2月11日(土曜日)渋谷光塾で行われた「福島 風評にすり替えられる実害 −ひろがる健康被害、分断と苦悩−」には定員いっぱいの約50名が参加されました。
広野町の町会議員でいわき市避難中の阿部憲一さんと郡山市在住で甲状腺がん患者である渡辺紀夫さんと甲状腺疾患のバセドー氏病を患っておられる久仁子さんご夫妻のお話を聞きました。(渡辺さんはインフルエンザでしたが、スカイプで双方向中継しました。タミフルを服用しながら、お話くださって本当に感謝です。)
参加者が今まで聞いた事も無い沢山の福島の実際をお話いただきました。
また、福島在住や避難者の皆様が他にも4名参加くださり、発言してくださいました。
渡辺さんの最初のお話「これはなんでしょうか?
福島のTVで毎晩天気予報の後に出る空間線量の図です。
これって正常でしょうか? SF映画を見せられているようです。
東京ではやっていないでしょう?」
阿部さん、渡辺ご夫妻に動画公開の許可をいただきました。
本当に貴重なお話です、ぜひご覧下さい。
阿部憲一広野町町会議員さん:前半(報道されていない震災当時の状況)
https://www.youtube.com/watch?v=ov4LAfDS-_M
阿部憲一広野町町会議員さん:後半(空間線量の異常値)
https://www.youtube.com/watch?v=iK9cshqIBKU
渡辺紀夫さん夫妻(放射線測定器開発、自らの甲状線ガンと奥さんのバセドー氏病)
https://www.youtube.com/watch?v=aV4Dh9jdGoM
避難者の今野さんと松本さんの報告
https://www.youtube.com/watch?v=bWqkOXBtj-E
以上、動画は大庭さんです。
阿部さんは震災後、「住民戻せ一辺倒」の町に怒っていたら
それならお前やれと言われ、選挙の直前に立候補を決めてあまり選挙運動
しなかったが当選したとのこと。すごい行動力です。
阿部さん「この前うちの土壌を測ったら1㎡あたり258万ベクレルでした。
これ、戻れるかってことですよね。」
(広野町は事故の年の2011年9月30日に避難解除されており、
阿部さんも帰還を迫られている。)
広野町は20キロの線引きのすぐ外
渡辺さんが甲状腺がんの手術に向かう時の写真。
「手術室まで歩っている。十代には厳しい。」と書いてあります。
飄々とユーモアを持って語って下さいましたが、
ご自分も本当に苦しかったと思います。
大人でも本当につらいです。こういう体験を子どもたちがしていることに
胸がつまりました。
震災の時、高線量の測れる測定器の開発の話
そして甲状腺検査時から手術・その後まで、詳しくお話くださいました。
手術後、免疫力が弱ってその後も他の病気でも入退院を繰り返したとのこと。
今回も周りがインフルエンザにやられていて、自分は大変気をつけていたにも
かかわらず、生涯初のインフルエンザにかかってしまったとのことです。
奥様もやはり飄々とですが、命の危機に瀕していた甲状腺疾患の状況を
話してくださいました。
以下は講演会に参加したボランティアの渡辺さんの報告・感想です。
●講演会感想
底冷えする2月の土曜日、会場は満杯、休憩時間にドアを開け放って外気を入れるほどの熱気となりました。寒い中、お越しいただいた皆さま有難うございました。
「深刻で衝撃的な内容」に圧倒され、言葉にならない、何とも言えない重たい空気は、その場にいらした方全員が感じ取ったものと思います。
福島の過酷事故から、間もなく6年が経とうとする中で、反原発・脱被ばくに関わっている私達は、ともすると「もう、原発や被ばくについては裏も表も知っている。実際の現場も大体のところは察しがつくし想像出来ている。」と思い込んでしまっています。
少なくとも私は、阿部さん、渡辺さんのお話を伺って大いに反省し、自分の勉強不足、認識の甘さを思い知り、改めて原発という名の魔物は「そろそろ見通しが立ったな」という希望的観測すら与えてくれない、果てしない試練を人々にもたらす最悪のものだと実感しました。
広野町議会議員の阿部さんのお話は、原子力ムラ、行政組織は、都合の悪い数字を隠す、被ばくの実態が顕著に表れる調査は極力避ける(逃げる)といった相変わらずの酷い状況や、町議の立場での経験をもとに、福島の真実の姿を具体的にお話しして下さいました。全住民が知っていて然るべき情報の開示を求めても、無視を決め込んで憚らない巨大な相手に対し、孤軍奮闘の阿部町議は、怒りの感情を抑えて、科学的な立証、現場取材の徹底で立ち向かっています。被ばくのこと、海外では当たり前に報道されている3号機の燃料棒のこと、モニタリングポストや線量データの信憑性などの重大な事実を議論、検証できない現状に危機感を抱き、自らが動いて変えようと正攻法で立ち向かっっている阿部さんはもちろん、「風評すり替え」が蔓延し、もの言えぬ福島で、阿部さんに賛同し、勇気ある投票をされた広野町の皆さんも立派だと思います。
渡辺夫妻は、今回、体調不良(インフルエンザ)で会場にはお越しいただけなく、スカイプ中継となりました。汚染の実態を記録した貴重な写真も交えて、分かり易く丁寧にお話し下さいました。渡辺さんご夫妻は、以前、週刊金曜日(昨年の9月9日号)「甲状腺がんを追え!」の取材を受けられ、夫の渡辺紀夫さんは甲状腺がんに罹患、妻の久仁子さんも甲状腺機能障害で治療を受けられていることを実名で公表されました。「甲状腺がんについて楽観的に語られると違和感を覚える」と週刊金曜日でも話されていましたが、実際は「違和感」というソフトな表現で済まされるような状況ではなく、スカイプ中継で知らされた内容の過酷さに会場内がシーンと静まり、質疑応答が出来る感情を取り戻すための「回復時間」が必要でした。紀夫さんは高校教諭で、教え子の3名が甲状腺がんだったそうです。「先生、ボク(ワタシ)も甲状腺切ったよ」と告げられたり、首にテープを貼っている子に「切ったのか?」と聞くと「うん」とうなずいたり、でも実際は3名だけじゃないはずで、なぜなら他のクラスの生徒に関してはわからないから。被ばくのことはタブー視され、伏せられているからだとの衝撃的なお話しもありました。またご自分の甲状腺がんの検査(大量の被ばくを伴うPET検査も含む)から手術までの経過を、これも写真を使って説明していただきました。
本当に大変な経験をされているのに、飄々と、ときにはユーモアを交えって語られる姿に、
ちょっと?(笑)かもしれませんが、戦場で負傷しながらも周囲の人々に明るさをもたらし、励まし続けた「水木しげる先生」を想い出してしまいました。
今時、日本では「その理想は現実的ではない。現実と理想をすり合わせるべき」といった論調が目立ちます。「放射能は消えないのだから、放射能ありきで議論すべき」に同調する人々は、風評被害という便利な言葉を使って、真実を語る人間を嘲笑し、糾弾しています。生存権(命や健康を守ること)を主張にする人々に対して、「あなたの理想は(過酷事故が起きた日本では)高すぎる。ガンありきで議論すべき」という世論を作り出してまで推し進める原子力政策の目指す先にいったい何があるのでしょう。現実にひれ伏す理想は、もう理想には値しません。
阿部町議が「日米原子力協定」を市民レベルから変えたいとお話しされました。風評被害と叫ぶ人々は、きっと「現実的でない」と嗤うでしょう。しかし私はそうは思いません。泥水を満々とたたえた巨大なダムほど、小さい針の一刺しに弱いものだからです。皆さん、