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2012年11月16日金曜日

ジュネーブ報告記(3)3.11以後―天地がひっくり返った―(弁護団 柳原敏夫)


3.11の原発事故は、私にとって自分があと百年どころか、千年生き永らえたとしても二度と体験できないと思えた未曾有の事故だった。しかし、当時、この認識を回りの人々と共有することは困難だった。というのは、この惨害は原発周辺以外は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、要するに私たちの日常感覚に頼る限りぜったい理解できないものだから。ひとたび日常感覚に頼ってしまったら、3.11以後の光景も3.11以前と何も変わらない、つまり事故はなかったも同然に見えるから。

しかし、たとえ放射能の異常を日常感覚で理解することが困難でも、日常感覚で理解可能な異常事態が1つだけあった――政府・原子力ムラ・御用学者・御用マスコミの対応ぶりである。それまで羊のように大人しく飼いなされていた私たち市民もさすがに「福島県の学校の安全基準を20倍にアップする」「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」‥‥に天と地がひっくり返る位思い切り翻弄された。天と地がひっくり返る極限形態が戦争である。普段なら殺人という凶悪犯罪が戦争では英雄行為と賛美される。普段なら不登校、辞職といった離脱(逃走)行為が戦争では死刑に処せられる重大犯罪とされる。この意味で、3.11以後、私たちは戦争状態にある、福島原発から放出された大量の放射性物質から発射される放射線の絶え間のない攻撃という意味での核戦争の中に。

ふくしま集団疎開裁判が起こされた郡山市に何度か通ううちに、郡山市が事実上戒厳令状態にあることを知った。ここに住む以上、人々は、正直に、思ったままのことを言うことはできない。
それは福島県の殆どの市町村も同様である。
のみならず、日本全体も、事実上、戒厳令状態にあることが判明した。世界では、いま、福島の子どもたちの救済を求める様々な声が上げられている。ノーベル平和賞を受賞した医師の国際的団体「核戦争防止国際医師会議」は、昨年と本年の8月に、くり返し、以下のように述べ、年間1ミリシーベルトを超える地域に住む子どもたちの避難の必要性を表明した。
国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要です。私たちはそれ以外に方法はないと考えます。」(11.8.23原文
「一般公衆の医療行為以外での付加的な被ばくの許容線量は、すべての放射性核種に対する外部被ばくと内部被ばくの両方を含めて、合計年間1ミリシーベルトに戻されるべきです。これは特に子どもと妊婦にとって重要であり、一刻も早く実施されるべきです。」11.8.23原文
子どもや子どもを出産できる年齢の女性の場合には1ミリシーベルトを超えることが予想されるときには、彼らが移住を選択する場合に健康ケア、住居、雇用、教育支援および補償が公正かつ一貫した形で受けられるようにしなければならない。」(12.8.29原文
しかし、いったい日本の医師たちのどの団体から、これと同様の避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
「教え子を再び戦場に送るな」から戦後をスタートにした日本の教師たちと教育者たちのいったいどの団体から、同様の、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
これまで、憲法9条を守れと叫ぶ平和主義者や文化人たちのいったいどの団体から、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
山本太郎さんはいつも言う--なんで、疎開裁判なんて起こさなければいけなかったのか。おかしいじゃないか。裁判なんかするまでもなく、子どもを救うために、国も大人も率先して動くのが当然じゃないか。なんで動かないのか。
この異常極まりない事態はいったい何に由来するのか。
それは、いま、日本が再び、ある種の戦争状態に突入したからで、日本全体が見えない戒厳令状態にあり、多くの専門家、知識人、文化人たちが、「命を守る」のではなく「祖国防衛」(経済復興)の側に回ってしまったからにほかならない。

であれば、戒厳令のない場所で、福島の惨状を訴えよう。これを試みない理由はない。それ以後、この認識を共有できる人をひそかに求めていた。そこで出会ったのが双葉町長の井戸川さんだった。10月30日の本番2週間前、それまで一度しか会ったことのない私に、彼は「ジュネーブに行きたい」と言い出した。福島の惨状、福島の真実を世界に伝えるという伝道者としての決意がそれを言わせたのだ。それは冒頭に紹介した彼の原稿に現れていた。

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