5.21 新宿デモ 呼びかけ人の皆様からのメッセージです。
5.12現在
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新宿デモに寄せて ちばてつや
あの3月11日から数日、福島の定点カメラから送られてきた、原子炉の屋根が煙を上げて吹き飛ぶ瞬間の映像がもたらした絶望感は、そんなに簡単に忘れてしまえるのだろうか。
想像を遥かに超える大惨事を引き起こしてから10年以上。
いまだ被災した方々への充分な補償もなされないままなのにもかかわらず、原発を脱するどころか運転期間は粛々と60年に延長され、私たち国民が少しずつ出し合って東日本の復興のために、と信じて納めてきた復興税が、なぜか防衛費に転用される。
こんなにも壊れてしまった現実を正すことが出来るのは「絶対にあの人災を忘れない」という一人ひとりの「覚悟」だけなのかもしれない。
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令和5年5月21日 「第18回 新宿デモに寄せて」 …………………郡山市から静岡に避難 「子ども脱被ばく裁判・原告」 長谷川克己
私は原発事故から5ヶ月が経った2011年8月に、当時妊娠中の妻と、5歳の長男を連れて、福島県郡山市から静岡県富士宮市に自主的に避難をしました。 当時は不勉強で、原発のこと、放射能のことは、全く無知に近かった私ですが、わからないながらも、 明確な根拠が見つからない中で、 「安全と思い続けて暮らし続けるか?」 それとも、 「安全でなかったと仮定して避難をするか?」 を悩みに悩み、結果、後者を選択しました。 それを選択するということは、 一時的には、「仕事」、「地域の繋がり」、そして「信頼」、 失うものが大き過ぎることを想像するのは、難しくありませんでした。 しかし、どの問題も、 「子どもの命、健康を危険に晒す」という事柄とは、比べる価値もないと思いました。 ただ、そんな私でも 「福島に残った子どもたちが、ずっと健康でありますように。」 「10年、20年経った時、私が気にし過ぎている人だったとの結論が出れば、それはそれで良い。」 「いつまでも、そう思い続けられる大人でありたい。」 と願いました。 あれから12年。 今の私は、そのことに明確な答えを持ち合わせておりません。 しかし、「避難」の選択をした自分自身には、ずっと誇りを持ち続けています。 そして、私にとっての 「子ども脱ばく裁判」は、 避難の善悪を論じるものでもなく、 健康被害の有無を論じるものでもなく、 ただ、日本の片田舎に住んでいた、ひとりの父親として、 被ばく地に、身を置かせてしまった我が子に対して、 「お父さんなりに必ずケジメをつけてみせるからね。」 そう言える自分であり続けたい。 そんな裁判なのです。
海の向こうに住む人間なので、デモには参加する機会はありません。実は一度だけ、山本太郎さんが来られたデモに参加する機会に恵まれました。そして、先月、日本訪問の際には、新宿に何度か行き、あのデモの場所を通りました。あの自分が参加した時のことを、そしてみなさんが、あの場所で人々に呼び掛ける様が想像できました。
今回も、放射線の危険性について、話す機会が与えられ、特に内部被ばくの異常な危険性について自分ながらの考えを聞いていただきました。現在、議論されている話題は、年1mSvならいいが、政府はそれを10 mSv/yに引き上げようとしている、それはとんでもないことだといった議論です。この”1 mSv"とか"10 mSv"は、空間線量を、それがその地点に立つ人間に及ぼす外部被ばく線量として表示している(どうやって、人体への線量が空間線量から分かるのか)のですが、実は、危険なものは、内部被ばくなのです。空間線量が高いところは、低い所より、内部被ばくをもたらす微小粒子を取り込む可能性は高いとは、言えましょうが、実際は内部被ばくをもたらす微粒子を取り込むのは、いつ、どこでか、なかなか予想することは困難、いや不可能です。でもやはり、被ばくを避けるためには、なるべく空間線量の低いところに移住する必要がある(人権として権利あり)。そして、より意味のある線量は、土壌からのベクレル値の測定であり、より広範に、定期的に測定することでしょう。
放射線被ばくの影響をより受けやすいのは、子供たちであり、将来のある子供たちを放射線被ばくから守ろうとする、この団体のデモ(を含む様々な催し)の運動は大変重要です。どうか、通りがかりの皆さんへ、その意義がよく伝わるように頑張ってください。
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放射線を浴びることがからだに悪いことは、医学的常識です。
小さな子供ほど、その悪い影響が大きいことも、明らかにわかっています。
でも、核を利用して軍事や経済的な権力を握ろうとする人たちは、それを隠そうとしてきました。
そんな力が働いて、福島原発事故による健康被害は、十分に究明されないまま、蓋をされ、否定され、話題にすることすら、タブーになっています。
事故後に甲状腺がんになった福島のお子さんたちは300人を超えています。
再発して、何度も手術を受けたり、肺に転移して命の危険を感じているお子さんもいます。
福島原発事故による被ばくで甲状腺がんになったかどうか、について、実は、患者さんの被ばく線量はきちんと調べられていません。
被ばく線量をきちんと調べもしないで、なぜ、関係ない、と言えるのでしょうか?
もっと調査や研究をしなければ、という意見があったのに、「被ばくと関係ない」という結論だけが報道され、まるで事実かのように扱われています。
医学が、科学が、政治的な力で捻じ曲げられ、国民の健康や命がおろそかにされているのです。
地震大国の日本では、これからも原発事故が起こる可能性はとても高いです。
単純な真実、被ばくはからだに悪いことを、みんなが知った上で、この日本に原発を作っていいのか、
素直に考えて、正しい判断をする人が増えてほしい、と願っています。
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「脱被ばく実現ネット」の皆様
皆々様の熱い熱意はとても貴重です。お疲れ様でございます。
矢ヶ﨑克馬
(1)被曝は強靱な国際的体制によって住民に押しつけられている「権力的強要」によりますので、個人で気を付けたら解決できる部分はほとんど無い健康被害です。
放射線の害悪の根源である「電離作用」の理解が量子力学的に難解であるが故に被曝被害が分かりにくいのでは決してありません。ただただ国際権力が被曝被害を隠蔽し、被曝被害を受け入れる社会を誘導していることによるのみです。矢ヶ﨑は被曝に関する虚偽リードのこの情報操作を「知られざる核戦争」と呼んで来ました(矢ヶ﨑克馬:放射線被曝の隠蔽と科学緑風出版(2021))。
(2)東電福島事故以来12年を経過いたしましたが、海の食物連鎖の結果、魚介類の汚染は時間が経過するほど数値が上がり深刻になっています。
過去最高と記述された魚介類汚染記録は次のような状況です。
ストロンチウム90:
① 2017年7月13日―30Bq/kg(クロダイ)
② 2019年9月11日―54 Bq/kg(クロソイ)
セシウム137
① 2019年2月31日―161Bq/kg(コモンカスペ)
② 2021年2月22日―500 Bq/kg(クロソイ)
③ 2022年1月27日―1400Bq/kg(クロソイ)
今年に入ってからも自主基準を超える汚染が確認され、出荷停止となっている状況です(2023年2月7日―85.5Bq/kg(スズキ))。
食を通じての内部被曝の危険が遠のいているのでは決してありません。
その上にALPS汚染水が海洋投棄されようとしています。
岸田内閣によって「原発回帰」が強制されます。
(3)放射線被曝(外部、内部)の被害は世界の分厚い組織体制(①国連科学委員会、②核拡散防止条約の中で原発の普及に責任を持つ基幹的組織であるIAEA、③核兵器推進国と原発推進機関から派遣された「専門家」で構成されているICRP等)によって現実の数百分の1以下に軽視された水準で規制されています。
被曝の現れ方や原因が難しいから理解できないのではなくて、市民に本当のことが知られたら核支配と核産業が成り立たなくなるので被曝被害が隠されているのです。
(4)放射線被曝被害の現実を知ることと、それが隠されていることをきちんと認識することが大切です。
東電事故に際しては、被曝から市民を防護する法律があるのに、それが適用されずに、核産業の都合が良い「住民を高汚染地域に住ませ続ける」方針が適用されました。「法治国家」であるはずなのに、法律に無い基準で処理されました。法律は国家の住民との約束事なのですが、それが無視されました。防護法体系が瓦解したのです。
同時に核産業の哲学(露骨な功利主義:基本的人権より核支配と儲け)が、「核抑止論」普及とエネルギー対応でも世界の政府を支配し、逆流が顕になっています。
(5)立憲制民主主義の国の民はありのままの認識に基づいて基準化された国の法律を誠実に施行することを求めます。
日本(福島)では、政府・福島県が基本的人権に基づいての住民防護を極端に放棄してきたものですから「放射線被曝に気を付けよう」などの呼びかけが、逆に生きる上での精神的妨害と受け止められる現象さえ生じました。
私たちは主権者として住民を守る政府を作り、住民を守る法律を適用させる主権者としての原点に立つべきです。
人権保護を明記したチェルノブイリ法はその明快なモデルです。
基本的人権を基盤とする法律(チェルノブイリ法日本版)を私たちは求めます。
共に頑張りましょう。
(つなごう命の会、矢ヶ﨑克馬)
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