お久しぶりです。毎日、私は曇り空の世界にあります、いつ晴れることやら分かりません、この大きな原因は嘘と捏造にあります。事故の責任を取らない行政が私達の人権を妨害しています、これからの裁判は大変でしょうが「国富とは健康な子供がたくさんいることと」と私は考えています、誰に憚ることもなく正々堂々と論戦して勝利して下さい。
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あらゆる人権無視から始まった東電原発事件は今尚進行中である、この事故の本質を探るとそもそも危険極まりない原発を運転してはいけない会社と経営者達だった。今、全国で起きている東電と国に対する訴訟の内容は反社会的で無責任体質が原因で起こした責任を追及している。間違いではない。当然の求めである。
この事故の影響で放射能被曝に慄いて生活をしている子供達を居住地から避難させるのは加害者の当然の責務である、親が子供を守る気持ちは地球上の生物の自然な姿である。しかし、この原告達が困りに困って生存権に保障されている権利を主張しても叶えられないのはケダモノにも劣る行為で恥ずかしい行為である。移動の権利、危険から避難する権利は憲法に保障された生存権に当たると思う、これを妨害することは人格権の侵害に当たると考える。
法律論争は専門家に譲るとして問題提起をしたい。事故以来、政府、福島県立医大では専門家たちが口を揃えて、安心してよい、放射能の影響ではないと言い切っているが、彼らは原告と同じ条件で毎日被爆をし続けていない。当然彼らの主張は証拠を有していない。
その彼らが言う安心とか被曝の影響ではないと言うのには無理がある、国と県は外国の原子力関連団体の言い分を都合良い部分だけを和訳して使っているように思う。特に東電原発事故では何ミリシーベルト以上は被曝した者はいないと言っているようだが私を調べていない。双葉町民が1号機の爆発物を直接被り被曝しているのにカウントされていない、事実を隠蔽して被曝の影響は無いとUNSCEARが報告したと言っているが曲解された和訳である。もしそれが本当であれば証拠を示すべきだ。
最近の福島県健康(管理)調査の報告では大変多くの甲状腺異常者が出ている。この異常に対して専門家は必死に否定している姿は道化師にも似ているように思うのは私一人だけだろうか。私は事故前に東電と原子力安全・保安院に対して事故を起こさないように再三話している。その時彼らはいつも「町長、そのような事はないから心配しなくても良い」と胸を張っていました。その責任は未だに果たしてはいません、寧ろ開き直っているように感じる。人命の尊重は「福井判決」で「金より命」と述べられている。私もそのように思っています。
最近聴講した講演で、
ウクライナ保健省・ウクライナ医学アカデミー
ウクライナ・チェルノブイリ事故の影響からの住民保護担当省
科学健康情報と特許ライセンス活動のためのウクライナセンター
の仮訳
チェルノブイリ原子力発電所事故により被災した小児および未成年の健康状態の医療モニタリングの編成 ( 指針 )
に詳しく子供および成人への対応指針が記されている。単に国情の違いで済ませることは子供達に新たな被害を与えることに繋がる。
我が国の事故後の対応は非常に虚しい。公務員である者が企業の存続に邁進しているように感じる。この事故はプラント「無機物」と人間「有機物」を壊してる。税金の投入を見ていると夥しく偏りがある。「金より命」の気持ちが有れば本訴訟の目的である子供の疎開は僅かな金額があれば良い。それを、裁判を起こして決着をしなければならないのは公務員が公務員として基本的人権に基づき判断していないからである。
本件事故に関係している専門家の偏りも影響している。科学者、医者に社会学者、被害当事者が参加していればこのような裁判が無かったかもしれない。
この事故以来、毎日が歴史である、正しくも、正しく無くても記録されて行く。今私達はアメリカから過去を知ることができる。第五福竜丸の乗組員達の被爆記録が明らかにされている。当時乗組員達は自分の被爆量や正しい治療もされずに隠されていた悔しさは癒されないだろう。隠した者たちは断罪に値すると私は考える。
東電原発事故では広島・長崎・第五福竜丸の二の舞にならないようにしなければならない。
子供を守れない国では国民を守れない。
この裁判で一刻も早く子供達の疎開が成就されることを切に願います。
井戸川克隆 2014.8.12
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