告知

告知 ①12.14(第2土曜日)新宿アルタ前 街頭宣伝 14時~15時  ~「東海第二原発いらない一斉行動」第14弾に参加~

2018年11月27日火曜日

【報告】11月24日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」勉強会「戦争と平和--3.11ショックに対抗する、もう1つの「笑い」は可能だ--」(茨城県土浦市)

市民が育てる「チェルノブイリ法日本版の会の公式ブログ-->こちら
 
11月24(土)、茨城県土浦市で、「チェルノブイリ法日本版・茨城」主催の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会をやりました。

マコ&ケンさんを迎えての学習会。会場はほぼ満席。熱気溢れる2時間半でした。

そのマコ&ケンさんが、最近の講演で取り上げる話題がドイツ訪問記。
今回も1時間と限られた講演でしたが、その最後にこれを取り上げました。
以下、私が以前、聞いた話をつけ足して、紹介します。

お二人は、ここ5年、毎年、ドイツの核戦争防止国際医師会議に招待さ、今年も9月に訪問した。311事故当時9歳くらいだった高校生たちが、
「原発事故の原因を本当に津波のせいだと思っているのか(地震だろ)?」
など、実に詳しく福島原発事故のことを聞いてくるので、
「事故当時9歳くらいだった君たちが、なぜ、そんなに詳しく知っているの?」
と尋ねたら、
「当時、福島原発事故のTVの報道を怖い、嫌だと泣き出し、逃げようとしたら、母親に羽交い絞めにされ、『あなたにとってとても大事なことなの。将来、自分の考えを持つときの大事な事実になるのだから』と引き戻された」
とかいう話がゾロゾロ。
マコ&ケンさんは、最初、ドイツの学校教育が日本とちがうのだろうと思ったそうですが、どうやら教育だけではないらしい、学校の前の段階で、家庭が日本とちがっていることを教えられたそうです。ドイツの親からこう言われたそうです。
「ドイツは過去に、ヒトラーが民主主義の中から独裁政権を握った。いくら民主主義があっても、私たち市民が愚かだと愚かな人間を選んでしまう。だから、私達自身が賢くなるしかない。周りがどう思うとも、自分が信じる自分の考えを持たなくてはならない」と。

そうだ!これほど市民立法のエッセンスを見事に言い表した言葉はない。このドイツの親御さんたちこそ歩く市民立法だ。
こんな素晴らしい話を、市民立法のチェルノブイリ法日本版を実現しようと取り組んでいる私たちに教えてくれたマコ&ケンさんに感謝。



他方、柳原は、学習会の朝、急に今日話す内容として今まで話したことがないテーマを取り上げたくなったため、準備不足、時間不足で、羊頭狗肉の尻切れトンボになってしまいました。
そのテーマは「笑い」あるいは「ユーモア」。
これまで、市民立法「チェルノブイリ法日本版」と取り組んできて、このことを話題にしようと思ったことはなかった。けれど、この日、このテーマが途轍もなく重要であることに気づかされ、これは避けて通れないと思った。それは次のような意味である。
周知の通り、放射能災害は二度発生する、一度目は未曾有の「惨事」として、そして二度目はあべこべの「犯罪」として、しかもそれは短期間で収束するのではなく、長期にわたって続く。この熾烈な災害と向き合うことを人類は過去に経験したことがなく、それにどう向き合ったらよいか、過去の智慧がない。
そこで、私たちは一人一人が各自で、311以来、手探りでこれと格闘してきた。
二度目の放射能災害はあべこべの「犯罪」であり、その上、執拗に繰り返されるウソつきまくりである。これに対しては、我慢しておれず、黙っておれず、怒り、憤激を抑え難く、その結果、怒りを繰り返し表明していったら、しまいには、怒る当人の精神のバランスが崩れてしまい、本当に消耗する。
かといって、怒るをやめ、諦めるしかないとしたら、本当に精神が崩れてしまう。
そこで、怒るのをやめることもせず、なおかつ精神のバランスを崩さないためにはどうしたらよいか、そのための工夫を編み出す必要がある。
その工夫の1つが「笑い」あるいは「ユーモア」ではないか。
「笑い」あるいは「ユーモア」は、単に性格や好みの問題ではない。これは生きる姿勢、スタンスそのものに関わることだ。
そしたら、柳原は、ふと、自分の法律家の出発点が「笑い」にあったことを思い出した。
「法廷で日本一笑う法律家」、これが自分の出発点だった(->当時のホームページ)。
当時、正常と異常、正気と狂気の境界が曖昧になる「紛争」の中でどういうスタンスを取るのが法律家として最も望ましいか、を考えていて、或る時、それが「笑い」を保つことにあるのだと悟った。
そして、その「笑い」とは「裸の王様をわらい続ける少年」の笑いだった。
このことは、放射能災害の犯罪でもそのまま当てはまるのではないか。情報はないとシラを切りまくり、書き換えをしまくり、ウソをつきまくる「王様」に対しては、「裸の王様をわらい続ける少年」の、バッキャラローとゲラゲラ笑うことが不可欠ではないかと思った。
それが「あべこべ」を正常化する取組みを最後まで成し遂げる、「持続可能な」姿勢ではないか、と。
それが、プレゼン資料の表題を、
3.11ショックに対抗する、もう1つの笑いは可能だ
と書き換えた理由です。


もう1つ、当日のマコ&ケンさんと柳原の話のあとの質疑応答を聞いていて、質問する人たちの孤独をひしひしと感じました。311原発事故で、「安全神話」だけでなく、職業的専門家と称する人たちに対する信頼の「神話」が崩壊し、他方で2012年当時の市民運動の高揚の波が去ったあと
、「安全神話」から目覚めた人たちは、目覚めたまま、再び自分の殻の中に籠もっているように見えたからです。
この孤立した目覚めた市民を再びつなぐ取組みがどれほど大切か--このとき、一人の人物を思い出されました。数年前、誰に知られることもなく、亡くなった福島県須賀川市の橋本好弘さんという方です。
以下は、2011年5月23日、福島から文科省抗議行動に参加、
「自分の子どもが放射線浴びたらどうなんだよ!」(→その動画
と叫んだ橋本さん。

彼は、性格上、どこかのサークル、市民団体に属することができない人でした。けれど、福島の子どもたちに対する思いは誰にも負けず、「ふくしま集団疎開裁判」のチラシを福島県でひとりで何千枚もまいてしまう、ものすごく行動的な人でした。いつも「勉強しなくてはいけません」とDVDプレーヤーを購入し、映像からも書物からも、放射能の危険性について貪欲に学び続けていました。
人付き合いが決していいほうではなく、孤独を伴侶とする人でしたが、「子どもを守りたい」という純粋な思いを持ち続けた点では「裸の王様」の対極にいる人でした。
こういう人たちが、311から7年経過し、再び、孤立の中にいることをこの日の学習会で確信し、彼らと再びつながる努力の必要性を痛感しました。
昔、「連帯を求めて、孤立を恐れず」という言葉が口にされましたが、いま、 橋本さんのような人たちに対して、
孤立(個立=個人の自立)を求めて、連帯を恐れず
というメッセージを伝え、連帯を恐れずに、繋がっていきましょうと言いたいと思います。

 以下、その動画とプレゼン資料&配布資料です。

動画
主催者(小張佐恵子さん挨拶)・第1部 マコ&ケンさんのお話「福島原発事故の取材報告」


第2部 柳原の話・質疑応答(1)


質疑応答(2)



プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 


配布資料(PDFは->こちら) 


戦争と平和--3.11ショックに対抗する、もう1つの「あべこべ」は可能だ--

2018.11.24 at土浦 柳原敏夫

はじめに、自己紹介
自然界(人間と自然の関係)に惹かれてきた

→「ファーブル昆虫記」「シートン動物記」「大草原の小さな家」「ターシャ・チューダ-」
「人間と人間の関係」から目を背けては生きていけないことを思い知らされるようになる。
→先端科学技術がもたらした未曾有の力業(バイオ)と未曾有の人災(生物災害)との出会い。

「ケーテ・コルヴィッツ」「住井すゑ」「ハンナ・アーレント」「カズオ・イシグロ」


第1部 戦争

1、原発事故がもたらした最大の謎

原発事故とは何か?何だったのか?何をもたらしたのか?

なぜなら、311以後、明らかにかつてない異変が起きた。にもかかわらず、その意味も原因もよく分からないまま――その理由は福島原発事故が何だったのか、その全体像を理解できないからではないか。


2、この謎に最も迫った人のひとり

「スベトラーナ・アレクシエービッチ」‥‥小さき人々の声を残した。

人々はチェルノブイリのことは誰もが忘れたがっています。最初は、チェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、今度は口を閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることは難しい。チェルノブイリは、私たちを、それまでの時代から別の時代へ連れていってしまったのです。その結果、私たちの目の前にあるのは、誰にとっても新しい現実です。‥‥ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。‥‥何度もこんな気がしました。これは未来のことを書き記している

原発事故はこれまでの災害の概念が通用しない。過去に経験したことのない経験をしたのだという新しい意識が必要で、その新しい意識で原発事故と向き合わなければならない。

チェルノブイリ事故で、人々は死がそこにあることを感じました。目に見えない、音も聞こえない、新しい顔をした死を。私は思いました、これは戦争だ。未来の戦争はこんなふうに始まる。でもこれは前代未聞の新しい戦争だ、と。


3、戦争の問題に最も迫った人のひとり

「大岡昇平」‥‥無名の兵士の声、行動を再現した。

ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。(「レイテ戦記」のインタビュー)
                                       ↑

「3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、『健康に直ちに影響はない』『国の定めた基準値以下だから心配ない』とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。」


4、3.11福島原発事故とは何か。
単なる事故ではなく、それは事件、政変だった。311以後、私たちは過去に経験したことのない、「見えない異常な時代」に突入した。


5、3.11以後の気分

 打ちのめされ、立ちあがれないくらい落ち込む連続だった。その最大の理由は認識が足りないこと、311以後の現実=「見えない異常な時代」に対する認識が足りないからではないか。


6、3.11以後の課題

 第1に、311以後の未曾有の現実を認識する勇気を持つこと。
第2に、その現実認識に匹敵する理想=「現実を変える行動」とは何かを構想すること。

第3に、単に311以後の現実に対し、単にNOと言うのではなく、YESという理想に向かうこと。


7、3.11以後の現実

「自然と人間の関係」と「人間と人間の関係」を区別して現実を認識する必要がある。


8、「自然と人間の関係」:放射線の被ばくとは何か?

・放射線災害は自然災害とは違う(菅谷昭松本市長)

・年間1mSvとは、「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる状態が1年間続くこと」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))

・即死のレベルである10シーベルトの放射能これを通常のエネルギーに置き換えると10ジュール/kg。これは体温をわずか0.0024度上げるにすぎない。たったこれだけのエネルギーが人間に即死をもたらすのはなぜか?(落合栄一郎さん)


9、「人間と人間の関係」――「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」の世界の出現――

チェルノブイリ事故の「希望」と「犯罪」のうち、希望は用意周到に踏みにじられ、犯罪がより徹底して反復された。

子どもの命・人権を守るはずの者が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者に。

福島県は、甲状腺検査の二次検査で「経過観察」とされた子ども(2018年6月末で3316人)が、その後「悪性ないし悪性疑い」が発見されても、その症例数を公表しない。

加害者(加害責任を負う日本政府)が救済者の面をして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒。

被害者(避難者も残留者も)は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害→密猟者が狩場の番人を。盗人が警察官を演じている。狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされる



第2部 平和

1、3.11以後の課題
「全てがあべこべ」の「見えない廃墟」という未曾有の異常事態をただすこと。

→そのエッセンスはシンプル。「私たちの運命は私たちが決める」「おかした誤りは放置せず、ただす」


2、3.11以後の具体的課題「被ばくから命・健康と生活を守るための4つの市民アクション」

①.国内-チェルノブイリ法に匹敵するチェルノブイリ法日本版(原発事故避難の権利法)の制定

②.国際1-チェルノブイリ法に匹敵するチェルノブイリ法条約(原発事故避難の権利条約)の成立

③.国際2-(スペイン・アルゼンチンほか)で、日本政府の責任者を「人道上の罪」で刑事告発。

④.生活再建-市民の自主的相互扶助の自立組織=社会的経済・連帯経済(協同組合、ワーカーズ、市民バンク、市民通貨)の創設


3、311以後の「あべこべ」をただし、正常化に向かう道

過去の災害の経験や考えが通用しない原発事故の本質を理解するための「認識の目覚め」に努め、「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」を作り出す必要がある。

「新しい形式の戦争」にふさわしく、「新しい内容と形式を備えた平和(救済)」が必要。

→それが、放射能に対する健康被害を「予防原則」に立って救済を定めたチェルノブイリ法日本版。


4、3.11以後の正常化はいかにして可能か過去を変えることを通じて――

 未来は変えられるか? 可能である。なぜなら過去は変えられるから。

 311以後、明らかになったこと→職業的専門家にお任せの「間接民主主義の機能不全・破綻」

 311以後の異常事態を是正する道、その可能性の中心は「もうひとつのあべこべ」として出現した「市民の自己統治」(直接民主主義・連帯経済)の中にある。

 そのために、私たちは「過去を変える」必要がある。
2016年来日したアレクシエービッチさんは言った「日本には抵抗の文化がない」

しかし、彼女は公式の日本史しか知らない。私達の過去には輝かしい抵抗の文化があり、埋もれている。

1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。

 1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動


 1969年、歴史的な公害国会を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動

 1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト

 1997年、市民主導で成立した最初の条約、対人地雷禁止条約の成立。 


 2017年、市民主導で成立した2番目の条約、核兵器禁止条約の成立。



5、次は我々の番だ。

2018年3月、チェルノブイリ法日本版制定を進める市民運動の組織として、「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」がスタート。

 次は日本各地で、NOではなく、YESという抵抗のアクションを起す、過去を変えた人々に倣って。

2018.11.24

0 件のコメント:

コメントを投稿