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告知 ①最高裁前抗議集会・「子ども脱被ばく裁判」棄却決定に抗議 2025年1月7日(火)14時~15時 ②新宿アルタ前街頭宣伝 1月11日(土)14時~15時

2011年12月30日金曜日

報告:12月27日判決不服従アクションin郡山(判決に対する異議申立)

あなたの評決が子どもたちを救います。まだの方は今すぐ-->こちらから


今月16日、福島地裁郡山支部は、年1mSv以下の安全な環境で教育を実施せよという14人の小中学生の申立を認めない(却下する)という判断を下しました。これは子どもの人権侵害の歴史に永遠の汚点を残す最も恥ずべき判決(決定)です。
申立人はこの誤りをただすために、既に予告しましたとおり、27日(火)に異議申立(即時抗告)の手続をしました。

以下は、当日、裁判所に提出した即時抗告申立書と申立人のお母さん、支援者の皆さん、訴訟代理人の感想です。

1、即時抗告申立書
2、感想
(1)、申立人
お母さん「私たちは仙台高裁に抗告して必ず子どもたちを守ってみせます
(2)、支援者
井上利男さん(疎開裁判の会代表)「疑ってはいけない
(3)、訴訟代理人
①.安藤雅樹「裁判官の独り相撲判決
②.井戸謙一「ふくしま集団疎開裁判 抗告申立に際しての所感
③.柳原敏夫「『愛子さま』は疎開しないだろうか
人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない

私たちは仙台高裁に抗告して必ず子どもたちを守ってみせます

あなたの評決が子どもたちを救います。まだの方は今すぐ-->こちらから

12月16日の夕方、判決がでるということで原告の一人である私は柳原弁護士と郡山地裁へ駆け込みました。裁判所の方が私たちに差し出した書類に「却下」という文字が書かれてあるのを見て、一瞬目の前が真っ暗になりました。
本来なら10月末に判決がでるはずだったものが、約45日も遅れて出された結果がこのようなものだったことに対して次第に私はフツフツと怒りがこみ上げてきました。将来、福島県、いや日本を担う子どもたちを皆殺ししてしまうのか、と。今現在、子どもたちの体に症状が出ていないことをいいことに、司法は行政のやり方に同調しているではないか。100ミリシーベルトを持ち出してきたのには私も驚いてしまいました。

6月24日に提訴してはや半年、その間、中学3年の息子は体育の授業で外でソフトボールをやったりしていました。中学3年なので、部活動は6月に終わりましたが・・・。でも、中学1、2年生は外の部活動の子どもたちは普通に部活動をしているのです。聞くところによると鼻血が出てきている子どもたちもいるそうです。
子どもたちにも少しずつ何らかの変調が見られてきているのは確かです。早くて4ヶ月から症状が出てくるとも聞きました。チェルノブイリでは事故から4~5年後に甲状腺がんが多発してきています。どうして日本は、この福島はチェルノブイリの二の舞になろうとしているのだろうか。この判決を受けて私は司法へ怒りから恨みの感情へと変わってきました。
子どもたちを守ってやれるのは大人しかいないのではないか。郡山地裁の清水裁判長は子どもたちよりも国の方針に従った犯罪者ではないか、とまで思えてきました。

私たち原告は仙台高裁に抗告して必ず子どもたちを守ってみせます。

                                    抗告人の母

人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない

あなたの評決が子どもたちを救います。まだの方は今すぐ-->こちらから


昨年10月15日、郡山駅前から郡山市役所まで、疎開裁判支援のデモをやったとき、デモ終点の郡山市役所前で、「郡山市への申入書」を読み上げましたが、その中で、郡山市のお母さんの次の言葉が紹介されました。

風の便りで、市長さんには中学生のお孫さんがいらっしゃると聞きました。そのお孫さんを放射能から守るために自主避難させているということを知りました。
私にも同じ中学生の息子がおります。しかし、主人の仕事のため自主避難はできずにいます。せめて、市長さんが、ご自分のお孫さんと同様に、郡山の子どもたちも放射能から守るために集団避難させることにしてくださり、子どもたちの命を守ってくださればどんなにいいだろう、と願わずにはいられません


郡山市長が自分の孫を自主避難させている事実は、その後、市議会でも質問されましたが、市長は笑ったまま答弁せず、その質問自体が議事録から抹消されました。

郡山市長が自分の孫を自主避難させたのは全く正しい。なにしろ、今の郡山市(汚染マップ参照)のようにチェルノブイリ避難基準で強制的に避難させられる移住義務地域に住まわせておくわけには到底いかないと考えるのは真っ当な判断だからです。そして、それは、郡山市が疎開裁判の中で、終始、「自分たちも被害者なのだ」と述べた主張と首尾一貫しています。
そうだとしたら、なぜ、郡山市長は、被害者である郡山市民にむかって、子どもたちを安全な場所に避難させよう、と呼びかけなかったのか。

そこには、様々な圧力、利害打算が交錯し、最終的に、郡山市長は自分の孫と自分たちの市民とで二枚舌を使う羽目となりました。これが可能だったのは、ひとえに、ミスター100ミリシーベルトなどの様々な科学者集団やマスコミ等の尽力によって、人々を「子どもたちを郡山市に住まわせても心配ない」とマインドコントロールすることに成功したからです。これがチュニジアやエジプトだったら、そんな訳にはいかなかった筈です。

また、昨年12月16日の裁判所の判決(決定)の日、裁判所の周辺は、機動隊の装甲車が止まり、警察がものものしい警備をするという、いまだ見たことがなかった光景だったと裁判所の近所に住むお母さんが証言しています。というのは、裁判所は、この判決が何を意味するか、正しく見抜いていて、もし多くの人たちがこの判決の中身を知ったら、憤激した市民が裁判所に押しかけ、何をしでかすか分からないと予期して、厳重な警戒態勢を敷いたのです。
裁判所のこの認識は全く正しい。ところが、実際に裁判所に現れたのは数名の裁判関係者だけでした。

その上、この判決は、福島県のゴルフ場が東電に除染を求めた仮処分申立の却下決定のような泡沫事件ですら全国報道するNHKや朝日など既成の大手マスコミによって報道されず、多くの市民の目から隠されてしまいました。
つまり、疎開裁判もまた多くの人々をマインドコントロールすることに成功したのです。

しかし、疎開裁判の最も恐ろしいところは、御用学者やマスコミを動員して多くの人々をまんまとマインドコントロールすることに成功したとしても、放射能をマインドコントロールすることだけは決してできないということです、神のごとき活躍をしたミスター100ミリシーベルトも放射能の前では無力です。

これは放射能に限らず、すべての科学技術の宿命です。科学技術のトラブルが発生するたび、国側の決り文句は「ただちに安全上問題が生じることはない」が飽きもせずくり返されてきましたが、それは、かつて祭司や坊主共が神のお告げと称して神の権威で神政政治をおこなったように、今日では「科学者」が科学のお告げと称して科学の権威で政治決定をおこなっているのです、しかも、その科学はジャンク科学、似非科学と同然のインチキなものです(狂牛病に端を発した2005年の米国牛輸入再開に至る一連のドタバタ騒ぎの経過を思い出せば一目瞭然です。自分たちが引き出したい政治的決定の理由づけとして科学を用いるのですから、似非科学になるのは当然です)。

そして、それは善意だったり、無知だったりする市民をまんまとマインドコントロールすることに成功しました。しかし、人間界をマインドコントロールできたとしても、自然界はマインドコントロールすることは決してできません。自然界が沈黙しているので、人間界と同様にマインドコントロールできたかと思い込んだとしても、いつか必ず、自然界からのしっぺ返しが来ます。それが3.11の福島第一原発の事故そのものです。そして、それは福島第一原発の事故発生後の今も続いています。「100ミリシーベルト以下なら心配ない」というマインドコントロールは放射能には通用しません。放射能は情け容赦なく、己の自然法則を貫徹するだけです。その結果が必ず出ます。この意味で、私たちは見えない、臭わない、味もしない放射能を畏れるほかありません。ましてや、どんなに感覚を研ぎ澄ませても決して感じることができず、長い潜伏期間を経て初めてガン等の健康障害が明らかになる今回の低線量被ばくの放射能は畏れるしかありません。

思想家の柄谷行人は、放射能のおそろしさについて、こう語っています。

福島原発事故は、片づいていない。今後もすぐには片づかない。むしろ、今後に、被曝者の病状がはっきりと出てきます。また、福島の住民は永遠に郷里を離れることになるでしょう。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、原発のほうが執拗に残る。それがいつまでも続きます。原発が恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や企業のいうことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は物理的に終り、です。」(デモが日本を変える

「100ミリシーベルト以下なら問題ない」ことを最大の論拠にして、申立を却下した裁判所もまた、放射能を畏れない人たちの席に加わることを表明しました。
このような席には未来はありません。
私たちは放射能を正しく畏れる必要があります。そして、人間どもに決してマインドコントロールされない放射能からあざ笑われないだけの判断を持つ必要があります。それだけが正しく生き延びる道です。

それを明らかにする試みが、この冬、東京とふくしまで開催される世界市民法廷なのです。
(弁護団 柳原敏夫)
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「愛子さま」は疎開しないだろうか

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異議申立にあたって、1つだけ感想を述べます。

疎開裁判をやる前からずっと疑問だったことは、福島市や疎開裁判の被告となった郡山市は福島第一原発からほぼ60キロ圏内ですが、もし都内から60キロ圏内の場所で福島第一原発と同様の事故が発生したなら東京の小中学生の扱いはどうなっただろうか、ということです。
「愛子さま」は間違いなく避難したでしょう。天皇の直系で二親等の皇族を、今の郡山市(汚染マップ参照)のようにチェルノブイリ避難基準で強制的に避難させられる移住義務地域に住まわせておくわけには到底いかないからです。
また、都内には元官房長官ほか政財界の子供たちが数多く住み、または通学していますから、彼らもまっさきに避難したでしょう。なにしろ年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被曝させるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授)ですから、毎秒5~20万本の放射線の被ばくが1年間継続する年間5~20mSvのような強制移住地域で自分の子供を教育させておくわけにはいかないと正しく認識する政財界の人たちが自分の子供を避難させるのは当然だからです。
その結果、政財界の子供たちが通っている有名私立小中学校も学校ごと疎開せざるを得なくなるでしょう。
そしたら、私立が疎開するのに公立の小中学校はなぜ疎開しないのか、という問題が議論になるでしょう。
そのとき、ソ連崩壊直後の混乱の中で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのような貧しい国ですらできた集団避難が経済大国の日本でなぜできないのか?60年前、日本が人権保障に最も薄く経済的にも最も困窮していた軍国主義末期の時代ですらできた集団疎開が、基本的人権の保障を基本原理とする経済大国の今日においてなぜできないのか?という議論になるでしょう。その結果、東京では、チュルノブイリ周辺国や軍国主義末期の日本のときのように集団疎開が実現したにちがいない。

であれば、なぜ、それが福島県で実現できないのか、不思議でならない。
チョムスキーによれば、偽善者とは「他人に対して自分が適用する基準を、自分自身に対しては適用しない人間のこと」です。東京と福島で扱いを異ならせる政府と自治体は偽善者ということになります。
のみならず、「ふくしまのこどもたちは死ね」と宣言するにひとしい不条理極まりない差別です。
それは基本的人権の保障を基本原理とする国において政府と自治体の手で行われた「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」(人道に対する罪)に該当する集団人権侵害行為です。
それは、国際刑事裁判所によって裁かれなければならない「国際法上の犯罪」を意味します。

そのような異常事態に対し、この人権侵害の暴走にストップをかけるのが「人権の最後の砦」である裁判所の本来の任務です。しかし、今回、裁判所は、政府と自治体の人権侵害の暴走をストップさせるどころか、その反対にこれにお墨付きを与えたのです。その結果、国際刑事裁判所の被告席に並ぶ席が増えました。

政府と自治体と裁判所が、こういう無気力・無関心・無責任で機能不全に陥っているとき、これまで、人類の歴史はどういう決着をつけてきたでしょうか。それは「退場」です(今日風の言い方をすれば「廃炉」です)。そのことは、近代の人権宣言の中にはっきりと表明されています。

政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権利、いわゆる革命権を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(米国ヴァージニア憲法3条)

そして、この廃炉のあとに来る、きたるべき紛争解決機関が、「愛子さま」も福島の子どもたちも人間としてひとしく人権が尊重される、普遍的な原理に立脚した「市民の、市民による、市民のための市民法廷」です。

その最初の一歩を私たちは、勇気を奮って歩み出すことにしました。それが来年開催が決まった、疎開裁判の世界市民法廷の設置です。
全世界からの注目と支持に恥じない世界市民法廷を開催する決意です。皆さまの注目をお願いいたします。
(弁護団 柳原敏夫)

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裁判官の独り相撲判決

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私はこの決定を、「裁判官の独り相撲判決」と呼びたいと思います。

裁判官は、この仮処分申立には、望まない人も含めて郡山市の全員の子どもの疎開を求める「意図」があると勝手に判断し、
その意図からすると要件を厳しく解する必要がある、と述べています。
しかし、私たちはそのような主張をしているわけではないのです。
完全に、裁判官の独り相撲です。

裁判官は、いったい何と向き合っているのでしょうか。どこを見ているのでしょうか。
裁判官は、なぜ独り相撲をせざるを得なかったのでしょうか。
私は、裁判官が子どもたちと、また私たちの将来と、向き合っているとはとても思えません。

ただ、絶望してはいけないと思います。
この決定への怒りを次の動きへのパワーにしないといけない、そう考えます。
弁護士 安藤雅樹

ふくしま集団疎開裁判 抗告申立に際しての所感

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1 私は、本件仮処分事件で敗訴決定を受けるとすれば、直接の加害者は東電であって郡山市ではないこと、子供たちは自主的に転校できること等から、子供たちには、郡山市に対し、疎開を求める権利はないという理由付けだと思っていました。その点を乗り越えることができ、裁判所が、子供たちに対する健康被害の危険性の有無という実質的争点の判断に入れば、負けるはずはないと考えていました。それは、債権者側が、矢ヶ崎先生、松井先生、沢田先生、ヘルファンド医師等の意見書を提出し、詳細な主張、立証をしたのに対し、郡山市は、空間線量が下がってきていること、除染に努力していること等を主張するのみで、実質的な反論をほとんどしなかったからです。

2 しかるに、福島地裁郡山支部は、「債権者らの生命身体に対する切迫した危険性があるとは認められない」として、実質的争点の点で債権者らの主張を認めませんでした。その判断の過程は、都合のいい事実だけを拾い出し、債権者側が主張したチェルノブイリ事故被害との比較には全く触れない等、恣意的なものですが、特に、債権者らの申立は「実質的には、郡山市のすべての小中学生に対する教育活動の実施を求めるものである」として、被保全権利が認められるハードルを高くしたのは、不当であると考えます。私たちが求めたのは、債権者らを避難させることであって、児童生徒全員を避難させることではありません。裁判所が審理するのは、債権者らを避難させる必要があるか否かであって、児童生徒全員を避難させる必要があるか否かではありません。債権者らを避難させよという決定が出た場合に、債権者らだけを避難させるのか、債権者ら以外の希望者も避難させるのか、児童生徒全員を避難させるのかは、行政が考えることであって、裁判所が考えることではありません。

3 東大の児玉龍彦教授は、その著書「内部被ばくの真実」(岩波新書)において、「危険を危険だとはっきりいうのが専門家である。原子力政策の失敗の原因は科学者が科学者の矜持を捨て、政治家になってしまったことにある。」と喝破されました。私は、郡山支部の決定に同質の問題を感じます。裁判官がすべきことは、求められた事項について、提出された証拠だけから曇らない目で事実を認定し、認定した事実を率直に評価して結論を出すことであって、決定が出た後の社会的混乱を慮って政治的判断をすることではありません。

4 郡山の子供たちの大部分は、我が国の法律で、18歳未満の立入りが禁止される「放射線管理区域」とされる基準をはるかに超え、チェルノブイリ周辺で住民が避難を義務付けられた地域と同レベルの線量の中で生活しています。年20ミリシーベルトまでは安全であるなどというのはとんでもない話です。子供の8割が病気を抱えているというベラルーシやウクライナの今を、明日の郡山や福島にしてはなりません。今からでも遅くはありません。子供たちを逃がすべきです。
仙台高裁が賢明な判断をされることを期待しています。
以 上

ふくしま集団疎開裁判弁護団
滋賀弁護士会所属 弁護士 井戸謙一

『疑ってはいけない』 世界を変えた12月のできごと ~ ふくしま集団疎開裁判 12.16棄却決定に寄せて ~   井上利男

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3.11東日本大震災に端を発した東京電力第一発電所の大崩壊からこのかた、わたしたちの福島県は放射性プルームによる汚染に覆われただけでなく、政界・財界・学会が三位一体となった利権集団、いわゆる「原子力ムラ」勢力による放射能汚染地・戒厳令体制にも覆われてしまいました。利益共同体の一翼を担うマスメディアの協力によって、この戒厳令体制は、放射能や放射線と同じように不可視、裸の目には見えなくされています。
福島県内では、戒厳令体制下にあって、憲法や教育基本法、放射線健康障害防止法などのあらゆる国内法規、国連人権宣言、子どもの権利条約など、あらゆる国際法が無視され、県民の命、とりわけ子どもたちの身体生命が放射線被曝による危険にさらされたまま、顧みられることはありません。
12月16日の福島地方裁判所郡山支部による決定――郡山市内の小中学生14人が安全な場所での教育の実施を求める仮処分の申し立てに対して、裁判所は①御用学者たちの言説に頼って、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については、実証的に確認されていない」と一方的に断定し、また、②訴訟の趣旨である債権者14人の生存権救済の訴えに対して、郡山市内の小中学生約3万人全員の強制疎開を求めるものであると勝手気ままに曲解して、「棄却」決定で応えました。法の番人たちが民事法制の原則をねじ曲げた結果、暗闇の戒厳令体制を照らすはずだった一筋の光が漏れでる扉が閉ざされてしまいました。
世も末だといいますが、3.11原発大震災以降のこの国は暗闇 …… 一寸先も見えない暗闇に閉ざされてしまいました。司法までもがグルになった戒厳令下の暗闇にあって、未来は見えない。しかし、一寸先が見えない世界だからこそ、希望の胚芽も宿るはずです。
1955年12月1日のことです。アメリカ・アラバマ州モンゴメリーの混みあった市営バスのなかで、42歳の黒人女性、ローザ・パークス夫人が、白人に席を譲るために立つように運転手に命じられましたが、彼女は屈服することにうんざりして拒否しました。運転手が警察を呼び、彼女はモンゴメリー市条例違反で逮捕されました。
この時、彼女は予見していたでしょうか? この事件がマーティン・ルーサー・キングJrの目に止まり、やがて市バス・ボイコット運動が燃え上がって、全米規模の公民権運動が勃興するきっかけとなることを…
あるいは、1989年12月21日、ルーマニアの首都ブカレストの共産党本部庁舎前広場の官製集会で、一人の青年が得意顔のチャウシェスク大統領に向かって「人殺し!」と叫びました。この一声が広場を埋め尽くす民衆の抑圧された怒りに火をつけ、次々と波及した結果、ルーマニア革命の流れが決定し、やがて独裁者は銃殺されるまでになりました。
また、2010年12月17日、チュニジア中部の街シディ・ブジドで一人の青年が警察の横暴に抗議して焼身自殺を図りました。この事件が、ジャスミン革命勃発のきっかけとなり、アラブの春を経て、現在でもオキュパイ運動として全米各地、さらにはヨーロッパ、プーチンのロシアに飛び火し、そしてこの日本でも虐げられた人びとの運動に影響を与え続けています。
一寸先は闇。でも、明日には、世界がどのように動き出すのか、わたしたちの誰にも予測することができません。わたしとしては、予見不可能性のなかにこそ、希望の胚芽を見つけだしたいと思います。
たったいま、わたしたちを覆い尽くしている暗闇の只中で、たったいま身体の内外から放射線で撃たれている子どもたち、孫たちを守るために、新たな一歩を踏み出しましょう。
米国の人類学者、マーガレット・ミードの言葉「疑ってはいけない。思慮深く、献身的な市民のグループが世界を変えられるということを。かつて世界を変えたものは、実際それしかなかったのだから」――この言葉にならって、わたしたちは子どもたち、孫たちが生きてゆける世界を要求し、またみずからの手で創造してゆきましょう!
マーティン・ルーサー・キングJrはワシントン記念塔広場で「I have a dream! わたしは夢を見ている。ある日、不正と抑圧という熱で苦しんでいる不毛の州、ミシシッピーでさえ、自由と正義というオアシスに変わることを」と訴えました。
わたしたちも夢見ようではありませんか。12月16日、福島地方裁判所郡山支部が下した不正と抑圧を告げる棄却決定でさえ、いつか、子どもたちの命を守れと叫ぶ声が天下に満ちるきっかけだったと振り返る日の来ることを。

2011年12月28日水曜日

寄付・カンパのお礼

2011年12月28日現在、128人の方より3,152,332円の寄付・カンパをいただきました。心よりお礼申し上げます。
これらは裁判と裁判支援の取組みに使わせていただきましたが、今後とも裁判の行方に注目し、引き続きご支援いただきますようお願いいたします。

2011年12月25日日曜日

判決不服従アクションin郡山:12月27日(火)判決に対する異議申立&判決勉強会「子どもたちを救わないという結論はいかにして導かれたか」

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今月16日、福島地裁郡山支部は、年1mSv以下の安全な環境で教育を実施せよという14人の小中学生の申立を認めない(却下する)という判断を下しました。これは子どもの人権侵害の歴史に永遠の汚点を残す最も恥ずべき判決(決定)です。
申立人はこの誤りをただすために27日(火)、以下の通り、異議申立の手続をします。
そして、なぜ、このような恥ずべき判決が出現したのか、被ばくした子どもたちを救わないという結論を導くためにどのような事実と理屈が採用されたのか、判決の中身を勉強したいと思います。
午後1時40分からネット中継→ USTREAM配信 IWJ Ch1

日  時   2011 年12月27日(火)午後1時集合
場   所   福島地方裁判所郡山支部 隣麓山公園入り口広場
(郡山市麓山一丁目347 番)
会場地図
スケジュール 午後1時 集合
午後1時10分 裁判所に即時抗告申立書を提出。
午後1時40分 労働福祉会館で記者会見
(2階中会議室 郡山市虎丸町7-7)
午後3時   同会議室 判決勉強会
講師 弁護団 柳原敏夫
資料 裁判所の判決(決定)
《参考》 裁判所の判決(決定)に対する
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連絡先 ふくしま集団疎開裁判の会
代表/井上利男  電話 024-954-7478
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 国・県への対応部会
世話人/駒崎ゆき子 携帯 090-2608-7894
メール office.sokai*gmail.com(*を@に置き換えて下さい)

2011年12月21日水曜日

判決不服従アクションin郡山:12月23日(金)広河隆一さん講演会「子どもたちを救え!-チェルノブイリと福島-」疎開裁判の報告会「16日の裁判所の決定について」&報告会「『放射能からいのちを守る全国サミット』キックオフ ミーティング」

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申し訳ありませんが、広河隆一さんの急用のため、彼の講演会は延期となりました。
広河隆一さんの講演会を第3部に行います。

他方、先週16日(金)に、裁判所から「申立てを却下する」という判決(決定)が出ましたので、急遽、これについての報告会を行います。
ネット中継→ USTREAM配信 IWJ Ch1

1、福島地方裁判所郡山支部から、人権侵害の判決(決定)が出ましたので、これについて弁護団からの報告と関係者の皆さんのコメントを発表します。
2、12月11日、東京で開かれた『放射能からいのちを守る全国サミット』のキックオフ ミーティングの報告を、全国サミット事務局長の吉野裕之さんからしていただきます。→過去の吉野さんの報告動画(福島の子どもの避難・疎開をどうするか (前半) (後半))

いま、放射能の危険な環境に置かれている人たちを何とかしたいという思いから、全国の市民の力によって「つなぎたい~避難・疎開・保養~つながりたい」 というネットワークがじわじわと広がりつつあります。
そのひとつの取組みが『放射能からいのちを守る全国サミット』です。その第1回の準備会が12月11日、東京で開かれ、南は西表島、石垣島、北は北海道からと日本全国津々浦々から避難・疎開・保養開受け入れ先を表明する市民たち150名が集まり、自分たち市民がふくしまの人たちの避難・疎開・保養という公共事業を担うのだという意志を確認しました。
23日はその取組みの報告です。

日時 2011年12月23日(金)午後1~5時

第1部:報告会(1~2時半)
講師 吉野裕之さん(放射能からいのちを守る全国サミット事務局長)
アテンダー・クリスさん(米国 脱原発系ジャーナリスト)
演題 「つなぎたい~~避難・疎開・保養~~つながりたい『放射能からいのちを守る全国サミット』キックオフ ミーティングの報告」
「脱原発について、世界の最新情報」

第2部:裁判報告会(2時半~3時半)
報告者 弁護団 安藤雅樹(長野県松本からスカイプ) 井戸謙一(滋賀県彦根からスカイプ) 柳原敏夫
発言者 矢ヶ崎克馬さん(琉球大学名誉教授 沖縄からスカイプ) 
松井英介さん(岐阜環境医学研究所 所長 ベルリンからスカイプ)
武藤類子さん(ハイロアクション福島)
黒田節子さん(ハイロアクション福島
井上利男さん(ふくしま集団疎開裁判の会 代表)
駒崎ゆき子さん(郡山市議)
酒井恭子さん(会津放射能情報センター)
橋本好弘さん(須賀川)

第3部:講演会(3時半~5時)
講師 広河隆一さん(映像ジャーナリスト)
演題「子どもたちを救え!-チェルノブイリと福島-」

会場 JR郡山駅西口 郡山ビッグアイ 7階 全大会議室
(郡山市駅前二丁目11-1  024-931-2700 )→地図

定員 先着160名
(事前予約はしていません。当日会場にお越しください)
※会場のビッグアイは今回の講演会とは関係がありませんので、問い合わせは下記の連絡先までお願いします。

ネット中継 USTREAM配信 IWJ Ch1

主催 「ふくしま集団疎開裁判」判決前夜アクション実行委員会
連絡先 ふくしま集団疎開裁判の会
代表/井上利男  電話 024-954-7478
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 国・県への対応部会
世話人/駒崎ゆき子 携帯 090-2608-7894
メール office.sokai*gmail.com(←*を@に置き換えて下さい)

2011年12月20日火曜日

「却下」決定に対するコメント(3)

あなたの評決が子どもたちを救います。まだの方は今すぐ-->こちらから

以下は、「却下」決定に対する弁護団の柳原敏夫の私見の続きです。

*****************************

1、子どもたちはガン・白血病等を発病しない限り救済きれないという判断基準
裁判所は、避難が認められるためには、申立人の子どもたちの「生命身体に対する具体的に切迫した危険性があること」(決定書16頁5行目・20頁5行目)が必要だと判断基準を示した上、「生命身体に対する具体的に切迫した危険性」の目安とは、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については,実証的に確認されていない」(16頁(6))ことだとして、本件では「空間線量が100mSv以下」だから、申立人の子どもたちには「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」とは認められないとしました。
言い換えると、これは子どもたちが被ばくして直ちに健康障害が現われる急性障害の場合に限って避難を認めるというものです。急性障害ではない、長期間の潜伏期を経て現われる晩発性障害の場合には避難を認めないという立場です。
ところで、今回の《福島原発事故による主要な被曝は内部被曝によるもので、現在問題になる被曝量は急性症状ではなく、確率的な影響とされる晩発性障害》(甲82沢田意見書2頁21行目)です。つまり、《白血病のように数年で発症しはじめるものもありますが大部分の晩発性障害は20年〜30年あるいはさらに年月を経て現れるもの》(同頁21行目)です。だから、裁判所の上記の判断基準に当てはめれば、今現在、ふくしまの子どもたちには「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」とは認められず、避難も認められないことになるのです。
ということは、ふくしまの子どもたちは今後、長期間の潜伏期を経て、白血病やガンなどの健康障害が発生してきたら、そのときに初めて「生命身体に対する具体的に切迫した危険性がある」として避難が認められる、それまでは我慢しろ、ということです。これはふくしまの子どもたちの命は見捨てると宣言したも同然です。そのため、16日の記者会見の席上、裁判の会代表の井上利男さんがこの判断基準に激怒したのは当然です。

2、申立人が最も力説した「チェルノブイリ事故との比較」の主張から完全に避難
私たちは、福島原発事故により申立人の子どもたちの生命身体にどのような危険が迫っているかは、、チョルノブイリ事故との対比により最も明らかにできるとして、それを裏付ける主張・立証を精力的に行いました。すなわち、
①.健康被害について、
ⓐ.矢ヶ崎意見書(甲49)
《福島原発事故による低線量被ばくの危険性(健康被害と避難の必要性)は、チェルノブイリ事故による低線量被ばくの危険性(健康被害の実態や避難基準)と比較検討することにより予測することができる。》(債権者最終準備書面11頁2、チェルノブイリ事故との比較
具体的には、《債権者らの住む郡山市の住民が、福島原発事故に基づく低線量被ばくによりどのような健康被害を受けるのか。それは、チェルノブイリ事故周辺で、郡山市と同レベルの放射能汚染地域に焦点をあて、その地域が、チェルノブイリ事故以後、どのような健康被害が発生したかを確認することによって予測することができる。
この分析をおこなったのが今般提出の矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授の意見書3~4頁である(甲49)》
ⓑ.松井意見書(甲72)
《福島県郡山市の環境放射線汚染度と近似の汚染が確認されているベラルーシやウクライナなどチェルノブイリ原発事故汚染地域における健康障害調査データから、郡山市で今後発症するであろう種々の健康障害=晩発障害を予測します。》(甲72第2章 郡山市における放射線による晩発障害の予測―チェルノブイリ原発事故に学ぶ)
②.避難基準について
郡山市が測定した空間線量の値に基づいて、申立人の子どもらが通う7つの学校の汚染状況をチュルノブイリの避難基準に当てはめたとき、《7つの学校の周辺はすべてチュルノブイリの避難基準で、住民を強制的に避難させる「移住義務地域」に該当する。》(債権者最終準備書面の補充書 (3)2頁。矢ヶ崎意見書(3)〔甲93〕。汚染マップ〔甲97〕)

しかし、チェルノブイリ事故との比較という核心的な主張・立証に対して、裁判所は判決(決定)で一言も触れませんでした。完全黙秘を貫いたのです。なぜ、私たちが本裁判の核心であるとこれほどまでに声を大にして主張したチェルノブイリ事故との対比という問題から、裁判所は徹底して逃げ出したのでしょうか。それはこの問題に一歩でも踏み込んだら、郡山市の子どもたちには避難するしかないほど、いま彼らの生命身体に差し迫った危険が迫っていることが赤裸々に明らかにされてしまうからで、それは何としてでも回避しなくてはならなかったのです。

3、揚げ足取りの代替手段論

私たちの避難の申立てに対して、郡山市の最大の反論は、子どもたちには転校の自由があるのだから危険だと思うのなら引っ越せばよい、郡山市はそれを妨害しない、だから申立は認められないという代替手段としての「転校の自由論」でした。
これに対し、私たちは、転校の自由を実際に行使することが多くの勤労市民にとってどれほど困難を伴うものであるか、郡山市が全く理解していないことを具体的に明らかにし(甲505152)、この自由は多くの勤労市民にとって「絵に描いた餅」にすぎないことを証明しました。
また、郡山市は、児童生徒は区域外通学(住民票を郡山市に残したまま、他市町村の学校に通学すること)ができるから申立は認められないと代替手段としての「区域外通学論」も主張して来ました。もちろん、私たちはこれにも2回にわたり反論しました(債権者最終準備書面8頁(3)。債権者最終準備書面の補充書 (2)3頁)
ところが、裁判所は、「区域外通学論」については、「債権者(注:申立人)らにおいて、困難である特段の事情の疎明(注:証明)はない」という理由でこれを採用しました(決定書20頁オ)。
しかし、転校して他市町村の学校に通学することを実行するのが困難である以上、住民票を郡山市から移そうが(通常の転校)、郡山市に残したまま(区域外通学)であろうがそんなことは関係ありません。私たちが「区域外通学論」に反論する証拠資料を提出しなかったのは、転校が多くの勤労市民にとって実行に困難を伴うものであることさえ証明すればそれで十分だからです。
それを鬼の首を取ったように、申立人は何も証明しなかったといって裁判所は「区域外通学論」を採用したのです。くだらない揚げ足取りをしているか、それとも頭が足りないかのいずれかとしか言いようがありません。

2011年12月19日月曜日

「却下」決定に対するコメント(2)

以下は、「却下」決定に対する弁護団の柳原敏夫の私見です。

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今回の判決(決定)は、次の通り、民事裁判の基本原則を踏みにじったものです。通常ではこのようなことはありません。なぜそのようなことが起きたのでしょうか。それはこのよう重大な違反をしない限り子どもたちの申立てを斥けることが不可能だったからです。その意味で、これはなりふり構わず、子どもたちの命を切捨て、彼等の人権を蹂躙した、永遠に弾劾されなければならない判決です。

1、「申立てざる事項につき判決なし」の原則違反
もともと民事裁判は市民の権利を保護するための制度ですので、民事裁判を利用するにあたって、裁判を起こすかどうか(訴訟の開始)、起こしたとき、どういう内容の裁判を起こすか(訴訟の範囲)、起こした裁判を終了するかどうか(訴訟の終了)については、裁判所ではなく、当事者にそれを決める権限を与えています。その結果、当事者が裁判を申し立てない事項について、裁判所が判決をすることは許されません。これは民事裁判の基本原則です(処分権主義)。近代の裁判制度は、当事者は、争点について裁判の審理の中で自らの言い分とその裏付けを提出して、それを踏まえて裁判所に判断してもらうという原則を取っています。従って、もし裁判所が当事者が申立てをしていない事項についていきなり判決を下したら、それは当事者は言い分を主張する機会を何も与えられないままいきなり判断が下されること、つまり「不意打ちの裁判」が行われることを意味しますから、憲法で保障された「裁判を受ける権利」(=市民の権利を保護するための権利)を当事者から奪うことになるので、許されないのです。これは誰でもすぐ分かるコモン・センスです。

しかし、16日の判決ではこの点で異常事態が発生したのです。なぜなら、私たちの申立てはあくまでも「14名の子どもたちの避難」であるのに対し、裁判所はこれを「郡山市の全ての小中学生(しかも彼らには疎開するしないの選択の自由が与えられず、一律に強制的な)の避難」であると申立ての内容をすり替えてしまい、その上で、そのような申立ては認めれられないと判断したからです。
疎開裁判は過去に前例のない裁判なので、当初、私たちは形式的な理由で門前払いされることを最も危惧しましたが、いざふたを開けたら、求めてもいない別の申立てを無理矢理作り上げられて、その挙句に却下されるという、門前払いではなくて門前ちがいの目に遭いました。それは刑事裁判になぞらえれば,Aという人の犯罪を裁く裁判で、裁判所が勝手にBという別の人の犯罪を裁く裁判だとすり替えて判決を下すようなものです。しかも、7月の審理の中で私たちは「郡山市の全ての小中学生の避難」を求める裁判ではないことを裁判所にきっぱりと申し上げました。裁判所は目の前で聞いていたにもかかわらず私たちの申立てを無視して、別の申立てに仕立てあげてしまったのです。これは民事の冤罪裁判であり、重大な誤判というほかありません。

2、証拠裁判主義の原則違反

判決の理由となる事実の認定は証拠によらなければなりません。かつて、証拠によらず恣意的な裁判がまかり通っていた暗黒裁判に対する反省から近代の裁判制度の大原則とされたものです(証拠裁判主義)。従って、裁判所は証拠に基づかないで事実を認定することは許されません。そして、民事の裁判で事実認定の基礎になる証拠とは当事者が自分たちの言い分を裏付けるために提出された証拠資料のことです。従って、裁判所は裁判に提出された証拠資料に基づいてのみ判決の理由となる事実を認定しなくてはならず、それ以外の資料に基づいて事実認定することは許さません。もし当事者が裁判に提出された証拠資料以外の資料に基づいて裁判所が勝手に事実を認定したら、当事者はその資料について何も批判・反論する機会も与えられないままいきなり判決の理由となる事実が認定されることになり、つまりこれも一種の「不意打ちの裁判」が行われることを意味し、憲法で保障された「裁判を受ける権利」を当事者から奪うことになるので、許されないのです。これもまた見え透いたコモン・センスです。

しかし、16日の判決ではこの点でも異常事態が発生しました。私たちは学校設置者の郡山市に子どもたちを避難させる義務が発生するのは「空間線量が年間1mSvを超えたとき」だと主張したのに対し、裁判所は「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については,実証的に確認されていない」(16頁(6).以下、本件事実といいます)と事実認定し、だから「空間線量が100mSv以下のとき」には郡山市に子どもたちを避難させる義務は発生しないとしました。しかし、裁判所の判断を左右するこの決定的な事実となる本件事実について、申立人はもちろんのこと相手方の郡山市も裏付けとなる証拠を全く出していません。このような最重要で大論争になる事実について、裁判所は全く証拠調べもせずに、いきなり判決の中で認定しているのです。私どもの開いた口がふさがらなかったのは当然です。

これに対し、裁判所はきっと「それは民訴法179条の顕著な事実だから、証明を要しない」と釈明するのでしょう。しかし、証拠裁判主義の例外である「顕著な事実」とは「裁判官が明確に知り、少しも疑念をさしはさまない程度に認識する事実」(三ケ月章「民事訴訟法」433頁)のことで、その具体例とは「歴史上有名な事件、天災、大事故、恐慌等」(同上。新堂幸司「新民事訴訟法」473頁)のことです。本裁判で、申立人は、「空間線量が100mSv以下のとき」でも、重大な晩発性障害の発生が予測されることをチュルノブイリ事故との対比の中で実証的に確認できると、その裏付となる証拠をいくつも提出しました(矢ヶ崎意見書〔甲49〕第1章。松井意見書〔甲72〕第2章。甲64の論文など)。いやしくもそれらの証拠資料を一度でも目を通した者なら、本件事実について、その後も「少しも疑念をさしはさまない程度に認識」を維持することは到底不可能です。最低でも、判決の行方を左右する最重要な事実を果して証拠調べもせずに認定してよいかどうか証明すべきです(公知であることの証明)。

裁判所は、証拠資料である矢ヶ崎意見書・松井意見書などを読んでいながら、この最低限度の証明すらせずに判決でいきなり本件事実を認定したのは、申立人からすれば、判決の行方を左右する最重要な事実について一度も主張・立証する機会も与えられずに、申立人の申立てを斥けられたものであり、「不意打ちの裁判」によって、憲法で保障された「裁判を受ける権利」を奪われたというほかありません。これでは近代以前の中世の暗黒裁判に逆戻りしたのも同然です。

この中世の暗黒裁判によって誰が最も被害を蒙るかは言うまでもありません。次の魯迅の言葉を引用するまでもなく、命を尊ぶことをやめない限り、私たちはこの判決が破棄されるまで永遠に弾劾し続けるでしょう。
(文責 柳原敏夫 2011.12.18)

いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない。」魯迅「随感録」の生命の道(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)

2011年12月16日金曜日

「却下」決定に対するコメント(1)

◎続き コメント(2)  コメント(3)
1 本日12月16日、福島地方裁判所郡山支部で仮処分申立に対する決定が出されました。
裁判所の決定(2頁に「判断の理由の要約」 13頁末行から最後までが判断の理由のポイント)

 以下その解説を述べるにあたって、一言、弁護団長(柳原敏夫)の感想を述べさせていただきたい。

      ********************
「子どもを粗末にするような国は滅びる、そのような国には未来はない」
これが真実であることの確認を求め、混乱と異常事態に陥っている国政の是正を「人権の最後の砦」を本来の任務とする裁判所に求めたのが疎開裁判です。
 しかし、本日、裁判所は自らその任務を放棄することを宣言しました。福島第一原発に劣らず、我が国の三権も首をそろえて混乱と異常事態に陥っていることを余すところなく証明しました。それが本日の決定の唯一の意義です。
 これに対しては、私たちは2世紀以上前のアメリカ独立革命の人権宣言の初心・原点に帰って、「子どもを粗末にするような国は廃炉にするしかない。未来は子どもを大切にする国作りの中にしかない」ことを宣言する。

政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権利、いわゆる革命権を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(米国ヴァージニア憲法3条)
      ********************

 結論となる主文は「本件申立を却下する」というものです。

 決定中には「判断理由の要約」として、以下が記載されています。
「放射線による影響を受けやすい児童生徒を集団で避難させることは、政策的見地からみれば、選択肢の一つとなり得るものである。しかし、債務者には、郡山市に居住する他の児童生徒が存在する限り、教育活動を実施する義務があり、教育活動の性質上、債権者らに対する教育活動のみを他の児童生徒に対する教育活動と区別して差し止めることは困難である。債権者らの申立の趣旨は、事実上、債権者らが通学する小中学校の他の児童生徒に対する教育活動をも含め当該小中学校における教育活動の実施をすべて差し止めること等を求めるものと認められるから、その被保全権利の要件は厳格に解する必要がある。しかるに、債務者による除染活動が進められていることや放射線モニタリングの結果などを考慮すると、現時点において、警戒区域でも計画的避難区域でもない郡山市に居住し債権者らと同じ小中学校に通学する他の児童生徒の意向を問うことなく、一律に当該小中学校における教育活動の実施の差止めをしなければならないほど債権者らの生命身体に対する具体的に切迫した危険性があるとは認められない。また、債権者らに対する損害を避けるためには、債権者らが求めている差止め等が唯一の手段ではなく、区域外通学等の代替手段もある。したがって、本件申立てについては、被保全権利が認められない。」

2 今回の決定の骨子は次のようなものです。
① 債権者らは、債権者らを避難させることを求めているが、実質的には、各学校における他の児童生徒の教育活動の差止めを求めているから、その被保全権利の要件は厳格に解する必要がある。
② 現時点で、他の児童生徒の意向を問うことなく、一律に各小中学校の教育活動の実施の差止めをしなければいけないほど、債権者らの生命身体に対する切迫した危険性があるとは認められない。その理由は、①空間線量が落ち着いてきている、②除染作業によって更に放射線量が減少することが見込まれる、③100ミリシーベルト未満の低線量被曝の晩発性障害の発生確率について実証的な裏付けがない、④文科省通知では年間20ミリシーベルトが暫定的な目安とされた、⑤区域外通学等の代替手段もあること、等である。

3 裁判所は、まず、被保全権利がないこと、すなわち、子供たちに切迫した健康被害の危険がないことを理由に、申立を却下しようと考えたのだと思います。しかし、その点だけでは決定理由を書けなかった。そこで、他の子供達についても避難させようとしているなどということを持ちだして、「被保全権利の要件を厳重に解する必要がある」などということを言い出したのです。確かに、私たちは、14人の子どもの避難だけではなく、他の子供達の避難も実現したいと思っていました。しかし、それは、裁判所の決定が出た後の行政交渉で実現できることであって、司法で実現できることではないし、司法判断の対象になるものではないと位置づけていました。個人の権利救済を目的とする民事訴訟手続においては、それは当然のことです。審理の対象は、申立人の子供たちの健康被害を避けるために、申立人の子供たちを避難させる必要があるかどうかだけなのです。他の子供達に対する事実上の影響の問題を司法判断に持ち込み、厳しい要件を課したのは、民事訴訟の原則に違反するものであると考えます。

4 100ミリシーベルト以下での低線量被曝のリスクが証明されたとはされていないことや文科省の20ミリシーベルトの判断を理由に子どもの健康のリスクを否定した内容は、結局、行政の判断に追随しているだけであり、司法の役割を全く果たしていないというしかありません。チェルノブイリでの避難基準との比較、ベラルーシやウクライナの子供たちの現状、福島の明日は今のベラルーシやウクライナであること、多くの子供達が被害を受ける危険があることを、裁判所はどう考えたのでしょうか。科学的な証明のためには膨大なデータの収集が必要であり、そのためには長い時間がかかります。児玉龍彦東大教授が言っておられるように、科学的に証明できてから対策をとっても遅いのです。ことは子供たちの生命、健康の問題です。予防原則が徹底されなければなりません。我が国の政府は、国民に対し、年間20ミリシーベルトまでの被曝をさせる意思です。ウクライナやベラルーシでは、年間5ミリシーベルトを超える地域は強制避難地域とされました。それでも大変な健康被害が生じています。我が国における子供たちの保護が、旧ソ連の各国よりもはるかに劣っていること、そのことを我が国の司法すら安易に追認することに驚きを禁じえません。

5 司法の仕事は、苦しみの中で救済を求めている市民を救うことであって、市民を苦しめる行政の行為にお墨付きを与えることではありません。

 今回の裁判所の決定に対し、私たちは十分に検討の上、今後の道を探りたいと考えます。

【速報】ふくしま集団疎開裁判 決定は「却下」

あなたの評決が子どもたちを救います。まだの方は今すぐ-->こちらから

ふくしま集団疎開裁判は16日、福島地裁郡山支部(清水響裁判長)により「却下」されました。決定の詳細などは、こちらで別途報告
裁判所の決定(2頁に「判断の理由の要約」 13頁末行から最後までが判断の理由のポイント)

【訂正】判決前夜アクションin郡山:12月23日(金)、広河隆一さん講演会の予定通り実施

あなたの評決が子どもたちを救います。まだの方は今すぐ-->こちらから

以下の講演会は、予定通り実施することとなりました。

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写真家、ジャーナリスト、『DAYS JAPAN』編集長、チェルノブイリ子ども基金設立者の広河隆一さんが来週、郡山で講演をします。

日時 2011年12月23日(金)午後3時半~5時
演題 「子どもたちを救え!--チェルノブイリと福島--」(仮題)
会場:JR郡山駅西口 郡山ビッグアイ 7階 全大会議室
→詳細は、こちら