とりわけ宗教界は、峻厳なるリトマス試験紙の前に立たされています。なぜなら、宗教の根本問題とは次の点(神義論)にあり、原発事故はこれを最も鋭く問い詰めるものだからです。
「われわれの生きている現世、これは涙の谷とか、死の谷とかいわれますように、いろいろな苦しみや悩み、さまざまな矛盾があるわけです。いろいろな病気か らくる肉体的な苦痛や死、あるいは自然の力によるさまざまな災害、たとえば地震、火事、暴風など大きな苦しみがあります。あるいは戦争による悲惨、そうし た人間が作り出すさまざまな苦しみがあるわけです。ところで、もし神が全知全能であり給うならば、また新しい理法が全世界を支配しているのならば、どうい う理由でそういった矛盾が放置されたままでいるだろうか。どうしたら、それを納得的に説明できるのか。」 (大塚久雄『社会科学の方法』岩波新書138~139頁)宗教はこの問題(神義論) に答えられなければ、少なくとも市民(民衆)にとって存在する意義はないでしょう。
その意味で、原発事故という未曾有の人災により宗教界もまた自らの存亡という未曾有の試練に立たされています。このような中から、疎開裁判支持を表明する宗教界からの声がスタートしました。過日、疎開裁判を支持する宗教者の方から、以下の書面が、ふくしま集団疎開裁判の会の「日本の宗教者の皆さん、そして全国のこころある皆さんへ」という書面と共に、多くの宗教者に宛てて送られました。
これから始まる、宗教者の支持表明とふくしまの子どもを救えという声は裁判所のみならず、各界に大きな反響をもたらすでしょう。
この呼びかけに対する宗教者からの声が以下に紹介されています。
->いのちというあかり(フェイスブック)
私たちと同様に、自らの存亡の岐路に立つ日本の宗教者の対応に注視しています。
(文責 弁護団 柳原敏夫)
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