12月19日、14時半から官邸前抗議行動を行いました。
◆子ども脱被ばく裁判の11月30日付最高裁の棄却決定に対して。
2024年12月19日
最高裁判所は、先月11月29日、いわゆる「子ども脱被ばく裁判」の上告の申立に対し、これを退ける決定を出しました。
子ども脱被ばく裁判は、福島原発事故当時福島県内で居住していた親子が原告になって、被告国及び被告福島県に対し、被告らが福島原発事故直後に、子どもたちを被ばくから防護するためのまともな対策を取らなかったこと、すなわちSPEEDI等の被ばくに関する情報を隠蔽したこと、子どもたちに安定ヨウ素剤を服用させなかったこと、一般公衆の被ばく限度として定められている年1mSvの20倍である年20mSvを基準として学校を再開し、そして子どもたちを集団疎開させなかったこと、長崎大学の山下俊一氏を使って根拠のない安全宣伝を繰り返したこと等の違法な行為によって、福島県の親と子どもたちは、自分たちが放射能の被ばくをどの程度まで受け入れ、或いは受け入れないのかについての自分で決定するという自己決定権を奪われ、その結果、子どもたちは、本来なら避けることができた無用な被ばくを強いられた、その責任を問う、2014年8月、福島地方裁判所に提訴された訴訟です。
13年前の福島原発事故当時、被災地の多くの人たちは被ばく問題についてほとんど知識がありませんでした。ベクレルもシーベルトもわからず、被ばくの危険性も分からず、自分たちの生活環境がどの程度汚染されているかの情報もありませんでした。その中で、子どもたちの命、健康を福島原発事故から守るためには、被ばくについての正確な情報、被ばくの危険性についての偏らない知識が不可欠でした。しかし、この本当に必要な、本当に切実な情報は国と福島県によって隠蔽され、偏った安全宣伝が繰り返されたのです。これによって、子どもたちに無用な被ばくをさせてしまったと悔やんでいる多くの人たちがおり、その後、甲状腺がんに罹患した若者を含め、体調不良に悩む人々は少なくありません。このことに対する国や福島県の責任を明らかにしない限り、福島原発事故によって無用な被ばくによって苦しんでいる人たちの救済が果たされないばかりか、将来の原発事故の際にもまた同じ悲劇が繰り返されることになる、そのような切実な思いで提起された訴訟でした。
提訴の翌年2015年2月、裁判をどのように審理するかを協議する第1回目の進行協議の会議が行なわれ、国や福島県の大勢の代理人によりすし詰めとなった会議場に参加した原告の井戸謙一弁護団長は次のように報告をしました。
「圧倒的な数の被告代理人らをみて、被告らが、この裁判には絶対に負けるわけにはいかないと考えていることを感じました。他方、裁判所は、この裁判が社会的にも強い関心を持たれる重要な裁判であること、科学論争が予想され、難しい裁判になるとの認識を言葉の端々で示されました。
長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を無視して、これによって健康被害が生じてもうやむやにしてしまうという政策は、そのまま原発再稼働、核兵器所有に結びついています。その政策のために、ふくしまの子どもたちが犠牲にされているのです。長期低線量被曝、内部被ばくの危険性を正面から問う裁判は、日本全国を見渡しても、この裁判しかありません。負けるわけにはいかないとの被告代理人らの姿勢、重大な裁判であるとの裁判所の認識に触れ、改めて、この裁判の重要性を感じるとともに、原告こそ負けるわけにはいかないのだと思いを強くしました。」
すなわち、この裁判こそ311の福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判であると。
この思いを胸に、原告らは10年間、被告の責任を明らかにしてきました。これに対し、2021年3月1日の福島地裁判決、そして2023年12月18日仙台高裁判決は私たちの主張をことごとく退けました。しかし、そこにはきちんとした理由付けが何もありませんでした。そこで、原告らは、最高裁に上告し、今年3月、私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張する上告理由書を提出し、最高裁に、高裁判決と上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰ぎました。
ところが、最高裁は、それから1年もしないうちに早々と、今回の決定で、原告らの主張は認められないとだけ述べて、内容には全く踏み込まず、4行と2行の判決文(>全文)で、文字通り三行半で原告らの申立てを退けました。最高裁はこれまで、重要な人権の裁判については、その結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的な判断を示して来ました。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと原告の訴えを退けましたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって、最高裁の考えを示しました。昨年6月17日の福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁判決すらもその理由を明らかにしました。
なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政とちがうところだからです。なんで今の国家に、立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに必ずその結論を導く証明をすることが求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界なんです。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害のゴミ屋敷です。
今申し上げたように、子ども脱被ばく裁判は福島原発事故後の日本社会の再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判です。しかし、このような重要な裁判に対し、最高裁は「理由を示してなんぼの世界」という存在意義を自ら否定して、具体的な判断を一言も示さなかったのです。
これを子どもが聞いたらどう思うでしょうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。したがって、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要がありました。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るでしょうか。できるはずがありません。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきです。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきです。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れないと思うのです。
そして、これは子どもたちの問題だけではありません。今回の判決によって最高裁は人権侵害のゴミ屋敷の中で自死してしまいました。そのために大変な被害を被ったのは福島原発事故の沢山の被害者ばかりではなく、裁判所を「人権の最後の砦」とみなしてつきあってきた私たちひとりひとりの市民です。
今回の判決が教えることは、私たち市民は私たちの人権がゴミ屋敷の中に打ち捨てられているとき、これを救済する大切な砦を失ったということです。
最高裁の上には裁判所はありません。しかし、最高裁の上には主権者である私たち市民がそびえているのです。市民が、日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にして平然としている最高裁に「それはおかしい」という声を上げること、それによって、人権侵害のゴミ屋敷社会から復興できるのです。それは一気には実現できないでしょう。だが、あきらめずに一歩一歩前に進む中で、必ず実現できます。今日はその最初の一歩の呼びかけをさせて頂きました。共に頑張りましょう。
◆避難者追い出し裁判が係属中の最高裁第2小法廷に対する要請文
令和6年(オ)第808号 令和6年(受)第1046号
最高裁に望むこと
上告人ら代理人 弁護士 柳原敏夫
誰がために司法はあるのか
今から7年前、福島から自主避難したひとりの母親が自死しました(別紙資料参照)。この方は先月30日、第二小法廷で決定が出た「子ども脱被ばく裁判」の元原告でした。
彼女の訃報に接したとき、もし原発事故から命、健康、暮らしを守る救済法があったなら、彼女は死なずに済んだと思いました。彼女もまた、本裁判の被告(上告人)らと同様、福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ちた人です。本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった人です。その結果、救済されない中、「命をかけて子どもを守る」と決断して自主避難を選択し努力してきましたが、とうとう力尽きてしまったのです。
司法とは、旧優生保護法を違憲とした今年7月3日の最高裁判決がみずから模範を示したように、立法的な解決が図られず人権侵害が放置されたとき、そこで「さ迷い苦しみの中にいるこの母親のような市民」を救うためにあるのではないでしょうか。311以来、さ迷い苦しんできた点では本裁判の被告(上告人)らも全く同様なのです。
法律がないことは救済しない言い訳にはならない
もし今、半世紀前の公害国会で制定された公害対策基本法などに相当する原発事故の救済法があったなら、本裁判の被告(上告人)らは被告席に座らされることはありませんでした。
けれども、たとえ、そのような立法的解決がなくても、なお救われる道はあるのだということを今回、知りました。それが、性同一性障害特例法を違憲とした昨年10月25日最高裁決定です。
この最高裁決定が遠慮深く示したエッセンスをズカッと言えば、それは法律の上位規範である国際人権法に照らし、これと適合するように日本の法律は解釈もしくは補充されなければならないということでした。つまり、福島原発事故のように既存の法体系が予想していなかった紛争(事態)が発生し、その救済のために必要な立法が用意されていない場合でも、司法は、この「法の欠缺」状態に対し、法律の上位規範である国際人権法に使って、「欠缺の補充」をすることが出来るし、しなければならない。つまり、原発事故の自主避難者を救済する法律が制定されていないことが司法が彼らを救済しない言い訳にはならない。
これが昨年10月25日最高裁決定によって示されたのです。
今こそ法律の原点に戻るとき
私たちの社会が既存の法体系の想定していなかった未曾有の困難に直面したとき、法律は何をなすべきか。それは法律の原点に戻ることです。公害問題が未曾有の困難な状態にあった33年前の1981年12月16日、大阪国際空港公害訴訟最高裁判決で団藤重光裁判官が次の少数意見を述べました。
「本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によっては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。」
しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合には、その時こそ裁判所の出番であると次の通り締めくくりました。
「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)
すなわち、社会的変動やカタストロフィーによって「法の欠缺」状態が発生したにもかかわらず、立法的解決が図られず、放置されている場合には、その時こそ司法が積極的に問題解決に乗り出す番である、と。そして、その積極的に問題解決を図るキーワードが、近年、最高裁がみずから模範を垂れた数々の違憲判決で示した国際人権法というキーワードです。本裁判もまた、最高裁がみずから示した国際人権法というキーワードを模範にして忠実に判断されるべきなのです。
ただし、世界に、原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法の全貌をトータルに制定した国際人権法はありません。法律もまだ1つしかありません。1986年のチェルノブイリ原発事故の経験から生まれたいわゆるチェルノブイリ法だけです。
国際人権法だけでは原発事故の救済をリアルに具体的に考えることは困難です。日本社会が311で初めて直面し、それまで考えたこともなかった問題「原発事故の救済はどうあるべきかを原発事故の全貌に即してトータルに考察すること」、その問題を解くためにはチェルノブイリ法を参照することが不可欠なのです。
この意味で、チェルノブイリ法が原発事故から被災者の命、健康、暮らしを守る救済法を考えるための原点です。つまりチェルノブイリ法を参照することによって、原発事故の救済はどうあるべきかという救済法の全貌が初めて明確になるのです。そのビジョンを分かりやすく示したのがブックレット「わたしたちは見ている」です。これを、本裁判の上告人らは本来、どのような救済を受けるべきかを考えるための重要な資料として添付します。
本裁判の真の当事者は子どもである
最後に、本裁判の本当の当事者は子どもたちです。たまたま彼らは子どもであるために本裁判の被告に指名されなかっただけで、福島原発事故後、子どもたちこそ被告と生死を分かち合ってきた、被告が一番守りたいと思った家族その人たちです。
最高裁は、本裁判の真の当事者である子どもたちが見ていることを決して忘れないで欲しい。これから最高裁が下す判断が、未来しかないこの子どもたちにとって、どのような意味が持つのかとくと考えて欲しい。
子どもたちがこれから生きていく上で、彼らに一生の希望を授けるのか、それとも一生のトラウマを与えるのかを自覚し、子どもたちに恥じない判断を下して欲しい。
そう切に願うものであります。
以 上
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