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2021年12月22日水曜日

20211219 官邸前抗議行動 脱被ばく実現ネット 放射能汚染水問題、「海を汚すなよー」と歌う

 



みなさんへ

12月19日の脱被ばく実現ネット・官邸前抗議行動には、
約20人の参加がありました!

衆議院前で開催されていた19日総がかり行動が終わる直前にマイクを握り、
小児甲状腺がん多発、再発で何回も手術を繰り返す
子供たちの現状の警笛、子ども脱被ばく裁判福島地裁の卑劣な判決、
司法の劣化を見逃さないで!など訴え、官邸前抗議の参加を呼びかけました。

マイクリレーで、放射能汚染水のこと、爆発事故の事、
内部被ばくのこと、コロナ禍の政治の困窮者切り捨て、
温暖化脱炭素運動と分断の動きには連帯が大事、
東海第2原発再稼働は絶対させてはならない!
運動は1人から始まる。怖気ず続けようなどなど
多くの発言がありました。
ギターを持った若い方にマイクを向けると快く美声で、
”海に流すなよ~ 海を汚すなよ~ 私は恥ずかしい~”
と歌って訴えてくださいました。
高い声、裏声も美しく心にしみました。

「子ども脱被ばく裁判の公正な判決を!」署名協力お願いに
快く署名してくださり、すでに署名済みの方もおられ、
子ども脱被ばく裁判支援の輪が広がっていると感じました。

来年の1月19日、官邸前抗議を約束して
新しい年に再会を約束しました!
                 宮口








2021年12月16日木曜日

2021年最後のアルタ前街頭宣伝 東海第二原発いらない第二回一斉行動に参加





20211211 東海第二原発再稼動/全国一斉反対行動 - YouTube




参加者感想+++++


 

今日のアルタ前街宣は「12.11東海第二原発いらない第二回一斉行動」に参加して行いました。

お借りした横断幕を中央にして当会の横断幕やプラカードも掲示し、とてもバランスよく纏まりました。
強力助っ人・生田まんじさんも参加して下さり、歌とスピーチで原発の危険さを訴え、盛り上げて下さいました。 
それにしても東海第二原発は東京から110キロしか離れていないのですから
事故が起きたら関東は大変なことになりますね。 
参加者と私達ボランティアがその危険さをアルタ前を行き交う人々に代わる代わる訴えながらチラシを配布しました。
私達は諦めることなく原発事故がもたらす恐ろしさと被害を訴え続けるつもりです。
1人でも多くの人達に届いてほしいと願いながら。。。

岡田





今回の街宣は“東海第二原発いらない一斉行動”に連帯して行いました。

参加者は数名でしたが、今回はミュージシャンの生田さんが参加してくださり、生田さんの迫力ある

ギターと歌声で街宣は盛り上がり、道行く人々も視線を向けていました。

 

私たちは ・原発事故は収束の糸口も無く継続中 ・小児甲状腺がんは爆発的に増加し健康被害

は拡大している ・汚染水放出するな! ・東海第二老朽原発動かすな!等々をマイクリレーで

訴えました。

 

アルタ前を闊歩する皆さんにどうも「伝わらない」感触が・・・・。

汚染された水道水を飲み、汚染された食物を食べ、汚染された空気を吸っているーー当事者の

「無関心」は政権側には好都合。

 

一人でも帰宅後、原発事故について、内部被ばくについてググってくだされば、と願うばかりです。                                            伊藤    





今年最後のアルタ前街頭行動は、全国一斉行動の
第2回、東海第二原発再稼働するな!原発廃炉!
に連帯しての行動になりました。

原発マネーで放射能をばらまく
”東海第二原発を廃炉に!”
止めよう! 東海第二原発 首都圏連絡会の
文字が書かれた横断幕を正面に掲示し、
手書きで、おんぼろ原発動かすな!再稼働するな!
のプラカードも付けたら、大変わかり安く、道行く人に
アッピールできたように感じた。
いつもの、脱被ばく実現ネットの横断幕とプラカード、
そして、子ども脱被ばく裁判、仙台高裁へ応援にいこう!
の横断幕も張った。

参加した生田さんのギターとアッピールも効果的で、
若者が生田さんの歌っている前で、踊るように拍子を取り、
一時その場で歌に合わせて場を盛り上げてくれる
パフォーマンスも見られた。

歌は人の心に風をおこし人々の関心を引き出したようで、
顔を向けたり、振り向いたり、チラシの受け取りが良かった。
訴える内容も放射能被ばくと東海大2原発廃炉、
再稼働するな!などが人々に届いたようで、
私たちの心も充足感のある行動になりました。

宮口


 12.11.。アルタ前の相変わらずの雑踏の中、
全国一斉の「東海第二原発再稼働阻止!」行動と連帯して の街宣でした。
ギター演奏と歌も交えて あっという間の街宣で、チラシの受け取りも良かったように思います。たんぽぽ舎関係の方が動画撮影もしてくださいました。
後日 動画はたんぽぽ舎のメルマガにUPされるそうです。

福島原発事故は継続中であること、子どもたちを守るのは私たち大人の責任であること。これからも声を上げて行きたいと思います。

そらの

2021年11月21日日曜日

2021.11.19 官邸前抗議行動 福島原発事故をなかったことにはさせない!



福島原発事故後からもう10年近くもなる霞ヶ関通いも、コロナ禍でしばらくぶりでした。

首相官邸前は私にとっては事故後に初めて抗議集会に参加した場所でした。
そして今日も 命よりも経済優先の理不尽の極みで弱者を苦しめているこの国の対応に
仲間達、支援者の皆さんと共に抗議の声をあげずにはいれませんでした。

福島原発事故をなかったことにはさせない! 
子ども達を被ばくから守れ!家族も自分も!
放射能汚染水海に流すな!

私達が絶望することなく、悪魔に魂を売った人達に抵抗し続け、
抗議と真実を伝え続ければ きっと未来ある子ども達を救うことになると信じます。

大人の責任としてご一緒に頑張り続けましょう~!

 岡田







 

***





参加者は数名でした。

ボランティア仲間は4人ですが、いつもの支援する人が3-4人と
総がかり行動に参加するまえに立ち寄ってくれた人が3-4人だった
と思います。
初めに田中一郎さんがスピーチしてくれて、いつものように次々にスピーチして
終わりました。
参加者はあまり多くないですが、昔からそれほど多くなかったと思います。

2011年の事故直後には毎金曜日、文科省前で「下村大臣は子供を避難させろ!」などと叫びました。
その後は財務省上でしばらく金曜行動として行いました。
しかし、一般の人に訴えようと考えて西銀座に行き、次に渋谷のハチ公前に行き、
最後に新宿アルタ前に落ち着きました。
また官邸に抗議するのも必要だ、ということで月に一度ずつ、新宿アルタ前と官邸前
になりました。

2011年から10年続いたことになります。
子どもを放射能のない場所で教育させろ、という裁判も10年になります。
初めは疎開裁判と言って、私たちも疎開裁判の会と言っていました。
昔の仲間の内、亡くなった人もいます。
頑張りすぎたのかもしれません。
あまり頑張りすぎないようにしてこれからも続けていきましょう。

冨塚


***


参加人数は少ないとは言え、私たちはいつも 志を共にする大勢の人々とあります。
 だから 絶対に諦めない、おかしい事にはおかしい!と声を上げ続けたいと思います。
 
 参加者の一人と対話しました。
「政府は 原発事故を無かった事にしたいのだろうが そうはさせない。
だから倒れる訳にはいかない、どこまでもしぶとく生きて闘う」と。
元気と勇気を頂きました。

そらの

2021年11月14日日曜日

20211113 アルタ前街頭宣伝 福島の汚染水海に流すな!行動と呼応してスタンディング

沢山の皆さんのご参加、拡散のご協力ありがとうございました。
素晴らしい秋晴れに恵まれ、同日同時刻に福島(いわき市)の海で行われた
汚染水海に流すな!のイベントに呼応して 私達もプラカードを手に手に持ち
放射能汚染水の放出の危険性を訴えてスタンディングを行いました。

そして参加の皆さん其々が、当会のチラシを配布しながら 少しでも多くの人達に
福島や関東の被ばくの危険性など私達が直面しているこの酷い現実を知ってほしいと
心からの訴えを続けて下さいました。       岡田



 この時期とは思えない暖かさの中、ボランティア3名でスタートした街宣には 賛同者が集まってくださり 10名程で進める事が出来ました。「脱被ばく実現ネット」の活動が少しずつ認知されてきたのかも知れません。

 私の印象に残ったのは チラシを受け取った二人の高校生。
一人は 幾人かのスピーチを熱心に聞いていた女子高生。 そしてもう一人は 前後して対話した男子高校生でした。
彼の周囲で原発の話題は全く出ないそうで 原発について知識が無いので よく読みたい、と。特に 食品中の放射能基準値の変更について驚いた様子でした。
 若者たちも 知る機会さえあれば学んでくれるのですね。

これからも諦めず活動したいと思います。
                                そらの




午前中の活動を終えてあわててアルタ前に駆けつけると、
いつもより多くの方々がすでにチラシを配り、スタンディングしていた。
新宿アルタ前は、秋晴れの中行き来する若者の方が若干多い。
全国の運動と連帯の気持ちを表すため、「いつもより多めに持参した
放射能汚染水を海にながさないで!」のポスター。
皆で連携して横断幕を張り、トラメガをセットすると
すぐにマイクを握って訴え始めてくれる。
手慣れた方々の連係プレーで、いつものように始められるのがうれしい。
この日も多くの問題に触れながら次々にマイクリレー。
参加者の1人がたまたま通りかかった2人連れに話しかけていた。
すかさず、「放射能汚染水を海にすてないで!」ポスターを持って下さいと
呼び掛けると応じてくださって、最後までスタンディングしてくれた!
チラシ配布は、受け取りは良くないが、中には受け取ろうかどうしようか
迷っている雰囲気を醸し出している方も見かけるようになった。、
おこっているような顔つきも、手がもぞもぞ動く。
こんなケースに会った時は笑顔で「読んでください❣」と
笑顔で力強くチラシを差し出すと、受け取ってくれる事が多い。
学びながらよい気持ち。チラシ配布も楽しいです❣

 宮口
















 


2021年10月26日火曜日

20211022 子ども脱被ばく裁判控訴審 仙台高裁 デモ・裁判後集会等の動画です。

 皆様

子ども脱被ばく裁判控訴審でのデモおよび裁判後集会などの動画をご覧ください。

動画撮影及び、編集等、松岡さんです。ありがとうございます。

また、裁判行動に参加したボランティアの感想も追加いたしました。


❶子ども脱被ばく裁判控訴審 デモ前集会

➋子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景①

➌子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景② 


❹子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景③


➎子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景④


❻子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景⑤


❼子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景⑥


❽子ども脱被ばく裁判控訴審  デモ風景⑦


❾子ども脱被ばく裁判控訴審  高裁前の三角公園 原告挨拶


➓子ども脱被ばく裁判控訴審  仙台高裁 原告入廷 


⓫子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 今日の法廷の報告


⓬子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 記者会見①


⓭子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 記者会見②


⓮子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 記者会見③


⓯子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 宮城県の支援グループ紹介


⓰子ども脱被ばく裁判控訴審  裁判後の集会 会場から・終わりの挨拶




子ども脱被ばく裁判控訴審に参加して

    岡田俊子

202131日、福島地裁前で原告によって掲げられた「子どもの未来を閉ざす 不当判決」

垂れ幕を見た時の無念さは怒りとなり、地裁前は騒然となったことを忘れません。

原告の皆さんが控訴して闘うという決断は私達支援者にとっても当然のおもいでした。

 

1022日、熱血弁護団の皆さまの準備に準備を重ねた仙台高裁での第一回控訴審に私達・脱被ばく実現ネットの

ボランティアメンバー6名と支援者は東京から応援に駆けつけました。

 

東京を出る時は雨でしたが、仙台は天気がよくてホッとしました。

報告会のある弁護士会館で会場準備の手伝いをしてから デモの出発地点へ。

原告、弁護団をはじめ各地から80人近くの支援者の方々が集合し、「子ども達を被ばくから守ろう!」と

裁判所までのデモ行進はしっかりと仙台市民の方々に訴えた素晴らしいデモでした。

 

会場準備の為法廷へは入らずでしたが、報告会での弁護団の揺るぎない決意をお聞きして

改めて感動と感謝の気持でいっぱいになりました。

参加していた福島の知人からも素晴らしい弁護団の報告に感動で涙がでたと連絡がありました。

 

そして仙台の支援者の皆さんのご協力なしではデモも集会も出来なかった。。。。

本当にお世話になりありがとうございました。 

214日 またよろしくお願い致します。



反原発の方々と共に、仙台デモ

    そらのますみ

10.22.仙台高裁での控訴審第1回に参加しました。

福島地裁での「不条理」な判決を受けての当然の控訴審です。

 裁判を前にしての目抜き通りのデモ行進のコールには今迄には無い「仙台高裁は 公正な判断をしてください」、「福島でも宮城でも放射性物質を燃やさないでください」などもありました。折角集めた放射性廃棄物を燃やして放射性物質を含んだ灰が再拡散され、無差別な被ばく強要が行われているのは 「福島でも宮城でも共通する問題」として、共に闘おう!と道行く人々に呼び掛けが行われました。

本日の裁判には4名の原告の皆さんがそれぞれの様々な事情、体調不良などを抱えながら出席され、絶対勝訴の決意を語って下さり 胸が熱くなりました。

 宮城県内で反原発の様々な活動をされている方々がコアになってくださった本日の控訴審、報告集会。本当にありがとうございました。お疲れさまでした。
又 次回 お会いしましょう。




2021・10・22 第1回控訴審(仙台高裁)に参加して

   松岡加代子


 いよいよ、子ども脱被ばく裁判の控訴審が始まります。福島地裁に提訴して7年、原告は日々のきびしい生活の中で原告であり続け、弁護団は最新の内部被ばくの研究の成果、土壌汚染の実相、不溶性セシウム微粒子の問題、さまざまな切り込みをして、国や県の欺瞞を追及し続けました。しかし、地裁は応えませんでした。裁判長は逃げました。そして、仙台で、仕切り直して、第2弾の闘が始まります。


仙台に向かう列車の窓から見る福島、宮城の田んぼは稲刈りがすんで、わら干しが積まれていました。おだやかな晩秋の風景です。福島二本松の屈指の有機農業家・菅野さんが、セシウムを土壌の中に閉じ込めるのだと語っていました。農家は、土壌のセシウムと闘い緊張を強いられているのだなと思いました。

 

 14時の裁判開始の前に、デモをしました。宮城の原発、被ばくに反対するグループが、「子ども脱被ばく裁判」控訴審を共に支えてくださるのです。心強い援軍、鳴子やボードをたくさん用意してにぎやかなデモが出来ました。デモ参加者は75名。終点は裁判所前の通称三角公園、原告が3名がそれぞれ「負けるわけにはいかない裁判だ」と決意を語りました。


 13時30分から傍聴券配布は、抽選でした。コロナ感染防止で一人置きに座るため、法廷には約半数の方

が入れませんでした。整理番号券をもらって並んでいるとき、「今日は、大ぜいの県警が待機している。傍聴人が暴動を起こすのではないかと警戒しているんだ」という話が伝わってきました。何を言っているのだろう、暴動って⁉意味がわかりませんでした。(報告集会で井戸弁護団長の話で了解。弁護団は今回の口頭尋問で結審、次回判決――その可能性は55分と見ていた。公判前の進行協議が設定されなかったこと、高裁の民事は67割の裁判が、結審、判決の2回で終了していることから危惧していたというのです。杞憂に済んでひとまずホッとしました)


 仲間に譲ってもらった傍聴券で法廷にはいりました。最初、いろいろ文書上のやり取りが弁護団と裁判長とあり、6人の弁護士さんが、控訴理由書を読み上げました。今野原告代表の陳述がありました。「地裁判決は、国や県の言い分をなぞって、否定するだけ、口惜しさと虚しさが込み上げた。当時5歳の息子は全町避難でまさにプルームが流れ、雪となって降り高濃度汚染地帯となっていった浪江町津島地区の高校の体育館で2日間すごした、子どもは降ってきた雪を丸めて食べたそうです。その後、2年間息子は万年風邪状態で医者に通い続けた。免疫低下だといわれた。子どもを被ばくさせてしまった口惜しさと福島県への激しい怒りを持っています」「このままでは、もし他所で原発事故が起きたら、同じことが繰り返される。福島の司法は福島の子どもを守りませんでした。仙台高裁は子どもたちを守る判決を期待してます」原告たちの思いを単刀直入に語った陳述でした。次回期日、21414時を決めて閉廷。

 

 弁護士会館での裁判後集会で井戸弁護団長から今日の裁判の様子が語られました。その後記者会見。

フリーランスの記者が、「法廷で傍聴させていただいた。弁護士さんの控訴理由は、一審の繰り返しのようで、弁護士さんたちが正しいと主張だと思っても、高裁は一審で済んでいると無視されてしまうのではないか」と危惧を述べた。

井戸弁護団長は「一審で地裁は我々の論点をスルーしました。被告からも、実質的な反論はなかったのです。スルーするのは許されないのだということを今日の陳述でも意識して強調しました。一審のような逃げ方は許されないんだということを裁判所にわかってもらうことが一番大事だと思っています。」と答えた。

フリーランスの記者は「失礼な質問かもしれないが、勝つ見通しがあるのでしょうか」と問うた。

井戸弁護団長は「この裁判で勝利する見通しはと尋ねられてもわかりません。勝利するのは容易ではないと思います。われわれを勝たせるということは、今の政府の方針と真っ向から対立することですから、簡単にはいかないと思います。だけどやるべき裁判だと思っています。」と穏やかに答えた。

原告たちも支援者の私たちもこのままあきらめるわけにはいかない。子どもたちの未来がかかっている裁判。

崔弁護士が「裁判は、少しずつ、少しずつ変わっていくのです。劇的にバアーっと逆転して状況が変わっていくこともあるかもしれませんが、多くの場合は、そういうものではない。今回の裁判も非常に難しくて、何かの証拠が出て、劇的のガラッと変わって勝訴というではなく、一部認められたとか、少しずつ進展していく、時間のかかる、しかしあまり時間がかかっても健康にかかわることで困るんですが、でも原爆訴訟だって何十年もやっている。少しずつ前進していくものかなと思っています」と自分自身に語りかけるように答えました。。


法廷で傍聴しただけではわからなかったことが、報告会で弁護団からの説明、控訴理由要旨プリントを読み見えてきました。


強く印象に残ったことは、井戸弁護団長が語った「放射性物質の特別扱い」への矛盾――2011年以前、放射性物質は環境基本法の適用を除外されていた。3・11福島原発事故の後、山、森、川、田畑も野原も放射性物質におびただしく汚染された。人々の不安、怒り、絶望の中で、環境基本法の除外条項は維持できなくなった。しかし、環境基本法下に入ったものの、いまだに他の毒物と同じレベルで規制されていない。閾値のない毒物、例えばベンゼンは生涯70年間さらされて、10万人に1人のガン死が発生する厳しい規制基準に縛られている。原子力規制法で定められた放射性物質の規制は年間1ミリSv、生涯70年間1ミリSvにさらされると、70ミリSv被ばくして、10万人に350人のガン死が発生する。(ICPRによれば、100ミリSvの被ばくで、100人に0.5人がガン死、10万人だったら500人がガン死)。ベンゼンの規制と比べると、350倍も緩い基準だ。年間1ミリSvまでは我慢するものと思い込まされていたけれど、環境基本法が決めている規制数値に基づけば、危険極まりない毒物・放射性物質は、もっともっと厳しく規制されるものなのだ。市民たちの突き上げがないから、福島県は20ミリ㏜の故郷に住民を帰還をさせるなんてとんでもない暴挙をやってのけてしまうのだ。被ばく量について誰でもうなづく論理だと思った。。

学校環境衛生基準からも、放射性物質は除外されている。この法律で規制されていれば、2011年4月放射性物質に汚染された福島の学校は、学校環境衛生基準違反で、学校閉鎖になっただろう。否応もなく学校移住だ、学校疎開だ。子どもたちは放射性物質から健康が守られたのではないか。実際、福島の小中学校は当時20μSv/時あったけれど、「法令がないから裁量で」と新学期を開始してしまった。

「放射性物質の特別扱いはおかしい。他の毒物と同じ環境規制基準で規制しろ」と被ばくさせられないために、市民の皆さんは声をあげ要求していってほしいと井戸弁護団長は語った。環境規制基準だって、60年代、70年代の公害との人々のきびしい闘いがあって実った法律、私たちが生かして実行していかなくてはならないのだと思った。

 

一審で、国、県、自治体は「裁量権」を振りかざし弁護団の追及を払い除けた。二審では憲法に記された人権の持つ力で闘っていく。 帰りの電車で、柳原弁護士は、二審に臨む核心を熱く語ってくれた。

福島原発過酷事故、初めて遭遇した原発事故、避難指示勧告がでる、住民は訳も分からず避難、どこへ逃げたらいいのか皆目かわからない、風がどちらに吹き、放射能雲がどこに向かっているか、スピーディ情報も知らされず、どうやって放射性物質から防御するのかわからない、安定ヨウ素剤の存在だって知らなかった。柳原弁護士は力を込める。「大災害の中でも、住民は事実を知る権利がある。命を守るため切実な知る権利、知らされる権利だ。それが人権なんです。憲法が保障した人権なんです。福島原発事故では、住民の人権は押しつぶされたんです」

県の裁量によって、勝手に事実、真実、データは隠蔽された。原告たちは、法廷の原告陳述で「なぜ隠したんですか」と切々と訴え、激しく迫った。国や県は「法律にスピディーの情報を公開せよと書いていない」と開き直る。

原子力ムラのエージェントによる「人々をパニックを収めることが肝心」、だからウソをふりまいて人々を安心させる。そしてクライスコミュニケーションだからいいんだと開き直る。「非常時には国の言うとおりに従ってください」と説教する――これは、憲法が保障している「知る権利」を破壊している。だから、憲法に基づいて、国、県の隠蔽、虚言は裁かれなければならないーーと柳原弁護士は語る。改めて気づいた。戦争とは個人の人権が徹底的に国家によってつぶされる、風の前の塵のように扱われるのだ。

井戸弁護団長が次回に補充準備書面として、「裁量権」と「国際的な人権の観点」について提出すると言ったことは、こういうことだったんですね。

子ども脱被ばく裁判の原告になった小中学生は、グレタさんだった。福島の子どもたち世代の代表だった。将来にわたる健康への不安は拭えないのに、国は「1ミリSvの被ばくはたいしたことはない」とうそぶく。

原告のみなさん、弁護団の先生方、私たちも皆さんの後ろにつながり、国、福島県と闘っていきたいです。。


人見やよいさん、長谷川健一さん、講演会で、集会で、書物、映画などで遠くからお姿を見、お話を聞き、ひそかに敬愛していた方々の早すぎる訃報に衝撃を受けています。ああ、飯舘、ああ、福島。悲しいです。

「原発さえなければ」と自死した長谷川さんの仲間の酪農家、長谷川さんも人見さんも同じです。原発を停止させること、被ばくの許容量を環境法で規制させること――私たちの課題です。



裁判に参加して

          宮口高枝

3月1日の福島地裁遠藤通路裁判長のあまりに卑劣な判決。

日本の司法の無責任さをこれでもかと見せつけられた。
あの日から、原告はじめ弁護団、支援者たちは譲れない闘志を秘め、
仙台高裁、第1回口頭弁論の日を迎えた。
仙台高裁の舞台は、仙台の仲間たちの努力によってデモや集会が準備された。
全国から集まった、思いのこもったそれぞれの横断幕やプラカード、のぼりを持ち、
仙台の繁華街を仙台高裁に向かって、市民にアッピールしながら
デモ行進が何年ぶりかで実施出来たのは、女川原発訴訟運動や
大崎市焼却工場で一般ごみと被災ゴミを一緒に燃やす事に反対する
住民団体などで活動を続ける仙台周辺地域の7団体が共同で準備したと伺った。
記念すべき裁判支援、共同のデモ行進。

元鍛冶丁公園から出発したデモで、昼どきの繁華街は、
デモを行進を見つめる老若男女、サラリーマンたちの
迷惑そうな顔、心配そうに見つめる顔、
無視して通り過ぎる人々など
さまざまな表情を見せる。
子どもたちを無用な被ばくをさせないで、
安全な環境で教育を受けさせて下さい。
高等裁判所はキチンと審査して下さい。
放射能汚染されたがれきを一般ごみと一緒に燃やさないで!
久しぶりのデモは通り過ぎる人々の反応、様々な表情が印象的だった。
繁華街を過ぎると、官庁街の佇まいのビルが多くなり、
少し高台にそれと思われる仙台高裁が見えてきた。
腕章をはめた何人かの高裁職員たちが緊張した面持ちで
近くの公園に入るデモの行列を見つめていた。
2列応対で横断幕やプラカードを掲げる100人近くの行列は、
仙台高裁に無言の圧力を示していた。

裁判後の記者会見集会で、弁護士たちの裁判に対する今後の見解を聞いた。
最近控訴審で充分審理せずに結審してしまう短縮傾向が
続いているという懸念の中で、控訴審を迎えていた弁護士たちの
用意周到な準備書面が効を奏し、裁判長は審査を急ぐ様子は
無かったという報告に希望を持った。
証人尋問も予定され、、医学、疫学、内部被ばく、毒物学会など専門家の
誰を選んだら良いか、子どもの命、未来を守るための
日本初の裁判にいっそう注目が高まると感じた。


子ども脱被ばく裁判 控訴審 柳原弁護士の感想 疎開裁判仙台高裁判決と子ども脱被ばく裁判福島地裁判決のよく似た構造


柳原弁護士 官邸前にて


柳原です。


10月22日の子ども脱被ばく裁判の第1回期日には、遠くからも沢山の方が参加して頂き、ありがとうございました。

以下は、当日の裁判に対する私の個人的な感想です。

それを一言で言うと、表題の通り、
事実は足りている。足りないのは愛、そして愛をカタチにした「新しい革袋(人権・予防原則)」

そのことをより強く実感したのは、裁判後の記者会見で、或るジャーナリストが、弁護団の控訴理由書の内容について、
別段、新しい事実を主張しようという訳ではなく、従来の事実関係の下で判決の判断の仕方がおかしいとだけしか主張していないのではないか、
と質問が出たからです。

事実の探求を使命としているジャーナリストにとって、新しい事実の探索、提出に注目するのは当然のことで、せっかく第2ラウンドの裁判をやるんだから、それをやって欲しいという気持ちは痛いほどよく分りました。
しかし、裁判という世界は、事実問題と法律問題の2階建ての構造で出来ていて、両方を検討した末に初めてゴールの結論が導かれます。
弁護団は、6年に及ぶ一審の審理の中で、勝訴するために必要な事実関係の証拠の収集と分析はほぼやり尽くしてきた気持ちがあります。
もちろん、原発事故にまつわる闇はまだまだ数多く存在しますが、この裁判のテーマである「汚染地の子どもたちが避難の権利を有し、救済を求める地位にあること」が認められるために必要な事実関係は揃っていると一審終結の時点では実感してきました(おそらくほかの弁護団の人たちも同様だと思います)。

2021年3月1日 福島地裁前にて 子ども脱被ばく裁判


しかし、今年3月の一審判決は我々の請求を全部蹴っ飛ばしました。
それは、事実関係が不十分であるとか、間違っているとかという理由ではなく、法律問題で我々の主張の変造(我々は安全配慮義務違反と主張してきたのに、主張もしていない人格権侵害を法律問題にすり替えられ)さまざまな屁理屈でもって、国や福島県のやった行為はすべて合法の裁量の範囲内であって違法ではないと結論を引き出す、ただし、その結論にとって不都合な真実(7千倍の学校環境衛生基準問題、311前の安定ヨウ素剤の服用基準見直しの検討過程における重大な問題をはじめとする、私たちが初めて主張した事実や提出した証拠)はことごとく完璧に無視しました。

こんな出鱈目な法的判断だったら、どんな結論もひねり出せるアクロバットのような判決です(だから、法律とは別名、魔法という)。
だから、二審では、(311後のあべこべの日本社会を反映しているのかもしれない)このアクロバットのような判決を正常化させること、これが二審の最大のテーマだと考えました。

その際、正常化にとって必要不可欠な法律問題の第1が人権の主張です。しかもそのためには、人権の「発見」が必要でした。なぜなら、311まで日本政府が安全神話の元で原発事故を想定しておらず、それに対応して、法学者も「原発事故発生時において人々に必要な人権の具体的な内容」を殆ど探求、吟味検討してこなかったからです。
今回、その必要性を痛感したのは、福島県が東雲の国家公務員住宅に避難している自主避難者の追出しを求めて訴えを起こした追出し裁判でした。この訴えに対し、自主避難者の反論として、単なる「権利の濫用」だけではなく、もっと正面から強く反論が必要だということで、吟味検討の中で、「国際人権法に基づく居住権」という人権に着目して、これで勝負に出ようとしたときです。
この経験は、ひとり、避難者の居住権の問題にとどまらず、彼らが安全な環境に避難して生活を再建するために必要なずべてにわたって、人間として扱え!と主張できる人権の主体であることを主張できることを自覚しました。

このような観点から、二審では、人権を正面に据え、ここから原判決の理不尽の極みの意味を明らかにして、理に適った法的な判断を引き出すように、法律問題に取り組んでいくことの重要性を、22日の控訴理由書の要旨陳述の中でも主張しました。

法律問題となるとどうしてもやや専門的になりますが、今、そこがこの裁判にとってとても重要な焦点となっていることを理解してもらえたら幸いです。


以上の詳細は、以下のブログに書きました。ご参考までに。

10.22子ども脱被ばく裁判控訴審第1回期日:事実は足りている。足りないのは愛と愛をカタチにした「新しい革袋(人権・予防原則)」
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2021/10/blog-post_24.html


以下は、当日の裁判に対する私の個人的な感想の続きです。

9年ぶりに来た仙台駅から裁判所まで歩きながら、9年前のことがぐるぐる思い出され、そしたら、今年3月の一審判決の構造が、9年前の疎開裁判の仙台高裁の決定と同じ負け方をしたことに気がつき、ハッとしました。
以下、思い出された順に。
仮処分事件の疎開裁判で、9年前の10月の仙台高裁第1回裁判(審尋)のときも裁判前の集会・デモをやり、裁判後の矢ヶ崎さん、松崎さんの講演会をやりました。
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/33790

通常、仮処分事件の控訴審は書面だけで1~2ヶ月で審理終結して決定を出すのが定番だから、疎開裁判の控訴審で仙台高裁に行くことは100%ないと思っていたのが、何がどうしたのか、2012年8月、裁判所から呼び出しが来たので、腰を抜かしました。
https://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/08/blog-post_6.html

それは「一審の見直し」をする可能性があるということで、一同、どよめき、その可能性に賭けて、裁判当日に可能なアクションをやったのです。
しかし、いざ裁判所で裁判官と面談すると、裁判官のガードがものすごく固く、何のために我々を呼び出しんか?と途方に暮れるほどでした(とくに2回目は)。
https://ameblo.jp/rain37/entry-11413267458.html
結局、2回目(11月26日)、3回目(1月21日)と3回、裁判(審尋)を行い審理終結し、このとき、裁判所は速やかに決定を出したいという口ぶりだったので、市民の声を発揮する我々に残されたロスタイムは3週間と考え、その間、全力を注ぎました。
https://fukusima-sokai.blogspot.com/2013/01/blog-post_3259.html

ところが、ここで異変が起きたのです。出る、出ると言われていた裁判所の決定がいつまで経っても出なかった。梅のつぼみがほころでも、桜のつぼみが咲いても出ず、5月の連休になる直前にようやく出ました。

2013年4月24日仙台高裁決定を受けて


判決文を頭から読んでいくと、我々の主張をみんな認めている、
「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である。
とまで言っている。それなのに、結論は、
郡山市には子ども達を避難させる義務はない、と。
どうして、こんなまっとうな事実認定からこんな奇妙奇天烈な結論が導かれるのか、キツネにつままれた気分でした。
https://fukusima-sokai.blogspot.com/2013/05/blog-post_3.html

このとき、私は判決はこう言っていると理解しました(添付がそれを解説したリーフレット)。

当時のリーフレット


事実関係は原告の主張通り、低線量被ばくにより子どもたちの生命・健康に由々しい事態の進行が懸念され、子どもたちは危ない環境にいる。
しかし、子どもたちは危ないと思ったら、自分で避難すればよい(それを郡山市は妨害しない)、それゆえ、郡山市には子どもたちを避難させる義務はない。
              ↑
東大話法に匹敵するこの「仙台高裁話法」の基本構造は、事実問題では争わない、しかし法律問題で我々の主張をひっくり返す、というものでした。
              ↑
このとき、私は、判決の法律問題の背景にある哲学は「新自由主義」であり、自己責任の名の下に子どもを危険な状態に放置することは断じて許せないと批判しました。
しかし、今から振り返ると、あの当時、疎開裁判は「憲法裁判である」と口をすっぱく主張していながら、それが総論倒れにとどまり、それ以上に、その論理的な帰結が「郡山市には子ども達を安全な場所に避難させる法的な義務がある」であることを正面から主張して来なかったのに気が付きました。
つまり、
仙台高裁が、子どもたちは自己責任で避難すればよいという自由放任で構わないという非常識なロジックさえも使わせないように、あらかじめ、こちらからそれを封じ込めるに足りるだけの理論的な準備が足りなかったことに、
9年後の今回、法律問題のキーワードとして人権問題を正面から掲げ、単なる抽象論ではなく、具体的な帰結を引き出して論争をすることの重要性を自覚したとき、9年前の至らなさを再発見した次第です。
そして、なぜ、9年前に、人権問題をもっと前面に出して議論できなかったのか、その理由は、私自身の中で、人権とは何か、その意義を何も分っていなかったからです(今なら分っているのかと言うと、そんなことはありません。この9年間で、今でも引き続き考え続けている、永久に取り組み続ける必要があるテーマだと言うことが分りました)

この意味で、今年3月の福島地裁の判決の法律問題に関する、おどろくべき非常識なロジックは、9年前の仙台高裁の決定の非常識なロジックと共通しています。
思うに、その理由は、どちらも、事実問題で、私たちが必要な証拠を準備し、或る程度詰めをしたために、裁判所が被告を勝たせるための方策が法律問題の場しか残されていなかったからだと思います。

とはいえ、裁判は事実問題と法律問題の2階建ての建物です。裁判所は隙あらばいつでも、弱いところから矛盾を突いて、原告の主張を蹴っ飛ばす屁理屈を見つけ出してきます。
なので、引き続き事実問題も手を抜かず、他方で、法律問題が主戦場になることも自覚して、準備に励みたい、はからずも、9年前のリベンジを果たすときが今訪れたのかと、実感しました。

取り留めのない感想で、失礼しました。



2021年10月25日月曜日

子ども脱被ばく裁判 控訴審 今野原告代表の意見陳述

10月22日に行われた、子ども脱被ばく裁判控訴審第1回口頭弁論での今野寿美雄原告代表の意見陳述をウネリウネラさんからお借りしました。ありがとうございます。

元の記事はこちら

今野原告代表の意見陳述

  福島地裁判決は、私たちが訴え続けた放射能の危険や不安、子どもの未来を、国や県の言い分をなぞって否定するだけで、読んでいて、悔しさと、虚しさがこみ上げました。事務的な言葉が延々と続き、とても血が通っているとは思えませんでした。提訴から7年以上が経過し、多くの子ども原告は、安全な場所で教育を受ける機会や補償を得られないまま中学を卒業していきました。残った子ども原告も再来年の3月には卒業を迎えます。この間、さまざまな事情から、訴えを取り下げざるを得ない原告も出てきてしまいました。しびれを切らし、経済的な負担を顧みず、子どもとともに、より安全な場所に避難し、そこで教育を受けさせる母親原告もおられました。残酷な時間だったと思います。とても、この時間を無駄にはできません。

 仙台高裁では、山形地裁や福島地裁及び郡山支部、いわき支部で争われてきた各裁判も控訴審として審議されているとのことです。放射能と子どもの安全教育の問題についても、裁判所の血の通った判断を出してください。福島地裁が徹底的に逃げた問題についてきちんと判断してください。

今野寿美雄・原告代表

 不溶性の放射性微粒子の存在とその物による内部被ばくの危険性、不都合な情報の隠蔽、被害の矮小化(とくに、鈴木教授の証言で明らかになった公表されていない小児甲状腺がん手術患者数の問題)、虚偽情報の発信。山下教授の100μ㏜/h安全論。発言後に福島県はホームページで山下発言は間違いだという訂正をしたそうですが、彼は、その後の福島県内各地の講演会でも100μ㏜/hまで大丈夫だと発言していました。それを信じた親たちは内部外部の被ばくの危険性をわからぬまま、子どもたちを給水車の水くみに並ばせてしまったことを今でも悔やんでいますし、健康に不安をもっています。ほかにもニコニコ安全論等の県民を小ばかにしたような無責任な発言を放置したことも同じです。この発言で危険に晒されたこと、放射能の危険に真剣に悩む親たちが周りから白い眼で見られるようになったことに、多くの親は激しい怒りを持っています。

 ヨウ素剤問題では、甲状腺被ばく対策として医大の職員等には服用させたが、県民および子どもたちには配布せず、服用させなかったという対応について、福島県は何も説明していない。せめて子どもたちだけにでも服用させるべきだったと思っている人たちが大多数です。

 SPEEDI問題については、事故当時5歳の私の息子は3月12日の早朝から全町避難の出された3月15日の早朝まで、浪江町津島地区の浪江高校津島分校の体育館に避難していました。放射性プルームが流れ高濃度の汚染地帯となり現在も帰還困難区域に指定され、立ち入りの制限をされている区域です。ここに避難中に息子は雪を丸めてアイス代わりに食べたそうです。その話を聞いた時愕然としてしまいました。それから半年後くらいから、息子は万年風邪のような状態が2年くらい続きました。月に2回病院に通いました。医師からは免疫低下ですと言われました。あの時、SPEEDIの情報が浪江町に知らされていれば、津島地区より遠くに避難していたはずです。息子を被ばくさせてしまったことは悔しさと共に福島県に対して激しい怒りを持っています。現在でも福島県民のみが「年20m㏜」の放射線被ばくを強要されています。「年20m㏜」基準では、他の公害物質の環境基準による健康リスクのなんと7000倍です。他の公害物質の環境基準まで放射性物質、放射線の基準を下げなければ、子どもたちはもちろん、みんなの健康を護ることはできません。放射線被ばくによる健康被害を真剣に考えなければいけません。

 これらは、現在進行中のことであり、このままでは、近い将来、同じことが繰り返されることとなります。そしてこの状況を許してしまうことは、福島だけでなく全国各地のどこかの原発で事故が起きたら、周辺の住民や子どもたちが同じ状況を受け入れることになります。

 福島県は今でも、「原子力緊急事態宣言」発令中です。今年3月1日の福島地裁判決では、多くの人が「福島の司法が福島の子どもたちを護らなくてどうするんだ!?」と怒りの声を上げたのが頭から離れません。上級審の仙台高裁は子どもたちを護る判決を出してくれると信じています。昨年9月30日、仙台高裁前に生業裁判で勝訴の旗が上がり、原告の皆さんが歓喜したことがつい先日のことに感じられます。この裁判でも、同じく歓喜の声を挙げたいと思います。

 子どもたちは自分を護り切れません! 子どもたちを護るのは私たち大人です! 大人の責任です。それは大人としての最低の義務です!

2021年10月24日日曜日

10月22日、子ども脱被ばく裁判控訴審 仙台高裁にて始まる 支援者が仙台にてデモ行進!

10月22日、子ども脱被ばく裁判控訴審 仙台高裁へご参加の皆さん

ありがとうございました。

原告代表今野さんらの頑張りと仙台の支援者の方々の協力のお陰で、約80名の参加でのデモ、
その後の報告集会も90名近くの方で会場が埋まりました。

とりあえず、報告写真と現在いただいている裁判の報告、感想などを掲載します。

後ほど、動画も掲載予定です。



















 仙台高裁といえば、2012年に子ども脱被ばく裁判の前裁判とも言える、ふくしま集団疎開裁判が仙台高裁で行われた時、11月26日に裁判支援の集会とデモが行われました。
 その時の集会デモには原発事故直後からこの裁判を支援しておられた山本太郎さんが怪我を押して車椅子で参加して下さいました。下の画像はその時の写真です。




以下は今回の仙台高裁を傍聴したボランティアからの感想です。

20211022日子ども脱被ばく裁判控訴審第一回期日に参加して(感想)

    冨塚元夫

31日福島地裁の不当判決から約8か月後、仙台高裁で逆転勝訴めざし、第一日目は好スタートを切った。

1.始めにデモがありました。

福島地裁での裁判ではデモはなかったので久しぶり。仙台の中心部、繁華街を小一時間歩く。マイクで裁判の説明をして支援を訴える。「子供をひばくから守ろう」のほかに、馴染みのないコールもある。放射性廃棄物の焼却を止めよう!など。仙台高裁の近くの公園に着いた。デモに間に合わなかった人が合流する。久しぶりに見る原告のかた。デモ参加者75人。福島地裁のときは見なかった顔が多い。宮城・仙台の人たちが参加してくれた。あとで知ったのだが、女川原子力発電所反対運動や大崎放射性廃棄物焼却反対運動をしている人たちでした。裁判の傍聴券を求めて並んだ人たち約80人に対して入れる人は39人。私は抽選に外れたのに親切な人のおかげで傍聴できた。原告側弁護士さんは井戸さん始めみな簡潔に控訴理由を訴えた、原告代表の今野さんはお子さんが浪江町津島地区で無用の被曝をさせられた悔しさ、国と県の犯罪的事故対応とその後の無責任な言い逃れを批判した。思わず傍聴席から拍手が起こった。裁判長の注意があった。


2.傍聴メモ  弁護団の控訴理由説明

行政訴訟(子ども裁判)

学校における子どもの安全については、文科省によって学校環境衛生基準が定められています。しかし、放射性物質については基準がありません。定めるべきことを怠っている国の責任です。

ベンゼンなど他の毒物の場合環境省が定める環境基準によれば、閾値のない毒物の環境基準は10のマイナス5乗、すなわち生涯70年間さらされて10万人に一人に健康被害が生じるレベルで定められています。ICRPの理論では100mSvの被爆で100人に0.5人が余分にがん死しますから、年1mSvの被ばくをすれば、生涯で10万人に350人が余分にがん死します。年1mSvでも高すぎるのに、まして年20mSvでは7000人が過剰にがん死します。

基準の7000倍というのは、豊洲のベンゼン汚染地下水を毎日6リットル飲むのと同じです。

原発事故から10年が経過し空間線量は下がってきましたが、学校周辺の土壌汚染についてはいまだに放射線管理区域の基準を超える汚染が広範に残っています。そして土壌中の放射性セシウムは不溶性微粒子を構成しているので、子どもが土埃を吸い込んで内部被ばくを招く危険性にさらされている深刻な状況です。

国は答弁書において「年1mSv程度の被ばくは法的保護に値しない」と主張していますが、このような居直り違法発言は言語道断です。


国賠訴訟(親子裁判)

事故の情報を県民に速やかにできるだけ正確に伝え、住民の避難の判断に資するべき国・県は山下俊一を使って逆のことをしました。放射能を実態以上に低く伝え、この程度は心配ないと住民を汚染地域にくぎ付けにしました。地裁での証人尋問で山下俊一は出鱈目発言の数々を追及され、記憶にないとか、そうだとしたら間違いだったとか言い逃れに終始しました。しかしその内実は確信犯でした。そのような国の違法を不合理でないという地裁の裁判官も犯罪者です。

事故後子供に安定ヨウ素剤を服用させなかった背景について、国は甲状腺がんを回避できるベネフィットを無視し、副作用のリスクをWHO6000倍大きく見積もっていました。

福島県の県民健康調査検討委員会は、チェルノブイリ原発事故と比べ被ばく量が少ないから、福島での患者発見は放射能と関係ない、見つける必要のない患者を発見し、必要ない手術をしていると主張しています(スクリーニング効果)。しかし、大多数の手術を行った鈴木眞一医師は福島地裁で、患者の症状は早期手術が必要な進行性のがんだった証言しています。放射線無関係論は結論ありきの主張でとうに破綻しています。これは水俣病を始め多くの公害事件が辿ってきた悲劇の歴史と同じです。

3.報告集会は仙台弁護士会館において90人ほどの参加者で開かれました。共同通信、時事通信、河北新報、福島民友新聞、Our Planet TV, 民の声新聞なども参加しました。

弁護団は今日の裁判官の態度が、早急に判決を出す恐れのない聞く耳のある姿勢と受け止めたようです。マスメデイア記者の質問は内容のないものばかりでしたが、独立系メディアからは困難な状況をいかに切り開くか真剣な問いがありました。山下俊一をもう一度証人尋問したいという声や、内堀(福島県知事)を証人尋問すべきという要望もありました。

福島県のかつての広報誌「アトムふくしまNo.194 2008.12月号」によりますと、内堀雅雄知事は事故当時は副知事でした。事故前平成20年(2008年)10月に行われた原子力総合防災訓練に参加しました。この訓練は福島第一原発3号機の原子力災害特措法10条事故(原子力緊急事態)を想定したもので、国・県・地元自治体等2500人以上が参加したものでした。この訓練では、首相官邸、経産省、県、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、オフサイトセンターをテレビ会議で結び、情報共有が行われました。安定ヨウ素剤が配布されました。このように訓練として定められたことは実際の事故後は一切行われず、地元自治体・住民を無視して官邸と県は違法に住民を被ばくさせました。内堀知事は生き証人です。 以上