「DAYS JAPAN」最新号に、「日本版チェルノブイリ憲法9条を制定せよ!」という文を書いた際、締めくくりにこう書きました。
子どもたちの命を救えなかったら、そのとき日本社会もおしまいです。それを実行するのは伝統的な専門家によるお任せ民主主義ではなく、市民一人一人の自己統治(直接民主主義)による取組みです。いま、我々一人一人が日本社会の健全さを取り戻す運動への参加が問われているのです。
たまたま、同じ号に、ベラルーシから来日した、保養施設「希望」の所長として、18年間、チェルノブイリ原発事故被災地の子どもの保養を実施しているヴャチェスラフ・マクシンスキー氏の講演録が載っていて、保養プロジェクトの実行にあたって、当時のベラルーシ副首相イワン・ケニックの尽力があったことが紹介されていました(以下の記事)。
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昨年年9月16日に放送された「シリーズ チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告『第1回 ベラルーシの苦悩』」にも、被災者支援の指揮を取った、チェルノブイリ委員会初代委員長のケニック副首相が登場し、素晴らしい言葉を語ります。
しかし、番組では、彼の活躍の前に何があったか、次のように紹介します。彼は市民の力に支えられて初めて保養プロジェクトを実現できたのです。
汚染対策を求める声はベラルーシ全土に広がった。首都ミンスクを始め、全国各地でデモやストライキが開かれた。ペレストロイカ以降の民主化の波がこの動きを後押しした。
2006年3月、稼動中の志賀原発の差止判決を書いた井戸健一裁判長(当時)が、一昨年秋、疎開裁判の弁護団の一人として、次の言葉を語りました。
とりわけ私たち日本人は、500年前の市民の自己統治(一向一揆など)の経験以来、自己統治不在のまま長期間にわたって、惰性のせいで、素晴らしい政治家、素晴らしい裁判官、そういう人さえいれば未来が切り開けると考えてしまう「お任せ民主主義」の旧習があります。しかし、それが最悪の結果を招きます。 子どもたちを最も危険な目に遭わせます。裁判所としては,何らかの救済が必要だと思っても,救済を求めているのが一部の親に過ぎず,それによって,救済を求めていない多くの子や親に重大な影響を生じうるような決定を出すのは,出しにくいと思います。すなわち,債権者になっているのは少数の親に過ぎないが,これを支持するサイレントマジョリティがいることを示さなければ,裁判所は積極的な決定は出せないと思うのです。
もともと政治家も裁判官も「普通の人」で構いません。あとは、私たち市民が智慧を集め良識を発揮し、真理と正義に則った判断とはどういうものかを示せばよいのです。それを普通の政治家、普通の裁判官が見て確認し、採用すればよいのです。料理を食べて「これはうまい」と言うのが政治家、裁判官。料理を作るのが私たち市民。私たちこそ主権者なのですから。これが当然です。
子どもたちの未来は私たち市民の手にあります。
「希望」を支えるのは、名もしれない無数の市民たちの支持だ。
「お任せ民主主義」から決別し、民主主義の原点=市民の自己統治に立ち返って、行動を起こしましょう。
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