2月25日の第4回子ども脱被ばく裁判に参加し、
傍聴されたボランティアの松岡さんからの報告です。
後半、裁判所前から記者会見、意見交換会までの映像です。
地裁に向かう原告と支援者たち
裁判後の記者会見
「2011年5月6月子どもの吐き気、下痢、異常な鼻血が続き、家の2階は毎時1.27μSV、玄関先は2.42μSVあった。子どもの健康を守りたい一心で7月母子避難。現在、娘は高校生になり、体調不良を訴えなくなったが、傷の治りが悪い。娘はこれから、いつ発病するかもしれない時限爆弾を抱えて生き続けなくてはならない。親は辛い。」
「福島市で子育てをしている不安、震災後、ずっと高線量だった福島に居続けてしまった不安、当時テレビで繰り返された『直ちに健康に影響はない』ってどういうこと? この先、10年後20年後も健康でいられるのだろうか。このまま、ここで子育てしていいのだろうか、不安との戦いです。子どもに、泥遊びダメ、水たまりダメ、草や虫に触ってはダメといわざるをいえない口惜しさ、悲しさ。子どもは自然の中で遊び、転がり心や体を育てていくものなのに。子どもたちから笑顔をとらないで、子どもを守ってください。」
2011年12月につくられた「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」報告書、年間20ミリSV以下は安全が原発事故後の国策で、この基準で行政は動いているから、20ミリSVの厚い壁に切り込み、裁判に持っていくのは一筋縄ではいかない。
裁判長は、次回公判を5月26日(木)と言ったが、まだ中味に入るか腹は決まっていない、棄却、門前払いの危険は残っていると、井戸弁護士は指摘しました。