【アクション告知】

【出店】 9月18日(月)11時30分 
   さようなら原発全国集会 9.18in代々木公園
   出店しますので、チラシ配布など御協力をお願いします。  (場所:代々木公園 けやき並木 ブース14番)

■ 霞ヶ関アクション (原則毎月19日に開催
 
  日時:9月19日(火) 
 (中止)
   理由:前日の「ともに生きる未来を!さよなら原発 さよなら戦争 全国集会」で出店のため。

■ 新宿アクション (第4の土曜日開催に変更しました)
   日時: 9月23日 18時~19時   (開始時間を変更しました)
   場所: 新宿JR東口 アルタ前広場 (雨天決行)
   内容: 街頭宣伝


■ 講演会開催 (たんぽぽ舎と共催) → 詳細はこちら
  9月25日(月)19時~
  脅かされている子どもたちの生命・健康・未来
  チェルノブイリから学ぶべきこと  
  講師:白石草 さん     会場:スペースたんぽぽ


 第9回 新宿デモ (予告)    
   「子どもを被ばくから守ろう! 自分も、家族も!」 (仮称)
   日時: 11
月11日 
13時~ (14時デモ出発)

   場所: 新宿JR東口 アルタ前広場

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過去の見出し一覧->こちら

2013年3月20日水曜日

【裁判速報】ロスタイムに入った裁判所に、緊急書面の提出(16):それでも、伝えたい福島の親の声:どんな被ばくと健康被害の中で生きているのか(伊達市からの報告1)

今、あなたのアクションや注視がまぢかに迫った判決の行方を決めます->今すぐ、HPのメニュー「アクションのお願い」のどれでも
 
ロスタイムに入った裁判所(仙台高裁)から、3月20日現在、まだ決定(裁判所の判断)が出たという連絡はありません。


その仙台高裁に、2月11日、
重要書面として緊急に提出した証拠の1つとして、伊達市に住むお母さんが、3.11以来どのような被ばくと健康被害の中にあるのか、率直に語ったものです(公開用に、個人情報を削除してあります)。
 

  ************************************** 
報告書
――伊達市から、被ばくと健康被害の報告――

福島県伊達市‥‥
○○○○ 

2013年2月7日 


目 次
1、はじめに 
2、被ばくについて  
3、健康被害について
4、終りに 

1、はじめに
 私は、2003年から福島県伊達市に住み、現在、夫(歳)、長男(歳)、長女(歳)、の4人家族。2011年3月11日に起きた東北大震災後の福島県伊達市とその周辺における被ばくと健康被害について、私が経験したことや聞いたことについて述べます。

2、被ばくについて
1、大震災当日から伊達市保原町の一部では、停電、断水になりました。停電は3日間、断水は6日間続きました。
その間、水を求めて、自転車で約5~10分のところにある給水所まで子どもたちを連れて通い、食料を求めて、建物が半壊し外の駐車場で商品を並べ販売していたスーパーに子どもたちを連れて並びました。その間、雪や雨が降ったときもありました。
当時、国・福島県・伊達市から屋内退去という指示も出ていませんでしたので多くの方が買出しや給水、ガソリン購入に歩きか自転車で行っていました。

3月15日、伊達市市役所にトイレを借りに行ったとき、市役所には白ずくめの人が大勢バスに乗りこんでいました。なにやらただ事ではないことが感じました。実はそのときまで停電のためテレビもみていなかったのです。
情報はラジオのみでした。ラジオからはアナウンサーの方の涙をこらえた声が聞こえるので私は地震情報のみ聞くようにしていました。
そのときに友達からメールが来ました。「外には出ないほうがいい、雨にはあたらないように!」というものでした。しかし、電気が来てテレビがみれるようになると、地元のテレビ番組からは「『外は危険、雨にあたるな』というデマメールが出回っています」という情報が流されました。
今思えば、友人のメールはデマではなかったのです(むしろ地元のテレビ番組のほうがデマを流していたことになります)。なぜあのときにテレビを使って「外に出るな、雨にあたるな」と正しい情報を言ってくれなかったのかと思わずにおれません。

その後もテレビや新聞は「安全で影響はない」といい続けていたので、中には気にしないで子どもたちは外で遊んでいる子も少なくはなかったのです。

あの当時、伊達市保原町で、線量計で自宅周辺を計った人に話では27マイクロシーベルト/時だったそうです。
なのに、当時の伊達市の中学校・高校での部活は普通に行われ、伊達市のスポーツ少年団(小学生)でも活動も平気で外グランドで行われていたのです、雨の日も、風が強い日もです。
もちろん2011年5月の除染をする前のグランドです。

伊達市の学校の校庭での活動は3.2マイクロシーベルト/時以下ならば問題なしということで中学校でさえ外活動をしていました。

牛乳は、規制されてなかなか店頭に並びませんでしたが、酪農家から直接もらってきて飲んでいる家もありました。

3、健康被害について
 私自身が経験したこと、聞いたことを報告します。
①.2011年11月、伊達市の56歳女性が多数皮出血で受診 急性骨髄性白血病と診断されたそうです。姉より骨髄移植を受け、2012年秋に職場復帰されています。

②.2011年12月、長男(…歳)はもともとアトピー性皮膚炎でしたが、原発事故以来、頭皮部分が悪化、右側部こぶし大に髪の毛が抜け落ちるほどになりました。皮膚科に通院し、飲み薬塗り薬を処方されました。なかなか髪の毛が生えそろわず、美容店で目立たないようにカットしてもらっていました。半年後に目立たなくなりました。
2012年4月、伊達市の中学に入学し、陸上部に所属するようになりました。
しかし、体調を崩すと直りが悪くなり、連続して休むようになりました。
2012年11月には1週間連続で休み、その間小児科に受診、改善されず5日目に耳鼻科受診で蓄膿症と診断されました。原発事故まで副鼻腔炎とも言われたことがなかったのですがいきなり蓄膿症の診断にびっくりしたしました。

③.2012年1月23日、子どもたちが通学する小学校で集団の甲状腺エコー検査(福島県の県民健康管理調査)を受けました。
結果は、長男(…歳)「A2判定 のう胞1個あり」(のう胞の数は福島県立医大に直接電話して聞きました。ただし、複数個の人は個数を教えてもらえませんでした)、長女(…歳)「A1判定 のう胞なし」という診断がきました。
2012年5月に、セカンドオピニオンを近くの病院(甲状腺専門医)にて受けました。すると、長男「のう胞あり(右1個 2.6mm 左1個 2.1mm)」 長女「のう胞あり(右1個2.6mm 左1個 2.3mm)」でした。ふたりとも県の診断と違っていました。

④.長女と同じ小学校のお友達(‥歳女子)は③の甲状腺エコー検査でA2判定でしたが、2012年7月、同じ病院でセカンドオピニオンを受けました。6月に申し込んだのに、検査は7月になりました。なぜかというと、セカンドオピニオンをストップされ、受診できない時期があったからです。
このお友達はのう胞が数え切れないほどあったそうです。
このときの血液検査では サイログロブリンが166(標準は0.0~30.0)という数値になっていました。その病院では経過観察ということになりました。
薬の処方はありません。
このお友達のお母さんの話では、震災後も言うことを聞かず外でずっと遊んでいたそうです。ほかの子どもたちの話では、このお友達は堀でザリガニなどを捕まえていたり、あとで私たちも知ることになったホットスポットと思える場所で平気で遊んでいたことになります。このお母さんには思い当たる節がたくさんあるということなのです。一緒に暮らしているおにいちゃん11歳は家の中にずっといるタイプだそうで、のう胞はありましたが、数は少ないそうです。

⑤.2012年2月、伊達市の○○小学校で、2人が同じような病気になり入院したという話を聞きました。症状を聞いてますので書きます。
一人の子は、アレルギー性紫斑病となり、蛋白尿‥‥
もう一人の子は、IgA腎症という難病にかかっていました。どちらも蛋白尿がでます。

⑥.2012年1月、長男が通う中学校の運動部の男子(…歳)が腎機能障害になったと聞きました。……原発事故以来、腎臓関係の病気がとても目立っています。

⑦.2012年12月、伊達市の60代の男性がウイルス感染で亡くなりました。
 また、時期は未確認ですが、浪江町から避難されてきた60代の男性がB型肝炎ウイルスで亡くなりました。

⑧.2012年9月、長女(…歳)がひざが痛いといいだし オスグット病の診断を受けました。そのときの診察でレントゲン撮影で右足に”骨軟骨腫”が見つかりました。要観察ということで3ヶ月ごとにレントゲン撮影していく予定です。

⑨.2011年から鼻血が出やすくなったという話をよく聞きます。
2011年8月、長男も夜寝るときに鼻血が大量にでて止まらないときがありました。本人に聞くとなにも鼻をいじっていないといっています。
2012年8月夏休みのプール当番のとき 私の目の前で小学1年生男子がプールに入る前から鼻血がでてすぐにやめさせたこともあります。
2012年からプール授業も始まったのですが、プールは震災でだいぶ傷んでました。プールの底は除染によって削ったままだったのか、数名の児童が足の裏を切って一回のプールの時間にカット判が1箱無くなってしまったということもあったそうです。

プール指導中、からだが冷えて子どもたちは唇を紫にしていました。そのときに「プールサイドにねっ転がって体を温めなさい」と言った大人の方がいて私は凍りつきました。いくら除染したとはいえプールサイドはかなり危険な場所だと思っていました(私の子どもたちはこの年はプールは入らせていません)
性器の被爆ということもチェルノブイリでは言われているからです。

4、終りに 
行政や教育現場での放射能に対する知識は国の隠蔽されたままの情報そのものです。
すべて後手後手ということなのです。
子どもたちにまで、後手後手では私たち親はどうすれば良いのかわかりません。せめて子どもたちには予防原則で動いていただきたいのです。

いろいろと言われているようにこちらではこのような健康に関してもそうですが、放射能の話はほとんどされません。タブーな話です。
それは病院でも学校でもです。
気にしているのにそのことを表に出しては暮らしてはいけない状態にあります。
ですからどうぞお願いです。裁判所のお力でこの現状をもっと把握にお力をお貸し願いませんでしょうか。

今本当にここにいても大丈夫なのか不安なのです。

後になってやっぱり・・そうだったでは済まされません。

私たちう一般市民の力では今の現状ではどうにもなりません。
どうぞお願いいたします。
以 上
 


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