脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2022年2月17日木曜日

20220214 子ども脱被ばく裁判 控訴審 第2回目 仙台にて 子どもを被ばくさせるな デモ行う

 















子ども脱被ばく裁判第二回控訴審の応援へ行ってきました。
関東は前日から雪の予報もあり心配しましたが、仙台は良い天気でほっとしました。
勾当台公園に集合して裁判前集会をする仙都会館までのデモには、
いつも裁判を応援に来て下さる顔見知りの支援者の方々が次々と集合しお互いに挨拶
を交わしていました。
東京からはシンガーソングライターの生田まんじさんがギターを持って駆けつけて下
さり、
私達皆への応援ソング「雨に立つ人」を公園と裁判後の報告集会でも素敵な声で歌っ
てくれました。
これまでも新宿デモ前集会ではお仲間で披露してくれる歌と演奏に涙ぐみ、そしてど
んなに励まされたか。。。。
歌詞にあるように
私達は一人では弱い だから肩を寄せ合い 子どもたちに光とこの地に正義を求めて
決して屈することなく仲間たち、皆さんと共に歩き続けたいと改めて思った裁判参加
でした。

次回裁判は5月18日(水)です。引続き応援よろしくお願いします。

(岡田)


★★「雨に立つ人」★★(作詞作曲 生田まんじ)
あれからどれくらい 泣いていたでしょう
幾重もの壁が 立ち塞がり 戻れない故郷 突き刺さる言葉
信じてたものが 崩れてゆく

もう何度ダメだと 思ったでしょう
あの子の寝顔に 詫びながら 忘れられる痛み 心無い嘘
凍て付く心が 折れていく
 どうにかここまで来れたのは 一人じゃないと聞いたから
  おずおず 差し出した 手を取って あなたは微笑んだ
   一人では弱い ほんとは今も怖い だから肩を寄せて ここに立つ  
    声と声を合わせて 降りしきる雨に 打たれて しおれぬ 花の
ように

居並ぶ者たちは 鉄の目をして 捨てゼリフ残し 背を向ける
残されたものは 濡れそぼち 歯ぎしり 涙し 立ち尽くす
 どうにかここまで来れたのは 仲間がいると聞いたから
   おずおず 差し出した 手を取って あなたは微笑んだ
      一人では弱い ほんとは今も怖い だから肩を寄せて ここに立つ  
         声と声を合わせて 降りしきる雨に 打たれて しおれぬ 花の
ように

繋がれ 祈り 羽ばたけ いのち
 今は土砂降りの 雨に 打たれても
  子供たちに光を この地に正義を 求めて わたしも ここに立つ
     一人では弱い だから肩を寄せて 声と声を合わせ 歩き 始める


子ども脱被ばく裁判ホームページの裁判報告もご覧ください。

■子ども脱被ばく裁判ホームページ
https://kodomodatsuhibaku.blogspot.com/2022/02/blog-post_18.html

元朝日新聞記者のウネリウネラさんが裁判報告を出してくださいました。

https://uneriunera.com/2022/02/15/kodomodatsuhibaku14/?fbclid=IwAR1kqbzNMEbh1MsM0E25MxzL6jDbB_poPufzFC7Cc_m6yItIqQOZmDIseHE



ボランティアの報告

2022214日子ども脱被ばく裁判控訴審第2回期日に参加して(感想)

31日福島地裁の不当判決から約8か月後、仙台高裁で逆転勝訴めざし、第一回控訴審は好スタートを切りましたが、第2回もその延長上で行われました。


1.1022日に久しぶりに行われたデモが再びありました。今回も仙台市の中心部、繁華街を小一時間歩きました。シュプレヒコールは自粛して、マイクで裁判の説明をして支援を訴えました。東京では久しく見られないデモ行進で、天気も良かった。残念なのは前回よりも参加者が少なかったこと。


2.傍聴券を求めて裁判所に並んだひとも同様に少なかったのですが、私は抽選に漏れて傍聴できませんでした。報告会会場にて公判期日が終わるのを待つこと小一時間で、報告会がありました。参加した弁護士は井戸さん、柳原さん、田辺さん、古川さん、崔さんの5人でした。参加した原告は3人で、その一人Aさんがこの日法廷で意見陳述しました。報告会では感想を求められて、難しかったと言いましたが、印刷された2ベージの意見陳述書は素晴らしいものでした。福島の住民が不当に被ばくを強いられた事実を正確に述べています。国も福島県も、原発事故を想定して、「原子力災害対策特別措置法」という法体系をまとめていました。しかし実際に事故が起こったら、決められたことをせず、住民を不必要に被ばくさせたのです。スピーディーは原子力安全技術センターから311日深夜にはメール添付で、313日朝にはフアツクス30枚以上福島県に送られていたのに、公表せず住民の避難にはいかされませんでした。この陳述には述べられていませんが、もと双葉町町長井戸川さんによると、福島第一原発の過酷事故を想定した避難訓練は、毎年行われており、2008年には国・県・原発現地自治体が参加し、オフサイトセンターに現地対策本部設置、スピーディーの活用、安定ヨウ素剤の模擬服用、模擬テレビ会議等が行われたとのことです。当時副知事だった内堀現知事も参加した事実がありますから、事故後の福島県の不作為を追求できると思います。


3.事故の情報を県民に速やかにできるだけ正確に伝え、住民の避難の判断に資するべき国・県は山下俊一を使って逆のことをしました。放射能を実態以上に低く伝え、この程度は心配ないと住民を汚染地域にくぎ付けにしました。地裁での証人尋問で山下俊一は出鱈目発言の数々を追及され、記憶にないとか、そうだとしたら間違いだったとか言い逃れに終始しました。しかしその内実は確信犯でした。そのような国の違法を不合理でない、行政の裁量の範囲内というのが福島地裁の判決でした。この行政の裁量という論理に反論するのが柳原弁護士の役目になったそうです。この日は準備書面が未完成で次回に提出するそうです。もう一つの課題は「国際人権」だそうです。

住民の人権を守るという認識のない行政の上から目線を不合理と認めさせることは勝訴にむけた重要な観点と思います。以上 冨塚元夫




 2月14日、2回目の仙台高裁控訴審のこの日、穏やかな快晴の中、
一番町アーケード通りを抜けるデモ行進は、前回より人数は減ったとは
いえ、コロナ禍でのデモ行進に仙台市民が注目していることを肌で感じた。

 首に下げた「不当判決許さず」のプラカードや色々な横断幕に視線を注ぐ
人々の表情は悪意の視線とは感じ取れず、疑問や考える視線を感じた。
 迷惑の表情、態度を取る人も見られなかった。
 仙台控訴審開催時のデモは10月22日の第一回控訴審から2回目で、
人々の関心を感じる。
 今回、私も傍聴券は外れた。
 抽選の番号を待っている間、受付に裁判関連台帳を見つけ、閲覧した。
子ども脱被ばく裁判の3人の裁判官は女性2人、男性1人。裁判長は
女性だった。
 私の裁判傍聴経験では女性裁判官は少なく、3人の判事のうち女性が
2人の裁判は少なかった。 裁判官の世界で、ジェンダー平等の視点が
人事体制で実施されているのは嬉しい事だ。まして子ども脱被ばく裁判の
控訴審担当裁判長が女性という事で、希望を感じるのは女性である私の
ひいき目だろうか。
 産む性の女性だから、命を大事に、上から目線ではなくまっとうな目線、
子どもの人権、命、健康を軸に考えてほしい。

事故後子どもたちがどんな環境で過ごし、どんな高い線量の中で生活し、教育を受けているか、陳述書や証人尋問で語られた事実をきちんと受け止めてほしい。

 裁判官らには福島地裁で明かされた膨大な情報を、
精査し判断することが求められている。

今回弁護側が追加書面で出そうとしている新しい視点、
「行政の裁量論への反論と、国際人権からの主張」も希望だ。
裁判長も弁護側にきちんと主張するよう求めたと聞いた。

裁判所側も、提出する追加準備書面を読み、弁護側の主張に耳を傾け、
まっとな判断をすれば、高線量の被ばくの恐れのある福島県で
生活し、教育を受けなければならなかった事実に対し、裁判官たちも
正義と命を懸けて臨んでほしいと願う。
今回の女性裁判長には、女性の感性で人権判決を出す勇気を
持ってほしい。
避難の権利、子どもたちの未来のためにまっとうな審議と判決を!

仙台の脱被ばくを願う市民グループたちとともに、命の判決を勝ち取る
ためには、私たち支援者も最後まで関心を持ち参加し、せめて裁判当日
にはデモ行進や集会など実施し、署名を集め、世論の関心が高まるよう
支援し行動したい。次回も傍聴行動に参加したい。(宮口)


仙台高裁・子ども脱被ばく裁判控訴審を傍聴して―      松岡加代子

 原発事故から11年が過ぎました。10年はひと昔、国、県、行政は「復興」まっしぐら。2月14日、仙台高裁控訴審で 原告のAさんは、追及しました。

原発事故が起こった時、国も県も行政は、「原子力防災」に基づく法令を遵守しなかった。背信行為だ。「原子力防災」の目的、住民をいかにして被ばくから守るか、避けさせるか――は完璧に実行されなかった。現場で放射線量を測ろうという動きはあったが、文科省などの圧力でことごとく阻止された。住民は汚染状況を一切知らされず、放射能に晒され続けた。それどころか、住民のパニックを鎮めるために、今まで通りここで暮らしても大丈夫とのウソを権威ある専門家が吹聴して回った。さらに、深刻な汚染状況が明らかになり、今まで通りの基準では子どもは学校に通えないとなると、年間被ばくの限度量を1ミリ㏜から20ミリSvにあげた。食料品の安全基準を緩めた。                                                                                  日本は法治国家といえるのか――Aさんは怒る。

 

行政が、正確な情報を住民に知らせなかったから、事故直後、放射能が濃い時期、住民は無用の被ばくをさせられた。それは、国、県が原発事故の際の原子力防災の法令を実行しなかったことに由来する。しかし、7年間争われた福島地裁の判決は、国や県の「原子力防災」の法令逸脱行為の数々を行政の裁量権内として容認した。                                                            

仙台高裁の裁判官は「それでどんな実害があるのか」と反論するかもしれない。

放射性物質を体内に取り込んでしまって、自分自身がいつ発病するのか分からない、絶えざる不安、まして、我が子を被ばくさせて、子どもにリスクを一生涯背負わせてしまった悔しさ、取り返しのつかない現実の重さ――事故当時福島に暮らしていた住民すべてが受忍せられている。さらには一人一人が抱え込んでいる不安を語れない社会、空気がつくられている。

「誰がそういう社会をつくったのでしょうか。法令にも反し、正義にも反し、国際常識にもヒューマニズムにも反する行いを見て見ぬふり人たちが作ったのではありませんか。

今こそ、被災地に押し付けられた理不尽の数々を取り除き、不正を改める時ではないでしょうか。裁判所の適切な判断を切に切に願っています」とAさんは結んだ。


次回5月18日、柳原弁護士が、福島地裁判決の論拠、「行政の裁量権」の根幹をゆさぶり「行政の裁量権」の新たな地平を切り開く準備書面、国際人権にある「健康に対する権利」に基づいて国内法は対処されなくてはならないという観点からの「国際人権論」、2点の渾身の準備書面を陳述するそうです。しっかり傍聴したいです。






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