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参考:阿部知美さん家族を撮ったドキュメンタリー「KAKUSEI」
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私は現在、相馬市から秋田に避難しています。私には、現在高校2年生の息子と小学5年生の息子、二人の子供がいます。
さて、私は、あの311、相馬市の自宅で被災しました。地震で自宅が半壊し兄の家に子供達を連れて避難しました。
兄の家は、原発から18キロ、南相馬市小高区、警戒区域の中です。
原発が爆発し、20キロ圏内が避難になった時、死にもの狂いで逃げました。あの時の事は、今でも忘れられません。
相馬市は、南相馬市の隣にあります。福島県内では、空間線量は割りと低い方ですが、汚染はされました。爆発当時は、警戒区域や計画的避難区域等が近隣にあるので、我が家のように、線量の高い場所に逃げ余計な被曝をさせられた人も沢山居ます。
とにかく、この国の酷さに、ビックリします。私達を人間だと思っているのでしょうか。自宅が43キロにある私は何もかも蚊帳の外。20キロ30キロの線引きが、とにかく憎いです。福島県民、黙ってちゃダメですよ。一人一人が立ち上がって欲しい。
正直、こんな事をやっている場合ではないのが、私の現状です。私は、下の息子と二人で一昨年の夏休みに避難しましたが、上の息子はまだ相馬に居ます。
いくら避難を説得しても、「どうせ死ぬんだろう、どうせ病気になるんだろう、どうせ国に捨てられたんだ、好きにさせて、友達や大事なものを置いていけないんだ」と全く聞く耳を持たず、毎日喧嘩でした。
それを聞いていた下の息子が「兄ちゃんが避難しないなら、諦める、病気になってもいいよ」と言いました。
私は、下の息子だけでも連れて早く避難しなければいけない、そう思って秋田へ行きましたが、その日から、体と心が真っ二つに引き裂かれました。体は秋田に居ますが、心は相馬に置いてきました。上の息子の体が心配で、朝から晩まで狂いそうです。彼は今日、どれぐらい吸ったのか、市内のあちこちにある高線量の上を知らず知らず、踏んではいないか。心配で心配で、たまりません。
首に縄をつけて、ひっぱたいてでも連れて出るのが親でしょう。でも高校生、お金を握って帰ってしまうでしょう。
これもまた、福島の現実です。自主避難者の中には、私のように、上の子を置いて来て、泣いている親も沢山居ます。
自主避難をしても、皆泣いて居ます。置いて来た旦那の体は大丈夫か、家族は大丈夫か、子供の友達は大丈夫か、皆皆、泣いています。
何故こんな事になったのでしょうか。爆発した時、逃がさなかったからです。あの時、逃がさなかったから、今でもゴチャゴチャしているんです。
私は学者ではありません。安全だとか危険だとか、色々言われてもわかりません。安全だと言う学者さんは、一筆書いて欲しいです。今後、何かあった時に誰が責任取ってくれるんでしょうか。
原発が四基爆発した、放射能が飛んだ、私達は被曝をした、あちこち放射能まみれになった、でもいつの間にかそれが全部、安全になった。
原発が爆発して大丈夫なら、全国にある原発に、全面マスクも、五重の壁も、格納容器も要らないと、私は思います。
私はとにかく、しかるべく補償をし、避難区域を広げて欲しい。警戒区域の解除等、バカみたいな事をやっていないで、避難区域を広げて欲しい。そう秋田でも訴えています。地元相馬の人からは、ストロンチウムの食品や体の検査をやって欲しいとの声も届いています。全国で瓦礫を燃やすのに反対していても、地元では燃やしました。大丈夫かどうか、わかりません。
けれども私は、避難したい人は、大人も勿論子供も、ただちに、一分一秒でも早く、避難させて欲しい。
この裁判が認められないような、社会であっては絶対にならないと思います。
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