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分科会「子どもの権利条約から原子力を検証する」 動画(23分後)
1、裁判を決める2つの力(その1:真理の力)
先日、或る所で次の言葉を耳にしました――福島の原発事故を経て私たちは岐路にある。
しかし、福島原発事故はちっとも「経て」いません。今なお、その真っ最中にあります。私たちは一種の核戦争の中にいるのです。日々、福島原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被曝させるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))を強いられているからです。「核分裂による放射線の被ばく」という、目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、要するに私たちの日常感覚ではぜったい理解できない相手との戦いの中にほおり込まれています。それは放射性物質(核種)からの攻撃という意味で核戦争です。
この核戦争の最大の被害者は子どもです。しかも国はその攻撃を支援しました、昨年4月、突如、それまでの一般大人の線量限度の1mSvをいきなり子どもに20倍する20mSv政策を採用したからです。その政策を支援したのが国際放射線防護委員会(ICRP)の3月21日の異例のお見舞い勧告でした。
しかし、「緊急時被ばく状況」や「現存被曝状況」だと、どうしてそれまでの1mSvという線量限度が突然100倍、20倍にアップすることが正当化できるのかその説明が全くありません。世界で最もチンプンカンプンの文書です。一体、どうやって「君たちは被ばくしたので、本日から放射能感受性が20倍アップになりました」と子どもに説明したらいいのでしょうか。当然、福島県の親たちは猛反対しました。しかし、国は核戦争に加担するこの政策を本質的に最後まで撤回しませんでした。
そこで、差し迫った最悪の人権侵害を緊急に解決するため、昨年6月、国会・政府の人権侵害から人々を守ることを本来の職責とする「人権の最後の砦」である裁判所に、郡山の子どもたち14名が郡山市を相手に「放射能から安全な場所で教育をせよ」を求める裁判(仮処分)を起こしました。
2、裁判を決める2つの力(その2:正義の力)
この裁判は憲法裁判です。憲法は子どもに「教育を受ける権利」を保障し(26条)、この人権には「安全な環境で教育を受ける権利」も当然含まれるからです。当初から、私たちは門前払いがなければ「法による裁判」がなされる限りこの裁判は必ず勝つと確信していました。人権の基本原理によれば、最高の価値とされる人権に対抗して制約できるものがあるとしたら、それは唯一、同じく最高の価値を有する人権しかありません。つまり他者の人権と衝突する場合に限って人権は制限可能なのです。しかし、本件の子どもの避難で発生するのは基本的にお金の問題です。他者の人権との衝突は起きません。人権(命)対お金の対立なら人権に軍配を上げるが人権保障の当然の帰結です。
ましてや、国は1959年に、原発導入にあたって、原発事故による被害額を国家予算の2.2倍と試算済みです(報告書「大型原子炉の事故の理論的可能性及ぴ公衆損害に関する試算」とこれを報道した記事)。元々それだけの損害額を覚悟して原発の導入を推進したのです。現在の国家予算に当てはめれば200兆円です。金銭的にも福島県の子どもたちの疎開を不可能だという言い訳は通用しません。
その上、本裁判は既に発生した事故の、今ここで命が危険に晒されている子どもたちを救済するという現在進行中の問題です。未来の事故防止のための原発差止裁判とはレベルがちがいます。
だから、天地がひっくり返らない限りこの裁判は負ける筈がない、そう確信していました。
3、裁判の審理
いざ裁判が始まったとき、裁判所は、門前払いをせず、被ばくの危険性という本題の審理に入りました。
申立人は、次の主張・立証をしました。
(1)、学校周辺の年間積算値が12.7~24mSvに達すること(報告書)、
(2)、子どもたちは、今後、チェルノブイリ事故により、郡山市と汚染度が同程度の地域(ゴメリ地区)で発生した次の健康被害が予想されること(琉球大学名誉教授矢ヶ崎克馬氏の意見書第2章)。
通常であれば、甲状腺のがん等は10万人当たり数名しか子どもには出ないのに、
(ア)、5~6年後から甲状腺疾病と甲状腺腫の双方が急増し、9年後の1995年には子ども10人に1人の割合で甲状腺疾病が現れた。
(イ)、甲状腺がんは甲状腺疾病の10%強の割合で発病、9年後は1000人中13人程度となった。
(3)、ゴメリ医科大学学長のバンダジェフスキーが、チェルノブイリ事故後に死亡した人を解剖して臓器ごとにセシウム137を測定した結果、子供たちの心臓病多発の原因がセシウム137の心臓への高濃度蓄積によるものであることを指摘し、ふくしまの子供たちも内部被ばくにより、今後、同様の心臓病多発が予想されること(医師の松井英介氏の意見書第2章)。
(4)、チェルノブイリ事故による住民避難基準に基づいて作成された郡山市中心部の「放射能汚染マップ」によれば、子どもたちが通う7つの学校全てが、住民を強制的に移住させる移住義務地域(汚染マップの赤丸)で教育を受けていること。
これに対し、子どもたちを安全な環境で教育する責任を負う郡山市は上記主張に「不知」と答えるのみで、転校の自由があるのだから危険だと思う者は自主的に引っ越せばよい、安全な場で教育を受ける権利を侵害したのは東電であって自分たちではない、だから子供たちを安全な場所に避難させる義務は負わないと反論しました(準備書面1)。しかし、「転校の自由」論とはふくしまの現実を見ない残忍酷薄な自己責任論です。
科学裁判を決定する真理の点においても、正義の点においても勝負は明らかでした。
4、裁判の結果
しかし、野田総理の「冷温停止」宣言と同じ昨年12月16日に、裁判所は申立の却下を宣言しました(決定)。理由の骨子は、14名の避難を求めた裁判は郡山市3万人の子ども全員を一律に避難させる裁判であると申立を強引に捻じ曲げ、従って避難が認められる要件は厳しく解するほかないとし、100mSv以下なら避難に必要な「切迫した危険」は認められない、文科省の20mSv政策も考慮すべきだ、既に被ばくしたものは今さら救済しようがない、危険だと思うなら自己責任で区域外通学という方法で避難すればよいというものでした。
これは14名の申立人と同様の危険な中にいる福島の子どもたち全員に向って、君たちは自己責任で避難しない限りどうなっても知らないぞと宣言するもの、つまり巨大な人災により歴史上初めて日本人の仕分けを宣言した未曾有の判決です。私たちはこれに服従できないのは当然です。直ちに仙台高等裁判所に異議申立する一方、命の危険にされされているふくしまの子どもたちを救うために、近代の人権宣言の原点に立ち返り、「人権の最後の砦」として機能不全に陥った裁判所に代わって、世界中の市民から構成される陪審員の手によって、放射能の危険について正しい判断を下す世界市民法廷を設置し、開催することに決めました。
世界市民法廷は真理と正義とそしていのちに対する無条件の愛を基本原理とする、21世紀の市民型紛争解決機関です。いま、日本中、世界中の人たちが誕生したばかりの世界市民法廷に参加して、「市民の、市民による、市民のための世界市民法廷」による世直しを力強く推し進めることが求められています。
(12.1.21 柳原敏夫)
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