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2013年4月7日日曜日

日本の医師、医療従事者の皆さんへ (弁護団 柳原敏夫)

あなたのアクションが目前に迫った判決の行方を決めます->今すぐ、判決前夜アクションに参加を!

真実はどこに?」 (ミッシェル・フェルネックスさん出演
 

以下は、本年2月、一人の医師の方の求めに応じて弁護団の柳原が書いた文章に手を加えたものです。

日本の歴史上今ほど、日本の子どもたちの命を救うかどうがが医師、医療従事者の人たちの手にかかっている時代はありません。子どもの命は日本の未来です。日本の未来は医師たちの良心・頑張りにかかっているのです(そのことを一貫して訴えているのがスイス・バーゼル大学医学部名誉教授のミッシェル・フェルネックスさんです->「福島の失われた時間」)。

どうか、一人でも多くの医師、医療従事者の皆さんが、この峻厳な真実と向き合い、アクション(今すぐなら、判決前夜アクションにご自身のメッセージを表明下さい)に出ることを願ってやみません。

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 弁護団 柳原敏夫
福島の現状に対して「ふくしま集団疎開裁判」が持つ意味
疎開裁判が最終的に目指すのは、福島第一原発事故のために命と健康の危険にさらされている全ての子どもたちが安全な場所で教育を受けられるようにすることです。
 しかし、今の裁判制度ではそれを直ちに実現することは不可能です。そこで、まず、郡山市の14名の小中学生がいわば先駆けとなって、救済を求め る裁判を起こしました。もしこの訴えが認められたら、次に、14名の小中学生と同様の危険な環境に置かれている全ての子どもたちの救済を、「子供たちを安 全な場所で教育せよ」という裁判所の命令を踏まえて、市民による対行政交渉を通じて実現するというプランでした。
その意味で、この14名は被ばくにより命 と健康の危険にさらされている全ての子どもたちを事実上代表して、訴訟に出たのです。
ただし、ここで冷徹な事実として申し上げておきたいことは、たとえ疎開裁判で勝利してたしても、その時もしこれを支援する強力な世論の後押しがなければ、ちょうど子ども被災者支援法が、いくら行政交渉をしてもザル法のままにたな晒しにされているのと同様、そのあとの「行政交渉」によって福島県の子どもたちの集団避難の実現という実を結ぶことは挫折するでしょう。行政からノラリクラリとあしらわれるだけです。つまり、ふくしま集団疎開裁判の最終目標を達成するためには、どうしても強力な世論の支持が不可欠なのです。
 逆に言えば、仮に最終的に裁判で負けたとしても、その過程で、「子どもを避難させよ」という強力な世論が形成されることに成功したならば、そのときには、この強力な世論をバックしにして福島県の子どもたちの集団避難を実現することも可能となるこということです。すなわち、「集団避難」という頂上に登るルートは1つに限らないということ、そしてどのルートを選ぼうが、頂上に登れるかどうかは結局のところ、強力な世論を形成できたかどうかにかかっていることです(日本政府ですら採用できないでいる世界標準というべきチェルノブイリ住民避難基準が、
人権保障も人権裁判もなかったソ連で採用されたのは市民たちがこれを支持する「強力な世論」を形成したからです)。
以上の意味で、疎開裁判が最も重要視していることは、、「子どもを避難させよ」という強力な世論が形成されることで、それに向けての取組みです。以下に述べるように、そのカギを握る第一の人たちとは医師らの医療従事者の人たちです。私たちは、医師、医療従事者の皆さんの取組み・アクションに注視しないではおれません。

今後の展望、運動の方向性 (医師の参加の必要性)
疎開裁判は通常の訴訟ではなく、仮処分という緊急の救済を求める裁判です。言うまでもなく、緊急に救済を得る必要があったからです。仮処分手続では、通常、一審(地方裁判所)でも数ヶ月で、ましてや、一審のあとの二審(高等裁判所)ではあっという間に終わってしまいます。それが、疎開裁判の二審で1年3ヶ月以上異例の長期化しているのは、事態の深刻化(福島の子どもたちの健康被害の顕在化)と、これに対する市民の憂慮する声、関心の高まりによるものです。
普通の裁判の勝ち負けを決めるのは真実(事実)と正義(法律)です。しかし、このような社会的な影響の大きな裁判の行方を決めるのは、もちろん真実と正義も大事ですが、それ以上にサイレントマジョリティの支持(世論の声)が核心です。裁判所が最も耳を澄ますのはこの声です。たとえ、真実と正義が子どもを避難させよと命じていても、世論の支持が弱ければ、裁判所は原発を推進する原子力ムラの圧力に耳を澄ますほかなく、(一審裁判所の福島地裁郡山支部がそうだったように)子どもたちを見殺しにする判決を下します。しかし、もし原子力ムラの圧力を上回るような世論の支持が起きれば、裁判所も勇気を奮って、真実と正義に従った判決を下すことができます。歴史上そのようなことは、数多くはありませんが、確かに存在しました。冤罪事件の松川事件がその典型です。一審、二審とも有罪だったのが、最高裁で「世論という雑音」のせいでひっくり返りました。ふくしま集団疎開裁判は民事冤罪事件です。本来、100%責任も関係もない被害者であり、救済されるべき被害者である子ども達が、あたかも救済されなくてもしょうがないあべこべの立場の人間に、あたかも無実の者が罪を犯した罪人のように扱われているからです。

この民事冤罪の濡れ衣を晴らすために、第1に、子どもたちの深刻な健康被害の真実を明らかにすること、第2に、その真実を多くの人々が共有し、子ども達を今すぐ救えという多くの声(世論という雑音)をあげることです。
そのためには、まず第一に、子どもたちの深刻な健康被害の実態を明らかにできる人たちの努力、すなわち医療従事者の人たちの手にかかっています。チェルノブイリでもそのような勇気ある医師等の献身的な努力によって、子どもたちの健康被害の真実を闇に葬らさず、白日の下に差し出しました。
広河隆一さんも20111120日の講演会で、次のように話しています(->講演録)9頁
IAEA、原子力の息のかかったような学者たちにとって一番嫌だったのは、避難民たちのカルテなんですね。避難する途中の病院で診断を受けたのですが、そのときのカルテが残っているんです。でも、それがあっては困るんですね。急性放射線障害の症状が皆、書いてあるわけです。喉にどのくらいの放射能を浴びていたかとか、喉が原子炉みたいとかいう表現もある。それで、嘔吐とか下痢とか発熱とかの症状でどうにも動きがとれなくなった人たちのことが、みんなここに記録されているわけです。これはまずい、これを世の中から消さなくてはと思うわけです。
これはホイニキという街の病院で――ホイニキだけで調べられたわけではないのですが――このホイニキのカルテの貯蔵庫は回火事になっているんです。それで、これらのカルテだけが助け出されたんですね。この病院の副院長が助け出したんです。そのために彼は、副院長から一般の医師に降格させられてしまうんです。
くり返しますが、裁判の判断の行方を左右するのは、子どもたちの深刻な健康被害の実態が多くの人たちに知られ、避難の必要を支持する多くの声があがるかどうかであり、その声があがるかどうかのカギを握るのは、ほかならぬ医師らの医療従事者の人たちの取組みです。福島の子ども達を救えないようでは日本はおしまいです。誇張なしに申し上げて、福島の子ども達と日本の運命は医師らの医療従事者の人たちの手にかかっています。3.11以後、世界から、核戦争防止国際医師会議勧告やミッシェル・フェルネックス博士たちが「子ども達が危ない、今すぐ避難をさせよ」という声をあげています。
あとは、国内からも同様の声があがること、健康被害の真実の追求が始まることです。
そしたら、私たち一般市民も共に手を携えて、以前にも増して、大きな声と力で「子どもたちを救え!」と言うことができます。
どうか、私たちにとつながって子どもたちの命を救う取組みに参加いただくよう、お願い申し上げます。

※具体的な取組みとして、
①.今すぐ出来ることは、判決前夜アクションにメッセージをお寄せ下さい。
②.今後ともつながっていただけるのでしたら、sokai*song- deborah.com【*を@に差し替えて送信ください】までご連絡ください。
(放射能による)遺伝的損傷は、また特にゲノムの不安定性の原因となる遺伝子周辺の損傷は、親よりも子孫たちに、より重い状態で出現するという発見は、研究者たち驚かせた。世代から世代へと危険がどんどん高まっていくのである。‥‥『原子力事故が変異を引き起す力は、これまで疑われていたよりもはるかに重大であることを、今や私たちは認識している。真核生物のゲノムには、これまでは決して起りえないと考えられていた水準の件数で、変異が起ることを認識している』1996 4 25 日号「ネイチャー」誌の編集後記。‥‥(福島に対し)日本政府は何をすべきか。これ以上汚染と被ばくが続くことにより、遺伝的な損傷がこれ以上悪化することを遺伝学者の指導によって食い止めなければならない。(ミシェル・フェルネクス博士)
国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要です。私たちはそれ以外に方法はないと考えます。」(11.8.23原文
一般公衆の医療行為以外での付加的な被ばくの許容線量は、すべての放射性核種に対する外部被ばくと内部被ばくの両方を含めて、合計年間1ミリシーベルトに戻されるべきです。これは特に子どもと妊婦にとって重要であり、一刻も早く実施されるべきです。11.8.23原文
子どもや子どもを出産できる年齢の女性の場合には1ミリシーベルトを超えることが予想されるときには、彼らが移住を選択する場合に健康ケア、住居、雇用、教育支援および補償が公正かつ一貫した形で受けられるようにしなければならない。」(12.8.29原文)(核戦争防止国際医師会議勧告

(参考)以下は、疎開裁判の歴史の概略です。
原発事故以来、申立までのふくしまの現実と子どもたちの状況

頬を真っ赤にして、風の中を走りぬけ、木イチゴをほおばり、虫取りに胸を躍らせ、雪原をころげまわる・・・。それが、ふくしまの子どもたちでした。

3・11福島第一原発の巨大事故により、ふくしまはすっかり変わってしまいました。 疎開裁判の申立人である14名の子どもたちが住む郡山市では、安定ヨウ素剤の配布もなく、放射能測定値が公表されない中で、多くの市民が目には見えない放射能に曝されたのです。

息子を給水車の列に並ばせてしまった父親がいました。毎日屋外での部活に出かけた高校生がいました。卒業式を行うという学校の指示に従い、避難先から娘を連れて戻ってきた母親がいました。

SPEEDIのデータをはじめとする情報は隠され、「安全キャンペーン」により、事故は矮小化されました。文科省の年間20mSvの基準に象徴されるように、さまざまな基準値が突然引き上げられました。

不安と恐怖の中で、親たちは必死で子どもを守ろうとしてきましたが、行政による子どもたちの命と健康の確保は、除染という方法しかなされませんでした。避 難区域に指定されていない郡山市の子どもたちには命と健康を確保するためには自主避難という方法しかありませんでした。しかし、自主避難は、子どもたちに とっては、友だちと別れ、知らない世界に飛び込まなければならないことでした。親たちにとっては、大きな経済的負担や家族が別れ別れになることが余儀なく されるため、その選択を誰もができた訳ではありません。

そのような中で、申立人となった14名の子どもたちはやむにやまれぬ思いで、「ふくしま集団疎開裁判」を起こしたのです。

 
「集団疎開」の申立てを裁判所にしたいきさつ
疎開裁判を申し立てた当日の記者会見で、代理人の井戸さんが話した通りです(->会見要旨
そのポイントだけ繰り返しますと、
3.11原発事故前までは、学校の安全基準は、年間1mSvと定められてきた。これはICRPの定める基準であり、ECRRがはるかに厳しい基準(10倍)を設けていること等から、ICRPの基準に無批判に依拠することは相当でないと考えるが、少なくとも、この基準は「最低限守られるべきものである」と考える。
そして、人は、呼吸及び飲食によって放射性物質を体内に取り込み、内部被曝にも晒されるが、最も危険な内部被曝であるアルファ線とベータ線の線量を外部から測定するのは不可能である。また、成長期にあって細胞分裂が活発な子供は、大人よりもはるかに放射能に対する感受性が高い。そうだとすると、福島の子供たちについて、外部被曝だけでも年間1mSvを超えるような環境に晒すことは断じてならない。
ところが、2011年4月19日、文科省は、このICRPが定めた基準や、我が国における従来の基準すら大幅に上回り、子どもについて年間20mSvの被曝まで許容するとしたが、この判断にはただ戦慄を覚えざるを得ない。文科省は、その後、学校での被曝量について年1mSvを目指すと修正したが、20mSvの基準を撤回したわけではなく、福島の大部分の子ども達は依然、1mSv以上の危険な環境のもとで学校教育を余儀なくされている。本来、国と自治体は、子ども達を安全な環境で教育させるという憲法上の義務(憲法26条)を負っており、以上の状態は明らかに憲法に違反する重大な侵害行為である。
従って、直ちに、この人権侵害状態を是正することが必要であって、郡山市は直ちに子ども達を年間1mSv以下の安全な場所に避難させ、教育させなければならない。
 以上の緊急救済を求めて、裁判所に申立てをしました。
これまでの裁判の簡単な経過
(1)、一審(福島地裁郡山支部)
疎開裁判は過去に例を見ない裁判のため、形式的な理由で門前払いされるおそれがありましたが、裁判所は門前払いせず、子どもたちの被ばくの危険性という裁判の主題の検討(実体審理)に入りました。
当初、2011年9月9日で審理を終え、結論を出す予定でしたが、当日、私たちが提出した書面により審理は異例の延長となりました。8月末に文科省が公表 したセシウムの土壌汚染のデータにより、初めてチェルノブイリ事故との具体的な対比が可能となったからです(セシウムの汚染度が郡山市と同程度のルギヌイ 地区を取り上げ、チェルノブイリ事故以後、その地区で発生した異常な健康障害が、郡山の子どもたちをこのままにしておくと、今後、同様の健康障害が発生す ることが予測されると指摘した矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授の意見書など)。
これに対し、郡山市は、チェルノブイリ事故との対比について「不知」と答えるのみで、転校の自由があるのだから危険だと思う者は自主的に引っ越せばよい、 安全な場で教育を受ける権利を侵害したのは東電であって自分たちではない、だから郡山市は子どもたちを安全な場所に避難させる義務を負わないと反論しまし た。これは人権宣言の正反対とも言うべき人権侵害の宣言です.
これに対し、私たちは、その後もチェルノブイリ事故との対比に関する証拠を精力的に提出し、万全を期しました。こうして、延長戦の審理は10月末に終了しました。
(2)、一審の判断(2011年12月16日)
仮処分申立は本来、緊急に救済を実現するためのものですが、今回、裁判所が判断を下したのは審理終結から45日経過した、野田前総理が「冷温停止状態」宣言したのと同じ12月16日の同じ頃でした。結果も同じく「避難停止状態」、子どもたちの申立を却下するもので した。
理由のエッセンスは、14名の申立は郡山市の全ての小中学生を有無を言わせず一律に疎開を求めるというものであるから、その要件は厳格に解する必要がある こと、そのためには14名の子どもたちの生命身体に対する具体的に切迫した危険性があること、その危険性を判断する上で最大の論拠となるのは空間線量の値 が年間100mSv以上であること、ところが、14名の子どもたちが通う学校の空間線量の値が年間100mSv以上であることの証明はない、というもので した。
他方で、私たちが最も力を入れて主張・立証した「チェルノブイリ事故との対比」に対して、裁判所は一切応答せず、これを黙殺しました。
また、申立却下の最大の根拠となったいわゆる100mSv問題(100mSv未満の放射線量を受けた場合における晩発性障害の発生確率について実証的な裏 付けがないかどうかという問題)について、審理の中では一度も当事者からも裁判所からも取り上げられたことがなかったにもかかわらず、裁判所は判決の中 で、いきなり、なおかつ当事者が提出した証拠に基づかずに認定しました。つまり、裁判所は、処分権主義、弁論主義、証拠裁判主義といった「人権の最後の 砦」を支える近代裁判の基本原則をことごとく踏みにじることで申立却下という結論を導き出したのです(その詳細は以下のコメント(1)(3)を参照)。
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(3)、二審(仙台高裁)
この判決は14人の申立人と同様の危険な中にいる福島の子どもたち全員に向って、君たちは自己責任で避難しない限りどうなっても知らないぞと宣言するもの、つまり巨大な人災により歴史上初めて日本人を仕分けする(切り捨てる)宣言をした未曾有の人権侵害判決です。私たちがこれに服従できないのは当然です。直ちに仙台高等裁判所に異議申立しました。
第二審の裁判の中心的なテーマは2つあります。
1つは一審判決がいかに間違っているかを明らかにすること、
2つめはその後判明した子どもたちの被ばくに関する重大な事実の主張です。第一審の審理の中心は「チェルノブイリ事故による健康被害との具体的な対比」からふくしまの未来を予測することでした。これに対し、第二審の中心は「福島原発事故による健康被害の具体的なデータ」からふくしまの未来を予測することにシフトしました。「子供たちの生命・身体に対する具体的な危険性」を裏付ける、より直接的なデータが福島の現実の中から登場したからです。
 その最初のデータが、甲状線検査により、2012年1月、南相馬市等の四市町村の子どもたちの30%に、本年2月、札幌に自主避難した子どもたちの20%に、2012年4月、十三市町村の3万8千人の子どもたちの実に36%に「結節又はのう胞」が見つかったという事実です。その後も、甲状腺検査のたびに、この数値が最高を更新していきました。その最新のデータは、2013年2月13日、3万8千人の子どもたちから最高で10名の甲状腺がんが見つかったという事実です。これを事故後5~6年目の郡山市に当てはめると、69~175.5名、これはベラルーシ一国の同数~6倍に相当する。事故後2年目の福島県では、(いわき市も含めると)60名を相当数上回る子どもたちに甲状腺がんが発症している可能性があり、k。 これはベラルーシの15倍以上に相当する。以上から、避難は一刻の猶予もなりません。
これに対する郡山市の答弁は基本的に「抗告人の主張は否認、不知、争う」とだけで、科学論争に入ろうとしません。子どもたちの安全性について何も証明しなくても心優しい裁判所がきっと一審裁判所と同様、自分達を守ってくれるにちがいないと信じているような態度です。
ところで、裁判はその後、仙台高裁が両当事者を裁判所に呼び出すという異例の展開となり、3回の非公開の審理の末、本年1月21日に審理を終了し、3週間の書面提出の猶予の後、いつ裁判所の判断が下ってもおかしくないゴール寸前状態に入りました。
ところが、4月7日現在、審理終了後2ヶ月以上経過したにもかかわらず、今なお裁判所の判断が下らないという、これまでで最も異例の展開となりました。

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