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2014年5月19日月曜日

賛同のお願い(「美味しんぼ」問題)

「美味しんぼ」問題に対する抗議行動に市民の皆さんひとりひとりが参加し、賛同の意思を表明して下さい -->こちらから

以下は、そこへの書き込みを求める「 賛同のお願い」です。

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賛同のお願い
ふくしま集団疎開裁判の会

今回の「美味しんぼ」問題では、「福島の真実」に関する作者の「表現の自由」と私たち市民の「知る権利」が損なわれたのみならず、苦しみの中で救済を求めている福島の多くの人々の「真実、そして真実と信ずる見解を表明する自由」がますます奪われ、その結果
社会の最も弱い立場にいる福島の子どもたちの「命と健康」という最も尊い人権が踏みにじられる結果となりました。私たちはこの事態を決して容認することができず、抗議の声をあげました(福島県に対する抗議文->こちら)。
以下の抗議の趣旨に賛同いただけるようでしたら、賛同人としてご返信いただけたら幸いです。またその際、一言、賛同メッセージをお寄せいただけたら幸いです。

まえがき

 福島原発事故は日本史上最悪の人災です。その1ヵ月後、文科省は子どもたちを救助するのではなく、学校安全基準をいきなり20倍に引き上げ、福島の子どもたちを「福島収容所」に閉じ込めました。これは国際法に照らし「人道に対する罪」に該当する、戦後日本史上最悪の人権侵害です。この政府の人権侵害行為をただすため、福島の14人の子どもたちが自分たちを安全な場所で教育をさせて!と裁判所に訴えました。これが「ふくしま集団疎開裁判」(以下、疎開裁判と略称)です。

 証拠を丹念に積み重ねて判断する近代裁判の原理に従えば疎開裁判は負ける筈のないものでしたが、負けました。その理由は裁判所に提出した証拠が不十分だったからではなく(事実について裁判所は私たちの主張を全面的に認めたからです[1])、裁判を支援する市民の声が不十分だったからです。それは「福島の真実」を伝える疎開裁判はマスメディアから徹底して無視され、その結果、多くの人たちは「福島の真実」を伝えようとする疎開裁判の存在すら知らず、裁判支持の声を寄せることすらできなかったからです。もし表現の自由の中心である市民の「知る権利」が正常に機能し、疎開裁判が伝える「福島の真実」を多くの市民が知る中で「子どもたちを救え」という多くの声があがれば、疎開裁判は間違いなく勝ち、子どもたちの救助は大きく前進したのです。

 市民の「知る権利」の実現という反省を踏まえ、私たちは今、裁判所だけでなく、多くの市民に「福島の真実」を伝える第二次疎開裁判の提訴を準備中でした。

本 題

 その矢先、「福島の真実」を伝えようとする情報がマスメディアに登場しました。本年4月28日と5月12日発売の雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載の漫画「美味しんぼ」です。その内容は、健康被害にしても、除染の効果にしても疎開裁判に関わってきた者からみて常識ともいうべき、ごくつつましいものでした(脚注の通り、仙台高裁の判決は「郡山市の子どもは低線量被ばくにより生命・健康に由々しき事態の進行が懸念される。」「除染技術の未開発、仮置き場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない。」と明言したからです)。しかし、これが「福島収容所」の完成を目指す政府(環境省)、閣僚、自民党、福島県、双葉町の神経を逆なでし、彼らから「風評被害を助長するものとして断固容認できず」と激しく非難され、一部マスコミからヒステリックに報道されました。

周知の通り、現代の科学水準では放射線による被ばくと健康被害の関係(因果関係・メカニズム)は大部分が未解明です。つまり安全とも危険とも断じることはできない。その結果、安全と危険の間で、灰色に関する様々な見解があるのは当然です。にもかかわらず、今回、権力者である政府や福島県は、彼らにとって「不都合」な見解を根拠のない噂=風評と断定して、およそ議論の余地なしとしてマスメディアの場から排除しています。これは表現の自由に対する重大な抑圧です。その結果、マスメディアから情報を得ている多くの市民は、政府や福島県にとって「不都合」な見解を「知る権利」を奪われ、相対立する複数の見解同士の吟味を通じて、最適な見解を選択するための「自由な言論と討論の広場」が機能しなくなります。これは「自由な言論と討論の広場」を土台とする民主主義にとって、息が根が止められる危機以外のなにものでもありません。

のみならず、今回の騒動を通じ、「鼻血が出た」という目の前で経験した事実すら口にすることを憚かれる風潮が強まっています。その理由は「鼻血が出た」という事実によって、それが「放射線による被ばくと何かしらの関係があるのではないか」という疑問が提起され、この灰色の問題について率直な討論が起きることを極度に恐れ、これを未然に排除するためです[2]

「鼻血が出た」は疑いようのない経験的事実です。それが被ばくによるものではないかという疑いも理性のつぶやきです。これらを封じ込めようとする社会はもはや民主主義社会を標榜する資格はありません。

結論(賛同のお願い)
 以上の言論抑圧の結果、いま福島では、放射線による被ばくと健康被害の関係について、そして「鼻血が出た」という経験的事実すら、政府と福島県の見解以外の見解を表明し吟味する場所が以前にも増して奪われ、「一見解」独裁の社会になっています。その結果、最大の犠牲者は言うまでもなく福島の子どもたちです。事実(経験的事実も科学的事実も)をねじ曲げて、「福島は安全である」という非科学的な見解を子どもたちを救助しない最大の大義名分にしているからです。

 もともと犯罪と分かっていても政府が子どもたちを救助しないことに決めたのは3.11で足踏みした原発の再稼動,輸出を再び推進するためです。そのためには「事故を小さく見せる」ことが至上命令であり、この課題にとって最大の障害が「被ばくによる子どもの健康被害」です。3.11以後も「子どもたちにとって福島は安全」であり、子どもたちの健康にも環境にも変わりがない(健康被害が発生しても被ばくとは関係ない)と言い続けることが絶対の要請であり、子どもたちの集団疎開はタブーだからです。この方針を堅持するためには言論抑圧さえ辞さない、それが今回の「美味しんぼ」事件の本質です。
これに対して、私たちは、これが作者の「表現の自由」と私たち市民の「知る権利」に対する重大な侵害であることはもちろんのこと、苦しみの中で救済を求めている福島の名もなき多くの人々の「真実、そして真実と信ずる見解を表明する自由」に対する侵害、その結果、何よりも第一に、社会の最も弱い立場にいる福島の子どもたちの「命と健康に生きる権利」に対する許しがたい侵害であるとして、抗議の声をあげました(福島県に対する抗議文->こちら)。

今月21日には、参議院議員会館で、福島の人々から「福島の真実」に関する見解を表明する場を設け、「美味しんぼ」の表現が根拠のない噂=風評かどうかを検証し、政府や福島県の言論抑圧の是非・意味について議論を深める予定です(詳細->こちら)。

「福島の真実」に対する言論抑圧は私たちの民主主義に対する3.11以来最大の事件です。言論抑圧を許し、このまま福島の人々とりわけ社会の最も弱い立場にいる子どもたちが「福島収容所」に閉じ込められるなら、福島の未来のみならず日本の未来もありません。社会の最も弱い立場にいる子どもたちをこれほどまでに無惨に取り扱う社会は道徳的に腐敗し切っていると言わざるを得ないからです。


参考:ふくしま集団疎開裁判の会の ブログ->こちら
                 HP ->こちら


[1] 具体的には次の通り(2013年4月24日の仙台高裁判決。詳細->こちら)。
◯郡山市の子どもは低線量被ばくにより生命・健康に由々しき事態の進行が懸念される。
◯除染技術の未開発、仮置き場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない。
◯被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない。

[2] 予防原則を本来の用法である人権侵害や環境破壊を未然に防止するために使うのではなく、正反対に、人権侵害を確実にするために予防的に使うもの。

1 件のコメント:

  1. 生存権と電気代のコストを並べて論じること自体が「法的には許されない。」福井地裁
    生存権・言論の自由と電気代のコストを並べて論じること自体が「法的には許されない。」自由民権運動かな。

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