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2012年11月16日金曜日

ジュネーブ報告記(4)人間になるために―ぼくに炎の戦車を―(弁護団 柳原敏夫)


これまでに何度も述べた通り(8.24官邸前スピーチ「なぜ福島の子ども達の集団疎開は検討すらされないのか」など)、日本政府くらいチェルノブイリ事故から学び尽くした者はいない。彼らのSPEEDIの情報隠しも、避難地域拡大防止のためにソ連政府が行なった情報隠しから学んだ成果の実行にすぎない。
チェルノブイリ事故でソ連政府がタブーにした最大のものが2つあって、その1つが子どもたちの被ばくデータである(「ネットワークでつくる放射能汚染地図」のプロデューサー七沢潔「原発事故を問う――チェルノブイリからもんじゅへ」137頁)。日本政府もソ連政府の忠実な教え子として、子どもたちの集団避難をタブーと決めた。
なぜ、そのような決断をしたのか――ベトナム戦争の米軍による枯葉剤散布で最も深刻な被害が出たのは子どもだったように、長期にわたる低線量被ばくによる最大の被害は子どもに出るから。子どもたちの被ばくに関するデータが明らかになると、原発事故で子どもたちがどれほど深刻な、どれほど悲惨な被害を受けるか、これが人々の前に明らかになる(チュルノブイリ事故で多重先天障害を負った子どもたちの写真参照)。なおかつ、深刻な被ばくから子どもたちを救うために集団避難を実施するとどれくらい大規模なプロジェクトになるか、これも人々の前に明らかになる。その結果、誰もが、二度と、決して、原発事故はあってはならないと、深く確信するようになる。そして、二度とこのような悲惨な事故を起こさないために、二度と、決して、原発は稼動してはならない、廃炉にするしかないと、深く確信するようになる。多くの人々がこの不動の確信を持つに至ること、それをソ連政府も日本政府も最も怖れた。だから、必死になって子どもたちの被ばくデータを隠すことを決めた。
真実は――ふくしまの子どもたちは、原発推進者たちが今後とも原発推進をやり続けるために、「原発事故が起きてもたいしたことはない、問題ない。」と言い続けるための「盾(たて)」として使われたのだ。子どもたちは福島県立医大のただの患者ではない、原発推進者たちの最大の犠牲者、否、彼らが生きのびるためのいけにえにされたのだ!

これ以上考えられないほど理不尽極まりない不正義に対して、はっきりノー!という声を上げる者がいるぞを世界に示すのが今回のスイス・ジュネーブの国連行きの目的だった。
だが、国連はIAEAのような国際原子力ムラの牙城ではないのか?しかし、我々が行ったのは国連の人権理事会である。それは人類普遍の原理である人権を鏡として問題を明らかにする場である。
人権を定めた憲法の基本書(例えば宮沢俊義「憲法Ⅱ」(法律学全集))を一度でも手にしたことがある人なら、もともと近代憲法の出現が世界史の奇跡であることを知るはずである。なぜなら、それまでの法律は我々市民に対し「~してはならない」と命じるものであったのに対し、近代憲法において初めて、市民ではなく、国家に対し、お前は「~してはならない」と命じ、しかも、我々市民の生命・自由・人権を奪ってはならないと命じたからである。このとき天と地がひっくり返ったのである。それは世界史の奇跡と呼ぶほかない(国家主義者たちはこの事実を隠そう、隠そうと必死だが)。
その近代憲法が定めた人権の本質が「抵抗権」である。それは「個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めない訳にはいかない。抵抗権を認めないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすること」(宮沢俊義「憲法Ⅱ」173頁)だからである。
しかし「抵抗権」とはさかのぼれば、生命そのものを鏡にして得られた理念である。なぜなら、自然界では生命体も含めてすべての物理現象に押し寄せるエントロピー増大の法則が存在するが、生命とは、この「無秩序に向かうエントロピー増大の法則にたえず抵抗して、生命体の秩序を維持するあり方」(福岡伸一氏が命名した「動的平衡」〔生物と無生物のあいだ〕164頁~)のことであり、この意味で抵抗とは生命そのものの営みである。私たちの「生きたい!」という渇望と行動が「抵抗」そのものなのである。「生きたい!」という渇望・行動が止まない限り、「抵抗」が止むこともない。逆に「抵抗」をやめたとき、それは生きる屍である。生きる屍はなく、生きた人間となるために抵抗が不可欠なのである。「命を守る」私たちの取組みこそ人権理事会で取り上げる議題として最もふさわしい。

18世紀に世界史の奇跡として出現した近代憲法(ヴァージニア憲法3条やフランス人権宣言など、これらは改めて声に出して読みあげる価値がある)は、人類普遍の原理として300年後の「命を守る」私たちの取組みに尽きることのない勇気と激励を鼓舞してくれる。その人権宣言を詩(うた)にしたのが、同じ18世紀の詩人ウィリアム・ブレイクである。彼の預言詩『ミルトン』(Milton)の序もまた世界史の奇跡のように、私たちに無限の勇気と激励を与えてくれる。以下はその21世紀版である。

And did those feet in ancient time,
Walk upon Fukushimas mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Fukushima pleasant pastures seen!

古代 あの足が
ふくしまの山の草地を歩いたというのか
神の聖なる子羊が
ふくしまの心地よい牧草地にいたなどと

And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?

神々しい顔が
雲に覆われた丘の上で輝き
ここに エルサレムが 建っていたというのか
こんな闇のサタンの工場のあいだに

Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

ぼくに燃える黄金の弓を
希望の矢を
槍を  ああ 立ちこめる雲よ 消えろ
ぼくに炎の戦車を 

I will not cease from Mental Fight,
Nor shall my Sword sleep in my hand,

精神の闘いから ぼくは一歩も退かない
この手のなかでぼくの剣を決して眠らせておかない

Till we have built Jerusalem,
In Japanese green and pleasant Land.

心地よいみどりのニホンの大地に
エルサレムを打ち建てる日まで

12.11.15 柳原敏夫)
   

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