脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)の基本情報

2023年3月29日水曜日

20230327 子ども脱被ばく裁判控訴審 長谷川克己さんの渾身の意見陳述 未来ある子ども達を守るのは私たち大人の責任

3月27日 子ども脱被ばく裁判控訴審が開かれました。

★子ども脱被ばく裁判控訴審 

  仙台高等裁判所
13時から仙台弁護士会館で
井戸弁護団長による学習会『子ども人権裁判判決の読み解き』が行われ、
14時からは「控訴審の争点について」弁護団お話がありました。





仙台高裁へ移動し、原告、支援者約60人で抗議のプラカードを掲げてスタンディン
グ。
とどけ我らのこの思い! その後全員で傍聴席につきました。









原告・長谷川克己さんの渾身の意見陳述に何度となく涙を拭いました。
法廷は裁判長も制止出来ない程の拍手が鳴り響きました。
その後記者会見&報告集会がありました。

次回の裁判は7月31日(月)15時からです。
未来ある子ども達を守るのは私達大人の責任です。
皆さんと共に頑張りたいと思います。








Mさんの感想です。

Hさんの法廷での実に見事な姿勢は感動しました!
裁判官、被告席をかわるがわる凝視し、責任を問う陳述した

覚悟の姿は、核を生み出し、原発を許し、被ばくを見過ごしてきた

私たち大人も責任がある。

社会人として、子どもたちを守り闘って行かなければならないとの思いが

ふつふつと湧いてきました。


*******

冨塚さんの詳細な報告です。


327日子ども脱被ばく裁判控訴審第6回口頭弁論期日報告

 

13時から仙台市弁護士会館で学習会「子ども人権裁判判決の読み解き」がありました。

14時から「第6回控訴審の争点について」弁護団から説明がありました。

 

前回口頭弁論期日21日には、分離された子ども人権裁判の判決が出ました。現在の学校施設ではない安全な地域で教育をうけさせろという請求は棄却されました。

学童は学校環境衛生基準という法律のよって健康が守られているなかで、放射性物質については環境省のサボタージュによって基準値が定められていません。環境基準を定める以上、他の公害物質と同一のレベルにせざるを得ず、その場合、今の被ばく基準(20 mSv)とてつもない基準であること(他の公害物質の7000)が明らかになることを避けたいのだと思います。政府が基準制定を怠っているのなら、司法がかわってあるべき環境基準を示すしかありません。市民が司法に期待するのは、そのような役割です。しかし、政治的に重要な問題については、可能な限り判断を避けようとする裁判官が多いのが現実です。そして、仙台高裁の裁判官もその判断を避けました。

 

子ども人権裁判は、最後まで控訴人(原告)として頑張っていただいたお二人が中学校を卒業するため、上告できず、これで終止符を打つことになります。しかし、この裁判が提起した問題、とりわけ、政府の定めた被ばく基準と被ばくについてのあるべき環境基準のはなはだしい乖離の問題を様々な機会を通じて周りの人々に伝え、広く市民の認識にしていくことが、福島原発事故による健康被害を少しでも減らすために、そして被ばく者が正当な扱いをうけるために、そして、今後、世界で核による市民の被害をなくすために必要なのだと思います。

 

他方、親子裁判(無用な被ばくをさせられたことによる損害賠償請求訴訟)はこれからも続きます。

15時開廷の裁判を傍聴したのは57人で参加した原告は6人でした。

16時からの記者会見・報告集会には河北新報と福島民友新聞の記者も来ていました。

 

原告弁護団の陳述は2つあり、1つは準備書面11で、事故直後に情報が隠蔽されたことを新たな証拠により提示しました。スピーディーの情報を県の役人は県民に知らせず握り潰した。文科省の役人は高濃度放射能のプルームが東日本に広範囲に流れている事実に驚いて、スピーディーを公表するのはまずいと判断した。

2つ目の陳述は、国民の無用な被ばくを避ける権利が奪われたことと、事故時の自己決定権が奪われたこと。自己決定権についてはこれまで明確に主張してこなかったが、世界人権宣言でも第一に取り上げられているように、人権の根幹をなすものと言えます。被ばくを避けるための必要な情報を隠蔽され、高濃度放射能汚染の下に留まるように強制されたのは、自己決定権の剥奪です。

 

原告陳述したのは郡山市から事故から5ヶ月後に静岡県に避難したHさんでした。

3月15日に郡山市にも高濃度の放射能物質が飛来したという情報は全く無かつた。その後徐々に放射線量が異常に高い事がニュースに出るようになって、県外に避難する人が出てきた。4月になると政府はそれまでの放射線の安全基準年間1ミリシーベルトを20ミリシーベルトに引き上げて学校を再開しました。悩み抜いた挙げ句、このままでは幼い子供を守れないと判断し避難を決心した。」

車で郡山市を離れる日に、子供がおじいさんお婆さんとお別れに発した叫び声をいまも思い出すそうです。このままでは済まされないと思ったそうです。きっぱりと話し終えた原告の陳述に傍聴席から大きな拍手が起きました。

 

以上 冨塚元夫 2023328




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