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第1、はじめに
4月24日の仙台高裁の判決(決定)は、以下のとおり、未だかつて見たことがないほどの相容れない激しく矛盾する2つの内容が並べられていました。
1、事実認定
(1)、郡山市の子どもは低線量被ばくにより、生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される、(2)、除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得えられていない
(3)、被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない
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2、結論
子どもを安全な環境で教育する憲法上の義務を負う郡山市に、郡山市の子どもを安全な他の地域に避難させる義務はない。問題は、この2つの内容をどうやって橋をかけるか、つまりつなぐかです。
第2、本論
この点、判決は2つに分解して、バラバラに橋をかけました。
最初の橋は、「子どもたちを年1ミリシーベルト以上の危険な環境で教育するな」という要求に対するものです。
これについて、判決はこう言いました。
子どもたちは郡山市の現住所に住み続ける限り、「通学する学校外においても、日夜間断なく相当量の放射線にさらされいることにな」(14頁4行目)り、学校外において、その値は年1ミリシーベルトを越える。
つまり、学校の外において、年1ミリシーベルト以上被ばくしているのだから、今さら、学校内で 「子どもたちを年1ミリシーベルト以上の危険な環境で教育するな」を求めても意味がない。そのような意味がないことを求める権利はその「発生を認める余地がない」。
どうせ、学校外の通学路や自宅周辺がヤバイ環境にあるのだから、今さら「学校がヤバイからそこで教育をするな」と求めても無意味だ、だから救済を求める権利は発生しない、と。
もし、私たちが、郡山市の「 学校外の通学路や自宅周辺で教育をしろ」と求めていたのであれば、このような理屈も分からないではありません。しかし、私たちは当初から首尾一貫して、「子どもたちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育をしろ」と求めてきたのです。
この「危険な場所で教育をするな」という要求と「安全な場所で教育をせよ」という要求はコインの表と裏のように不可分一体のものです。両者を切り離して論じることはできません。
私たちが「安全な場所で教育をせよ」という要求の大前提として、「危険な場所で教育をするな」と要求しているのに、これを無視し、この要求をバラバラに分解して、どうせ、学校外でも危険なのだから、危険な学校内で教育をするな、と求める権利も発生しないと切捨てました。
これが何を意味するかは一目瞭然です。引き続き、その危険な学校内で教育を受けていろ、という現状肯定です。そして、危険だと思う子どもは自分の判断で逃げろ、という自己責任論です。
これがどれ位、残忍酷薄であるのか--この裁きを受けた福島の子どもたち、親御さんたちの生の声に耳を澄ませたい。どうか、その生の声を判決直後アクションにお寄せください。->こちらから(日本語版 英語版)
(文責 弁護団 柳原敏夫)
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