大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより
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(文責 柳原敏夫) 11月3日(土)、神奈川県横須賀市の中央診療所3階で、市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会をやりました。 チェルノブイリ法日本版情報の詳細は-->こちら
最初向かったのが、市民がその存在を見ることができる数少ないモニタリングポストの1つ。
米海軍横須賀基地のゲート前をすぎて、Uターンして到着したのが横須賀市立総合福祉会館。
この会館1階の駐車場内をグルグル移動して、行き着いた先、誰も来ないような場所にそれはひっそり設置されていました。
このモニタリングポストをぐるりと見回しても、誰が、いつ、どういう目的で、どんなことをしているのか、その情報は一切記載されていませんでした。だから、横須賀市民はこれが何なのか、おそらく誰も知るまい。
原子力災害から人々の命、健康を守るモニタリングポストを総合福祉会館の一角に設置するとは、関係者はどんな味わい深い計らいをしたのかと忖度していたところ、どうやら思いちがいらしく、真相は、ここが米海軍横須賀基地に隣接する場所だから設置されたようでした。というのは、モニタリングポストのものものしいフェンスの向こうは米海軍横須賀基地でした。
航空写真で見ると、赤丸で囲んだモニタリングポストが、米海軍横須賀基地との関連性、原子力艦船(空母や潜水艦)の放射能災害を想定したものであることが明白です。
ところで、このことは横須賀市民には明らかにされているのでしょうか。
原子力規制委員会のHPで、「モニタリングポスト」で検索しても何も出てこない(素晴らしい!)。
ほかのサイトで調べて、モニタリングポストはどうやら原子力規制委員会の中の組織で日本各地の事務所(原子力規制事務所)が設置しているらしいと分かったので、「原子力規制事務所」と検索しても、何も出てこない(これまた素晴らしい!)。
幸い、トップページの見出しに「原子力規制事務所」が見つかったので、これをクリックすると、
原子力規制事務所の地図です。
と、地図が出て、各地のページに移動します。
しかし、ここでも、原子力規制事務所は、何の目的で、何をしているのか、その解説がありません。
この正体不明の事務所を、横須賀に追って行くと、横須賀のページにジャンプし、
【対象施設】と【原子力規制事務住所】と【沿革】【活動報告】【面談記録】が表示。
しかし、ここでも、横須賀の原子力規制事務所は、何の目的で、何をしているのか、その解説はありません。
そして、【対象施設】として、米海軍横須賀基地は記載されていません。モニタリングポストのモの字もありません。
つまり、横須賀の原子力規制事務所は米海軍横須賀基地の放射能災害は関知しないらしい。だったら、市立総合福祉会館内に設置されている、このモニタリングポストは誰が管理しているの?
ほかのサイトで調べたら、原子力規制委員会の中の組織に、
横須賀原子力艦モニタリングセンター
があるらしい(原子力規制委員会のHPで検索しても見つからない。これまた素晴らしい!)。
しょうがないので、Googleで検索したら、神奈川県のHPの「原子力艦の安全対策に関する取組」の「原子力空母ジョージ・ワシントン配備に伴う国の対応」の見出しに次のように記載されていました。
常時、空間放射線レベルを測定・監視するためのモニタリングポストを4基から10基に増設。
そして、「横須賀港周辺の放射線測定データ」の見出しに、
原子力規制庁の委託を受けた公益財団法人日本分析センターが運営しているホームページにおいて、最新の放射線測定データを公表しています。
最新の放射線測定データ (24時間常時観測中(2分毎にデータ更新)
「日本の環境放射能と放射線」へリンク)
と記載されていたので、 上記リンクをクリックすると
横須賀、佐世保、金武中城の3港の放射線測定データが表示されたので、横須賀をクリックすると、横須賀の10箇所のモニタリングポストの設置場所と測定データが表示されました。
この10箇所のうち、真下の「本町局」が、横須賀市本町2丁目2−1の横須賀市立総合福祉会館に設置されたモニタリングポストです。
以上の推理と調査から、このひっそり設置されたモニタリングポストは、
原子力(情報)規制委員会→横須賀原子力艦モニタリングセンター→日本分析センターが管理しているものだと分かりました。
このあと向かったのは、 江戸初期に横須賀に住んだイギリス人三浦按針にちなんだ按針台公園。
理由は、横須賀市の公園で原子力空母が見えるのは唯一、按針台公園のため。
けれど、海側にはフェンスがあり、フェンスの先には、分厚い垣根が訪れる人たちの視界をふさいでいる。つい、フェンスを登ってみたくなる。しかし、フェンスには「登らないで下さい」と警告の表札。
そこで、思い切り両手を上に伸ばして撮影。
この日、空母の護衛艦だけで、原子力空母は不在(フィリピンに出航中とのこと)。
振り返ると、この公園の訪問者は撮影されていることを告げる表札が目に入る。政府の情報は極力公開せず、個人の情報は常時収集するという監視体制が張りめぐらされている按針台公園。
その次に向かったのが、横須賀の原子力規制事務所のHPで、【対象施設】として掲げられていた「株式会社グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン」(GNF)
この日、 GNF前で、解説してくれた菅沼みどりさんらによると、
GNFは、日本の会社というより、米国のGE(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)、日立、東芝の原子燃料の営業、設計、開発、製造部門を統合して作られた国際合弁会社(国際原子力ムラの企業)で、日本の原発の半分を占める沸騰水型原子炉(BWR)の核燃料棒の製造を一手に行っている企業。
ウラン粉末から燃料棒を作る過程で、東海村のJCOの臨界事故のような放射能災害を起す危険があります。事実、2008年7月に、工場内でウラン化合物が漏れ、作業員が被ばくする事故(原子力資料情報室の記事)、2013年6月に、ウラン粉末が入った金属製の容器二つが接触する事故が発生したと原子力規制委員会が発表(横須賀危機一髪!「燃料工場でウラン容器接触 臨界、被ばくはなし」 )。
なので、GNFのアメリカ社の工場は、ノースカロライナ州ウィルミントンの人里離れた森の中に作られています(以下はアメリカ合衆国原子力規制委員会のHP掲載の工場の写真)。
ところが、日本のGNFの工場は人口密集域のど真ん中に、堂々と建てられている(下の航空写真の赤い印がGNFの工場)。そこで、GNFは、毎年、周辺地域の盆踊りなどのイベントに協賛金を注ぎ込んで、地域住民との融和に努めてきたそうです。けれど、いくら会社が融和に努めても放射能は融和政策を理解せず、ひとたび放射能災害が発生すれば地域住民に無慈悲に襲いかかります。
この日常の中に核が存在し、放射能災害の危険性にさらされているという異常な仕組みをただしたいと、工場周辺に住む菅沼みどりさんたちは、30年前から、工場の前に立ち、GNFの危険性を訴え続けています。311原発事故を経験して、福島原発の燃料棒を提供し、原発事故の原因を作ったのが自分たちの町横須賀市のGNFであるという事実に震撼した市原さんらが新たに加わりました。 以下は、この日のGNFの門の前で、ここでは毎日が「特別警戒実施中」の世界であることを自ら表明し、市民の監視、抗議行動に対しては、断固たる態度を取るぞと「治安機関に通報」するぞと警告しています。
(正門に案内する市原さん)
このあと、学習会会場に向かい、学習会が終了したあと、市原さんは、福島原発事故ですっかり有名になった、放射能災害から市民の命を守る最前線となるオフサイトセンターに案内してくれました。横須賀では、放射能災害から市民の命を守る最前線はどこに、どんな風にあるのだろうかと少々興奮気味で、現場に案内してもらったところ、そこは児童相談所の建物の中だと判明。
(原子視力規制委員会のHP)
放射能災害から市民の命を守る最前線となるオフサイトセンターを「児童相談所」の一角に設置するというのは、関係者はいったいどんな味わい深い計らいをしたのかと思っていたら、市原さん曰く、
「ここはすぐ前が海で、海抜ゼロメートルです。なのに、 オフサイトセンターの装置・設備は児童相談所の地下にある。津波が来たらいっぺんで終わりなのは311で経験済みなのに、なんでそんなバカなことをするのか、職員に聞いても、そんなの、どうでもいいという感じで、答えませんでした。」
こうした人々の心に巣食っている三無主義(無気力・無関心・無責任)が自然界の災害と一体になったとき、私たちは取り返しのつかない地点に押しやられてしまう。 放射能災害の防災担当者の善意、熱意、努力を無条件に前提としてはいけないこと、それらは市民の参加(監視、圧力)によって初めて、正常に機能することを自覚する必要があることを、思い知らされました。
閑話休題。
以下、当日の学習会の報告です。この日、Facebookを見て来た方、東京杉並から参加された方もいました。
第1部は、チェルノブイリ法の前提となるチェルノブイリ事故の現実を学ぶため、Ourplanet制作のドキュメンタリー「チェルノブイリ 28年目の子どもたち1~低線量被曝の現場から」を上映しました。
第2部は、柳原敏夫から、チェルノブイリ法日本版について話をしました。
その動画とプレゼン資料&配布資料です。
◆動画
柳原敏夫の話(その1)(23分)
柳原敏夫の話(その2)
質疑応答
◆プレゼン資料(全文のPDFは->こちら)
「戦争と平和--私にとってチェルノブイリ法日本版--」
◆配布資料(PDFは->こちら)
「NOでは足りない--3.11ショックに対抗する、もう1つの「あべこべ」は可能だ-」
NOでは足りない--3.11ショックに対抗する、もう1つの「あべこべ」は可能だ-
2018.11.3 at横須賀 柳原敏夫
1、3.11とは何か。
単なる事故ではなく、それは事件、政変だった。311以後、私たちは過去に経験したことのない、「見えない異常な時代」に突入した。
単なる事故ではなく、それは事件、政変だった。311以後、私たちは過去に経験したことのない、「見えない異常な時代」に突入した。
2、3.11以後の気分
打ちのめされ、立ちあがれないくらい落ち込む連続だった。その最大の理由は認識が足りないこと、311以後の現実=「見えない異常な時代」に対する認識が足りないからではないか。
3、3.11以後の課題
第1に、311以後の未曾有の現実を認識する勇気を持つこと。
第2に、その現実認識に匹敵する理想=「現実を変える行動」とは何かを構想すること。
第2に、その現実認識に匹敵する理想=「現実を変える行動」とは何かを構想すること。
第3に、単に311以後の現実に対し、単にNOと言うのではなく、YESという理想に向かうこと。
4、3.11以後の現実
「自然と人間の関係」と「人間と人間の関係」を区別して現実を認識する必要がある。
4-2、「自然と人間の関係」:原発事故とは何か?
・放射線災害は自然災害とは違う(菅谷昭松本市長)
・年間1mSvとは、「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる状態が1年間続くこと」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))
・即死のレベルである10シーベルトの放射能これを通常のエネルギーに置き換えると10ジュール/kg。これは体温をわずか0.0024度上げるにすぎない。たったこれだけのエネルギーが人間に即死をもたらすのはなぜか?(落合栄一郎さん)
4-3、「人間と人間の関係」――「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」の世界の出現――
チェルノブイリ事故の「希望」と「犯罪」のうち、希望は用意周到に踏みにじられ、犯罪がより徹底して反復された。
子どもの命・人権を守るはずの者が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者に。
加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒。
被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害。
密猟者が狩場の番人を。盗人が警察官を演じている。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる。
5、3.11以後の課題
「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」という未曾有の異常事態をただすこと。
「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」という未曾有の異常事態をただすこと。
→そのエッセンスはシンプル。「私たちの運命は私たちが決める」「おかした誤りは放置せず、ただす」
6、3.11以後の具体的課題「被ばくから命・健康と生活を守るための4つの市民アクション」
①.国内-チェルノブイリ法に匹敵するチェルノブイリ法日本版(原発事故避難の権利法)の制定
②.国際1-チェルノブイリ法に匹敵するチェルノブイリ法条約(原発事故避難の権利条約)の成立
③.国際2-(スペイン・アルゼンチンほか)で、日本政府の責任者を「人道上の罪」で刑事告発。
④.生活再建-市民の自主的相互扶助の自立組織=社会的経済・連帯経済(協同組合、ワーカーズ、市民バンク、市民通貨)の創設
7、3.11以後の具体的課題はいかにして実現可能か
311以後、明らかになったこと→職業的専門家にお任せの「間接民主主義の機能不全・破綻」
311以後の異常事態を是正する道、その可能性の中心は「もうひとつのあべこべ」として出現した「市民の自己統治」(直接民主主義・連帯経済)の中にある。
そのために、私たちは「過去を再定義する」必要がある。私たち市民の先達が、過去の苦難の中で、いかにして、市民自身の力で自ら困難を克服していったかの歴史、記録を正しく認識する必要がある。
その一例が以下の歴史。
1872年 江藤新平らが、民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
1969年、歴史的な公害国会を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1997年、市民主導で成立した最初の条約、対人地雷禁止条約の成立。
1999年、市民主導で、本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法
2017年、市民主導で成立した2番目の条約、核兵器禁止条約の成立。
8、次は我々の番だ。
8、次は我々の番だ。
2018年3月、チェルノブイリ法日本版制定を進める市民運動の組織として、「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」がスタート。
次は日本各地で、YESというアクションを起す、ベラルーシ出身の画家シャガールに倣って。
最初から失敗することがわかっているような冒険でも、そこがパリであれば、
冒険を冒す価値がある。それがパリだ。
(2018.11.3)
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