脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2020年2月8日土曜日

第24回子ども脱被ばく裁判

1月23日、第24回子ども脱被ばく裁判が開かれ,2人の原告が避難当時のことなどをお話しました。そのお話には行政が真実を語らない中で、子ども達を守ろうとする親としての必死の姿が浮かび上がって支援者の皆さんの胸を打ちました。



福島駅前
裁判に先だって、ボランティアで福島駅前のチラシ配布を行いました。



福島地方裁判所前





報告及び記者会見の様子


支援者の冨塚さんのご報告をご覧下さい。
また裁判後の集会等動画(松岡さん撮影)もご覧下さい。動画を何度も見て書き起こしをしてくださったそうで、少し遅れたそうです。動画下欄のYOU UBE をクリックしてYOU TUBEで視聴すると書き起こしがご覧になれます。

次回期日は2月14日、いよいよ鈴木眞一医師の証人尋問、そして3月4日山下俊一教授の尋問です。ぜひ福島地裁にお集まりください。

123日第24回子ども脱被ばく裁判を傍聴してー報告と感想 (冨塚元夫)

前回と前々回は福島地方裁判所前に9時集合でしたが、この日は1230分集合でした。
福島駅前でチラシ撒きをする時間が十分ありました。駅前のバスターミナル近辺で数人で裁判のお知らせや脱被ばく実現ネットのチラシをまきましたが、半数近くの人が受け取ってくれます。新宿アルタ前では20人に一人くらいでしょうか。
この日の法廷は、「嵐の前の静けさ」という感じでした。原告二人の証人尋問があっただけです。原告の本人尋問が重要でないということではありませんが、この後2回きわめて重要な証人尋問があるからです。(214日鈴木眞一氏と34日山下俊一氏)

原告1人目の女性は、自然豊かな川俣町が原発事故直後は以前の100倍以上の放射能汚染となり、高校生だった娘さんとやっと避難しました。娘さんの高校では事故直後の春休みに毎時3.8マイクロシーベルトという線量のグラウンド中で、部活が行われたそうです。副部長だったので休めないといって参加したそうです。すぐには避難できなかったが、結局は避難できて本当によかったと今は娘さんも言ってくれるそうです。
二人目は長谷川克己さんでした。郡山から静岡県富士宮市に家族全体で避難しました。
彼は避難の権利を求める全国避難者の会の政府交渉のような席でも発言するような積極的な方ですが、この日は思うように話せなかったと報告会で言いました。弁護士さんと長時間リハーサルを行ったというのは予想外だった。長谷川さんは区域外避難者の代表格で、国と地方自治体の理不尽な政策に抗議してきました。家族を大事にする人で、避難先でも自分の仕事を立ち上げた方です。その彼でも緊張して思うように話せなかったのは、彼に取って残念だったと思いますが、原告側は感動して聞きました。被告側も真剣に聞いたようで、反対尋問がありませんでした。

さて理不尽な国の政策を福島で実行したのは、山下俊一です。2012816日のインタビュー記事によると「県民と我々が対立してはいけない。賠償金が莫大になって、ウクライナのように国家が崩壊してはならない。そうなると結局は国民が困る。国民は文句を言わず国に従うべきだ。その為に情報操作が必要だ」と言ったそうです。「毎時100マイクロシーベルトは安全だから、子供は外で遊んでよい」といって、多くの子供の健康を損ね、甲状腺がんの多発を誘発したのは、殺人罪に値すると思います。学者としての良心を捨て、原子力村の司令塔に忠実に国民特に子どもを犠牲にして自らの地位保全を図った人間です。あのナチスのアイヒマンと同じです。いつか有罪を求刑されたとき、彼も上司の命令に従っただけと言うのでしょう。彼の証人尋問は34日です。傍聴席に入れない人が大勢出るでしょう。私も入れないと思いますので、「山下有罪」のプラカードをもって、裁判所の周りをデモしたいと思います。残念ながら、刑事裁判ではないのでありえない望みですが、「山下有罪」は大勢の福島県民の望みと思います。 冨塚元夫



 第24回子ども脱被ばく裁判後の報告集会

第24回子ども脱被ばく裁判後の報告集会

第24回子ども脱被ばく裁判後 記者会見

第24回子ども脱被ばく裁判後の学習会①鈴木氏の訊問

第24回子ども脱被ばく裁判後の学習会② 鈴木氏の訊問をめぐって

第24回子ども脱被ばく裁判後の学習会③ 科学的立証と法的立証

第24回子ども脱被ばく裁判後の学習会④ 原告からの質問

第24回子ども脱被ばく裁判後の学習会⑤ 罪を問う

第24回子ども脱被ばく裁判後の学習会⑥ 今後の運動1 

第24回子ども脱被ばく裁判後の学習会⑦ 今後の運動2



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