【アクション告知】
■ 緊急講演会 
   日時: 4月29日 14時~16時30分
   場所: スペースたんぽぽ(水道橋) => (地図はここから
   内容: 今村復興大臣と対決した西中誠一郎さんと避難者の緊急講演会

■  霞ヶ関アクション (毎月19日に開催)
   日時:5
月19日 20時00分~20時45分
   場所:官邸前 
   内容:抗議集会

■ 日曜アクション (第2、4の日曜日開催) 
   日時: 5月14日 16時~17時
   場所: 新宿東口 アルタ前広場
   内容: 街頭宣伝
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過去の見出し一覧->こちら

2012年7月30日月曜日

福島の子どもたちの置かれている過酷な状況を解明した松崎意見書の英訳が米国で発表、世界で大きな反響を呼ぶ

先日アップした「疎開裁判の最新情報」でお伝えした通り、郡山市は私たちが5月20日に提出した書面に対して、2ヶ月半もの反論の猶予を求めて来ました。その最大の理由は、私たちの主張の目玉である「本年26日、13の避難区域市町村の住民を対象とした第2回目の甲状腺検査で35.1%の子どもに『のう胞が見つかった結果が何を意味するか」について、チェルノブイリとの比較のみならず、放射能非汚染地域との対比を詳細におこなった松崎道幸医師の意見書が提出されたからです。

この松崎意見書(※1)(※2)に注目したのは、私たちと郡山市ばかりではありませんでした。米国在住の日本人医師がこれに注目し、翻訳を申し出て来られました。このたび、それが完成し、以下の通りアップされ、いま大きな反響を呼んでいます。

フクシマ・ヴォイス(Fukushima Voice)

ツイッター

原発事故は国境なき巨大事故です。全世界が注目するのは当然です。
この意味で、ふくしまの子どもを救うのは、全世界のサイレントマジョリティです。地元日本のサイレントマジョリティもその先頭に立って頑張りましょう。

(※1松崎意見書の解説は
 -->【裁判報告2】35.1%の子どもに「のう胞」が見つかった福島県民甲状腺検査結果(第2回目):3.11以前の山下見解を鏡にして3.11以後の山下見解を写し出した意見書を提出

(※2)松崎意見書の「見出し」は以下の通り。
今、福島のこども達に何が起きているか?
―甲状腺障害、呼吸機能、骨髄機能をチェルノブイリ事故等の結果から考察する―
1.略歴
2.甲状腺障害
(1) 福島調査
(2) 長崎調査
(3) 米国等調査
(4) チェルノブイリ地域調査
小括
3.呼吸機能
4.骨髄機能
小括

2012年7月29日日曜日

7.27官邸前抗議行動の動画(7.31更新)

1、IWJ
 2012/07/27 首相官邸前抗議行動

2つ目のCh5 11分~40分(全部をご覧になれます)

1つ目のCh1 冒頭(山本太郎さんの発言)

2、YouTub
(山本太郎さんの発言のところから)
2012.07.27首相官邸前アクション《1/7》福島集団疎開裁判  (冒頭~12分)

 (園良太さんのコールと疎開裁判へのエール)
7/27 首相官邸前抗議行動7 IWJ代表岩上安身氏取材風景から (11~18分)

2012年7月28日土曜日

7.27官邸前抗議行動「ふくしまの子どもの集団避難の即時実現」の申し入れ

本日7月27日、予定通り、首相官邸前で、ふくしま集団疎開裁判のアピールを行い、内閣総理府宛てに、「ふくしまの子どもの集団避難の即時実現」の申し入れを行いました。
申入書の全文は以下の通りです。
なお、朗読する申入書をうやうやしく聞き、受け取ったのは、内閣総理府の責任者たちではなく、守衛さんでした。総理府では守衛がそんなに偉いとはつゆ知りませんでした。

*****************************
 
昨年6月、郡山 市の小中学生たち14名は被ばくについて「安全な場所での教育の実施」を求めて福島地方裁判所郡山支部に救済を申し立てました(通称「ふくしま集団疎開裁 判」)。14名の現地・郡山市では、「放射線量が落ち着いている」「除染によって、さらに線量の低下が期待できる」などという安全宣伝・安心キャンペーン とは裏腹に、今なお放射線量が1時間あたり0.8マイクロシーベルトを超えるホットスポットがあちこちにあります。法規によって部外者の立ち入りが禁止さ れる放射線管理区域(0.6μSv/h)に該当するような場所で、学齢前の幼い子どもたちが遊んでいるのを見て、こころ痛めぬものがいるでしょうか?この 国はいつから、法治国家ならぬ、放置国家に成り下がったのでしょうか?

 その上、福島県では、既に多くの子どもたちに被ばくによる深刻な健康被害が発生しています。本年4月26日発表された甲状腺の「福島県民健康管理調査」で13市町村の3万8000人の子どもたちの35%に「のう胞」が発見されました。これは山下俊一氏らが放射能非汚染地域の長崎の子どもたちを検査した結果(甲状腺のう胞が見られたのは0.8%)、チェルノブイリ地域の子供たちを調査した結果(甲状腺のう胞が見られたのは0.5%)と比べて途方もない数字です。この結果を知った被曝問題に詳しいオーストラリアのヘレン・カルディコット博士はこう警告しました。
この子供達は追跡調査をしてる場合じゃありません。のう胞や結節などの全ての異常は直ちに生体組織検査をして悪性であるかを調べるべきです。 こういった甲状腺異常が一年も経たないうちに現れるというのは早過ぎます。普通は510年かかるものです。これは、子供達が大変高線量の被曝をしたことを意味します。もしも悪性なら、甲状腺の全摘出が必要です。 子供達に甲状腺結節やのう胞があるのは、まるで普通ではありません!
 ところが、こともあろうに山下俊一氏らは、日本甲状腺学会の会員宛てに、のう胞が見っかった親子たちがセカンドオピニオンを求めに来ても応じないように求める内部文書を出し、人権蹂躙行為を行っている有り様です。この国は放置国家どころか、最悪のならず者国家に成り下がったとしか言いようがありません。

そして、こうした事態を招いた責任者は、政府・自治体・御用団体・御用学者などすべてのレベルで多方面にまたがり数多くいる筈ですが、根本的には3.11以来、チェルノブリ事故で取ったソ連政府のやり方から学んで、「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」の三大政策を行ってきた政府が元凶です。政府と国会の原発事故調査委員会の報告書を見ても、政府の無策や怠慢、不作為は目を覆わんばかりです。

我が国の政府は3.11以来、チェルノブリ事故のソ連政府から実に多くのものを学んで実行してきました。しかし、その中で唯一まだ実行していないことがあります。それがソ連が崩壊直前に決定した住民避難基準の採用です。これはベラルーシで5年半、子供たちの甲状腺ガン手術など医療支援をおこなった菅谷松本市長が「そもそも日本では、放射能汚染基準として世界中が採用しているチェルノブイリ基準を採用していない。これも驚くことだ。」と指摘した基準です。しかも、チェルノブイリの住民避難基準は事故後5年も経過してようやく採用されたため、もし事故直後に採用されていれば98万人もの人たちが死亡しないで済んだのです。日本政府は、今こそ、この教訓を学んで、即刻、世界標準であるチェルノブイリの住民避難基準を採用し、福島の子どもの集団避難を実行すべきです。
「子どもの命を救う」ことはかつての軍国主義国家日本で、また全体主義国家ソ連ですら行った国の最低限の道徳的責務です。もし現代の日本政府がそれすら出来ないようであれば、日本政府は歴史的にも、世界的にも最低の国に成り下がったことを意味します。私たちはそのような国の市民であることを心から恥ずかしく思う!

私たちは、満身の怒りと慙愧を込めて、以下のように要求します。

       ふくしまの子どもたちを、ただちに被ばくの安全な場所に集団避難させよ。

 
その上、政府は国民大多数の世論を無視して、関西電力大飯原子力発電所の再稼働を強行しましたが、これはいまなお苦しむ原発事故被災地の人びとを切捨てる行為、彼らの怒り、悲しみ、願いを踏みにじる行為です。
そしていままた、新たに設置される原子力規制委員会の委員長に田中俊一氏を内定しましたが、田中氏が副理事長を務める「NPO放射線安全フォーラム」のウエブサイトを一瞥するだけでも、田中氏がいわゆる原発ムラの顔役であることは一目瞭然です。また、5人の委員候補者についても、彼等の経歴を精査すれば、殆どが原発ムラの関係者であることが明らかです。

たちは、満身の怒りを込めて、さらに、以下のように要求します。
         関西電力大飯原発の運転を差し止め、国内すべての原発の廃炉に向けた道筋を明確に示すこと
         原子力規制委員会における田中俊一氏の委員長と5人の委員全員の内定人事を取り消すこと
                                以 上

2012年7月26日木曜日

【速報】7.27スタート、官邸前(策源地)・郡山駅西口広場(原発被災地)同時抗議アクション

7月27日(金)東京では17:30から首相官邸前で「ふくしま集団疎開裁判」抗議集会が挙行されますが、
原発震災の被災現地、郡山市でも、「黙っておれない」抗議トーク集会を、以下の通りおこないます。
皆さま、ふるってご参加ください。

日時: 7月27日(金)18:00~19:00
場所: JR郡山駅西口広場、屋外ステージ前

できれば、シンボルカラー黄色のTシャツ、バンダナなどを身につけてください。
バナー、のぼり、プラカードなどをご持参ください。
鳴り物を歓迎します。
屋外アクションなので、マスクなどの防護対策を各自でお願いします。
(お子さん連れはご遠慮ください)
オープンマイクを用意しますので、それぞれ思いのたけを声に出してください。
主催 ふくしま集団疎開裁判の会
 連絡先
ふくしま集団疎開裁判の会代表/井上利男  
電話 024-954-7478

このイベントは、今後、毎週金曜日、同時刻に開催する恒例行事とします。
以 上

疎開裁判の最新情報:二度目のドンデン返し「郡山市は2ヶ月半の準備期間を求めてきた」(2012.7.25)

1、一度目のドンデン返し
疎開裁判は緊急の救済を求める仮処分手続によるものです。仮処分の二審(高等裁判所)は、通常なら、双方の主張(抗告理由書と答弁書)が出そろえば審理終結し、裁判所の判断が速やかに下されます。
ましてや、郡山市は、 一審(福島地裁郡山支部)で、私たちが「子どもたちの被ばくの危険性」を様々な角度から科学的に証明したのに対して、「自分たちに優しい裁判所に対する揺るぎない信頼」があったのでしょう、最後まで、「不知」(原告の主張を認める訳ではないが、積極的に争う気もない)と言うだけで、それ以上何ひとつ反論しませんでした。
それでも一審で勝てて余裕しゃくしゃくの郡山市は、当然、二審では余裕だらけで、思い切りふんぞり返った対応をするだろうと覚悟していました。「不知」とすら書かないで、「無視」のペラ一枚の答弁書で審理は終結、というショートストーリーを狙ってくる可能性を覚悟していました。

しかし、いざをふたを開けてみるとドンデン返しとなりました。郡山市は、二審の最後の土俵際(といっても、土俵際に追い詰められているのは私たちなのに)の、4月中旬の答弁書で、突然これまでの、「不知」を改め、初めて、科学論争に、しかも、私たちが散々批判したミスター100ミリシーベルトではなく、、かの中川恵一氏の「被ばくと発がんの真実」を持ち出し科学論争に挑んできたのです。

今年、2度の世界市民法廷で疎開裁判の再現劇を上演したとき、観客の笑いを最も誘ったのは、郡山市が「不知」「不知」という答弁をした時でした。無知の極みとしか思えないほどの、郡山市の無責任、無気力、無関心の三無主義が聞いている者に伝わってきたからです(→そのシナリオ)。

その余りにおぞましい姿勢に我ながら恥を知ったのか、郡山市は二審では一転して自ら勝負に挑むという本人たちにすら想定外の態度に変わってしまいました。
この勇猛果敢な転向ぶりに私たちは思い切り敬意を表し、仙台高等裁判所に「科学裁判である疎開裁判において、今回、初めて科学論争に入った。是非、反論したい!」と申し入れたところ、これが認められ、5月20日まで1ヶ月の準備期間をもらいました。
こうして、二審も延長戦に入りました。


2、二度目のドンデン返し
5月20日、私たちは答弁書に対する反論とこの間、さらに明らかになった「子どもたちの被ばくの危険性」について抗告人準備書面(1)と証拠28点(その一覧は証拠説明書(10))を提出しました。
この中で、次の通り、様々な角度から最新情報に基づいて「子どもたちの被ばくの危険性」を明らかにしました。
①. 福島の子どもの甲状腺「しこりと嚢胞」について
本年4月26日、 13の避難区域市町村の住民を対象とした第2回目の甲状腺検査結果(甲130)が意味する内容について、チェルノブイリとの比較のみならず、放射能非汚染地域との対比を詳細におこなった松崎道幸医師の意見書を提出(甲131松崎意見書本文別紙1〔調査結果〕別紙2山下俊一氏らによる長崎県のこどもの甲状腺検査結果)。
②.福島の子どもの遺伝的影響の問題
低線量の内部被ばくにより、直接被ばくした本人(子どもたち)のみならず、その第二世代により強く現れ、第三世代にはもっとより強く現れるという深刻な遺伝的影響の問題があることを明らかにしたスイスの元バーゼル大学医学部ミッシェル・フェルネックス教授の講演を提出(甲132「福島の失われた時間
③.被ばく回避の中で発生した新たな健康被害の問題について
 汚染のない安全な土地で教育する疎開措置という抜本的な解決を図らず、引き続き汚染地域で被ばくを回避する生活を送る中で、子どもたちの健全な健康状態が著しく損なわれているという新たな健康被害の問題が深刻化している事実を、福島県の医師による報告を提出(甲133「原発事故が福島の子どもたちに与えた影響(外出制限について)」
④.ホットスポットと除染問題について
 郡山市民の武本泰氏が情報公開請求手続により郡山市より入手した開示文書により、郡山市内の小学校に数多くのホットスポットがあることが明らかとなった。つまり校庭の表土除去だけでは「放射線量の低減化に向けた措置」が機能せず、学校内のホットスポット問題は何ひとつ解決しておらず、学校の敷地内は依然、極めて危険な状態にある。
⑤. 学校外の遊び場と除染に伴う仮置き場問題
郡山市は、昨年11月から「郡山市線量低減化活動支援事業」として市民協働での除染活動を積極的に推奨したが、この除染に伴って生じた除去土壤等の仮置き場について、その設置及び管理方法について法律違反も含め深刻な問題があることが武本報告書(甲137)6~10頁で明らかにした。 
⑥.学校給食の問題について
子どもたちがが通う小中学校の給食では、「地産地消」をうたって、福島県産の食材が積極的に使用されており、放射性セシウムが10ベクレル/Kg以上の可能性がある米や野菜が提供される可能性は否定できない。放射能に感受性の高い子どもたちには放射性物質ゼロの安全な食物が確保できる環境を実現することが緊急の課題である。

すると、これを読んだ郡山市から、「反論のため2ヶ月半準備期間が欲しい」と言ってきました。科学の素人の市民(原告側)が1ヶ月の準備期間で提出した書面に反論するのに、原発を推進し科学技術の専門家集団を擁する国と緊密な関係にある自治体(郡山市)が2ヶ月半も準備期間が必要だと言い出すとは何なんだ?!
ともあれ、これは郡山市が背水の陣で臨む反論準備の声明なのです。なぜなら、私たちが提出した書面を虚心坦懐に読めば、誰でも、「子供たちは直ちに疎開するしかない」ことが自明の真理として胸に落ちるからです。だから、郡山市は是が非でも、「子供たちは直ちに疎開するしかない」という真理を否定するための準備に励まねばならず、この無理難題を果すためにはどうしても2ヶ月半かかると言わざるを得なかったからです。

これに対し、裁判所は、私たちに意見を聞いた上で、郡山市に2ヶ月10日の準備期間を認めました。そして、まもなくその締切りが訪れます。7月末が郡山市のタイムリミットだからです。

あと数日後に、郡山市から背水の陣の反論の総集編が提出されます、どの角度から見ても子供たちは疎開させる必要は全くない、と。そして、「これで審理を終結してもらいたい、すみやかに裁判所の判断を求めたい」と幕引きを言って来るでしょう。

この意味で、二審の疎開裁判は今、二度目の大詰めを迎えます。ここで、ゴールをどのように迎えるかどうかは、ひとえに、サイレントマジョリティである市民の皆さんの注目・注視にかかっています。

私たちは、「子供たちは直ちに疎開するしかない」という真理とこれを支持する多くの市民の皆さんと共に、疎開裁判の二度目のゴールに突入したいと願っています。

あさってからスタートする公邸前抗議行動は、サイレントマジョリティである市民の皆さんの支持を仰ぐ取組みです。市民ひとりひとりの疎開裁判への支持と注目がふくしまの子供たちを救います。
皆さんと共に、 公邸前からアクションを、子供たちを救う声を全世界に向けて起こそうではありませんか。

2012年7月23日月曜日

【速報】子どもたちを核戦争から守れ! 7.27ふくしま集団疎開裁判官邸前抗議行動、スタート&第3回世界市民法廷(官邸前広場)の開催

(※)疎開裁判の最新情報は-->こちら

 3.11以来、ふくしまの子どもたちは核戦争の中にいます。

福島原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被曝させるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))を強いられているからです。「核分裂による放射線の被ばく」という、目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、要するに私たちの日常感覚ではぜったい理解できない相手との戦いの中にほおり込まれています。それは放射性物質(核種)からの攻撃という意味で核戦争です。
子どもたちが核戦争で受けた甚大な被害はチェルノブイリの記録(「真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染をめぐって 」 「チェルノブイリ原発事故その10年後」)からも明らかです。
その上、この核戦争は単なる自然災害ではなく、これを引き起こした者がいます。それが原発を推進してきた国と東電です。彼らはこの核戦争の戦犯なのです。 

昨年6月、ふくしまの子どもたちを安全な場所で教育をせよと求めて「ふくしま集団疎開裁判」を提訴して以来、裁判の中で、ふくしまの子どもたちが被ばくの大変な危険な中に置かれていて、子どもたちの避難は一刻の猶予もならない取組みであること、すなわち復興事業の最優先最重要課題であることを、議論の余地のないまでに明らかにしてきました(裁判資料の詳細は-->こちら)。
しかし、国は「復興」「復興」と口にするにもかかわらず、復興事業の最優先最重要課題である子どもたちの集団疎開は今なお全く実現していません。その最大の理由は、官民一体の情報隠しのおかげでまだ疎開裁判のことも知らない市民が大勢いて、疎開裁判を支持し、「集団疎開を今すぐ実行しろ」と要求する多くの市民の声が形成されていないからです。

そこで、 私たちも、世界中の市民と一体となって「ふくしま集団疎開裁判」」の真実を一人でも多くの市民に知ってもらおうと、集団疎開が実現される日まで、毎週金曜日、首相官邸前広場で、抗議行動を起こすことに決めました。

その第1回目の抗議行動が今週 、以下の通りスタートします。
日程・集合場所
 7月27日(金)午後5時30分~8時
 官邸前広場(国会記者会館前) 参考地図
ネット中継(IWJ)あり 下を見てね。

持参品・注意事項
 プラカード、 ポスター、ゼッケンなど思いの丈を込めたアピールグッズをどうぞ。
但し、抗議はあくまでも非暴力で行動します。
抗議内容
「復興事業」のうち最優先最重要課題である子どもたちの「集団疎開」の隠蔽に抗議するアピール
 「脱原発」のうち最優先最重要課題である子供たちの「脱被ばく」の即実行を求めるアピール
 子どもたちの「集団疎開」を求める疎開裁判の再現劇(第3回 世界市民法廷)の上演(但し、初の野外〔路上?〕法廷の試みのため、準備の途上で7.27の上演は不確定です)

(※)これまでの世界市民法廷については-->第1回東京裁判(2.26) 第2回郡山裁判(3.17)
2.26東京裁判のシナリオをご覧になりたい方は-->法廷編 陪審編

「集団疎開を今すぐ実行しろ」という真実のつぶやきは小さい声かもしれません。しかし、皆さんが一斉につぶやくとき、それは天地を響かす巨大な声になります。真実のつぶやきは決して止むことはありません。
 皆さんと共に、子供たちを救う最初の一歩を踏み出したいと思います。

ネット中継
  USTREAM配信 IWJ(チャンネルは分かり次第、お知らせします)
 
国内遠方・海外からの参加
  国内遠方の皆さん、海外の皆さんからも、この抗議行動に参加ください。このブログの以下のコメント欄で、またはメール(→sokai*song-deborah.com【*を@に差し替えて送信ください】)で抗議の声を表明して下さい(ブログで紹介させていただきます)。

主催 ふくしま集団疎開裁判の会
 連絡先
ふくしま集団疎開裁判の会代表/井上利男  電話 024-954-7478
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 医療部会/森園かずえ 携帯 090-6554-1872
メール sokai*song-deborah.com
    (メールは*を@に差し替えて送信ください)   

2012年7月6日金曜日

「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか(7.19一部追加)


弁護団 柳原敏夫
           目  次
1、はじめに--二度目の3.11(人災)
2、福島原発事故の未来は原発事故の過去にある
3、三大政策1つ「情報を隠すこと」の核心が子どもの被ばく情報だった
4、三大政策1つ「様々な基準値を上げること」の動機が子どもの疎開を阻止するためだった
5、なぜキエフで子どもたちの集団疎開が実現したにもかかわらず、日本では実現しないのか
6、認識をまちがえた善意の献身が最悪の事態をもたらす――事故直後の犠牲者の殆んどが事故の認識をまちがえた善意の献身者たちで、落命は避けられた人災だった
7、「最も悪いのは放射能を怖がる精神的ストレス」論の起源はベトナム・シンドローム
8、原子力ムラの御用学者の起源は「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー
9、原発事故は形を変えた核戦争であり、放射線と戦争の原理原則が貫徹される
10、事故5年後に制定された住民避難基準はチェルノブイリの憲法9条である
11、もし住民避難基準がもっと早く事故直後に制定されていれば98万人余の犠牲は避けられた
12、もし戦争終結がもっと早ければ、ヒロシマ・ナガサキの悲劇はなかった
13、おわりに--泣くのなら、今思い切り泣く、5年、10年後には泣かない

1、はじめに--二度目の3.11(人災)
憲法は子どもたちに「教育を受ける権利」を保障しています(26条)。この権利の中には「安全な環境で教育を受ける権利」も含まれています。つまり、ふくしまの子どもたちは「放射能の危険のない安全な環境で教育を受ける権利」が憲法上保障されています。これを否定できる者は誰もいないでしょう。

他方で、人権の基本原理によれば、最高の価値が認められる「人権」、これを制約できるものがあるとしたら、それはただひとつしかありません。同じく、最高の価値である人権です。つまり人権が制限されるのは人権と人権同士の衝突=「他者の人権との衝突」の場合しかないのです。
ところで、福島原発事故に遭った子どもたちには、彼らの人権(安全な環境で教育を受ける権利)と衝突する他者の人権などありません。衝突があるとしたら、それは基本的にお金の問題だけです。「人権(命)対お金」の衝突。そこでは人権に軍配が上げるが当然です。ましてや、国はかつて(1959年)、原発導入にあたって、原発事故による被害額を国家予算の2.2倍(現在の国家予算なら200兆円)と試算済みです(報告書「大型原子炉の事故の理論的可能性及ぴ公衆損害に関する試算)。元々それだけの損害額を覚悟して原発の導入を推進したのです。金銭的にも福島県の子どもたちの避難を不可能だという言い訳は通用しません。

念のために言えば、福島第一原発は子どもたちが遊んで壊したのではありません。また、彼らが自分の意思で原発を誘致したわけでもなければ、誘致を容認してきたわけでもありません。子どもたちは福島原発事故に対して何ひとつ非難も責任もガマンも負わされることのない存在なのです。

 さらに、この疎開裁判は既に発生した巨大原発事故の、今ここで命が危険に晒されている子どもたちを救済するという現在進行中の緊急避難の裁判です。「未来の子どもを守る」という未来の事故の未然防止のために原発を差止めるといった裁判とは緊急性のレベルがぜんぜんちがいます。

ですから、裁判所が門前払いさえしなければ、天地がひっくり返らない限りこの裁判は負ける筈がない、子どもたちの被ばくの危険性を否定できるはずがない、そう確信していました。そして裁判所は門前払いをしませんでした。にもかかわらず、昨年1216日の野田首相の欺瞞的「冷温停止宣言」とほぼ同時刻に合わせて、子どもたちの申立ては却下されました。天と地がひっくり返ったのです。私にとって、3.11の事故にも劣らない位の事故であり、衝撃でした。
社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。
こう言ったのはチョムスキーです。この真理はチョムスキーでなくても世の支配者でも理解していることです。だから、世界大戦の日本の軍国主義の末期の時代ですら子どもたちの集団疎開が実行されたのです。それがなぜ今の時代に実行できないのか。それにはそれなりの訳がある筈です。
爾来、「天と地がひっくり返った」のはなぜか、それは何を意味するのか。ひっくり返った天と地を元通りに戻すにはどうしたらよいのか。そのことを考え続けてきました。以下はそれについて現在進行形の覚書です。


2、福島原発事故の未来は原発事故の過去にある
 なぜ過去の歴史を学ぶのか、これについて柄谷行人はこう述べています。
小説の未来は小説の過去にある、と後藤明生が書いている。小説が何処へ行くかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。‥‥これはほかの領域にもあてはまる。われわれがどこへ行くのかを問うには、どこから来たかを問うべきである。資本主義の未来は、資本主義の起源にある。(批評空間93NO.9編集後記)
これを被ばくの歴史に当てはめるとこうなります。
福島原発事故でわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。福島原発事故の未来は原発事故の過去にある。福島原発事故の未来は過去最大の原発事故つまりチェルノブイリ事故にある。
ただし、柄谷行人は、その際、それらの過去を「普通に問えると思ってはならない」、注意深くあらねばならないと警告します。様々な理由により過去は用意周到に歪められ、隠され、ねつ造されているからです。例えば2001年の9.11の同時多発テロの意味をその過去から正しく学ぶためにはねつ造された過去を見破るチョムスキーの慧眼が必要でした。

この意味で、今中哲二さん、小出裕章さん、ベラルーシの研究者M.V.マリコ氏らが取り組んだ「チェルノブイリによる放射能災害--国際共同研究報告書」(1998年)は事故による影響を科学的に分析した我々市民にとっての宝物です。

それに対し、事故による影響を政治的・社会的に分析した文献として、
中川保雄(中川恵一氏ではありません)さんの遺作「放射線被曝の歴史」(1991年)と七沢潔さんの「原発事故を問う--チェルノブイリからもんじゅへ」(1996年岩波新書)を推薦します。
中川保雄さんは科学技術史専攻の研究者で、3.11まで放射能に全く無知だった私が、この本で初めて被ばくについて信頼して学ぶに値する文献に出会えたと思えました(そこから、アリス・スチュアート、スターングラス、ロザリー・バーテル「人間と放射線」のジョン・ゴフマンの存在も初めて知りました。以下は、その当時読んで作った「ICRPの歴史年表」と「ICRP勧告の歴史のグラフ」です)。 
七沢潔さんは、昨年5月に放送され、大きな反響を呼んだ「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の番組制作に関わったジャーナリストです。

疎開裁判の申立から年が経った先ごろ、七沢さんの「原発事故を問う」を読んだとき、これは10年前の過去のチェルノブイリ事故のことを語っているのではなくて、15年後のふくしまの未来のことを語っているのではないかと錯覚したほどでした。それくらいここには福島原発事故の経過とそっくりそのままのことが述べられていたからです。なぜこれほどまでに2つの事故は同じ経過をたどるのか――根本的には世界の原子力ムラの構造は世界共通であり、従って、事故をめぐる経過も必然的に同一となるからです。しかし、それだけではなく、日本政府くらいチェルノブイリ事故から学び尽くした連中は(今中さん、小出さんら一部を除いて)ほかにいないのではないか。だから、3.11以降の日本政府も三大政策[2]を曲がりなりにも着々と実行できた。だとしたら、我々市民も、この老獪にして厚顔無恥の日本政府と同じ位、チェルノブイリ事故から徹底して学ぶ必要がある。

以下は、遅まきながら、七沢さんの「原発事故を問う」を読んでチェルノブイリ事故から学ぼうとした備忘録です。

3、三大政策1つ「情報を隠すこと」の核心が子どもの被ばく情報だった
事故から4ヶ月経った1986年8月25日から5日間、ウィーンで、チェルノブイリ事故をめぐるIAEAの国際検討会議が開かれ、ソ連も参加しました。
というのは、ソ連と欧米の西側諸国とは、チェルノブイリ事故により放射能汚染が世界中に広がり、そのため、各国で原子力エネルギーに対する市民の反感が強まってくることを非常に警戒し、それに対抗することで利害が一致し、共同歩調を取ることにしたのです。ちょうど戦国時代に諸国の大名同士が、各地の民衆による市民革命(一向一揆)に対抗するために支配者同士の連携・共同歩調を取るようなものです。

七沢さんの「原発事故を問う」によれば、この国際会議に提出するソ連の報告書作成にあたって2つの重要な情報が削られました。ひとつは事故の原因である制御棒の構造上の問題について。もうひとつは事故による被害のうち、子どもたちの被ばくに関するデータです(136頁末行~)。
この2つが事故の原因と結果についての最も重要な情報だったからです。なぜなら、それらはもし真実を明らかにされれば他への影響が甚大であり、「事故を小さく見せる」ために必要不可欠の核心的な情報だったからです。
子どもたちの被ばく」を隠すことが事故対策の最重要課題であること、この訓えが福島でも見事なまでに反復されたことはミスター100ミリシーベルトたちの大活躍ぶりでお馴染みの通りです。

4、三大政策1つ「様々な基準値を上げること」の動機は子どもの疎開を阻止するためだった
七沢さんの「原発事故を問う」によれば、事故から3週間も経たない1986年5月14日、ソ連保健省は、被ばく線量の基準をいきなり引き上げました。

(1)、一般人につき、年間0.5レム(=5ミリシーベルト)を100倍引き上げ、50レム(=500ミリシーベルト)
(2)、14歳以下の子どもと妊産婦につき年間10レム(=100ミリシーベルト)

それは、ウクライナ共和国政府が、ソ連政府の意向を無視して、5月9日、キエフの子どもと母親52万人余りの学童疎開を決定したからで、これに対する一種の報復措置として、学童疎開が始まる前日に、ソ連保健省はウクライナ政府宛てに、次の通り、被ばく線量の基準値の100倍アップの「きわめつけの通達」を送りつけたのです。
ソ連保健省は、住民の放射線許容線量について次のような新しい基準を採用した。14歳以下の子どもと妊産婦の場合、年間10レム、一般人の場合は50レムまで許される。それ以下の場合、住民の疎開など特別の措置は取らない。(71頁終わりから3行目)
事実、この恫喝のような通知のあと、ウクライナ共和国でもウクライナ以外の地域でもキエフの真似をして、子どもたちの集団疎開が実施された話は聞いたことがありません。キエフに続く「子どもたちの集団疎開を阻止する」というソ連政府の基準値引き上げの目的は達成されたのです。
この訓えが福島でも反復されたことは、学童疎開の動きが起きる前に先制攻撃として、昨年4月19日、文科省から学校教育の基準値を20倍アップする20ミリシーベルトの通知が出された通りです。

5、なぜキエフで子どもたちの集団疎開が実現したにもかかわらず、日本では実現しないのか。
キエフの52万人余りの子どもと母親の学童疎開が実現したことを知ったとき、なぜ人権もろくに保障されない全体主義国家の、しかも崩壊直前のソ連で実現できて、日本で実現できないのか、不思議でなりませんでした。ウクライナ政府にはよっぽど勇気と覇気があったのに対し、日本政府や福島県関係者は腑抜けだからできないのか。
しかし、七沢さんの「原発事故を問う」を読むと、ソ連も日本もたいして変わらないことが分かります。もしキエフが福島市や郡山市だったらソ連でも学童疎開は実現しなかったにちがいない。或いは、もしチェルノブイリから120キロ離れたキエフが福島第一原発から220キロ離れた東京のような場所にあったらやはり学童疎開は実現しなかったにちがいない。なぜなら、キエフは福島市や郡山市などとはちがって特別な場所だからです。
これについて、事故直後、モスクワからキエフに呼ばれた放射線医学の権威であるレオニード・イリイン博士が次のように証言しています。
私はウクライナの首脳と話していて、彼らがキエフのことばかり心配していることが気にかかりました。キエフよりもその周辺の農村地域の汚染がよっぽどひどかったですから、そちらのの住民保護をまず考えなくてはいけないのに、と思いました。(68頁4行目)
しかし、キエフ以外の街では集団疎開はその後一度も実施されなかった。その理由は首都キエフにはウクライナの政財界の子弟たちが多数住んでいたからで、ウクライナの首脳たちにとっては彼等のことが心配でたまらず、その救済が最優先課題だったからです。そして、それさえ果せばそれ以外の人たちのことは、はっきり言ってどうでもよかったのです。
状況は日本も変わりません。福島市や郡山市と福島第一原発の距離は千代田区から成田や三浦半島になります。もし成田や三浦半島のような場所で福島原発事故が発生したら、首都東京でもとっくに子どもたちの集団疎開が実現したでしょう。東京には皇室をはじめとして政財界の子弟たちが多数住んでいます。日本の首脳は、彼等のことばかり心配し、その救済が最優先課題だからです。しかし、福島市や郡山市には政財界の子弟たちは殆んどいません。だから、首長の子弟たちが自己責任で避難して、それで一件落着としたのです。

6、認識をまちがえた善意の献身が最悪の事態をもたらす――事故直後の犠牲者の殆んどが事故の認識をまちがえた善意の献身者たちで、落命は避けられた人災だった

原発事故が最も恐ろしいのは、事故の「現実が見えない」ことです。私たちは、ふだん、何気なく「現実を見ている」積りになっていますが、それはあくまでも自分でかけていることさえ意識しない「色メガネ」を通して現実を自分流に理解しているだけのことです。しかし、私たちの「色メガネ」では放射能をとらえることはできません。その意味で「放射能は見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒です」(アーネスト・スターングラス博士の青森市講演(2006年3月))。にもかかわらず、放射能事故の「現実が見える」と思った人たちは、そのために命を落としたのです。

 この「現実が見えない」ことを、七沢潔さんのインタビューを受けたチェルノブイリ原発の事故当時の運転員ポリス・ストリャルチュウクは次のように語りました。
できれば思い出したくない記憶です。それは全くひどい夢を見ているようでした。
目の前で起こっていることが、現実の出来事とは信じられなかったのです。(19頁8行目)
 彼が「ひどい夢を見ているよう」だったと語り、「目の前で起こっていることが、現実の出来事とは信じられなかった」と語るのは、一見、普通の火災事故のように見えた「目の前の出来事」に立ち会った人たちがその後、バタバタと命を落としていったからです。
彼らはなぜ死ななければならなかったのか。 その死は避けられなかったのか。もしそうなら、これを前代未聞の悪夢と呼ぶのは無理もありません。

しかし、彼等の殆んどが落命しなくてもよかった、彼らが命を落としたのは、ひとえに放射能事故の認識をまちがえたためであること七沢さんの「原発事故を問う」に明らかにされています。
  
事故当日、チェルノブイリ原発4号炉は。まもなく定期点検修理のために停止されるところで、その際、タービン発電機の改良の成果を確認するための実験が行われる予定でした。以下は、このとき制御室にいた17名の職員です(副技師長ジャトロフが描いたスケッチ。「原発事故を問う」第1章扉図より)。

















制御室の最前列の中央にはユニット主任運転員(任務は冷却水・その循環ポンプの操作)のポリス・ストリャルチュウク、
その左手には原子炉主任運転員(任務は原子炉の反応と出力の操作)のレオニード・トプトゥーノフ、
右手にはタービン主任運転員(任務はタービンの操作)のイーゴリ・キルシンバウム、
これらの後列の中央には4号炉原子炉ユニットシフト長のアレクランドル・アキーモフが座り、後部右手の配電盤の前には、チェルノブイリ原発の副技師長のアナトリー・ジャトロフが実験の推移を見守った。
このとき、ユニット主任運転員のストリャルチュウクとタービン主任運転員のキルシンバウムは28歳、原子炉主任運転員トプトゥーノフは24歳。
真夜中の午前1時23分4秒、実験開始。実験の目的は、地震などで外部からの電源が遮断され、電源喪失した時、タービンの慣性だけで発電し、給水ポンプを動かして原子炉を守ることができるかどうかを確認するための電源テスト--まさに東日本大震災のような大地震に備えての対策でした。
 36秒後の午前1時23分40秒、実験終了。予定通り、制御棒を一斉に挿入する緊急停止ボタン(AZ-5ボタン)が押された。ほどなく、原子炉は無事に停止する筈でした。
しかし、ここから原子炉の暴走が始まりました。 ストリャルチュウクの証言は以下の通りです。

停止スイッチが回されて1,2秒たってからでした。突然大きな衝撃音が聞こえました。はっと思いましたが、制御盤の前にいるほかの人が驚いた顔をしているのに気がつき「きっと発電機の音だよ。こういうフラットな衝撃は心配ない」と声を出しました。(21頁12行目)
しかし、現実は彼の見通しを裏切りました。
けれども嫌な予感がして、部屋から逃げ出そうと歩き出しました。その時に2回目の、今度は非常に大きな力を持った爆発が起こりました。天井や壁が剥げて、かけらが落ち、部屋中、ほこりで霧がかかったようになりました(21頁14行目)。
けれども途方に暮れたのは若い運転員たちだけではなかった。かつて原子力潜水艦の原子炉の技術者として何度も事故に立ち会ったベテラン技術者の副技師長ジャトロフもまた、このとき、「キツネにつつまれたような時間が続いたという」(22頁10行目)。
ジャトロフの証言。
私は最初、発電機のところで何か起こったのではないかと、あるいは制御保護系のタンクが爆発したのでは、と思いました。
そしてしばらくして、原子炉の制御状況を示す表示器を見て、目が丸くなるほど驚きました。制御棒は炉の半分まで降り、まんなかで止まったままで、核分裂の反応性は上がっていたからです。
私はすぐうしろで見学していた2人の見習作業員に、原子炉の真上の中央ホールに行き、そこにいる作業員に手動で制御棒を原子炉に入れることを伝えるよう指示しました。(22頁11行目)
しかし、ジャトロフはこの指示のあと、自分の認識が間違っていたことに気がつきます(制御棒がサーボモーターにつながったまま動かないのであれば、手動でも動かない、と)。2人の見習作業員を呼び返そうとしましたが、2人の姿はありませんでした。この2人は原子炉の破壊された中央ホール(以下の図参照)に入り、「放射線に身を貫かれて、後日死亡」しました。


























しかし、ジャトロフ(のみならずスタッフ全員)はこのあと、またしても認識の間違いをおかします。原子炉そのもの(炉心)が破壊されているとは夢にも思わなかったからです。
 タービン主任運転員キルシンバウムの証言。
こんなこと(原子炉そのものの破壊)は教科書にも運転マニュアルにも、どこにも書いてなかったのです。だからそれまでは、原子炉が崩れるなんてことはありえないとしか思っていなかったのです。(26頁14行目)
 その結果、最優先の対策を次のように考えてしまいました。
冷却水が流失した以上、炉心に注水しなければ、メルトダウン(炉心溶融)という大事故につながってしまう。それだけは避けなければならない、と。
そこで、非常用ポンプのスイッチを入れ、炉心を水で満たそうとしましたが、 非常用ポンプは1台も作動しません。
そこで、ポンプが動かない原因を調べるため、2人の作業員をタービン室へ派遣、さらに2人を手動で非常用冷却装置のバルブを開けるため、中央ホール付近に送り込まれました。
 しかし、水を供給して守るべき炉心は爆発により粉々に吹き飛び、もはや存在していなかったのです。

にもかかわらず、認識をあやまったシフト長のアキーモフ、原子炉主任運転員トプトゥーノフは、当日の朝5時のシフト交代後も4号炉に残り、作業員として原子炉に注水するために冷却装置のバルブを開けに出かけ、大量に被ばくし、24歳の若者のトプトゥーノフは「髪の毛は抜け、放射能汚染水につかった足からは、骨が見えるまで皮と肉がはがれ落ちる」(112頁)ほどでしたが、2週間後、KGBや検察スタッフからチェルノブイリ事故を引き起こした主犯格級の人物として情け容赦ない尋問の中、あいついで亡くなりました。

中央ホールの周辺では煙が充満し、火災が始まり、にもかかわらず、防毒マスクはなく、備え付けの放射線測定器は振り切れて測定不能の状態でした。
放射線測定の担当者は、このときの最大値を毎時3.6レントゲン(1 R = 8.7 mGy、1 Gy = 1 Svとすれば毎時約31mSv)と推計しましたが、しかし現実にはその1万倍近い毎時3万レントゲン(毎時約260シーベルト。そこに数分滞在すれば必ず死に至る)の放射線量でした。
 シフト長のアキーモフ、原子炉主任運転員トプトゥーノフが落命したのは当然でした。
のみならず、この放射線の犠牲となったのが、事故後30分後に駆けつけ、防護服もないまま朝方まで消火活動に励んだ消防隊員でした。

こうした、原子炉の爆発事故の直後に命を落とした人たちの殆どは、、炉心が吹き飛び、大量の放射性物質が放出された事故の現状を正しく認識できなかったために、なおかつ事故を最小限に食い止めるために身を投げ出すという高い倫理的責任感を貫いために招いた人災です。
もし彼らが事故の現状を正しく認識できていれば、命を落とすまでのことはなかった。

ただし、チェルノブイリ原発の事故の現状を正しく認識できなかったのは副技師長ジャトロフたちの落ち度ではありません。チェルノブイリ原発を管轄する省庁(電化電力省)がソ連の原発を管轄するもう1つの奇々怪々の省庁(中規模機械製作省)から、1975年に発生し最近まで隠蔽されていたレニングラード原発事故から学んだ教訓(原子炉の構造上の欠陥)を知らされていなかったからです(その詳細は「原発事故を問う」100~107頁)。

その上、「ウソをウソで塗り固める」という言葉の通り、事故発生の責任は「運転員による規則違反の数々のたぐいまれな組み合わせ」(1986年8月IAEAに提出されたソ連政府の事故報告書)とされ、すべて、原子炉主任運転員トプトゥーノフをはじめとする運転員らの運転のせいにされました。
しかし、真実は
実験が終わるまでは何も起こらなかった。AZ-5(緊急停止ボタン)を回してから出力が上がり爆発した」(シフト長アキーモフ。113頁14行目)
AZ-5ボタンを押すまで何も異常を示すものはなく平穏そのものであった。出力増などの警報が出たのはボタンを押して3秒後のこどである。」(副技師長ジャトロフ)

ソ連報告書指摘の運転員の規則違反の1つ目「制御棒が『反応度操作余裕』が基準値以下で運転」に対しては、
反応度操作余裕が低下していたことも、それでもって運転員が非難され理由にならない。なぜなら、それを直接示す計器はなかったから」(副技師長ジャトロフ)

ソ連報告書指摘の運転員の規則違反の2つ目「予定以下の低出力で実験(電源テスト)をおこなった」に対しては、
低出力での運転は禁止されていたというが、その規則は事故後に作られたものである」(副技師長ジャトロフ)

なおかつ、運転員は事故発生関する肝心な情報は前もって何ひとつ知らされなかったのです。事故の責任を問われた副技師長ジャトロフは自分たちが置かれた状態をこう表現しました。

 火薬庫の上に知らずに寝泊りすることにひとしい107頁

 原子炉の構造上の欠陥を隠し通そうとしたことがソ連国家の構造上の欠陥そのものでした。それはチェルノブイリ事故を発生させ、途方もない惨禍を人々にもたらし、それから5年後、ソ連崩壊・解体を発生させました。チェルノブイリ事故から学び尽くした日本政府も当然そのことを熟知しています。

7、「最も悪いのは放射能を怖がる精神的ストレス」論の起源はベトナム・シンドローム


(1)、国際連帯の茶番劇第1幕(1986年8月ウィーン
1986年8月、事故後4ヶ月足らずで、ウィーンでチェルノブイリ事故をめぐるIAEAの国際検討会議が開かれ、ソ連も参加しました。これはソ連と欧米の西側諸国が、チェルノブイリ事故により放射能汚染が世界中に広がり、各国で原子力エネルギーに対する市民の反感が強まってくることを警戒し、それに対抗することで利害が一致し、「原子力推進体制を守る」という共通の利益のために共同歩調を取ったもので、国際連帯の茶番劇の第一幕でした。なぜなら、報告に立ったソ連代表団長レガソフ(事故から2年目の1988年4月26日自殺)は、事故の原因である原子炉の制御棒の構造上の問題と事故の最大の被害者である「子どもたちの被ばくデータ」を隠蔽した上で(136頁末行~)、事故の原因は36秒もかかった実験について、
運転員たちは早く実験を完了させることを焦るあまり、実験の準備、実行にあたって指示に従わず、実験計画書そのものを無視し、原子炉を取り扱う細心の注意を払わなかった。(138頁13行目)
 このような「運転員たちが犯した危険極まりない規則違反」であると指摘し、他方、事故による被害については、子どもたちの被ばくデータを隠した上で
一連の対策によって住民の被ばく線量を許容限度内におさめることが可能になった(139頁1行目)
と政府の緊急対応の成果を自慢気に披露したのに対し、IAEAの西側諸国は、このウソ八百のレガソフの率直な報告を好意的に受け入れ、ソ連事故報告書を全面的に了承したからです。1987年のチェルノブイリ裁判のとき、被告人尋問で最も激しく罪状を否定した副技師長ジャトロフはのちにこう証言しました。
私にはまったく理解できません。IAEAの会議には、イギリス、フラン ス、アメリカ、日本などの学者たちが各国を代表して来ていたのです。彼らにとっては他人事だったのでしょうか。ソビエト側の発表を故意に信じたのだと思い ます。期待したとおりの説明をソビエトがしたので、西側は願ったりかなったりだったのです(※)。客観的な分析をしたならば、ありえないことです。あのようjな 権威ある専門家会議では許されないことです。(150頁9行目) 
事故の原因は原子炉の構造的な欠陥であり、その責任はそれを知りながら対策を講じなかった人々にある。‥‥1986年のソ連報告書は偽りだらけであり、そうした報告をなぜIAEAが鵜呑みにできたのか理解できない。(今中哲二「チェルノブイリ原発事故原因の見直し」から
(※) ソ連はその崩壊直前に2つの衝撃的な書面・規範を残した。それは憲法9条の制定に比すべく奇跡とも言うべき出来事である。1つがチェルノブイリ住民避難基準の採用。もう1つが、チェルノブイリ事故原因について、それまでの「運転員の操作ミス」を撤回し、「原子炉の設計の欠陥、とりわけ制御棒の構造的欠陥であった」と明記したシュテインベルク報告書の作成である(85頁)。そのため、IAEAは窮地に追い込まれ、事故原因の見直しを迫られたが、あくまで第一に運転員の操作ミスであると譲らなかった。茶番の相手が真実を語り始めたとき、IAEAは耳を傾けるのではなく、用済みとして相手を切り捨てるのである。

 (2)、国際連帯の茶番劇第2幕(1991年5月ウィーン
 今年3月来日したベラルーシの研究者M.V.マリコ氏は、郡山市での講演のあと、次のような話をしてくれました。
 自分たちはチュルノブイリ事故による放射能汚染地図を作成したのに、当時その地図を知っているのは(政府高官以外は)わずかに自分たちの研究所のスタッフ数人だけでした。
 しかし、3年後の1989年春、この汚染地図が初めて新聞紙上に公表され、大きな反響を呼びます。例えば、それまで原発から150キロ以上離れたゴメリ州(当時、白ロシア共和国。現在のベラルーシ)に住む人々はゴメリ州に原発周辺に匹敵する汚染地域が存在することを知ったからです(今中哲二さんの解説を参照)。その頃には、これまで全世界に隠していた「子どもたちの被ばくデータ」について、子どもたちの間に甲状腺障害など現実の健康被害があらわれ始めていました。

しかし、ソ連政府は、「生涯70年間で35レム(350mSv)までの被ばくは許容される」「汚染地域の住民は避難しなくても十分安全である」というイリイン・ソ連医学アカデミー副総裁の見解に基づいて何も手を打とうとしませんでした。

その結果、住民のソ連政府、ソ連の放射能専門家に対する不信は手がつけられないほどに加速しました。困り果てたソ連政府がそこで思いついた打開策は、事故直後に大成功を収めたIAEAとの国際連帯の茶番劇の再演でした。ソ連市民が自国の専門家はもう信用できないと言うのであれば、最後の切り札として国際的な権威に登場してもらい、ソ連市民を黙らせるというやり方でした。
1990年、ソ連政府の要請を受けたIAEAが白羽の矢を立てたのが、核戦争遂行のための研究機関ABCCの日本側代表、ABCCを引き継いだ放影研の元理事長を歴任し、秘蔵っ子ミスター100ミリシーベルト(山下俊一氏)を育て、今年2月に亡くなった重松逸造氏です。

重松氏を委員長とした国際諮問委員会のもとに各国から200人の専門家を集め、国際チェルノブイリプロジェクトを開始し、1991年5月、ウィーンでプロジェクトの報告会が開かれました。その結論は次のようなものでした。
汚染地帯の住民のあいだに、チェルノブイリ事故による放射線による影響は認められない。ソ連政府の出したデータはおおむね正しく、とられてきた汚染対策も妥当である。むしろ「放射能恐怖症」による精神的ストレスの方が問題である。ソ連政府が取る「1平方km当り40キュリー以上の汚染地帯」という避難基準ですら厳しすぎる。(238頁末行)
 この二度目の茶番は公正なる調査結果を期待したチェルノブイリ地元市民と地元政府の失望と不信を買うという成果しかあげることができず、国際的な権威でソ連市民を黙らせようという当初の思惑は崩れ、事態は正反対の方向に進んでいきました。ソ連最高会議は、とうとう、それまでの1平行km当り40キュリー以上という避難基準を15キュリー以上と改め、15キュリー以上の汚染地域住民約27万人全員の避難を決議したのです。
七沢氏のコメント。
政府はそれまで必死に避けようとしていた大量の住民避難にかかる高額な財政支出を、この時ついに負担することになった。(239頁9行目)
しかし、瀕死のソ連はその夏、アル中の党官僚たちによるクーデターとその失敗を経て、12月、住民避難の決議を実行しないまま崩壊・解体します。

(3)、「放射能恐怖症」による精神的ストレスの起源
原発事故後の健康被害の原因として、放射能よりも「『放射能恐怖症』による精神的ストレス」の影響のほうが大きい、という議論があります。思わず、「いまどき、何バカなことを言っているのか」と笑って済せたくなるのですが、そうはいきません。なぜなら、これは疎開裁判で、チェルノブイリ事故との比較検討を最重要な論点として主張している原告に対する被告郡山市の反論の柱の1つになっているからです(平成24年4月17日答弁書14頁(エ))。

そもそも、なぜ、こんな精神論が今なお堂々と幅を利かせているのだろうか。それは、現実に、チェルノブイリでも福島でも、うつ病などの精神的被害の発生が深刻だからです。しかし、その原因は、マスコミに登場する殆どの学者や政治家は「直ちに影響はない」「逃げなくても心配ない」と安全を宣伝しながら、他方で、自らまたは自分たちの家族をチェルノブイリや福島に引越して復興に取り組むような素振りは全く見せず、その口先だけの偽善者ぶりに誰も信用できなくなるという状況に精神的にすっかり参ってしまうからです。

しかし、 「『放射能恐怖症』による精神的ストレス」論を説く人たちは、それは御用学者や政治家が悪いのではなく、放射能を怖がる皆さんひとりひとりの心の持ち方が悪いのだと説きます。そこから導かれる解決策は「放射能を怖がる精神を、怖がらないように悔い改めること。なぜなら、心の持ち方が健康被害の主要な原因であり、これさえ克服すれば健康被害はなくなる」、これに尽きます。

ところで、この精神論はチェルノブイリが最初ではありません。1960年代から、ベトナム戦争に対し、「市民の中で、軍事力という暴力の行使を否定する病的な拒絶反応」が生じたこと」を、ベトナム戦争後遺症(ベトナム・シンドローム)と名づけ、国家の側では、この慢性病を追い払い、打ち負かすための数々の努力が傾けられてきました。 「軍事行動の価値」を重視するという考え方を市民の頭に叩き込む必要がありました。さもないと、なぜ世界のあちこちへ行っては、人を拷問し、殺害し、絨毯爆撃などをする必要があるのか、理解できなくなるからです。

 8以下、未完成。


[2] 「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」

2012年7月1日日曜日

「6.24」一周年の思い――子どもの命と暮らしを守る大人の権利と義務


2011年6月24日
 生 井  兵 治(なまい・ひょうじ)

ちょうど一年前の2011年6月24日、福島県郡山市の小中学校に通う子ども14人が、東電福島第一原発の過酷事故により放射線被曝の恐れが強いとして、郡山市に対して14人を疎開するよう求める仮処分の申立書を福島地裁郡山支部に提出し、原発事故による子どもの被曝をめぐる我が国初の民事裁判「ふくしま集団疎開裁判」が始まりました。
申立当日は、代理人として、井戸謙一弁護士と柳原敏夫弁護士が郡山支部に赴きました。皆様ご承知のとおり、井戸さんは、2006年3月24日、稼動中の北陸電力志賀原発2号機の差止を命ずる判決を言い渡された金沢地裁の元裁判長で、2011年4月1日から弁護士になった方です。柳原さんは、2005年6月24日、新潟地裁上越支部への申立で始まった、GMイネ(カラシナ・ディフェンシン遺伝子組換えイネ)裁判の弁護団の主任弁護人として活躍された方です。このGMイネ裁判に学者の一人として協力してきた私は、今回のふくしま集団疎開裁判でも協力を要請され、当日提出した申立書の作成にもいささか関わった関係から、郡山支部への申立に同道することになりました。
チェルノブイリ原発事故による強制移住地域(0.571μSv/時)に匹敵するところだらけの郡山市の実態をみれば、事は極めて緊急を要する問題ですから、判決が6ヵ月後の2011年12月16日まで延びのびになろうとは、当時誰が予想したでしょうか。しかも、皆様ご承知のとおり、判決は、詭弁を弄する判決理由を並べ立てるだけで、申立を認めない(却下する)という不当極まりないものでした。ですから、同年12月27日、仙台高裁に異議申立(即時抗告)したのは、当然の成り行きでしょう。

1 福島地裁郡山支部の「却下判決」は何故か野田首相の「収束宣言」と同日
昨年12月16日夕方、野田佳彦首相は、実態とは著しくかけ離れた認識に立ち、過酷事故を起こした東電福島第一原発が「冷温停止状態」(「冷温停止」ではないことに注目)になったとして、同原発事故の「収束宣言」と「避難区域見直し」を発表しました。しかし、1号機~3号機では、メルトダウンした核燃料集合体が原形を留めない状態で、圧力容器の底に落ち、さらには格納容器の底や格納容器の外にまで流れ出ているかもしれないのが現実です。そして、ちょうど定期点検中だった4号機では、ほとんど真新しい核燃料集合体を含む大量の核燃料を貯蔵中の使用済み核燃料貯蔵プール(建屋内の5階にある)の基礎が歪み、応急補強措置を施したとはいえ、強い余震によって倒壊しかねない危険な状態にあるのではないかと、国際的にも危惧されています。
東京電力は、昨年12月2日、「中間報告」を発表しましたが、原因を「想定外の津波」に帰し、真摯に詫びて反省する態度がまったくみられません(今年6月20日、結論は同じ最終報告を発表)。政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は、昨年12月27日、「中間報告書」を発表しましたが、事故原因の本質を何ら解明できていません(今年7月に最終報告を発表する予定)。国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」は、昨年12月8日に発足したばかりで、まだ中間報告も出ていません。
このような状態の中で、野田佳彦首相は、いったいいかなる根拠で福島原発事故が「冷温停止状態」になったと判断して「収束宣言」を発表したのでしょうか。現実には、空中への放射性物質の放出量は、昨年の事故当時より大幅に減ったとはいえ、今でも毎時、約1000万ベクレル(5月28日公表時点)も放出され続けているのです(2012年5月28日 東京電力HP「原子炉建屋格納容器からの追加的放出量の評価結果)。
いずれにしても、2011年12月16日夕方の野田首相による、福島第一原発事故の「収束宣言」と符節を合わせたかのようなタイミングで、福島地裁郡山支部の裁判長は、14人の子どもたちの学校ごと集団疎開するよう求める仮処分の申立を却下したのです。

2 福島第一原発事故後の文科省による子どもの人権無視の経過
原発事故後の経過を振り返ってみれば、文科省は、昨年4月19日、あろうことか校庭の利用制限基準を年20ミリシーベルト(mSv/年)(子どもたちの日々の生活パターンを考慮すると、1時間当たりでは3.8マイクロジーベルト(μSv/時))とすることを通知しました。通常の原発作業従事者の被曝線量限度が5年間で100mSv(年間最大50mSv)ですから、子どもたちの命と暮らしを守るべき文科省は常道を逸した過酷な被曝を子どもたちに強いたのです。現実に、文科省などのモニタリングデータを使って弁護団が試算した結果によると、14人が通う小中学校7校の空間放射線量は、原発事故が起きた3月12日からの5月25日までの75日間だけの積算で既に3.80~6.67mSvに達し、外部被曝だけで1mSvを大幅に超えています。
ですから、保護者らの反発を受けるのは当然です。昨年5月27日、当時の高木義明文科相は、国際放射線防護委員会(ICRP)が公衆の被曝線量限度として定めている年間1mSv以下を目指すと発表しました。しかし一方では、20mSv/年が3.8μSvだからといって、1mSv/年を目指すから0.19μSv/時を目指すというわけではない、とも述べています。昨年8月26日ついに文科相は、4月19日の20mSv/年(3.8μSv/時)を廃して原則年間1mSvとしましたが、説明なしで1μSv/時としています。一方、環境省は、1mSv/年を0.19μSv/時とし、実際にガイガーカウンターで計測する際には自然放射線が平均0.04μSv/時だけプラスされるとして、合計値「0.23μSv/時」を公衆の被曝線量限度1mSv/年に充てています。
我が国の「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行令」に基づく科技庁告示第五号(1988年)の第四項の4には、「線量限度は、実効線量が四月一日を始期とする一年間につき一ミリシーベルトとする」とあり、「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示」(2001年)の第三条(実用炉規則第一条第二項第六号等の線量限度)第一項にも「実効線量については、一年間(四月一日を始期とする一年間をいう。以下同じ。)につき一ミリシーベルト」とあります。法律的には、公衆の被曝線量限度は1mSv/年です。原発事故が起きたからといって、子どもたちを含む人びとの放射線耐性が直ちに高まることはありません。

ですから、子どもたちが放射線被曝による健康被害の恐れがあるとして、父母らが安全な地域への学校ごとの集団疎開を求めることは、至極当然のことでしょう。ところが、福島県や郡山市をはじめとする地方政府のほとんどは、無法ともいえる中央政府にただただ追従するだけであり、三権分立の要である司法の砦・裁判所さえもが、子どもたちの基本的人権を守ることを忘れ、「原発利益共同体」に組みする政府の意向をくみ取った判決を出すことにのみ汲々としたのです。

3 私たちは、もう黙ってはいられません
私たち大人には、子どもたちの命と暮らしを守る権利と義務があります。私が愛してやまない日本国憲法第11条には、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とあります。しかし、残念ながら特に「3.11」以降の現状は、市民、中でも子どもたちの基本的人権が著しく蹂躙されています。
軌道を逸した野田佳彦民主党内閣は、東電福島第一原発事故の原因が何も解明されず、真の意味「収束」の目途が立っておらず、使用済み核燃料の最終処分放射能が決まっていないままに、自民党などと共に原発再稼働に猛進しており、この6月16日、大飯原発再稼働を決定してしまいました。いくら経済優先としても常道を逸しており、正気の沙汰ではありません。野田首相は、消費税増税の理由として「負の遺産を後世に伝えることはできない」と力説します。それならば、なぜ逼迫した国家財政とは比べ物にならないほどに膨大で危険極まりない負の遺産「高レベル核廃棄物」を何万年も先まで負わせるのでしょうか。政策の根拠に一貫性がまったくなく、野田首相の言行は支離滅裂です。
三権分立の要・司法府の裁判所は民意を汲まず、行政府・野田内閣は常道を逸し、立法府の国会も堕落して民意を汲まず、ただ政党エゴ丸出しの状態です。これでは、子どもたちはもちろん大人も浮かばれません。私たちは、もう黙ってはいられません。私たちの権利と義務を最大限に行使して、脱原発の旗の下、大同団結して戦うしかありません。
皆さん。「6.24」一周年を期に決意を新たにして、最後まで頑張り貫きましょう。