1、郡山市の学校給食の現状
郡山市の小中学校の給食では、従来から「地産地消」をうたって、福島県産の食材(地元産新米「あさか舞」など)が積極的に使用されています。
ところで、3.11福島原発事故を受け、昨年度の新米について、収穫前の予備検査と収穫後の本検査を実施し、放射性セシウムの暫定規制値(500Bq/Kg)を上回る新米はなかったとして、福島県は昨年10月13日、安全宣言を行いました。しかし、翌11月16日、福島市の一部の地域の新米から暫定規制値を上回る値が検出され(福島県の公表資料)、郡山市の一部の地域(大槻町、喜久田村、富久山町、御舘村、赤津村、河内村、日和田町)も含めて緊急再調査を行うこととなりました(福島県の公表資料① ・ 公表資料②)。
しかし、福島原発事故により食品の放射能汚染が懸念されているにも関わらず、郡山市の教育委員会は、昨年11月8日より、地元産新米の使用を開始し、県による上記緊急再調査の際にもいったん中断することもせず、地元産新米の使用を続けてきました。
これに対し、私たちは、疎開裁判で、
それでは学校給食の安全性が確認されたとは到底言えない (抗告理由書24頁ウ)
と主張しました。
これに対し、郡山市は、次のように答弁してきました。
《放射性物質の検査を実施しており,特に,給食米については,出荷時におけるJAの検査と,相手方郡山市の二重の検査を行っていることから,危険性はない》(答弁書7頁)
しかし、そのような検査で本当に「危険性はない」と言えるのでしょうか。
2、郡山市の学校給食の問題点
(1)、武本報告書2~4頁(甲137号証)
この点、郡山市の学校給食の運営について情報開示手続により実態を把握した武本泰さんの報告書によれば、次の問題点が指摘されています。
①.学校給食の基本原理
本来、郡山市は学校設置者として子どもに対し、「教育を受けさせる憲法上の義務」を負っており、その義務の一貫として「安全な環境で子どもに教育を受けさせる義務」を負っていて、その具体化として、子どもに安全な学校給食を提供する義務があることは言うまでもありません。 ましてや、子どもと保護者の側に学校給食の食材を選択する機会も自由も与えられていないのですから、郡山市は一層高いレベルで、学校給食の安全性の確保のための措置、そして十分な検討・審議や保護者に対する説明責任などの適正手続が求められることになります。
②.適正手続の欠落
ところが、3.11福島原発事故により食品の放射能汚染が懸念されている最中、郡山市教育委員会は、昨年11月8日より地元産新米の使用を決定する際、教育委員会内部で慎重に検討・審議した文書類が存在しませんでした。
のみならず、その8日後の同月16日、福島市などで暫定規制値(放射性セシウム500Bq/Kg)を上回る新米の放射能汚染が発覚し、県による緊急再調査が開始され、その際、郡山市の一部の地域の水田も緊急再調査の対象地域となりました。当時、食品の放射能測定器も十分に配置されておらず、保護者の間にも動揺が広がっていました。それにもかかわらず、郡山市教育委員会は、地元産新米を学校給食に継続して使用するかどうかをめぐって、教育委員会内部で慎重に再検討・審議した文書類が存在しませんでした。つまり、 漫然と、地元産新米の学校給食での使用を継続たのです。
このように、、郡山市教育委員会は、本来、学校給食の安全性の確保のために高いレベルの十分な検討・審議が求められているにもかかわらず、そのような適正手続を果した形跡がありません。
③.説明責任の欠落
さらに、この「十分な検討・審議という適正手続の欠落」に対応するかのように、郡山市(教育委員会と市議会)は次の通り、「保護者に対する説明責任」を放棄してきました。
3.11原発事故以来、学校給食に関して、郡山市から小中学校の児童・生徒の保護者に対する連絡は、殆ど文書によるものだけでした。
そのため、学校給食の安全性に不安を抱く保護者の間から、学校給食の安全性確保に関する説明の機会を求める声があがり、昨年12月、『学校給食について、保護者などに対面形式での説明や質疑応答の機会を定期的に設けること』を求める請願書を郡山市議会に提出しました。
しかし、12月16日、市議会は、市民のこのつつましい請願すら反対多数(賛成10、反対29)で否決し、教育委員会が最低限の義務である説明責任を果すことは必要ないと「行政に優しい」立場を表明しました。否決の主な理由は、
(1)、定期的に説明会を開くことで行政の負担が増える、
(2)、定期的にすることで不安を煽るのでは、
(3)、日常業務の中で対応すべき、
です(以上については、甲108号証のブログ記事を参照)。
④.検査体制の不備
地元産新米の放射性セシウム濃度の検査体制について、次の問題点がありました。
(1)、当初、米販業者(JA)が中心となって行っていて、その際、安全性を確保するために検査方法の詳細等について米販業者との間で取り交わした文書も存在せず、結局、検査は米販業者に丸投げであること、
(2)、検査方法は、 30Kg入りの玄米10~42袋からサンプリングして1検体として測定しており、各袋毎の検査を行っていないことが示唆されること、
以上から、検査方法そのものに対する信頼性が担保されているとは到底認められません。
⑤.地元産新米の購入価格をめぐる不可解な動き
開示文書から、学校給食で使用する地元産新米の購入価格について、昨年度は一昨年度より1キログラム当たり15円高い価格で購入することで市教育委員会が郡山市農協と合意していたことが判明しました。
しかし、その開示文書(各小中学校長宛てに出された購入条件に関する通知)の日付である1月24日からわずか1週間も経たないうちにJA全農が福島県産米の販売価格を60キログラム当たり500円値下げしたとの報道がなされました(日本農業新聞1月31日版参考)。
このような地元産新米の購入価格をめぐる不可解な動きから、郡山市の学校給食が販売不振に陥っている地元産新米の受け皿になっている実態が懸念されます。
(2)、緊急再調査の問題点
昨年11月、福島市で暫定基準値を上回る放射線量検出に端を発して、福島県が新米の緊急再調査を実施しましたが、その際、郡山市の一部の地域(大槻町、喜久田村、富久山町、御舘村、赤津村、河内村、日和田町)も含まれたため、その検査結果について、郡山市のホームページは次の通り、報告しました(郡山市の米の放射性物質緊急調査の結果について)。
《郡山市の米からは、食品の暫定規制値を超えるものは検出されておりません。》
しかし、一言、こう報告するだけで、いったい何ベクレル/Kgだったのか測定値を明らかにしようとしません。そのページで紹介されている福島県の文書「米の放射性物質緊急調査の結果(第17報)について」にも、測定値は明らかにされていません。
この姿勢は、緊急再調査の中で、福島県の測定で郡山市の農家2戸の検体から、108ベクレル/Kg(1月6日測定)と159ベクレル/Kg(同16日測定)が検出され、後に「検出されず」に訂正された問題(福島県水田畑作課の報道用文書「郡山市産玄米の放射性物質緊急調査測定結果の一部訂正について」〔甲140号証〕)でも、郡山市保健所は、測定した値をついに明らかにしようとしませんでした。
こうした情報非開示の姿勢は終始、首尾一貫していて、これが郡山市民の終始、首尾一貫した不信感を形成する最大の原因となっているのです。
(3)、市民による放射能測定の結果
他方で、3.11以後、「市民の、市民による、市民のための」自主的な放射能測定が始まりました。郡山市にも、昨年8月19日、市民放射能測定所の「にんじん舎」 (郡山市片平町字中町 にんじん舎かたひら農場中町作業所 内)が開設され、そこで明らかにされた、放射性セシウムが10ベクレル/Kg以上の可能性がある米は以下の8件です(本年5月22日現在。元のデータは->こちらを参照)。
(4)、まとめ
以上から、「地産地消」の郡山市の学校給食に、これら10ベクレル/Kg以上と同様の放射能に汚染された米や野菜が提供される可能性は否定できません。
3、郡山市から予想される反論とその吟味
これに対しては、郡山市から次の反論が予想できます。
《仮にそうだとしても、それらの値はいずれも米や野菜の安全基準である100ベクレル/Kgよりはるかに小さい値だから問題ない》
しかし、
【裁判報告6】食品・水の安全基準の基本原理は「最善を尽くすこと」であって、「がまん量」ではないことを明らかにした証拠を提出
で述べましたが、3.11原発事故以来、食の安全基準として導入された基準値は従来の食の安全の基本原則とは相容れない「がまん量」(リスク-ベネフィット論)に立脚するもので、その考え方は食の安全基準として本来間違ったものです。東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦氏が喝破した通り、「危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということ」であり、この原理に帰って、もっぱら「人体に悪影響を示さない量(無毒性量)」からスタートする本来の食の安全の基本原則を立脚すれば、「安全な被曝量というものはない」放射性物質はゼロでなければならないものです。
従って、《100ベクレル/Kgよりはるかに小さい値だから問題ない》では到底、済まないのです。
この意味で、とくに放射能に感受性の高い子どもたちは、放射性物質ゼロの安全な食物が確保できる環境を実現することが緊急の課題です。
この点でも、疎開措置を即刻講ずることがこの緊急課題の最も明快な解決方法であることは改めて言うまでもありません。
以上、子どもたちに迫っている危険な事態を、現実から目をそらさず、事実(科学)の倫理(人権)の基本原則に立ち帰って抜本的に解決しようと考え抜けば、解決方法は自ずと明らかな筈です。
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