2月25日の第4回子ども脱被ばく裁判に参加し、
傍聴されたボランティアの松岡さんからの報告です。
20160225 UPLAN【事前交流集会】子ども脱被ばく裁判第4回期日
後半、裁判所前から記者会見、意見交換会までの映像です。
地裁に向かう原告と支援者たち
裁判後の記者会見
2月25日福島地裁の子ども脱被ばく裁判傍聴に、バスで16人で参加しました。
二人の原告の陳述、凛とした気迫に満ちたものでした。
「2011年5月6月子どもの吐き気、下痢、異常な鼻血が続き、家の2階は毎時1.27μSV、玄関先は2.42μSVあった。子どもの健康を守りたい一心で7月母子避難。現在、娘は高校生になり、体調不良を訴えなくなったが、傷の治りが悪い。娘はこれから、いつ発病するかもしれない時限爆弾を抱えて生き続けなくてはならない。親は辛い。」
「福島市で子育てをしている不安、震災後、ずっと高線量だった福島に居続けてしまった不安、当時テレビで繰り返された『直ちに健康に影響はない』ってどういうこと? この先、10年後20年後も健康でいられるのだろうか。このまま、ここで子育てしていいのだろうか、不安との戦いです。子どもに、泥遊びダメ、水たまりダメ、草や虫に触ってはダメといわざるをいえない口惜しさ、悲しさ。子どもは自然の中で遊び、転がり心や体を育てていくものなのに。子どもたちから笑顔をとらないで、子どもを守ってください。」
朝、福島駅頭で、「本日地裁で『放射能からこどもを守れ』という裁判をやっています」「福島の子供の甲状腺ガンは166人になりました」と言いながらチラシをまきました。国や県、市町村の復興安全キャンペーン圧力に、「放射能が心配」と言えない、言ったらつまはじきされる雰囲気と聞いていますが、原告の陳述は、福島で子育てしている親たちの共通の気持ちなのだと思いました。だから皆さん、チラシを受けとってくれるのだと思いました。
12月1日の第3回口頭弁論で、光前弁護士が、裁判所は我々の要求、「安全な場所で教育せよ」を「なす債務」ととらえている。だから市町村がなす行為の特定―安全な場所で教育することの中身を詳しく述べないと、市町村は何をやっていいか分からず、裁判にならない――という裁判所の考えを明確に引きだし、第4回口頭弁論までに、被告に要求する具体的内容を特定するということか宿題になったと説明がありました。
「安全の場所」をどう認定するか――福島原子力発電所内では、100Bq/kg超える放射性汚染物はクリアランス以下、再利用不可として放射能廃棄物として管理した。土壌に換算すると6500Bq/㎡に該当する、これを安全か危険かの判定の基準値とした。文科省のモリタリングのデータは10000Bq/㎡から測定されているので、10000Bq/㎡、クリアランスレベル以下のところを地図に落として資料を作った。この区域は危険、それ以外の安全な場所で子どもたちの学習権を保障せよとした。
2011年12月につくられた「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」報告書、年間20ミリSV以下は安全が原発事故後の国策で、この基準で行政は動いているから、20ミリSVの厚い壁に切り込み、裁判に持っていくのは一筋縄ではいかない。
裁判長は、次回公判を5月26日(木)と言ったが、まだ中味に入るか腹は決まっていない、棄却、門前払いの危険は残っていると、井戸弁護士は指摘しました。
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