5月5日に、予定通り、落合栄一郎さんの講演会をやりました(その報告はー>こちら)。
この講演を企画したのは次のミステリーを解明したいという問題意識からでした。
福島原発事故の直後、この講演の主催者のみならず多くの人たちが「放射能は怖い」という気持ちに襲われたと思います。その後も「放射能の恐ろしさ」について直感的にはずっと不気味なものを感じてきたはずなのに、にもかかわらず、それ以上、放射能の恐ろしさに対する認識が明晰にならず、ずっとボンヤリして来たのではないでしょうか。それはなぜだろうか?
それは、「放射能の恐ろしさ」について微分積分の状態(微かに分かる、分かった積りになる)にいるだけで、その状態を明確に自覚していないからではないか。
ただし、それは決して、私たち市民が怠けて「放射能の恐ろしさ」を理解していないからではなく、これを理解する道筋を知り、その道筋に沿って一歩一歩理解していないからではないか。
そして、この講演の主催者のひとりは、以上の疑問を裏付ける経験を、つい最近しました。それが99歳肥田舜太郎最後のインタビュー記事「自分がいのちの主人公になる」(以下が表紙)を読んだ経験です。
その中で、肥田舜太郎さんが広島原爆投下で体験したことを率直に述べていたのですが、以下の語りは主催者にとって、「内部被ばくの恐ろしさ」を身をもって理解する道筋を示すものでした(その詳細はー>こちら)。
今まで医学で習ってきた死に方とちがう人たちが目の前でどんどん死んでいった。
その時、初めて分かった――自分の知っている医学は本物じゃない、と。
目の前で、原因が分からず死んでいってしまう、そっちのほうが事実。その事実に医者としてぶつかって、なんで死ぬのか、どこが悪くて死んでいくのか全然分からない。それを助けなきゃならない。
でも俺にはわかんないよなんて言えないから、わかったような顔をして、どんどん死んでちゃう。そういう時に医者であるっていうことが本当に恨めしくなりましたね。
その立場にぶつかって、もう自分が今まで習ってきた医学が全く役に立たない。何が原因で死んでいくのか自分で見つけなけりゃなんない。
その中で、アメリカで「内部被ばく」という問題があることに初めて気がついた。
これと同じように、「放射能の恐ろしさ」を落合栄一郎さんに語ってもらえないだろうかと思った、ちょうど以下のような感じで。
今まで物理学・化学で習ってきた死に方とちがう人たちが放射能で目の前でどんどん死んでいった。
その時、初めて分かった――自分の知っている物理学・化学は本物じゃない、と。
目の前で、原因が分からず死んでいってしまう、そっちのほうが事実。その事実に物理学者・化学者としてぶつかって、なんで死ぬのか、どこが悪くて死んでいくのか全然分からない。それを助けなきゃならない。
でも俺にはわかんないよなんて言えないから、わかったような顔をして、どんどん死んでちゃう。そういう時に物理学者・化学者であるっていうことが本当に恨めしくなりましたね。
その立場にぶつかって、もう自分が今まで習ってきた物理学・化学が全く役に立たない。何が原因で死んでいくのか自分で見つけなけりゃなんない。
その中で、アメリカで「内部被ばく」という問題があることに初めて気がついた。
そもそも、肥田舜太郎さんのように、こんなシビアな認識に立って、自身の物理学・化学を一から考え直した物理学者・化学者がいたのだろうか? そう思った時、少なくとも311後に、落合栄一郎さんはそのように考えることをしてきた人だと知りました。
落合さんが問題にするのは、こういう放射能のミステリーだったからです。
エネルギー量として10Gy=10j/Kgは、人の体温をたった
0.0024度上げるだけなのに、放射線だとこのエネルギー量で人を即死させるのはなぜなのか?どういうことなのか?
つまり、
「体温を0.0024度しか上げないエネルギーで死をもたらす」放射能のミステリーについて語っていたからです。
このミステリーについて、落合さんは7年前に来日された講演で(ー>その報告)、
放射能はあたかも一個のボールで数百、数千のバットを折るほどのものすごいエネルギーを持っているという比ゆをつかって、「体温を0.0024度しか上げないエネルギーで死をもたらす」放射能がなぜ恐ろしいか、そのカラクリについては説明をしました。
それを聞き、ふう~んと何とか分かったような気がしたのですが、ただし、別に、ストーンと腑に落ちることはなく、依然、モヤモヤしたままだった。
その原因は、おそらく、それまでの物理・化学の常識のどこかを放射能にそのまま当てはめるとおかしい、間違っていると思ったのですが、それが落合さんの説明には明確に示されておらず、ピンと来なかったから。
そこで、今回、次のような問題提起に答える形で講演をして頂けないか、それが主催者の講演企画だった。
一方で、放射能はあたかも一個のボールで数百、数千のバットを折るほどのものすごいエネルギーを持っているのに、
他方で、その放射能のエネルギーは、体温を0.0024度しか上げない微量のエネルギーだと説明された。
しかし、その時私には、これは何がおかしいのか、何が間違っているのか、そこがハッキリせず、結局、煙にまかれたままだった。 改めて思うに、エネルギーの表現方法を熱力学の考え方で表現したものをそのまま放射線の考え方に対応させているんじゃないか、そしてそのこと自体が間違っているんじゃないか。
つまり、熱力学が妥当する対象として放射線は入らない、正確には、入れない。にもかかわらず、強引に、熱力学の考え方を放射線にそのまま当てはめた結果、「放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで死をもたらす」という言い方が可能となった。そして、それがいかにも矛盾に満ちた放射能の謎という印象をもたらした。しかし、そもそも熱力学の考え方を放射線にそのまま当てはめること自体ができないんじゃないか。もしそうなら、その理由がなんなのか、それについて、落合さんから聞きたい。
一言で言えば、放射能に相応しいエネルギーの概念って何なんだ?
以上の疑問は、主催者が、これまで地球規模の世界を対象にして作り上げてきたニュートン力学がその規模から外れた、マクロとミクロの世界では通用せず、ニュートン力学に代わる新たな物理学(相対論と量子力学)が必要になったという科学の歴史の教訓を、放射能にも押し及ぼしてみた時に抱いた疑問です。
これに対し、帰国前に、落合さんから次のコメントが寄せられました。
おそらく、放射線という時、それには、強度と量という二つの因子があり、強度の違い(いわゆる放射線と熱線などの違い)がどう物質への影響に反映されるかといったことが、十分に説明されなかったということなのでしょう。食事からのエネルギー、放射線のエネルギーは、人体にどのような作用の仕方に違いがあるかといった点かもと考えていて、それも今回は、十分に説明しようと考えています。
また、そのあと、次のようなコメントも追加で頂きました。
放射線の10Gyは、我々が1日の食べているエネルギーの1万分の1ぐらいという表現です。どうしてなのか。放射線の電離作用=生体分子の破壊に違いないが、それでは、我々は、なんで、あんなに大量のエネルギーを毎日食べているのか。(放射線と)どこがどう違うのか、まで、理解しないと、本当に放射線の脅威が分からないのではないか。
以上のような問題提起に答えるという形で、当日の講演をしてもらいました。
以下が、その動画とプレゼン資料です。
では、311後の最大のミステリーの解明に挑んだ落合栄一郎さんの講演をお聴き下さい。
(文責 柳原敏夫)
★動画
★プレゼン資料
106頁の長文の資料ー>こちら(以下をクリックしてもOK)
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