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以下は、「却下」決定に対する弁護団の柳原敏夫の私見の続きです。
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1、子どもたちはガン・白血病等を発病しない限り救済きれないという判断基準
裁判所は、避難が認められるためには、申立人の子どもたちの「生命身体に対する具体的に切迫した危険性があること」(決定書16頁5行目・20頁5行目)が必要だと判断基準を示した上、「生命身体に対する具体的に切迫した危険性」の目安とは、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については,実証的に確認されていない」(16頁(6))ことだとして、本件では「空間線量が100mSv以下」だから、申立人の子どもたちには「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」とは認められないとしました。
言い換えると、これは子どもたちが被ばくして直ちに健康障害が現われる急性障害の場合に限って避難を認めるというものです。急性障害ではない、長期間の潜伏期を経て現われる晩発性障害の場合には避難を認めないという立場です。
ところで、今回の《福島原発事故による主要な被曝は内部被曝によるもので、現在問題になる被曝量は急性症状ではなく、確率的な影響とされる晩発性障害》(甲82沢田意見書2頁21行目)です。つまり、《白血病のように数年で発症しはじめるものもありますが大部分の晩発性障害は20年〜30年あるいはさらに年月を経て現れるもの》(同頁21行目)です。だから、裁判所の上記の判断基準に当てはめれば、今現在、ふくしまの子どもたちには「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」とは認められず、避難も認められないことになるのです。
ということは、ふくしまの子どもたちは今後、長期間の潜伏期を経て、白血病やガンなどの健康障害が発生してきたら、そのときに初めて「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」として避難が認められる、それまでは我慢しろ、ということです。これはふくしまの子どもたちの命は見捨てると宣言したも同然です。そのため、16日の記者会見の席上、裁判の会代表の井上利男さんがこの判断基準に激怒したのは当然です。
2、申立人が最も力説した「チェルノブイリ事故との比較」の主張から完全に避難
私たちは、福島原発事故により申立人の子どもたちの生命身体にどのような危険が迫っているかは、、チョルノブイリ事故との対比により最も明らかにできるとして、それを裏付ける主張・立証を精力的に行いました。すなわち、
①.健康被害について、
ⓐ.矢ヶ崎意見書(甲49)
《福島原発事故による低線量被ばくの危険性(健康被害と避難の必要性)は、チェルノブイリ事故による低線量被ばくの危険性(健康被害の実態や避難基準)と比較検討することにより予測することができる。》(債権者最終準備書面11頁2、チェルノブイリ事故との比較)
具体的には、《債権者らの住む郡山市の住民が、福島原発事故に基づく低線量被ばくによりどのような健康被害を受けるのか。それは、チェルノブイリ事故周辺で、郡山市と同レベルの放射能汚染地域に焦点をあて、その地域が、チェルノブイリ事故以後、どのような健康被害が発生したかを確認することによって予測することができる。
この分析をおこなったのが今般提出の矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授の意見書3~4頁である(甲49)》
ⓑ.松井意見書(甲72)
《福島県郡山市の環境放射線汚染度と近似の汚染が確認されているベラルーシやウクライナなどチェルノブイリ原発事故汚染地域における健康障害調査データから、郡山市で今後発症するであろう種々の健康障害=晩発障害を予測します。》(甲72第2章 郡山市における放射線による晩発障害の予測―チェルノブイリ原発事故に学ぶ)
②.避難基準について
郡山市が測定した空間線量の値に基づいて、申立人の子どもらが通う7つの学校の汚染状況をチュルノブイリの避難基準に当てはめたとき、《7つの学校の周辺はすべてチュルノブイリの避難基準で、住民を強制的に避難させる「移住義務地域」に該当する。》(債権者最終準備書面の補充書 (3)2頁。矢ヶ崎意見書(3)〔甲93〕。汚染マップ〔甲97〕)
しかし、チェルノブイリ事故との比較という核心的な主張・立証に対して、裁判所は判決(決定)で一言も触れませんでした。完全黙秘を貫いたのです。なぜ、私たちが本裁判の核心であるとこれほどまでに声を大にして主張したチェルノブイリ事故との対比という問題から、裁判所は徹底して逃げ出したのでしょうか。それはこの問題に一歩でも踏み込んだら、郡山市の子どもたちには避難するしかないほど、いま彼らの生命身体に差し迫った危険が迫っていることが赤裸々に明らかにされてしまうからで、それは何としてでも回避しなくてはならなかったのです。
3、揚げ足取りの代替手段論
私たちの避難の申立てに対して、郡山市の最大の反論は、子どもたちには転校の自由があるのだから危険だと思うのなら引っ越せばよい、郡山市はそれを妨害しない、だから申立は認められないという代替手段としての「転校の自由論」でした。
これに対し、私たちは、転校の自由を実際に行使することが多くの勤労市民にとってどれほど困難を伴うものであるか、郡山市が全く理解していないことを具体的に明らかにし(甲50・51・52)、この自由は多くの勤労市民にとって「絵に描いた餅」にすぎないことを証明しました。
また、郡山市は、児童生徒は区域外通学(住民票を郡山市に残したまま、他市町村の学校に通学すること)ができるから申立は認められないと代替手段としての「区域外通学論」も主張して来ました。もちろん、私たちはこれにも2回にわたり反論しました(債権者最終準備書面8頁(3)。債権者最終準備書面の補充書 (2)3頁)
ところが、裁判所は、「区域外通学論」については、「債権者(注:申立人)らにおいて、困難である特段の事情の疎明(注:証明)はない」という理由でこれを採用しました(決定書20頁オ)。
しかし、転校して他市町村の学校に通学することを実行するのが困難である以上、住民票を郡山市から移そうが(通常の転校)、郡山市に残したまま(区域外通学)であろうがそんなことは関係ありません。私たちが「区域外通学論」に反論する証拠資料を提出しなかったのは、転校が多くの勤労市民にとって実行に困難を伴うものであることさえ証明すればそれで十分だからです。
それを鬼の首を取ったように、申立人は何も証明しなかったといって裁判所は「区域外通学論」を採用したのです。くだらない揚げ足取りをしているか、それとも頭が足りないかのいずれかとしか言いようがありません。
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