告知

告知 ①官邸前抗議 1月19日(日)15時~15時45分

2025年1月13日月曜日

20250111 脱被ばく実現ネット 今年最初のアルタ前街頭宣伝 戦争、頻発する災害、政治不信、物価高騰など不安の中での新年幕開けに脱被ばく訴える

2025年1月11日土曜日、脱被ばく実現ネット、今年最初のアルタ前街頭宣伝が行われました。

ご参加の皆さん、お疲れ様でした。

今日はツイキャスのKEITAROUさんが久しぶりきてくれました。
早速 ユーチューブにしてくれました。
KEITAROUさん有難うございます。
https://youtube.com/live/aYxqilx_eFM?feature=share



★新宿アルタ前街宣★

日 時:1月11日(土)  

    14:00~15:00
主 催:脱被ばく実現ネット


原子力緊急事態宣言発令中!
汚染水の海洋放出反対!
福島核災害を無かった事にはさせないぞ!
エネルギー基本計画の「原発『最大活用」』転換」を許さない!
全原発を今直ぐ廃炉に!
戦争と核を世界から無くそう!
被ばく裁判の不公正に抗議しよう!
政府と東電は被災者に謝罪と充分な補償を!
   米   米   米
子どもたちの為に声を上げましょう!ご参加ください!












****ボランティアからの報告***

2025年始めてのアルタ前街頭活動お疲れさまでした!
晴天での活動で何よりでした。
私たちがアルタ前で被ばくNO!の街頭行動を始めてから5年以上が過ぎ、
アルタ前での活動は市民権を得ているような気がする。
12月の活動の時に警官が来て、やめろと言われるのか一瞬身構えたが
苦情があったので注意してやってくださいと、拍子抜け、
警察も私たちの活動を認めているようだ。

昨日は、アルタ前で日の丸立て、単独のマイクで演説しているなじみの方は、
私たちが準備していると、飴を配り挨拶してくださった。
今回も、横断幕や横書きのスローガンを見つめ写真を撮る人や、
チラシの受け取りもかなり良くなった。

長引く戦争や裏金などの不透明な政治への不信、
不公平な税制、無意識の災害への恐れや原発再稼働などで、
私たちの活動が市民意識の目覚めの時代を期待して活動したい。
カンパが1100円あったことを報告する。(M)

2025年1月8日水曜日

 20250107 最高裁前 「子ども脱ひばく裁判」棄却決定への抗議集会  20数名が集まり訴える


2025年1月7日

最高裁判所前にて「子ども脱被ばく裁判」棄却決定への抗議集会を行いました。


抗議集会にご参加下さった皆さま、
其々の皆さまの怒りの抗議アピール、 本当にありがとうございました。

私達・脱被ばく実現ネットのボランティア一同、皆さまのお気持ちに励まされ、

これからも 子ども達を被ばくから守る活動を続けてまいります。
今後ともどうぞよろしくお願いしたします。


 最高裁「子ども脱ひばく裁判」棄却決定への抗議集会(最高裁正門前)
 ★最高裁 「子ども脱ひばく裁判」棄却決定への抗議集会  
 日時: 2025年1月7日(火)14時~15時  
 場所: 最高裁正門前   
 主催:脱被ばく実現ネット

  福島原発事故から14年 ずーっと原子力緊急事態宣言発令中。
  福島原発爆発事故時、国は子どもを逃がさず! 
 避難もさせず!  甲状せんを守る安定ヨウ素剤を配布せず!
  SPEEDIの情報を隠ぺいし、
  文科省は避難した子どもたちを高線量下の福島に呼び戻し、 
 小児甲状腺がんは391人を超えた!
  国は放射能被ばくから子どもを護ることを放棄し、  護るどころか絶望に追いやった!
  子どもたちをを何回も 何回も   見捨てた国を私たちは許さない!
  最高裁は「子ども脱被ばく裁判」の上告を不受理  棄却を決定した!
  万感の悲しみと怒りをこめて最高裁を弾劾する!
  憤怒の抗議集会に参集を呼びかけます!








柳原弁護士

柳原弁護士 抗議行動に参加しての感想
 昨年から、子ども脱被ばく裁判の最高裁決定に対する抗議のスピーチを、新宿アルタ前、官邸前とじわじわと最高裁に近づいて準備してきましたが、本日、「一年の計は元旦にあり」の言葉通り、新年最初のアクションとして、本命の最高裁の前で、抗議のスピーチをすることが出来、感慨を新たにしました。
 当初、本日のアクションは脱被ばく実現ネットのメンバー4~5人の積りだったのが、ふたをあけたら20人も集まってくれ、皆さんの胸にたまった、理不尽な決定に対するふつふつと沸きあがる思いをひとりひとりがあけすけに最高裁にぶつけられ、主権者としての務めを果たされたことは、誰もが公衆の面前で、こんな風に思いの丈を口にしていいんだよという素晴らしいお手本を示して頂き、本当によかったと思いました。

元旦や 最高裁の壁にしみいる主権者の声

 ただ、皆さんの最高裁に熱心に抗議する声を聞いていて、私には真似できない、皆さんの純真さを感じました。昔、「ざんげの値打ちもない」とかいう歌謡曲がありましたが、私にとって最高裁は「ざんげの値打ちもない」輩です。ただし、第二小法廷にはひとりだけ「ざんげの値打ちのある判事」がいる、それが三浦判事だ思っていたので、専ら彼に向けて、彼の耳に聞こえてくれるようにと願ってスピーチしました。

 それは過去に、最高裁でこういうことがあったからです。最高裁判事だった団藤重光氏は、或る死刑判決の言い渡しで、傍聴人の「人殺し!」という一声によって、それまでグラグラしていたのが死刑廃止論に確定的に変わってしまったからです。彼自身がそれを以下のように告白しました。

「最高裁判事としての痛切な経験

  いよいよ死刑判決を言い渡す日になりました。 
裁判官がみんな席に着き、裁判長が「本件上告を棄却する」と言いました。

棄却するということは死刑が確定するということです。 そして裁判官専用の出入り口から私たちが退廷し始めたその時です。 
「人殺し!」という声が法廷中に響いたのです。罵声です。私たちが罵声を浴びせられたのです。

 私はいつもでしたら傍聴席のこんな罵声くらいで驚きはしませんが、正直なところ、「本当にこの人がやったのだろうか」という一抹の不安を持っていましたので、このときの「人殺し!」という声はこたえました。その声は今でも忘れられません。
‥‥私はこの経験を通して、立法によって死刑を廃止する以外には道はないとはっきり確信するようになりました。」
https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/dandoshigemitsu.html

 ここ数年間の最高裁の違憲判決の中で三浦判事自身が書いた判決文は極めて誠実なものでした。だから、彼が子ども脱被ばく裁判の判決を下すとき、当然、「本当にこの三行半の棄却でいいんだろうか」という一抹の不安を抱いていたに違いないと思っていました。だったら、本日、私が彼にぶつけたのは、お前が裁判長として下した決定は「福島の子殺しだ!」です。彼がこの叫びを受け止めてくれることを、団藤判事のように一生忘れられない声として彼の鼓膜に刻み込まれることを願ってスピーチしました。

 人はむしろ、こうした個人的な体験を通じ、一生に一度あるかないかの決断をするものです。
 団藤判事がひとりの市民の一撃の声で、グラグラしていた態度が改まったように、私たち市民の無数の行動こそ、むしろ歴史の歯車を動かす力になるのだと思います。
 今日の本年の初アクションに、ネットを見て参加された市民の皆さんの熱をありがたくいただきます。

*****

 2025年1月 7日  スピーチ内容

最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ
               柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

 最高裁判所は、昨年11月29日、子ども脱被ばく裁判の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。 
  子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告の国と福島県に対し、国らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するための必要な対策を全く取らなかったばかりか、子どもたちを積極的に被ばくさせる有害な政策すら取ったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般人の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等、これでもかこれでもかと云わんばかりに違法な行為に出たこと、そのため、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについて自分で汚染状況を判断して、自分で行動を決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、それに対する責任を問うために、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。 
  福島原発事故は日本が過去に経験したことのない未曾有の過酷事故でした。その上、この原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、福島原発事故に先行した史上最悪の原発事故、1986年のチェルノブイリ事故の経験から学び、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、誤った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済は永遠に果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。 
  提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の場は国と福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなりました。国と福島県はこの裁判だけは絶対に負けられないと不退転の決意を示したのです。なぜなら、長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡してもこの子ども脱被ばく裁判しかなかったからです。国が311以降、長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにする政策に出たのにはれっきとした訳があります。一言で言うと、それは原発の再稼働、核兵器の所有という国策の維持のために堅持しなければならない大前提だったからです。しかし、そのために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされたのです。大犯罪者としての国のこの露骨な態度を目の当たりにして、私たち弁護団は、改めて、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。 
 すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると同時に、これは最も重要な科学裁判であると。それは次のことを意味しました。
  どんなに科学技術が進歩したとはいえ、しかも私たちは放射能を発見してからもう140年も経ったにもかかわらず、小児甲状腺がんひとつとっても明らかなように、放射能による健康影響のカラクリは今なお殆ど分からず、ブラックボックスの状態です。最近、深刻な環境汚染として問題になっているピーファス(PFAS)による健康影響も同様です。要するに、私たちの科学技術は現実世界のごく一面を、表面をなぞっているにすぎないのが現状です。そのような現状のもとで福島原発事故とどう向き合うのか。それについて、過去に過酷な経験をしたチェルノブイリ事故から学ぶしかない、そう言ったのは元松本市長の菅谷昭さんです。
  このような思いと認識を胸に、原告らは10年間、チェルノブイリ事故の教訓とその後の知見に基づき、国と福島県の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、昨年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。 ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、昨年11月の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。2022年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。 
 なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政と根本的にちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論の証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害を放置するゴミ屋敷です。 
 今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。 
 これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。 そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。 
 今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する裁判所という大切な砦を失ったということです。ではどうするか。 
 最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。だから、市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、日本社会は人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。ただし、それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。全ては私たち市民の声、市民の手にかかっています。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
        以上

2024年12月18日水曜日

20241217 1月7日(火)最高裁に集まろう! 「子ども脱被ばく裁判」棄却決定への抗議集会を開催!

皆様、来年1月7 日(火) 14時から最高裁正門前にて、「子ども脱被ばく裁判」の最高裁上告棄却への抗議集会を開きます。寒い中ですが、ぜひ多くの皆さんのご参加をお願いします! 

★最高裁 「子ども脱ひばく裁判」棄却決定への抗議集会 



  日時 2025年1月7日(火)14時~15時 
  場所 最高裁正門前 
   
 福島原発事故から14年 ずーっと原子力緊急事態宣言発令中。 
 福島原発爆発事故時、国は子どもを逃がさず! 
 避難もさせず! 
 甲状せんを守る安定ヨウ素剤を配布せず! 
 SPEEDIの情報を隠ぺいし、 
 文科省は避難した子どもたちを高線量下の福島に呼び戻し、 
 小児甲状腺がんは391人を超えた! 

 国は放射能被ばくから子どもを護ることを放棄し、 
 護るどころか絶望に追いやった! 
 子どもたちをを何回も 何回も  
 見捨てた国を私たちは許さない! 

 最高裁は「子ども脱被ばく裁判」の上告を不受理 。
 棄却を決定した! 

 万感の悲しみと怒りをこめて最高裁を弾劾する! 

 憤怒の抗議集会に参集を呼びかけます! 




20241219 官邸前抗議行動の補足 なぜ司法は「理由を示してなんぼの世界」なのか 

           ピタゴラス(ローマカピトリーノ美術館

12月19日の官邸前抗議行動で、子ども脱被ばく裁判の11.30最高裁棄却決定に対する抗議声明の中で、「司法は理由を示してなんぼの世界だ」と述べました。しかし、なぜ司法は「理由を示してなんぼの世界」なのかその理由まで述べる時間がありませんでした。以下、柳原からそれについての補足です。

    ***************       

1、袴田事件の奇跡の逆転、その大前提

今年10月、逮捕から58年かかって無罪が言い渡された袴田事件。当初、地裁、高裁、最高裁と有罪判決が相次いで出され、第一次の再審請求も
地裁、高裁、最高裁で棄却。もう無理かと思われたその後、第二次の再審請求で紆余曲折の末、逆転の再審開始が認められて、無罪となった。
ところで、このものすごい紆余曲折を経ながらも(ウィキペディアの解説)、
奇跡みたいに有罪が無罪に覆えされた根底には、ひとつの大前提がある。それは、袴田事件の有罪判決や再審請求の棄却決定がちゃんと結論の理由を示す「証明」の体裁を取っていたことである。もしも、袴田事件の有罪判決らが、子ども脱被ばく裁判の最高裁決定のように、結論の理由を示す「証明」がなにもなかったなら弁護団はどんなに頑張っても無罪を勝ち取ることは不可能だった。なぜなら、有罪判決や再審請求の棄却決定には、曲がりなりにもその結論の理由を示す「証明」が示されていたから、これに対する「反証」を出すことも初めて可能になった。つまり「証明」の体裁を取ることによって、そこに示された「証明」に対して感情的な批判ではなく、科学的、法論理的な批判もまた、初めて可能となり、その結果、袴田事件のように、最初に示された「証明」がのちに否定されることが可能になった。

2、近代司法の本質的特徴

これが近代の司法が保持している最も重要な特質である「結論を導く理由を示す『
証明』」という判断枠組み。これを失ったとき、司法は司法であることを止める。司法の自殺=内部崩壊である。袴田事件の有罪判決は「結論を導く理由を示す『証明』」という判断枠組みが維持されていたからこそ、連戦連敗だった袴田弁護団も、じわじわと、有罪判決の「証明」の問題点を指摘し、それを打破する「反証」に出て、最後に、有罪判決の理由を示す「証明」を覆えすことができた。

しかし、子ども脱被ばく裁判の最高裁決定には結論の理由を示す「証明」がなにもない。つまり、「結論を導く理由を示す『証明』」という判断枠組みが完全に失われている。だから、弁護団は、たとえ民事の再審は無理だとしても、将来の同種の事件を念頭に置いて、最高裁が示す「証明」の問題点を指摘し、それを打破する「反証」に出るという積極的な判決批判を行なうことができない。その結果、弁護団は、将来の同種の事件を念頭に置いて、袴田事件の弁護団がやったように、最高裁決定の理由を示す「証明」を覆す積極的な準備すらできない。つまり、この10年間の子ども脱被ばく裁判で、原告側が心血を注いで追及してきた国と福島県の責任問題について、最高裁は自らの判断を示さないことにより、理由を明らかにしないまま国と福島県の責任を求める原告の主張を退けるという形で国と福島県の責任問題にいわばフタをしたのだ。それは、弁護団を始めとして世の中から反論、批判、反証の余地を与えない形で国と福島県の責任問題を封印した。

これはもはや「司法」ではない。政治的決着である。昔から、最高裁は政治問題には介入しないのだという司法消極主義を採ってきた。しかし、今度ばかりは司法の大前提である「証明」を放棄することを通じて、実は露骨に政治問題に介入して、政治的に大貢献した。これもまた、最高裁の伝統的立場である司法消極主義に真っ向から反する。アウトである。

司法が「人権の最後の砦」と称されるのは別に、司法を単に持ち上げているからではない。司法がその判断を示すにあたって、人権を尊重せずにおれないような判断の枠組みを採用しているからであって、その筆頭が「結論を導く理由を示す『証明』」の提示だ。司法がその「結論を導く理由を示す『証明』」という判断の枠組みをみずから放棄したとき、それだけで司法は「人権の最後の砦」を放棄したにひとしい。それは司法の自殺である。

3、近代司法の「証明」と近代科学の「証明」の表裏一体

実はこの近代司法の「証明」の判断枠組みは、単に司法内部だけの哲学、思想ではなく、近代社会の本質的特徴と深く繋がっている。それが、近代社会の幕開けとなったガリレオ、ケプラー、ニュートンらに始まる 近代科学の「証明」の登場であり、この「証明」の精神が政治の世界に最も色濃く反映した分野が司法(裁判)だった。近代の司法の誕生は近代科学の誕生抜きにはありえない。

それゆえ、近代司法の「証明」の意義を考える上で、近代科学の証明の意義を参照することが不可欠である。世界三大数学者のひとりとされるガウスが「数学は科学の女王である」と述べたように、近代科学の証明の精神は数学の「証明」に負うところが大きい。その数学の「証明」について、数学者の遠山啓は次のように言っている。

直角三角形に関するピタゴラスの定理は経験的には既に古代エジプトで知られていた。しかし、ピタゴラスが偉いのはそれを証明してみせたことである。証明するまでは、たとえどんなに偉い王さまであろうともそれを主張することは許されない。他方、たとえどんな馬の骨でも証明さえできれば認められる。これが数学そして科学の精神である。」 

つまり、数学の世界ではどんな権力や権威があろうとも、「オレがそう決めたんだからそうする」という振る舞いが許されず、あくまでも「証明してナンボの世界」に従うしかなかった。その反面、どんな馬の骨でも無名で無力であろうとも、「証明」さえやってのければ、それが受け入れられる。数学とはこの「証明」が支配する世界。

この「証明」の精神に従うのなら、司法も、或る主張の理由について、原告がどんな馬の骨でも、どんなに無名で無力であろうとも、「証明」さえやってのければ、最高裁もそれが受け入れざるを得ない。それは私自身、かつて著作権裁判で経験してきたことだ。

だとしたら、子ども脱被ばく裁判の最高裁決定は、「証明」抜きで結論を下したもので、それは上記の「証明の精神」から逃避し、「オレがそう決めたんだからそうする」と権力と権威にすがりついたものにほかならない。それは近代司法の出自=原点を自ら自己否定したもので、だからそれは司法の自死、自壊というほかない。

だから、最高裁は、「証明してナンボの世界」の「司法」が存在すると信じて提訴した原告の子どもらに対し、真っ先に、彼らの信頼を裏切ったことに対し、謝罪すべきだ。

それが出来ないなら、自ら近代司法の出自=原点を葬り去った最高裁は死亡により司法からとっとと退場すべきである。死亡した最高裁に代わって、近代司法の出自「証明」の精神を維持する覚悟を持った新たな最高裁を、我々市民が自ら生成するという用意がある。それが市民立法を準備している市民のもう1つの取組み「市民司法」である(この文、続く)。






 

20241219 官邸前抗議行動 子ども脱被ばく裁判の棄却決定を出した最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ

 12月19日、14時半から官邸前抗議行動を行いました。

寒い中ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
 
以下、その動画とテキストです(なお、その補足はこちら)。
 
フル映像



子ども脱被ばく裁判の11月30日付最高裁の棄却決定に対して。

         最高裁の11.29決定(本文は以下。全文>こちら

2024年12月19日
最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ

柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。

子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。

13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。

提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。
圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。
長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。


すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。
この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。

ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文(>全文)で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。

なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論を導く証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。
今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。

これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。

そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。

今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。
最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
以 上

避難者追い出し裁判が係属中の最高裁第2小法廷に対する要請文



 令和6年(オ)第808号 令和6年(受)第1046号  

最高裁に望むこと

上告人ら代理人 弁護士 柳原敏夫

誰がために司法はあるのか

今から7年前、福島から自主避難したひとりの母親が自死しました(別紙資料参照)。この方は先月30日、第二小法廷で決定が出た「子ども脱被ばく裁判」の元原告でした。

彼女の訃報に接したとき、もし原発事故から命、健康、暮らしを守る救済法があったなら、彼女は死なずに済んだと思いました。彼女もまた、本裁判の被告(上告人)らと同様、福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ちた人です。本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった人です。その結果、救済されない中、「命をかけて子どもを守る」と決断して自主避難を選択し努力してきましたが、とうとう力尽きてしまったのです。

司法とは、旧優生保護法を違憲とした今年7月3日の最高裁判決がみずから模範を示したように、立法的な解決が図られず人権侵害が放置されたとき、そこで「さ迷い苦しみの中にいるこの母親のような市民」を救うためにあるのではないでしょうか。311以来、さ迷い苦しんできた点では本裁判の被告(上告人)らも全く同様なのです。


法律がないことは救済しない言い訳にはならない

もし今、半世紀前の公害国会で制定された公害対策基本法などに相当する原発事故の救済法があったなら、本裁判の被告(上告人)らは被告席に座らされることはありませんでした。

けれども、たとえ、そのような立法的解決がなくても、なお救われる道はあるのだということを今回、知りました。それが、性同一性障害特例法を違憲とした昨年10月25日最高裁決定です。

この最高裁決定が遠慮深く示したエッセンスをズカッと言えば、それは法律の上位規範である国際人権法に照らし、これと適合するように日本の法律は解釈もしくは補充されなければならないということでした。つまり、福島原発事故のように既存の法体系が予想していなかった紛争(事態)が発生し、その救済のために必要な立法が用意されていない場合でも、司法は、この「法の欠缺」状態に対し、法律の上位規範である国際人権法に使って、「欠缺の補充」をすることが出来るし、しなければならない。つまり、原発事故の自主避難者を救済する法律が制定されていないことが司法が彼らを救済しない言い訳にはならない。
これが昨年10月25日最高裁決定によって示されたのです。


今こそ法律の原点に戻るとき

 私たちの社会が既存の法体系の想定していなかった未曾有の困難に直面したとき、法律は何をなすべきか。それは法律の原点に戻ることです。公害問題が未曾有の困難な状態にあった33年前の1981年12月16日、大阪国際空港公害訴訟最高裁判決で団藤重光裁判官が次の少数意見を述べました。

本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によっては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。

しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合には、その時こそ裁判所の出番であると次の通り締めくくりました。

法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)

 すなわち、社会的変動やカタストロフィーによって「法の欠缺」状態が発生したにもかかわらず、立法的解決が図られず、放置されている場合には、その時こそ司法が積極的に問題解決に乗り出す番である、と。そして、その積極的に問題解決を図るキーワードが、近年、最高裁がみずから模範を垂れた数々の違憲判決で示した国際人権法というキーワードです。本裁判もまた、最高裁がみずから示した国際人権法というキーワードを模範にして忠実に判断されるべきなのです。

 ただし、世界に、原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法の全貌をトータルに制定した国際人権法はありません。法律もまだ1つしかありません。1986年のチェルノブイリ原発事故の経験から生まれたいわゆるチェルノブイリ法だけです。

 国際人権法だけでは原発事故の救済をリアルに具体的に考えることは困難です。日本社会が311で初めて直面し、それまで考えたこともなかった問題「原発事故の救済はどうあるべきかを原発事故の全貌に即してトータルに考察すること」、その問題を解くためにはチェルノブイリ法を参照することが不可欠なのです。

 この意味で、チェルノブイリ法が原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法を考えるための原点です。つまりチェルノブイリ法を参照することによって、原発事故の救済はどうあるべきかという救済法の全貌が初めて明確になるのです。そのビジョンを分かりやすく示したのがブックレット「わたしたちは見ている」です。これを、本裁判の上告人らは本来、どのような救済を受けるべきかを考えるための重要な資料として添付します。


本裁判の真の当事者は子どもである

最後に、本裁判の本当の当事者は子どもたちです。たまたま彼らは子どもであるために本裁判の被告に指名されなかっただけで、福島原発事故後、子どもたちこそ被告と生死を分かち合ってきた、被告が一番守りたいと思った家族その人たちです。
最高裁は、本裁判の真の当事者である子どもたちが見ていることを決して忘れないで欲しい。これから最高裁が下す判断が、未来しかないこの子どもたちにとって、どのような意味が持つのかとくと考えて欲しい。
子どもたちがこれから生きていく上で、彼らに一生の希望を授けるのか、それとも一生のトラウマを与えるのかを自覚し、子どもたちに恥じない判断を下して欲しい。
そう切に願うものであります。

以 上

2024年12月17日火曜日

 20241214 新宿アルタ前街頭宣伝 「子ども脱被ばく裁判」の最高裁上告棄却に抗議! 東海第二原発いらない一斉行動に参加

 皆様

12月14日(土)、恒例の新宿アルタ前街頭宣伝を行いました。

寒い中、ご参加くださった皆様、ありがとうございました。



 今回の街頭宣伝には先日最高裁から上告を棄却された「子ども脱被ばく裁判」弁護団の柳原弁護士も参加され、怒りをこめて、「最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ」と発言されました。(全文掲載)



★新宿アルタ前 街頭宣伝★ 

~「東海第二原発いらない一斉行動」第14弾に参加~

 

日時:12月14日(土)14:00~15:00

主催:脱被ばく実現ネット

「老朽被災原発」東海第二原発動かすな!

日本原電の防潮堤欠陥工事隠蔽を許すな

事故が起これば首都圏は壊滅

避難は不可能

危険すぎる東海第二原発は即廃炉に!

能登半島地震の教訓受け取れ!

フクイチ事故は進行中!

放射能汚染水の海洋放出やめよ!

日本政府は被ばくを強要するな!被害者を切り捨てるな!

子どもを被ばくから守ろう!

“子ども脱被ばく裁判”“311子ども甲状腺がん裁判”にご支援を












*子ども脱被ばく裁判弁護団 柳原敏夫弁護士の発言


2024年12月14日

最高裁は子どもたちに謝罪すべきだ


柳原敏夫(子ども脱被ばく裁判の弁護団)

最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。

子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。

13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。

提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。

「圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。

長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。」

すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。

ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。

なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論の証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。

今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。

これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。

そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。

今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。

最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。

以上







【アピール】

 ご通行中のみなさん、私たちは子どもを被ばくから守ろう、と活動している市民グループ、 脱被ばく実現ネットです。

 みなさんこの首都圏に東海第二原発という原発があるのをご存じでしょうか。東海第二原発ここから110km余り茨城県東海村にある原発でこの原発は13年前の東日本大震災のとき運転が止まりそれ以来動いていません。しかしこの原発を持ってい日本原電という会社は、再稼働に必要な工事を進め、び動かそうとしていま

 福島原発事故があった2011年3月11日、この東海第二原発にも津波が押し寄せ、 原子炉を津波から守る防護壁の高さ(6.11m)まであと71cmの高さ (5.4m)の津波が来ました。その時、非常時に使う発電装置1台が使えなくなり、大事故になる一歩手前でした。そして今、この東海第二原発では原子炉を津波から守る防潮堤の工事重大な欠陥があることが明らかになりました。それは防潮堤の鉄筋コンクリートの一部で、コンクリートがしっかり打ち込まれない、鉄筋が変形している、基礎が地下の岩盤部分まで届いていない、というものです。この欠陥工事は、去年10月に工事関係者の内部告発によってはじめて明るみましたが、日本原電は3月の段階で施工不良がわかっていたのに7か月間も隠蔽していたのです。日本原電は福井県の敦賀原発2号機も持っていますが、その審査の際に地質データを改ざんし、原発の下に活断層がないように見せようとしたとんでもない会社です。日本原電は今年9月に安全対策工事を完了する予定でしたが、今回の欠陥工事がわかったために、工事期間2年余り延長2026年12月に完了する予定で工事を進めると言っています。しかしいくら工期を延長したところで、東海第二原発安全になるわけではないのです。

 東海第二原発は運転開始から45年も経っており、燃えやすいケーブルが大量に使われていて火災を起こす危険があります。そして日本は地震頻発国です。世界で起こるマグニチュード6以上の地震の2割弱が日本周辺で起きています。1月の能登半島地震を見てもわかるように、原発事故を引き起こす大地震がいつ再び起こるかもしれません。事故が起きれば放射性物質が大量ばらまかれます福島では事故から13年経った今も放射能汚染が残り、東京23区の半分に当たる土地が帰宅困難区域になっています。東海第二原発で事故が起きれば、東京を含む首都圏一帯が、人が住めない場所になってしまうかもしれないのです。私たちはこのような危険性をもつ東海第二原発決して動かしてはなりません。みなさん、ぜひ「東海第二原発動かすな」の声を高め、この原発の再稼働をやめさせ廃炉にしいきましょう。詳しいビラをお配りしていますので、ぜひお手に取ってお読みください。署名用紙も用意していますので、ぜひ署名にもご協力ください。

 13年前の福島原発事故を経験した日本政府や電力会社がすべきことは、二度と事故を起こして国民に損害を与えることがないように、まずは原発をやめ、原発に頼らない電力供給システムをつくることだったのではないでしょうか。地球の反対側にあるドイツはそのように決断し、脱原発を実現しました。私たち市民が声を上げれば原発は止められます。原発を止め、私たちの社会を安心して暮らし続けられる場所にしていきましょう。(U)


2024年11月25日月曜日

20241119 官邸前抗議行動 福島の子どもたちの甲状腺がんが391人に! この真実に目を向け、子どもたちを被ばくから守れ!

11.19 17時半から官邸前抗議行動行いました。
 寒い中ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

***********

 ・日時:  11月19日(火)

     17:30〜18:15
・主催:  脱被ばく実現ネット
原子力緊急事態宣言発令中!
汚染水の海洋放出.絶対反対!
戦争と原発、今直ぐやめろ!
核と人間は共存出来ない!
戦争放棄の憲法守れ!
日本はGaza虐殺に加担するな!
政府と東電は被災者に謝罪と充分な補償をせよ!
 ∞    ∞    ∞   ∞    ∞
子どもたちの為に声を上げましょう!ご参加ください。

*******


11.19 官邸前抗議行いました。
ご参加、拡散してくださった皆さま、ありがとうございました。
寒い日になりましたが、少人数でも参加者の方々と共に官邸に向かって、
スピーチやコールをして抗議の声をあげ続けました。

まるで福島の原発事故はなかったのかのように、再稼働に進め、未来ある子ども達を
護るどころか、放射能汚染土を各地に持ち込もうとしたり、放射能汚染水を処理水と
称して海に放出し続けている事など、信じがたく愕然とすることばかりが続いています。

その上、100万人に1人か2人と言われている小児甲状腺がんは、福島の子ども達だ
けで391人(検査対象38万人)になってしまいました。原発をとめる事が出来なかっ
た大人の責任として、現政権の責任を問い、なんとしても原発の再稼働、放射能汚染水
の海洋放出をやめるように 参加者の皆さんと共に声を大にして抗議を続けるつもりです。

(O)



 初の「冬時間」での抗議だった為、メンバー以外の方が数人、遅れて参加されました。


 いつも通り、マイクリレーで 政府への原発批判を土台に、甲状腺がんの子どもたちの事、被ばくや原発について、福島の現状、などが訴えられ、コールで締め括りました。 

 私たちの前を通り過ぎて行く公務員の皆さんは 殆ど無表情ですが、それでも数人、ビラを受け取ってくれましたし、そうでない人の耳にも 私たちの訴えは きっと届いたでしょう。

あれから13年。これからも 殊に子どもたちの為に 声を上げたいと思います。(S)



官邸前抗議行動お疲れさまでした。

子ども甲状腺がん多発について、アワプラネットTVさんが

福島県民健康調査委員会・専門家会議「甲状腺検査評価部会」の第23回会合の報告で、

391人と報じました!!

11月19日17時30分からの開始の官邸前は薄暗くなり始め、

夏の日差しが残っているような昼間から、秋はつるべ落としと言われるように

一気に肌寒さを感じた官邸前抗議でした。

小児甲状腺がん多発について何人もが触れました。

今年2月には370人の記載でしたが、約半年で21人も増加です。

官邸前では、帰り道を急ぐ人々の流れでいつものように

チラシの受け取りは悪かったが、マイクを握って訴えている時は、

関心を示して立ち止まっている方々が見えた。

乱気流さんがマイクを握り、こういう地味な継続行動は大切だ。

と訴えてくださり、勇気をもらった。

ともあれ、甲状腺がんの増加のスピードが速い。

子どもたちの未来に黄信号がともっている。

この情報はなかなかマスコミも取り上げないのが苦々しいが

真実は消せない!

当事者の声を支援し、揺るがない行動をしたいと秋のお月さまを見て念じた。(M)

アワプラネットTVのブログ→https://www.ourplanet-tv.org/49852/