2021.3.3
子ども脱被ばく裁判一審判決(福島地裁2021.3.1)の評価
弁護団共同代表 井 戸 謙 一
3月1日に言い渡された子ども脱被ばく裁判の判決は、この10年間、不安の中で生活してきた子どもたち、子どもを守るために苦しみぬいてきた親たちを再び痛み付けるものでした。私の評価は次のとおりです。
1 原告の皆様、支援者の皆様、今回の判決は大変残念な結果に終わりました。言渡し終了後、多くの皆様が裁判所に怒りをぶつけられたのは当然のことでした。その後、判決全文を検討しましたので、私の評価を申し上げます。
2 この判決は、ICRP、IAEA,UNSCEARの見解を金科玉条の如く取り扱い、これにさえ従っていれば問題ないという考え方に貫かれています。これらの組織が、原子力の積極的な利用を目的とする組織であり、被ばく防護基準も原子力の利用を妨げない限りで設けているにすぎないことは全く顧慮されておらず、したがって、それが人権尊重を基本原理とする日本国憲法下の価値体系に適合するのかという問題意識はかけらもありません。緊急時被ばく状況の参考レベルを年20ミリシーベルト~100ミリシーベルト、現存被ばく状況の参考レベルを年1ミリシーベルト~20ミリシーベルトと定めたICRP2007年勧告は、日本の法律には取り入れられていないのに、まるで「法律」であるかのごとく取り扱われています。
3 学校環境衛生基準
その中で、学校環境衛生基準に放射性物質についての定めが置かれていないことについて、「学校の保健安全の観点からすれば、これについても必要な考慮をすべきことは明らかである」と判示されていることは我々が獲得した成果であると思います。子どもを被ばくから守るためには、子どもの被ばく限度を学校環境衛生基準に定めることは国の義務のはずです。
この点について、判決は、学校環境衛生基準に放射性物質についての定めがない状況では、具体的な措置は、教育委員会の合理的な裁量に委ねられていると述べ、今の環境下で教育をすることについて、教育委員会に裁量権の逸脱、濫用はないとし、20ミリシーベルトで学校を再開したことについても不合理とは言えないとしました。
ここでは、原子力法制の価値判断と日本国憲法下の環境法制の価値判断が正面からぶつかります。環境法においては(学校環境衛生基準も同様)は、放射性物質のような閾値(しきいち)のない毒物の環境基準は、生涯その毒物に晒された場合における健康被害が10万人に1人以下となるように定められています。それが環境法の価値観なのです。これに対し、原子力法制下で一般公衆の被ばく限度とされている「年1ミリシーベルト」は、生涯(70年間)晒されるとICRPによっても10万人中350人ががん死するレベルです。年20ミリシーベルトであれば、なんと10万人中7000人ががん死します。この決定的な価値観の対立の中で、この判決が原子力法制の価値判断を優先させて採用する理由は、全く示されていません。私たちが最終準備書面において力を入れて書いた論点であるにも関わらずです。
4 セシウム含有不溶性放射性微粒子(CsMP)
CsMPについて、判決は、「現状では科学的に未解明な部分が多く、現時点で従前から想定していた内部被ばくのリスクを超えるリスクの存在を否定できるものではない」と述べ、「今後も、その健康影響のリスクを十分に解明する必要がある」ことは認めました。しかし、「放射性微粒子が有意な割合で存在するのか、土壌に沈着した放射性微粒子が有意な割合で大気中に再浮遊するのか、科学的に解明されているとはいえない」としつつ、「有意に存在するのか、有意な割合で再浮遊するのか科学的に解明されてない。」とし(微粒子の割合や再浮遊することについて、原告側から提出した論文は無視されています。)、ICRPが、従前ホットパーティクル(プルトニウム粒子)の危険性を否定していたことから、「現段階において、ICRPの勧告に依拠した放射線防護措置を講じることが直ちに不合理ではない」と断じました。ICRP勧告は、セシウムが不溶性粒子として体内に入ることは想定していません。科学的にはっきりするまで対策を採らなくてもいいというのですから、それは、子どもたちを実験台にする考え方であり、許されません。
5 福島県県民健康調査
判決は、福島県県民健康調査について、過剰診断論は採用していませんが、スクリーニング効果論が「現時点で直ちに不合理であるとはいえない。」とし、発生している小児甲状腺がんが被ばく由来であるとの考え方を退けました。報告対象外の手術例(経過観察中の子どもから発症した甲状腺がん)については、この存在が「県民健康調査の甲状腺検査の結果を評価する際に具体的にどのように影響するのかは別途検討を要する」けれども、「現時点において具体的な影響があると認めるに足りる的確な証拠はない。」としています。報告対象外の手術例が何例あるか分からないのに、スクリーニング効果論が不合理であるとはいえないとする判断は、それこそ不合理というしかありません。
6 安定ヨウ素剤の投与指標
私たちが、平成14年に山下氏を委員長とする委員会が、安定ヨウ素剤の投与指標を小児甲状腺等価線量100ミリシーベルトに据え置いた点の不合理を主張したことに対して、判決は、「不合理とは言えない」としましたが、私たちが強く主張した点、すなわち、そのリスク・ベネフィット計算におけるリスク数値として、ポーランドにおける子どもの副作用数ではなく、大人の副作用数を採用した不合理性については、全く触れておらず、完全に無視されました。
7 山下発言について
山下俊一氏の安全宣伝については、「誤解を招く」「問題があるとの指摘をうけてもやむを得ない」「より適切な説明の仕方があった」「不適切であるとの批判もありうる」などと評価しつつ、「県が訂正した」「イメージ的に分かりやすく説明するためのいわば例え」「多くの住民が福島県外に避難することを回避する意図があったと認めるに足る証拠はない」「積極的に誤解を与えようとする意図まではうかがわれず」等と述べて、結局、すべて免罪してしまいました。山下氏の苦しいうわべだけの弁解をそのまま採用した安易な判断です。
8 原告の皆さんが苦しい闘いを続け、多くの支援者の方々が懸命に支援してきていただいた結果がこれでは、到底納得できるものではありません。被ばく問題の原則は、「可能な限り被ばくは避けたほうがいい」です。ICRPですら、LNTモデルを採用し、いくら低線量であっても、その線量に応じた健康リスクがあることを認めています。一般公衆の被ばく限度年1ミリシーベルトすら、安全値ではなく、がまん値でしかありません。少しでも被ばくを避けようとする営みは、正しい営みとして積極的に評価されなければならず、これに対する妨害は許されません。
「被ばくを避ける権利」をこの国において認めさせるための闘いは、これからも続きます。
3月1日に言い渡された子ども脱被ばく裁判の判決は、この10年間、不安の中で生活してきた子どもたち、子どもを守るために苦しみぬいてきた親たちを再び痛み付けるものでした。私の評価は次のとおりです。
1 原告の皆様、支援者の皆様、今回の判決は大変残念な結果に終わりました。言渡し終了後、多くの皆様が裁判所に怒りをぶつけられたのは当然のことでした。その後、判決全文を検討しましたので、私の評価を申し上げます。
2 この判決は、ICRP、IAEA,UNSCEARの見解を金科玉条の如く取り扱い、これにさえ従っていれば問題ないという考え方に貫かれています。これらの組織が、原子力の積極的な利用を目的とする組織であり、被ばく防護基準も原子力の利用を妨げない限りで設けているにすぎないことは全く顧慮されておらず、したがって、それが人権尊重を基本原理とする日本国憲法下の価値体系に適合するのかという問題意識はかけらもありません。緊急時被ばく状況の参考レベルを年20ミリシーベルト~100ミリシーベルト、現存被ばく状況の参考レベルを年1ミリシーベルト~20ミリシーベルトと定めたICRP2007年勧告は、日本の法律には取り入れられていないのに、まるで「法律」であるかのごとく取り扱われています。
3 学校環境衛生基準
その中で、学校環境衛生基準に放射性物質についての定めが置かれていないことについて、「学校の保健安全の観点からすれば、これについても必要な考慮をすべきことは明らかである」と判示されていることは我々が獲得した成果であると思います。子どもを被ばくから守るためには、子どもの被ばく限度を学校環境衛生基準に定めることは国の義務のはずです。
この点について、判決は、学校環境衛生基準に放射性物質についての定めがない状況では、具体的な措置は、教育委員会の合理的な裁量に委ねられていると述べ、今の環境下で教育をすることについて、教育委員会に裁量権の逸脱、濫用はないとし、20ミリシーベルトで学校を再開したことについても不合理とは言えないとしました。
ここでは、原子力法制の価値判断と日本国憲法下の環境法制の価値判断が正面からぶつかります。環境法においては(学校環境衛生基準も同様)は、放射性物質のような閾値(しきいち)のない毒物の環境基準は、生涯その毒物に晒された場合における健康被害が10万人に1人以下となるように定められています。それが環境法の価値観なのです。これに対し、原子力法制下で一般公衆の被ばく限度とされている「年1ミリシーベルト」は、生涯(70年間)晒されるとICRPによっても10万人中350人ががん死するレベルです。年20ミリシーベルトであれば、なんと10万人中7000人ががん死します。この決定的な価値観の対立の中で、この判決が原子力法制の価値判断を優先させて採用する理由は、全く示されていません。私たちが最終準備書面において力を入れて書いた論点であるにも関わらずです。
4 セシウム含有不溶性放射性微粒子(CsMP)
CsMPについて、判決は、「現状では科学的に未解明な部分が多く、現時点で従前から想定していた内部被ばくのリスクを超えるリスクの存在を否定できるものではない」と述べ、「今後も、その健康影響のリスクを十分に解明する必要がある」ことは認めました。しかし、「放射性微粒子が有意な割合で存在するのか、土壌に沈着した放射性微粒子が有意な割合で大気中に再浮遊するのか、科学的に解明されているとはいえない」としつつ、「有意に存在するのか、有意な割合で再浮遊するのか科学的に解明されてない。」とし(微粒子の割合や再浮遊することについて、原告側から提出した論文は無視されています。)、ICRPが、従前ホットパーティクル(プルトニウム粒子)の危険性を否定していたことから、「現段階において、ICRPの勧告に依拠した放射線防護措置を講じることが直ちに不合理ではない」と断じました。ICRP勧告は、セシウムが不溶性粒子として体内に入ることは想定していません。科学的にはっきりするまで対策を採らなくてもいいというのですから、それは、子どもたちを実験台にする考え方であり、許されません。
5 福島県県民健康調査
判決は、福島県県民健康調査について、過剰診断論は採用していませんが、スクリーニング効果論が「現時点で直ちに不合理であるとはいえない。」とし、発生している小児甲状腺がんが被ばく由来であるとの考え方を退けました。報告対象外の手術例(経過観察中の子どもから発症した甲状腺がん)については、この存在が「県民健康調査の甲状腺検査の結果を評価する際に具体的にどのように影響するのかは別途検討を要する」けれども、「現時点において具体的な影響があると認めるに足りる的確な証拠はない。」としています。報告対象外の手術例が何例あるか分からないのに、スクリーニング効果論が不合理であるとはいえないとする判断は、それこそ不合理というしかありません。
6 安定ヨウ素剤の投与指標
私たちが、平成14年に山下氏を委員長とする委員会が、安定ヨウ素剤の投与指標を小児甲状腺等価線量100ミリシーベルトに据え置いた点の不合理を主張したことに対して、判決は、「不合理とは言えない」としましたが、私たちが強く主張した点、すなわち、そのリスク・ベネフィット計算におけるリスク数値として、ポーランドにおける子どもの副作用数ではなく、大人の副作用数を採用した不合理性については、全く触れておらず、完全に無視されました。
7 山下発言について
山下俊一氏の安全宣伝については、「誤解を招く」「問題があるとの指摘をうけてもやむを得ない」「より適切な説明の仕方があった」「不適切であるとの批判もありうる」などと評価しつつ、「県が訂正した」「イメージ的に分かりやすく説明するためのいわば例え」「多くの住民が福島県外に避難することを回避する意図があったと認めるに足る証拠はない」「積極的に誤解を与えようとする意図まではうかがわれず」等と述べて、結局、すべて免罪してしまいました。山下氏の苦しいうわべだけの弁解をそのまま採用した安易な判断です。
8 原告の皆さんが苦しい闘いを続け、多くの支援者の方々が懸命に支援してきていただいた結果がこれでは、到底納得できるものではありません。被ばく問題の原則は、「可能な限り被ばくは避けたほうがいい」です。ICRPですら、LNTモデルを採用し、いくら低線量であっても、その線量に応じた健康リスクがあることを認めています。一般公衆の被ばく限度年1ミリシーベルトすら、安全値ではなく、がまん値でしかありません。少しでも被ばくを避けようとする営みは、正しい営みとして積極的に評価されなければならず、これに対する妨害は許されません。
「被ばくを避ける権利」をこの国において認めさせるための闘いは、これからも続きます。
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