以下が、当日の法廷で意見陳述した原告のお母さんの原稿です(ご本人の了解を得てアップします)。 -->原稿
以下は、裁判のあとの報告会で、そのお母さんの感想動画です。
これまで、3年間の子ども脱被ばく裁判の法廷で、毎回、原告の方の意見陳述を聞いてきて私にはどれも忘れがたいもので、ほかの法廷では経験したことのない場面に何度か出く合いました。
法廷で、意見陳述の中で歌を歌った原告のお母さん。
法廷に、赤ちゃんを抱きながら、陳述した原告のお母さん。
今回のお母さんは、法廷で、思いをぶつけるくだりになると、陳述を止め、被告席の国、福島県、自治体の代理人に向きを変えて、キッと睨み付けました。こんな意見陳述も私は初体験で、まぶたと鼓膜と脳裏に永遠に焼き付けておきたいと思いました。
当日の法廷では、裁判長が意見陳述の冒頭、このお母さんに「名前を言わなくても結構ですよ」と言ったのを無視して、堂々と自身の名前を述べ、福島県や福島市などの情報隠し、無為無策に関するくだりを陳述するたびに、被告席の福島県、福島市などの代理人を睨み付けながらの陳述の迫力に圧倒されました。
4年前、このお母さんの自宅、学校に放射能測定に行った時お会いしたのが最初でしたが、この4年間、このお母さんがどれくらい苦労して子育てをしてきたか、それが今日の陳述から偲ばれました。
このお母さんの真意を別の言葉に翻訳すれば、
「国が、県が事故直後から、子どもや親たちに避難の権利を保障していれば、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに」
これは、もし日本にも、欺瞞的なガス抜きの法律ではなく、真実の人権法としてのチェルノブイリ法日本版が制定されていたら、こんほどの危険な目に遭わずに、親子してこれほど苦労をせずに済んだのに、という意味です。
この人間の命、健康を宝に思う、大切にするという当たり前のことをしなかった国、県に対する怒りをこれほど単刀直入に表明したお母さんの言葉は、福島の原点のひとつとして、そしてチェルノブイリ法日本版制定の原点のひとつとして刻んでおきたいと思いました。
本日の法廷で強く感じたのは、このお母さんが、事故後の7年で、ごく普通のお母さんから、子どもの命を守るため自分の信念を貫き通す、そのためには言うべきことはどんなえらい人に対してであっても言うという信念の人に変貌したことです。
とはいえ、実際はあれこれ悩みながら、行ったり来たりのくり返しだったと思います。でも、或る時点で、「周りに合せて、自分のフリをする」のをやめ、「自分自身になること」を決意したお母さんに変貌した姿を見て、これこそ本当の意味で、これから長い人生を生きていく子どもにのこす最高の贈り物だと改めて心打たれました。
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