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2011年12月30日金曜日

人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない

あなたの評決が子どもたちを救います。まだの方は今すぐ-->こちらから


昨年10月15日、郡山駅前から郡山市役所まで、疎開裁判支援のデモをやったとき、デモ終点の郡山市役所前で、「郡山市への申入書」を読み上げましたが、その中で、郡山市のお母さんの次の言葉が紹介されました。

風の便りで、市長さんには中学生のお孫さんがいらっしゃると聞きました。そのお孫さんを放射能から守るために自主避難させているということを知りました。
私にも同じ中学生の息子がおります。しかし、主人の仕事のため自主避難はできずにいます。せめて、市長さんが、ご自分のお孫さんと同様に、郡山の子どもたちも放射能から守るために集団避難させることにしてくださり、子どもたちの命を守ってくださればどんなにいいだろう、と願わずにはいられません


郡山市長が自分の孫を自主避難させている事実は、その後、市議会でも質問されましたが、市長は笑ったまま答弁せず、その質問自体が議事録から抹消されました。

郡山市長が自分の孫を自主避難させたのは全く正しい。なにしろ、今の郡山市(汚染マップ参照)のようにチェルノブイリ避難基準で強制的に避難させられる移住義務地域に住まわせておくわけには到底いかないと考えるのは真っ当な判断だからです。そして、それは、郡山市が疎開裁判の中で、終始、「自分たちも被害者なのだ」と述べた主張と首尾一貫しています。
そうだとしたら、なぜ、郡山市長は、被害者である郡山市民にむかって、子どもたちを安全な場所に避難させよう、と呼びかけなかったのか。

そこには、様々な圧力、利害打算が交錯し、最終的に、郡山市長は自分の孫と自分たちの市民とで二枚舌を使う羽目となりました。これが可能だったのは、ひとえに、ミスター100ミリシーベルトなどの様々な科学者集団やマスコミ等の尽力によって、人々を「子どもたちを郡山市に住まわせても心配ない」とマインドコントロールすることに成功したからです。これがチュニジアやエジプトだったら、そんな訳にはいかなかった筈です。

また、昨年12月16日の裁判所の判決(決定)の日、裁判所の周辺は、機動隊の装甲車が止まり、警察がものものしい警備をするという、いまだ見たことがなかった光景だったと裁判所の近所に住むお母さんが証言しています。というのは、裁判所は、この判決が何を意味するか、正しく見抜いていて、もし多くの人たちがこの判決の中身を知ったら、憤激した市民が裁判所に押しかけ、何をしでかすか分からないと予期して、厳重な警戒態勢を敷いたのです。
裁判所のこの認識は全く正しい。ところが、実際に裁判所に現れたのは数名の裁判関係者だけでした。

その上、この判決は、福島県のゴルフ場が東電に除染を求めた仮処分申立の却下決定のような泡沫事件ですら全国報道するNHKや朝日など既成の大手マスコミによって報道されず、多くの市民の目から隠されてしまいました。
つまり、疎開裁判もまた多くの人々をマインドコントロールすることに成功したのです。

しかし、疎開裁判の最も恐ろしいところは、御用学者やマスコミを動員して多くの人々をまんまとマインドコントロールすることに成功したとしても、放射能をマインドコントロールすることだけは決してできないということです、神のごとき活躍をしたミスター100ミリシーベルトも放射能の前では無力です。

これは放射能に限らず、すべての科学技術の宿命です。科学技術のトラブルが発生するたび、国側の決り文句は「ただちに安全上問題が生じることはない」が飽きもせずくり返されてきましたが、それは、かつて祭司や坊主共が神のお告げと称して神の権威で神政政治をおこなったように、今日では「科学者」が科学のお告げと称して科学の権威で政治決定をおこなっているのです、しかも、その科学はジャンク科学、似非科学と同然のインチキなものです(狂牛病に端を発した2005年の米国牛輸入再開に至る一連のドタバタ騒ぎの経過を思い出せば一目瞭然です。自分たちが引き出したい政治的決定の理由づけとして科学を用いるのですから、似非科学になるのは当然です)。

そして、それは善意だったり、無知だったりする市民をまんまとマインドコントロールすることに成功しました。しかし、人間界をマインドコントロールできたとしても、自然界はマインドコントロールすることは決してできません。自然界が沈黙しているので、人間界と同様にマインドコントロールできたかと思い込んだとしても、いつか必ず、自然界からのしっぺ返しが来ます。それが3.11の福島第一原発の事故そのものです。そして、それは福島第一原発の事故発生後の今も続いています。「100ミリシーベルト以下なら心配ない」というマインドコントロールは放射能には通用しません。放射能は情け容赦なく、己の自然法則を貫徹するだけです。その結果が必ず出ます。この意味で、私たちは見えない、臭わない、味もしない放射能を畏れるほかありません。ましてや、どんなに感覚を研ぎ澄ませても決して感じることができず、長い潜伏期間を経て初めてガン等の健康障害が明らかになる今回の低線量被ばくの放射能は畏れるしかありません。

思想家の柄谷行人は、放射能のおそろしさについて、こう語っています。

福島原発事故は、片づいていない。今後もすぐには片づかない。むしろ、今後に、被曝者の病状がはっきりと出てきます。また、福島の住民は永遠に郷里を離れることになるでしょう。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、原発のほうが執拗に残る。それがいつまでも続きます。原発が恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や企業のいうことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は物理的に終り、です。」(デモが日本を変える

「100ミリシーベルト以下なら問題ない」ことを最大の論拠にして、申立を却下した裁判所もまた、放射能を畏れない人たちの席に加わることを表明しました。
このような席には未来はありません。
私たちは放射能を正しく畏れる必要があります。そして、人間どもに決してマインドコントロールされない放射能からあざ笑われないだけの判断を持つ必要があります。それだけが正しく生き延びる道です。

それを明らかにする試みが、この冬、東京とふくしまで開催される世界市民法廷なのです。
(弁護団 柳原敏夫)
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