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2014年3月10日、風邪を押して、松本市役所の「まつもと子ども留学」スタートの記者会見に向かうちばさん(車中でイラストを描く)。 |
ちばてつやさんは、
6歳のとき、避難者として第二次世界大戦の敗戦で満州から命からがら逃げ延びた自らの経験から、
福島原発事故で、汚染地のたくさんの子どもたちの避難が国策(国家的事業)であることを誰よりも理解し、誰よりも望んでいました。
しかし、現実には国家的事業として子どもたちの集団避難(疎開)は実現せず、そのことに誰よりも心を痛めて、市民の手で「子どもたちの疎開」を実現しようと「ふくしま集団疎開裁判」の取り組みが始まったとき、真っ先にこれを応援されました。
311後の最も重要な裁判である「ふくしま集団疎開裁判」、だからこそマスコミも東京新聞を除いて意図的にこの裁判を取り上げようとしなかったため、裁判の支援者は街頭に出て、官邸前や国会前、文科省前で、この裁判の重要性を一人でも多くの市民に訴えようとしたとき、ちばさんはその取り組みの重要性を真っ先に理解し、私たちが訴えに使うプラカードやチラシやブックレットの表紙に、ちばさんしか描けない、ちばさんだとすぐ分かる素晴らしいイラストを何度も、何枚も私たちに提供して頂き、また、毎年2回の新宿デモでもいつも心のこもった声援メッセージを寄せて頂き、惜しみない応援をしていただきました。
ちばさんは4年前、4つもの手術をたてつづけにするという大病をされましたが、「おれは鉄兵」さながら不死身のように回復し、引き続き、私たちの取り組みにずっと心をとめておられました。
言葉に言い尽くせないほどの、私どもの取り組みに対するちばてつやさんの生前のご厚情に心より感謝し、ちばさんが私どもに注いでくださった遺志を継ぐ決意を新たにし、この決意を彼の霊に捧げたいと思います。
2026年10月30日
脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)一同
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ちばてつやさんが2018年ぶりに出された新作単行本「ひねもすのたり日記1」です。
敗戦後、命懸けの逃避行の末、引き上げ船で日本に着くところを描いたイラストが表紙です。今、この時、子どもたちに自分のような体験をさせてはならないという強い想いが、ちばさんを18年ぶりの新作単行本作成に向かわせたのではないでしょうか。
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2013年春、脱被ばく実現ネットの前身であるふくしま集団疎開裁判の会が配布したリーフレットです。ちばさんのイラスト、メッセージを載せています。
ここには2013年春、小児甲状腺がんが1名から新たに2名追加で3名となり、疑いが7名と書かれています。
それが2026年5月12日時点では計413人(細胞診悪性等 367人+集計外 47人など)となっています。子どもたちを避難させなかった国と福島県の責任は大変重大なものです。
2013年2月に福島事故の子どもたちの健康被害がチェルノブイリ事故時の健康被害と同等かそれ以上との松崎道幸医師作成の意見書(5)はこちらです。↓
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以下のイラストは福島原発事故前の2005年に遺伝子組み換え食品の子どもたちへの影響を心配してちばさんが反対運動をしている柳原弁護士に描いてくださったものです。
上のリーフレットやブックレットに使わせていただきました。
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このイラストは原発事故後にプラカードなどに使うために描いてくださったものです。
吹き出し部分に自由に言葉を入れられるように描いてくださいました。
子どもたちは(ガラスバッチ)線量計を肩からかけています。福島の子どもたちは実際に線量計を支給され肩からかけて生活していました。
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2016年3月3日、柳原弁護士とボランティアが、ちばさん宅にお伺いしました。これまでのイラストへのボランティアたちの感謝の言葉を描いた色紙をお渡しし、「明日のジョー」の大きなイラストが見守るお部屋で、脱被ばくを目指す人たちがちばさんのイラストにどれだけ力付けられているかをお話ししました。
またずうずうしくも、新しいイラストを描いていただけないかとお願いしました。
ちばさんは、「デモにはなかなか行けないが、自分の絵でチラシを受け取ってくれる人が 増えたり、プラカードを持ってくれたりする人が増えたらとても嬉しいです。」 と言ってくださいました。
また「どんなイラストがいいの?」と優しく聞いてくださいました。
そしてあまり日をおかずにこのイラストを送ってくださいました。私たちの横断幕やのぼりやチラシなど、脱被ばく実現ネットの目印となりました。
本当にありがとうございました!
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