか、スピーディ情報も知らされず、どうやって放射性物質から防御するのかわからない、安定ヨウ素剤の存在だって知らなかった。柳原弁護士は力を込める。「大災害の中でも、住民は事実を知る権利がある。命を守るため切実な知る権利、知らされる権利だ。それが人権なんです。憲法が保障した人権なんです。福島原発事故では、住民の人権は押しつぶされたんです」

県の裁量によって、勝手に事実、真実、データは隠蔽された。原告たちは、法廷の原告陳述で「なぜ隠したんですか」と切々と訴え、激しく迫った。国や県は「法律にスピディーの情報を公開せよと書いていない」と開き直る。

原子力ムラのエージェントによる「人々をパニックを収めることが肝心」、だからウソをふりまいて人々を安心させる。そしてクライスコミュニケーションだからいいんだと開き直る。「非常時には国の言うとおりに従ってください」と説教する――これは、憲法が保障している「知る権利」を破壊している。だから、憲法に基づいて、国、県の隠蔽、虚言は裁かれなければならないーーと柳原弁護士は語る。改めて気づいた。戦争とは個人の人権が徹底的に国家によってつぶされる、風の前の塵のように扱われるのだ。

井戸弁護団長が次回に補充準備書面として、「裁量権」と「国際的な人権の観点」について提出すると言ったことは、こういうことだったんですね。

子ども脱被ばく裁判の原告になった小中学生は、グレタさんだった。福島の子どもたち世代の代表だった。将来にわたる健康への不安は拭えないのに、国は「1ミリSvの被ばくはたいしたことはない」とうそぶく。

原告のみなさん、弁護団の先生方、私たちも皆さんの後ろにつながり、国、福島県と闘っていきたいです。。


人見やよいさん、長谷川健一さん、講演会で、集会で、書物、映画などで遠くからお姿を見、お話を聞き、ひそかに敬愛していた方々の早すぎる訃報に衝撃を受けています。ああ、飯舘、ああ、福島。悲しいです。

「原発さえなければ」と自死した長谷川さんの仲間の酪農家、長谷川さんも人見さんも同じです。原発を停止させること、被ばくの許容量を環境法で規制させること――私たちの課題です。



裁判に参加して

          宮口高枝

3月1日の福島地裁遠藤通路裁判長のあまりに卑劣な判決。

日本の司法の無責任さをこれでもかと見せつけられた。
あの日から、原告はじめ弁護団、支援者たちは譲れない闘志を秘め、
仙台高裁、第1回口頭弁論の日を迎えた。
仙台高裁の舞台は、仙台の仲間たちの努力によってデモや集会が準備された。
全国から集まった、思いのこもったそれぞれの横断幕やプラカード、のぼりを持ち、
仙台の繁華街を仙台高裁に向かって、市民にアッピールしながら
デモ行進が何年ぶりかで実施出来たのは、女川原発訴訟運動や
大崎市焼却工場で一般ごみと被災ゴミを一緒に燃やす事に反対する
住民団体などで活動を続ける仙台周辺地域の7団体が共同で準備したと伺った。
記念すべき裁判支援、共同のデモ行進。

元鍛冶丁公園から出発したデモで、昼どきの繁華街は、
デモを行進を見つめる老若男女、サラリーマンたちの
迷惑そうな顔、心配そうに見つめる顔、
無視して通り過ぎる人々など
さまざまな表情を見せる。
子どもたちを無用な被ばくをさせないで、
安全な環境で教育を受けさせて下さい。
高等裁判所はキチンと審査して下さい。
放射能汚染されたがれきを一般ごみと一緒に燃やさないで!
久しぶりのデモは通り過ぎる人々の反応、様々な表情が印象的だった。
繁華街を過ぎると、官庁街の佇まいのビルが多くなり、
少し高台にそれと思われる仙台高裁が見えてきた。
腕章をはめた何人かの高裁職員たちが緊張した面持ちで
近くの公園に入るデモの行列を見つめていた。
2列応対で横断幕やプラカードを掲げる100人近くの行列は、
仙台高裁に無言の圧力を示していた。

裁判後の記者会見集会で、弁護士たちの裁判に対する今後の見解を聞いた。
最近控訴審で充分審理せずに結審してしまう短縮傾向が
続いているという懸念の中で、控訴審を迎えていた弁護士たちの
用意周到な準備書面が効を奏し、裁判長は審査を急ぐ様子は
無かったという報告に希望を持った。
証人尋問も予定され、、医学、疫学、内部被ばく、毒物学会など専門家の
誰を選んだら良いか、子どもの命、未来を守るための
日本初の裁判にいっそう注目が高まると感じた。


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