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2012年7月1日日曜日

「6.24」一周年の思い――子どもの命と暮らしを守る大人の権利と義務


2011年6月24日
 生 井  兵 治(なまい・ひょうじ)

ちょうど一年前の2011年6月24日、福島県郡山市の小中学校に通う子ども14人が、東電福島第一原発の過酷事故により放射線被曝の恐れが強いとして、郡山市に対して14人を疎開するよう求める仮処分の申立書を福島地裁郡山支部に提出し、原発事故による子どもの被曝をめぐる我が国初の民事裁判「ふくしま集団疎開裁判」が始まりました。
申立当日は、代理人として、井戸謙一弁護士と柳原敏夫弁護士が郡山支部に赴きました。皆様ご承知のとおり、井戸さんは、2006年3月24日、稼動中の北陸電力志賀原発2号機の差止を命ずる判決を言い渡された金沢地裁の元裁判長で、2011年4月1日から弁護士になった方です。柳原さんは、2005年6月24日、新潟地裁上越支部への申立で始まった、GMイネ(カラシナ・ディフェンシン遺伝子組換えイネ)裁判の弁護団の主任弁護人として活躍された方です。このGMイネ裁判に学者の一人として協力してきた私は、今回のふくしま集団疎開裁判でも協力を要請され、当日提出した申立書の作成にもいささか関わった関係から、郡山支部への申立に同道することになりました。
チェルノブイリ原発事故による強制移住地域(0.571μSv/時)に匹敵するところだらけの郡山市の実態をみれば、事は極めて緊急を要する問題ですから、判決が6ヵ月後の2011年12月16日まで延びのびになろうとは、当時誰が予想したでしょうか。しかも、皆様ご承知のとおり、判決は、詭弁を弄する判決理由を並べ立てるだけで、申立を認めない(却下する)という不当極まりないものでした。ですから、同年12月27日、仙台高裁に異議申立(即時抗告)したのは、当然の成り行きでしょう。

1 福島地裁郡山支部の「却下判決」は何故か野田首相の「収束宣言」と同日
昨年12月16日夕方、野田佳彦首相は、実態とは著しくかけ離れた認識に立ち、過酷事故を起こした東電福島第一原発が「冷温停止状態」(「冷温停止」ではないことに注目)になったとして、同原発事故の「収束宣言」と「避難区域見直し」を発表しました。しかし、1号機~3号機では、メルトダウンした核燃料集合体が原形を留めない状態で、圧力容器の底に落ち、さらには格納容器の底や格納容器の外にまで流れ出ているかもしれないのが現実です。そして、ちょうど定期点検中だった4号機では、ほとんど真新しい核燃料集合体を含む大量の核燃料を貯蔵中の使用済み核燃料貯蔵プール(建屋内の5階にある)の基礎が歪み、応急補強措置を施したとはいえ、強い余震によって倒壊しかねない危険な状態にあるのではないかと、国際的にも危惧されています。
東京電力は、昨年12月2日、「中間報告」を発表しましたが、原因を「想定外の津波」に帰し、真摯に詫びて反省する態度がまったくみられません(今年6月20日、結論は同じ最終報告を発表)。政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は、昨年12月27日、「中間報告書」を発表しましたが、事故原因の本質を何ら解明できていません(今年7月に最終報告を発表する予定)。国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」は、昨年12月8日に発足したばかりで、まだ中間報告も出ていません。
このような状態の中で、野田佳彦首相は、いったいいかなる根拠で福島原発事故が「冷温停止状態」になったと判断して「収束宣言」を発表したのでしょうか。現実には、空中への放射性物質の放出量は、昨年の事故当時より大幅に減ったとはいえ、今でも毎時、約1000万ベクレル(5月28日公表時点)も放出され続けているのです(2012年5月28日 東京電力HP「原子炉建屋格納容器からの追加的放出量の評価結果)。
いずれにしても、2011年12月16日夕方の野田首相による、福島第一原発事故の「収束宣言」と符節を合わせたかのようなタイミングで、福島地裁郡山支部の裁判長は、14人の子どもたちの学校ごと集団疎開するよう求める仮処分の申立を却下したのです。

2 福島第一原発事故後の文科省による子どもの人権無視の経過
原発事故後の経過を振り返ってみれば、文科省は、昨年4月19日、あろうことか校庭の利用制限基準を年20ミリシーベルト(mSv/年)(子どもたちの日々の生活パターンを考慮すると、1時間当たりでは3.8マイクロジーベルト(μSv/時))とすることを通知しました。通常の原発作業従事者の被曝線量限度が5年間で100mSv(年間最大50mSv)ですから、子どもたちの命と暮らしを守るべき文科省は常道を逸した過酷な被曝を子どもたちに強いたのです。現実に、文科省などのモニタリングデータを使って弁護団が試算した結果によると、14人が通う小中学校7校の空間放射線量は、原発事故が起きた3月12日からの5月25日までの75日間だけの積算で既に3.80~6.67mSvに達し、外部被曝だけで1mSvを大幅に超えています。
ですから、保護者らの反発を受けるのは当然です。昨年5月27日、当時の高木義明文科相は、国際放射線防護委員会(ICRP)が公衆の被曝線量限度として定めている年間1mSv以下を目指すと発表しました。しかし一方では、20mSv/年が3.8μSvだからといって、1mSv/年を目指すから0.19μSv/時を目指すというわけではない、とも述べています。昨年8月26日ついに文科相は、4月19日の20mSv/年(3.8μSv/時)を廃して原則年間1mSvとしましたが、説明なしで1μSv/時としています。一方、環境省は、1mSv/年を0.19μSv/時とし、実際にガイガーカウンターで計測する際には自然放射線が平均0.04μSv/時だけプラスされるとして、合計値「0.23μSv/時」を公衆の被曝線量限度1mSv/年に充てています。
我が国の「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行令」に基づく科技庁告示第五号(1988年)の第四項の4には、「線量限度は、実効線量が四月一日を始期とする一年間につき一ミリシーベルトとする」とあり、「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示」(2001年)の第三条(実用炉規則第一条第二項第六号等の線量限度)第一項にも「実効線量については、一年間(四月一日を始期とする一年間をいう。以下同じ。)につき一ミリシーベルト」とあります。法律的には、公衆の被曝線量限度は1mSv/年です。原発事故が起きたからといって、子どもたちを含む人びとの放射線耐性が直ちに高まることはありません。

ですから、子どもたちが放射線被曝による健康被害の恐れがあるとして、父母らが安全な地域への学校ごとの集団疎開を求めることは、至極当然のことでしょう。ところが、福島県や郡山市をはじめとする地方政府のほとんどは、無法ともいえる中央政府にただただ追従するだけであり、三権分立の要である司法の砦・裁判所さえもが、子どもたちの基本的人権を守ることを忘れ、「原発利益共同体」に組みする政府の意向をくみ取った判決を出すことにのみ汲々としたのです。

3 私たちは、もう黙ってはいられません
私たち大人には、子どもたちの命と暮らしを守る権利と義務があります。私が愛してやまない日本国憲法第11条には、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とあります。しかし、残念ながら特に「3.11」以降の現状は、市民、中でも子どもたちの基本的人権が著しく蹂躙されています。
軌道を逸した野田佳彦民主党内閣は、東電福島第一原発事故の原因が何も解明されず、真の意味「収束」の目途が立っておらず、使用済み核燃料の最終処分放射能が決まっていないままに、自民党などと共に原発再稼働に猛進しており、この6月16日、大飯原発再稼働を決定してしまいました。いくら経済優先としても常道を逸しており、正気の沙汰ではありません。野田首相は、消費税増税の理由として「負の遺産を後世に伝えることはできない」と力説します。それならば、なぜ逼迫した国家財政とは比べ物にならないほどに膨大で危険極まりない負の遺産「高レベル核廃棄物」を何万年も先まで負わせるのでしょうか。政策の根拠に一貫性がまったくなく、野田首相の言行は支離滅裂です。
三権分立の要・司法府の裁判所は民意を汲まず、行政府・野田内閣は常道を逸し、立法府の国会も堕落して民意を汲まず、ただ政党エゴ丸出しの状態です。これでは、子どもたちはもちろん大人も浮かばれません。私たちは、もう黙ってはいられません。私たちの権利と義務を最大限に行使して、脱原発の旗の下、大同団結して戦うしかありません。
皆さん。「6.24」一周年を期に決意を新たにして、最後まで頑張り貫きましょう。

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