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第2次疎開裁判を全力を挙げてともにたたかいましょう。
矢ヶ﨑克馬
子供たちと市民を、必ず押し寄せるであろう健康被害から守りましょう。そのために人権に基づく市民の運動としても、国を「個の尊厳」を守る主権国家として確立するためにもとても大切な裁判と考えます。
原子力発電は、発電という一商業的・経済的活動であるにも拘らず、その発電行為を社会的に許容させるうえで、犠牲を容認することを市民に強制しています。市民の誰一人犠牲になることを承諾したものがいないにもかかわらず「公益(発電)のためには犠牲もやむを得ない」としているのです。ICRPは発電会社に都合のよい基準を、命を守ることを意味する「防護基準」として、おためごかしに設定しているのであり、これを人道上の反倫理体制と呼ばずに何と表現しましょう?
ICRPの勧告は防護の基本として、原則的な姿勢としているのは、正当化(放射線被曝を伴う行為はそれによって総体でプラスの利益を生むものでなければならない)及び『最適化』(被曝を経済的および社会的な要因を考慮に入れながら合理的に達成できるかぎり低く保たなければならない:as low as reasonably achievable(ALARA))です。
このALARA思
想は憲法第25条「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(生存権と,国の社会的使命)、憲法13条「すべて国民は,個人とし
て尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」
(基本的人権)に根本的に相いれません。
ICRP体系は、放射線で人類に危害を加えることを前提条件に持つ商業行為の「加害者の目線」を支える反人権体系であると言えます。
ICRPは
「科学」としてみると、反人権体制を支える放射線と健康被害に関する真理探究に背を向けた似非科学です。チェルノブイリ被害をまったく説明することができ
ない無能な体系であることが明瞭となっています。科学としてみれば完全に間違っており、放射線をまき散らす核推進者の「加害者の目線」そのものなのです。
事故があると、市民の放射線に対する抵抗力は20倍になるようなことは決してないのに、防護基準を「1ミリシーベルト」から「20ミリシーベルト」に引き上げ
ることを当たり前として勧告しているのです。
日本政府は完璧にICRP体制のもとに原発推進を前提にした、事故による被害を無視し、人権をないがしろにする立場をあらわにしています。
このような国の棄民政策を民主主義国家の主権者の「市民」が唯々諾々と受け入れることはできません。国や自治体に、実際に市民を防護させることも、考え方の基準を市民の人権を守るように変更させることも必要です。
第2次疎開裁判、ぜひ勝訴させ展望を開きましょう。
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