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郡山市は、疎開裁判の中で
「原告には転校の自由があるのだから危険だと思うなら、自分の判断で引っ越せばよい。郡山市はそれを妨害していない」
と問題の解決は自主避難の道によるべきで、郡山市が子どもたちを安全な場所に避難させる義務は負わないと主張しました。
郡山市は、疎開裁判の中で
「原告には転校の自由があるのだから危険だと思うなら、自分の判断で引っ越せばよい。郡山市はそれを妨害していない」
と問題の解決は自主避難の道によるべきで、郡山市が子どもたちを安全な場所に避難させる義務は負わないと主張しました。
しかし、現実に、市民はたとえ危険だと思っても誰でも、郡山市長のように、娘さんとお孫さんを県外に自主避難できる訳ではありません。
以下は、原告のお母さんが、危険だと思っても、なぜ自主避難しないのか、できないのか、その胸の内を語ったものです。
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「なぜ、自主避難しないのか」
2012年11月17日
昨年12月16日郡山地裁は、「居住移転の自由及び転校の自由」を理由に私たち原告の訴えを退けた。では、なぜ私の家の場合「居住移転の自由」がありながら自主避難しないのか、説明したい。
主人の会社が福島県内ということもあるのだが、それよりも今年、81歳になった主人の父の世話をしなければならないから身動きがとれない、と言ってよい。
義母は4年前に他界している。
震災当時、義父はまだ元気で郡山市内の適合高齢者専用賃貸住宅にいた。いわゆる、3度
の食事をみんなでロビーで食べて、あとは自分の部屋で自由に過ごす、という生活だ。もちろん、風呂とトイレは各自の部屋に備わっている。お年寄りのアパー
トのようなものだ。しかし、病院への付き添いは家族がしなければいけなかった。義父は定期的に通院しており、私が付き添っていた。
震災の年の7月には両目の白内障の手術で入院。8月、倒れて脳梗塞の疑いで救急車で搬送された。(結局、脳梗塞ではなかったが。)義父はこの頃からもう一人では掃除、洗濯もできなくなっていた。
今年に入り2月、低ナトリウム血症で倒れまたもや入院。3月に入りに私たち家族の住む近くの小規模多機能型居宅介護の施設に移った。介護士さんが24時間ついてくれている施設である。しかし、ここでも病院への付き添いは原則、家族がしなければいけない。3月上旬、あわをふいて「てんかん」をおこし、またもや救急車で搬送された。5月上旬に意識のない状態が続きまた救急車で運ばれ、慢性硬膜下血腫と診断され脳の手術をした。5月下旬また脳に血が溜まっていることから2度目の脳の手術をした。10月今度は血尿が出始めた。今は尿の検査と下腹部のCTの検査待ちである。
義父は今、要介護3である。もちろん一人ではなにもできない状態である。オムツもしている。通院へは介護タクシーを使い車椅子ごと乗っている。
どうして「居住移転の自由」があろうが、義父を残して行けるはずもない。
それとも、弱った義父を連れて「居住移転の自由」があるのだから、どこへでも遠くへ逃げれば良いと言うのだろうか?
さて、今度は「転校の自由」のある息子について触れたい。
平成23年3月11日、息子は中学2年だった。4月中学3年になり、6月24日郡山地裁へ提訴した。7月下旬、私は高校受験を控えた息子に脚本家の倉本聰さんの呼びかけで北海道の富良野へのホームステイがあるのだけれど、いっそ、北海道で高校受験をしたらどうか?と話をしてみた。私はインターネットを頼りに北海道へ電話をして富良野で40代
の男性が一人暮らしをしていて、そこで息子を受け入れても良い、というのを確認したからだ。息子もネットで北海道の学校の偏差値を調べたりしたのだが、ど
うやら旭川まで出ないと自分の入りたい学校はなかったようだ。それに、息子は自分一人だけで行くことになによりも強い不安があった。結局、息子の北海道行
きはなくなった。8月末までには裁判の結果が出るものと思っていたが、10月が過ぎても出ず、12月16日、却下が言い渡された。
現在、息子は郡山市内の高校へと通っている。
今にして思えば、やはり息子に北海道の高校を受験させるべきではなかったのだろうか、と悔やまれる時がある。線量の高い郡山で生活するのと、見ず知らずの人にお世話になりながらそれも1人で北海道で大きな不安を抱えて生活するのではどちらが息子にとって良かったのだろうか、と。命のことを考えれば、後者ではあるが、今度は息子が精神的にまいってしまう可能性が大、である。
私の息子は高校受験の狭間にいたのだが、やはり子どもたちを考えると集団で疎開させてあげるのがベストな状態であると思う。友達が一緒ということで、精神的負担は随分と軽減される。
ところで、郡山地裁では「生命身体に対する具体的に切迫した危険性があるとは認められない」として私たち原告の訴えを退けたが、内部被ばくは「晩発障害」
と「蓄積性」から甲状腺がんなどを引き起こす。郡山の子どもたちは低線量の放射能を浴びながら生活しているので、切迫した危険性はまだ見られないが、十分
に将来に危険性があると考えられるのではないか。すぐに病気にならないのが原発事故の怖さでもある。私は、それを逆手にとって「緊迫した危険性があるとは
認められない」とした郡山地裁の見解を疑ってしまう。こうして仙台高等裁判所へ「なぜ、自主避難しないのか」を書いているが、仙台高裁がなぜ、10月1日
の審尋時、矢ヶ崎克馬先生と松崎道幸医師の話を直接聞かなかったのか。「なぜ、科学者や医師に耳を傾けないのか」を書いてもらいたい気持ちでいっぱいだ。
裁判所が耳を傾けるのは俗に言う「御用学者」ばかりではないのか。そうした「御用学者」によって福島の子どもたち、福島県民はモルモットとされ、調査の対
象となっているのが事実ではないか。
どうかこの裁判を時の権力に流されることなく、良識でもって判断してもらいたい。これが、仙台高等裁判所への願いである。
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