【アクション告知】

■ 官邸前アクション (毎月19日を予定)
   日時: 7月19日  (17:15~18:00  時間を変更しました
   場所: 
官邸前
   内容: 抗議集会

■ 新宿アクション (第2の土曜日開)
   日時: 8月10日(土曜 17時~18時  (予定です)
   場所: JR新宿東口 アルタ前広場
   内容: 街頭宣伝

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2018年12月22日土曜日

【お知らせ】12月22日光塾講演会:市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会 「戦争と平和――NOでは足りない、YESを言い、実行する必要がある――」

光塾で、今月22日(土)に、以下のスケジュールで市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会を行います。
311からまもなく8年が経過。
私たちは、311直後のアクションを単に持続するのではなく、そこからもう一歩前に進む必要がある。
この間の振り返りの中から、新しい再出発を願っている方に向けて、以下のテーマ「戦争と平和。NOでは足りない――YESを、積極的に平和を創り出す必要がある」(そのレジメは末尾)について報告します。




第1部、戦争
 私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない。
 放射能の>いつも変わらぬ無言のシグナルは
 ――ユルユルと、ボケっと生きてんじゃねえよ!

第2部、平和
 平和は歌を歌って実現するものでも、ハトや虹の絵を描いて実現するものでもない。
 そのためには、実現可能な明確なビジョンをつかみ、これを実行する必要がある。
 それが「平和を再定義すること」、平和に向けて持続可能な現実的なビジョンを持つこと。
311後の私たちに残されていること
 ――311原発事故後の「福島の犯罪」をただし、命の救済を現実化、具体化すること、
 それが、市民立法によるチェルノブイリ法日本版の制定。

(※)世界で最初の市民立法の条約(対人地雷禁止条約)を成立させた市民団体「地雷禁止国際キャンペーン」のメンバー。
 

 日時:2018年12月22日(土) 13:00~ (開場12:30) 
 会場:光塾公式サイト)   
     東京都渋谷区渋谷3-27-15 光和ビル地下1階
    (JR渋谷駅新南口すぐ マクドナルド向かい->地図)    
 演題: 市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
       戦争と平和――NOでは足りない、YESを言い、実行する必要がある――
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
◆ スケジュール
  柳原の話    13時~15時
  質問タイム   15時~15時半
  交流会     15時45分~17時
 参加費 無料(福島原発事故の避難者の方には交通費補助あり〔上限2千円〕)
 主催:脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会) 
     問い合わせ先 090-8494-3856(岡田)

        **************

戦争と平和(=命最優先の復興)
NO
では足りない――YESを、積極的に平和を創り出す必要がある

                                              柳原敏夫
自主避難者の人の言葉

それは――3・11以来、百戦百敗、ずっと負け続けてきた。なぜ負け続けているのか。その訳は私たちが旧態依然の発想しかできず、3・11以後の現実に追いついていないからではないか。


福島原発事故が明るみにしたもの

3・11原発事故が突きつけたもの――それは子どもの命・人権を守るはずの文科省や医学者が20mSv通知や「放射線の影響はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます

」等発言で「日本最大の児童虐待・最悪のいじめ」の張本人となり、加害責任を負う政府が救済者のつらをして、命の「復興」は口を閉ざし、経済の「復興」に狂騒し、汚染地の被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済的「復興」の妨害者として迫害され、密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を演じる。狂気が正気の振りをし、正気が狂気扱いされている。3・11ショックのどさくさ紛れの中で、「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」の世界が出現したことにある。

しかし問題はむしろ私たちの側にある。なぜなら、この悪夢のような出来事を前にして、「うそでしょう」「夢であって欲しい」と今なお茫然自失のショック状態にいるからある。そのため今なおこの現実と対決することができず、引きこもりかオリンピックのお祭り騒ぎかという現実逃避の中にいる。子どもの命を守るためにはこの現実逃避から抜け出す必要がある。そのためにまず次の問いが必要となる――このあべこべの世界はなぜもたらされたのか。


「あべこべ」をもたらしたもの
 
「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン)というメガネをかけてあべこべの世界を眺めると、3・11以後の「あべこべの世界」はショック・ドクトリンの正しい適用にすぎないと分かる。「ショック・ドクトリン」の原理は「危機のみが真の変革をもたらす」(山下俊一語録「ピンチはチャンス」)、それゆえひとたび危機が発生したら人々が茫然自失状態の間に一気呵成に「変革」を強行することが肝心で、この間に断固とした行動を取る機会を逸すれば、変革のチャンスは二度とやってこないと肝に銘じている。それが一方で、事故直後のどさくさ紛れに福島県のみ(!)学校安全基準の20倍引き上げの通知、ミスター100mSvの異名を持つ山下俊一発言と彼の設計による欺瞞的な福島県の県民健康調査、被害者の救済を原発周辺の住民に限定し、それ以外には徹底した自己責任(新自由主義)を押し付け、他方で、秘密保護法の成立、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安保関連法の成立、共謀罪の成立と戦争に突き進む、憲法違反を承知で強引な政治改革の実現――それは3・11前には考えられなかったような、火事場泥棒の法的クーデタと呼ぶほかない異常事態である。3・11以後の日本は国中が原発事故に翻弄された国難などではなくて、「ピンチはチャンス」の通り、原発事故という危機をここぞとばかりに、私たちが茫然自失のショック状態の間に、一気呵成に、原発事故前には不可能だった政治改革を実現した千載一遇のチャンスだった。

このストーリーはチェルノブイリ事故でも実行され、「チェルノブイリの犯罪」と呼ばれだ。3・11以後の日本も「福島の犯罪」と呼ぶのが相応しい。小説家カミュは「犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、証言することへの執念のほか、この世に何があるだろうか」と言った。3・11以後の日本で、猛烈な執念で実行された「福島の犯罪」に対抗する術として、単にNO(「再稼動反対」「支援を打ち切るな」)と言うのでは足りない、「惨事便乗型政治改革」に代わる、積極的、ポジィティブな改革を言う必要がある。それが「これは犯罪であり、犯罪は正されなければならない」と証言することへの執念であり、これ以外に今の日本に何があるだろうか。この犯罪を正すこと、その最初の一歩が、原子力災害から私たちの命・健康・暮らしを守る世界最初の人権宣言である旧ソ連のチェルノブイリ法、その日本版を制定することにほかならない。


「もう一つのあべこべ」の可能性

だが、日本社会が持ちうる最悪の要素の全てを露呈した3・11以後の「全てがあべこべ」の暗黒時代にそれは可能だろうか。可能である。なぜなら、3・11以後に出現した「あべこべ」は生半可なものでなく、悪のあべこべだけでなく、政治を一握りの職業的専門家にお任せする「お任せ民主主義」から、アマチュアの市民が自ら統治する市民主導の参加型民主主義に交代する「もう1つのあべこべ」をも生み出したからである。それは《職業的専門家とアマチュアのあべこべの時代》をもたらし、3・11まで劇場の観客にすぎなかった市民が、3・11以後、みずから舞台に上り、政治、経済、科学技術、文化で発言するようになり、主役となろうとしたからである。これが市民主導で原子力災害から市民を守る立法=市民立法の基盤だ。

ただし、このあべこべは誕生したばかりで、これを育てるか枯らすかは私達市民の手にかかっている。そのためには過去に「市民立法」を実現してきた「希望の扉」を全て叩いて、扉を開け、希望の泉を汲み出し、芽をふいたばかりの私たちの取組みに注ぎ込む必要がある。公式の日本史に載らない、「希望の扉」が我が国に存在してきた、それも至るところに。市民の市民による市民のための市民立法「チェルノブイリ法日本版」のエッセンスは《今日の革命は参加という名前である》の言葉に詰め込まれている。NOでは足りない。3・11で被ばくした子どもたちを救えないようでは日本はおしまいだと絶望する前に私たちにまだやれることがある。私たちはミセン(未だ生きず)の中にいる。

2018.12.2)

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