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2013年4月29日月曜日

【報告】仙台高裁の判決(決定)の全文と解説(総集編)

あなたのアクションが間違った判決をただします->今すぐ、判決直後アクションに参加を!

1、 判決(決定)の全文
4月24日に出されました仙台高裁の判決(決定)全文を、個人情報を削除した上で公開します。

 判決(決定)全文(PDF  デジタルデータ

2、 判決(決定)の解説
                                    文責(弁護団 柳原敏夫)
(1)、 4部の構成
今回の判決(決定)は主文と理由から、さらに理由は3つに別れ、次の4つからできています。
1、主文:          私たちの要求(申立て)に対する裁判所の応答の結論部分
2、理由の「事案の概要」:本件仮処分事件の概要
3、理由の「抗告人の主張」:私たちの主張をまとめたもの
4、理由の「裁判所の判断」: 裁判所の応答の結論を導いた理由を述べたもの

(2)、判決の条件(判決の生命線)
国会や行政に対し、裁判所の際立った特徴は、裁判所の行為(判決)を下すにあたって、必ず結論を導いた理由を述べなければならないことです。いわゆる証明が求められることです。もしその理由づけが破綻しているとき、その判決は破綻したも同然です。 控訴すればそのような判決は破棄されます。
数学で、証明ができない限りいくら或る定理を声高に叫んでも誰にも相手にされないのと同様です。これは「人権の最後の砦」とされる裁判所に課せられた判決の最も重要な条件なのです。

今回、仙台高裁が、1月21日に審理を終了してから判決まで3ヶ月以上、仮処分手続の二審として前代未聞の長時間を要したのは、結論が決まらなかったこともさることながら、「却下」という結論を出したものの、今度はその結論を導く理由づけ=証明ができずに四苦八苦したためと思われます(それは証明部分に該当する「裁判所の判断」の後半部分を読めば、証明の錯綜ぶり、破綻ぶりが一目瞭然です)。

この意味で、私たちが判決を読むとき、結論の主文のみならず、それを導き出した理由にこそ注目する必要があります。もし理由が破綻していれば、その主文は生ける屍、破綻したも同然だからです。
今回の判決で、この証明を述べた核心部分が理由の「裁判所の判断」です。

以下が、「裁判所の判断」に関するとりあえずの解説です。

(3)、「裁判所の判断」の解説
          目 次
A、その1(7~13頁)->ブログの記事
B、その2(13頁の下から9行目~末行)->ブログの記事
C、その3(14頁~15頁12行目)ブログの記事
D、その4(15頁13行目~17頁7行目)ブログの記事

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A、その1(7~13頁)->ブログの記事

                      判決の原文

3 抗告人■■■■■(以下・この項においては単に抗告人という。) について
(1) 証拠 (186) 及び審尋の全趣旨によれば、抗告人は、相手方の設置に係る■■■■学校に在籍していたところ・同校を卒業して平成244月に同じく■■■■中学校に進学し、現在同中学校に在籍していることが認められる。

(2) 抗告人の本件申立ては、東北地方 太平洋沖地震による津波によって東京電力株式会社が設置管理していた福島第一原発が被災し、同所から大量の放射性物質が流出した結果、これによる大量の放 射線が大気中に拡散放出され、その被ばくにより人体(とりわけ成長過程にある児童である抗告人)に有害な影響を与えることを前提として、相手方の設置に係 る学校施設において放射線量測定値の平均値が0.193マイクロシーベルト/(福島県における自然放射線量である0.037マイクロシーベルト/(102)を勘案した年間1ミリシーベルト程度の1時間当たりの放射線量である空間線量率) 以上の地点の施設における教育活動がその生命・身体・健康を脅かす侵害に当たるので、人格権に基づく妨害の排除として。また、同時にそれが相手方の負う安 全配慮義務に反するので、そめ義務の履行として、仮に抗告人に対する教育活動の差止めを求めるとともに、上記地点以外の学校施設における教育活動を求める ものである。
抗告人の上記の主張からも明らかなとおり、本件は、一時的な強線量の被ばくによる急性障害の危険を避けるというのではなく、長期間にわたる低線量被ばくによる晩発性障害の危険を避けるために、年間に被ばくする積算追加放射線量の上限値を1 ミリシーベルトとすべきであるとした上で、これを超える年間の積算放射線量による被ばくがその生命・身体・健康に被害を及ぼすから、その1時間当たりの平 均数値である0.193マイクロシーベルトを超える空間線量率の下での教育活動による被ばくは抗告人の生命・身体・健康に被害をもたらすものであるとし て。その教育活動の差止めを請求する とともに、上記数値を超えない地点の学校施設での教育活動を請求するものである。

(3) そこで検討するに、引用に係る原決定摘示の当事者間に争いのない事実等に証拠 (496272から748 1849397103)及び審尋の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

ア 平成23 3月、福島第一原発事故により、同所から大量の放射性物質が流出して人の生命・身体・健康に対する重大な危険が生じた。このため、福島第一原発から一定圏内にある地には避難指示や屋内退避指示が出され、また、警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難 区域の指定がされたが、相手方の管轄行政区域はこれらの指示や指定の対象区域とはなっていない。

イ 文部科学省では、平成234月以降、 福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断についての各種通知を発し、ICRPの助言を考慮して、児童生徒の受ける放射線量を減らしていくことが適切である とした上で、学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安として年間積算放射線量として1ないし20ミリシーベルトの数値を採用して教育活動を行うものとしている。

ウ 長期間にわたる低線量の放射線を被ばくした場合に現れる晩発性障害として、発癌率が高くなるなどの健康被害が挙げられるところ、例えば甲状腺癌は児童10 万人当たり数名程度しか発症しないとされているのに、福島第一原発と同レベルの重大な原発事故とされる旧ソビエト連邦において昭和61年に発生したチェルノブイリ原発事故においては、事故発生の五、六年後から 甲状腺疾病と甲状腺腫双方が急増し、9年後には児童10人に1人の割合で甲状腺疾病が現れたとの報告がある(49矢ヶ﨑意見書)。そして、チェルノブイリ原発事故に よる健康障害調査データから郡山市で今後発症するであろう種々の健康障害(晩発性障害)の予測として、先天障害の増加、悪性腫瘍の多発、1型糖尿病の増 加、水晶体混濁・白内障、心臓病の多発を指摘する意見もある(72←松井意見書)。                              
また、福島県県民健康管理調査検討委員会が発表した平成24年度甲状腺検査の検査結果とチェルノブイリ原発事故後に行われた小児の甲状腺検診データとを対比して、福島の児童には被ばくから数年後のチェルノブイリ高汚染地域の児童に匹敵する頻度で甲状腺癌が発生し、甲状腺癌が今後激増するおそれがあるとの指摘もある( 227←松崎意見書(5))

エ 相手方の管轄行政区域における空間線量率についてみると、まず、相手方の設置する小学校である■■■■■小学校及び■■■■小学校において平成24 219日及び同月20日に空間線量率を計測した結果、152箇所のポイントのうち、1メートルの高さの空間線量率が0.193マイクロシーベルト/時 以下のところは1箇所にすぎず、環境省により除染の基準とされる0.23マイクロシーベルト/時を下回ったところは9箇所にすぎなかった(1032 頁←山内意見書)。また、抗告人が現に通学す■■■■中学校においては、平成2443日から13日までの4臼間における空間線量率の測定結果は、いずれも高さ1 メートル地点の校庭で0.27から0.29マイクロシーベルト/時、教室内で0.08から0.09マイクロシーベルト/時であり (30)、平成2523日における同様の66地点の計測結果によれば、1メートルの高さの空間線量率は0.14から1.30マイクロシーベルト/時 の間に分布し、0.193マイクロシーベルト/時以下のところは7箇所であり、平均値は0.39マイクロシーベルト/時であった(221←中野目報告書)
相手方の設置する学校施設については、この間、校庭の表土除去、校庭整地などの除染作業が続けられていて一定の成果を上げている( 2から713)ものの、未だ十分な成果が得られているとはいえないのであるが、その主要な理由の一つとして、校庭外から飛散する放射線(ガンマ線)の影 響が挙げられている。ガンマ線は100メートル以上離れたところから飛来するため、ある場所の放射線量を下げるためには半径数百メートルの地域一帯を除染 しなければならないとされており(10313)、学校周辺すなわち地域全体の除染が実施されなければ学校内の放射線量も下がらないが、除染により放 射線量を下げるためには、屋根瓦や側溝のコンクリート、道のアスファルトなどにこびりついたセシウムは高圧洗浄によっても除去できないため瓦の葺替えやアスファルト・コンクリートをはがしての工事のやり直しを要するなど、ガンマ線の飛来を考えると地域ぐるみの除染が必要であり、しかも除染は一回では不十分 で何回もする必要があることとされている一方で、汚染土の仮置場が見つからないため、やむなくこれをその地域内に置いている(学校においては校庭の一画に 埋設した。)が、こうした仮置場が容易にみつからないことが、除染の作業が進まない直接的な理由とされている (85103山内意見書)
 次に、抗告人が居住する相手方の管轄行政区域内の3箇所における平成2421日における空間線量率は0.8ないし1.2マイクロシーベルト/時であった (115)。また、福島県が発表している平成25110日から29日までの郡山市の空間線量率は0.41から0.54マイクロシーベルト/時で あった(229添付資料7)。さらに、福島県災害対策本部による平成25222日における郡山合同庁舎南側駐車場における環境放射能測定値(暫定 値)(12450)によれば、空間線量率は約0.52マイクロシーベルト/時であった(抗告人平成25222日付け準備書面(9)添付別紙1)
 相手方においては、市内全域の追加被ばく線量(自然被ばく線量及び医療被ばく線量を除いた被ばく線量)を年間1ミリシーベルト(高さ1メートルにおける空間 線量率0.23マイクロシーベルト/)未満にすることを目標に、国の示す除染方法により学校施設を含めた公共施設における除染を実施している( 31)

(4) 以上の事実によれば、郡山市に居 住し■■■■学校に通っている抗告人は、強線量ではないが低線量の放射線に間断なく晒されているものと認められるから、そうした低線量の放射線に長期間に わたり継続的に晒されることによって、その生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧されるところであり、チェルノブイリ原発事故後に児童に発症したとさ れる被害状況に鑑みれば、福島第一原発付近一帯で生活居住する人々とりわけ児童生徒の生命・身体・健康について由々しい事態の進行が懸念されるところであ る。
ところで、福島第一原発から 流出した放射性物質ないしこれから放出された放射線は、その発生の機序からしても明らかなとおり、ひとり相手方の設置管理に係る学校施設にのみ存在するものではなく、抗告人の居住する自宅及びその周辺や自宅と学校との通学路、さらには十日手方の管轄行政区域の全域にわたり、その濃淡の別はともかくとして、 等しく存在していることは上記認定の事実から容易に推認することができる。そうした放射性物質により汚染された土壌などを除洗するため、相手方などの各地 方公共団体を始めとする各団体や個人などがこれまで土壌の入れ替えや表士剥騨などに取り組み、多くの費用と様々な努力が傾注された結果、一定の除洗の成果 を上げるに至ったとはいえ、なお、広範囲にわたって拡散した放射性物質を直ちに人体に無害とし、あるいはこれを完全に封じ込めるというような科学技術が未 だ開発されるに至っていないことは公知の事実であり、また、その大量に発生した汚染物質やこれを含む士壌などの保管を受け入れる先が乏しいこともあって、 これを付近の仮置場に保管するほかないまま経過していることから、今なお相手方の管轄行政区域内にある各地域においては、放射性物質から放出される放射線 による被ばくの危険から容易に解放されない状態にあることは上記認定の事実により明らかである。 
    


(2)、私たちの要求(申立て)のまとめ
(3)、事実問題についての裁判所の判断
ア、イ、 略
ウ、低線量被ばくによる晩発性の健康被害について
  矢ヶ﨑意見書(甲49)、松井意見書(甲72)、松崎意見書(5)(甲227)を採用。
  いずれも私たちが、チェルブイリ事故との対比にあたって最重要の証拠として提出した意見書が採用されました。
エ(1)、空間線量の値について
  山内意見書(甲103)、中野目報告書(甲221) を採用。
  原告らの通う学校で実際に測定した結果とそれについての考察を重要な証拠として提出しましたが、いずれも採用されました。
 なお、11頁以下で0.193マイクロシーベルト/時という値が何度も登場します。これは、私たちの要求「年間1ミリシーベルト以下の場所で教育を実施せよ」を、時間当たりの数値に置き換えた場合に 0.193マイクロシーベルト/時になるためです(主文を参照のこと)。
エ(2)、除染の限界について
  山内意見書(甲103)さらにその続きである武本報告書(甲137)同報告書(2)--除染は壮大なまやかし?--(甲155)を採用されました。
  被告郡山市が避難しなくてよい理由の柱にしている除染対策、この除染作業が殆ど効果をあげていない現状とその理由について指摘した重要な証拠である山内意見書等が採用されました。
(4)、事実問題についてのまとめ(結論)(12頁下から5行目以下)
 被ばくによる健康被害について 
 以上の具体的な事実を認定した上で、裁判所は事実について次のような結論を導き出しました。
--郡山市に住む原告は低線量の放射線に間断なく晒(さら)されており、低線量の放射線に長期間にわたり継続的に晒されることによって、その生命・身体・健康に対する被害 の発生が危惧されるとし、チェルノブイリ事故後に児童に発症した被害状況と対比したとき、郡山市のような地域に住む人々とりわけ児童生徒の生命・身体・健康について由々しい事態の進行が懸念される、と。
つまり、郡山市の子どもたちは危ないと明言したのです。

除染対策について
 その上で、判決は、相手方の郡山市が反論の目玉とした「除染をしたから安全で問題ない」という主張に対して、次のように判断しました。
--除染は、福島第一原発はら流出した放射性物質ないしこれから放出される放射線は、郡山市の学校施設のみ存在するものではなく、子どもたちの自宅及びその周辺と通学路、さらには郡山市全域にわたり存在している。
これらの放射性物質により汚染された土壌などを除染するため、取組みがなされた結果、一定の成果を上げるに至ったとはいえ、なお、広範囲にわたって拡散した放射性物質を直ちに人体に無害とし、或いはこれを完全に封じ込めるというような科学技術が未だ開発されるに至ってないこと、また、大量に発生した汚染物質やこれを含む土壌の保管の受け入れる先が乏しいこともあって、これを付近の仮置場に保管するほかないまま経過していることから、今なお、郡山市は放射線による被ばくの危険から容易に解放されない状態にあることは明らかである。
つまり、除染では子どもたちの被ばくの危険を防ぐことはできないと明言しました。
 

B、その2(13頁の下から9行目~末行)->ブログの記事

                           判決原文

もっとも、相手方の管轄行政 区域においては、特に強線量の放射線被ばくのおそれがあるとされているわけでも、また、避難区域等として指定されているわけでもなく、今なお多くの児童生 徒を含む市民が居住し生活しているところであって、上記認定に係る推手方の管轄行政区域内における空間線量率をみる限り、そこで居住生活することにより、 その居住者の年齢や健康状態などの身体状況による差異があるとしても、その生命・身体・健康に対しては、放射線被害の閾値はないとの指摘もあり中長期的に は懸念が残るものの、現在直ちに不可逆的な悪影響を及ぼすおそれがあるとまでは証拠上認め難いところである。

事実問題についてのまとめの附録

 ところが、このあと、突如、それまでの判決と全く整合性がつかない事実認定をしたのです。
 それが、

--(子どもたち)生命・身体・健康に対しては、‥‥現在直ちに不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは証拠上認め難い。(13頁下から3~1行目)

この事実認定がなぜ整合性が取れないか?

まず、裁判所は、この裁判で私たちが問題にしている健康被害は、原発事故による強線量の被ばくで直ちに発症する急性の健康障害ではなく、 長期間にわたる低線量被ばくによる晩発性((直ちに発症するのではなく、期間を経て発症する)の健康障害であることを承知してます(9頁13~15行目)。
従って、子どもたちの生命・身体・健康に対する被害の危険とは、「現時点で発生する健康被害の可能性」のことではなく、「将来の時点で発生する健康被害の可能性」のことです。

そこで、「不可逆的な悪影響を及ぼす恐れ」とは、低線量被ばくにより、将来、甲状腺がん、白血病、心臓病、糖尿病など様々な疾病を発症する恐れのことです。このような健康障害が発生したら、元通りの身体に戻ることが困難になるから=不可逆的な悪影響だからです。

以上から、上記の判決は次のように言い直すべきです(アンダーラインが修正部分)。

 (子どもたち)生命・身体・健康に対しては ‥‥将来の時点で甲状腺がん等の健康被害が発生する可能性があるとまでは証拠上認め難い

では、このような「 将来の時点で甲状腺がん等の健康被害が発生する可能性」はどのように証拠に基づいて判断することができるでしょうか。
この点、仙台高裁は、「郡山市における空間線量率を見る限り」として、空間線量の値を唯一の証拠にしました。しかし、これは明らかにおかしい。
そもそも、現在、被ばくをし続けている子どもたちが、今後、様々な疾病を発症するかどうかは、空間線量の値だけ見て分かる筈がないからです。それは27年前のチェルノブイリ事故による健康被害の経験から学び、これと対比することによって初めて判断できるものです。
そのことは、仙台高裁も百も承知で、だからこそ、この判決文のすぐ前のところで(10頁ウ)、チェルノブイリ事故による健康被害との対比を論じた 
矢ヶ﨑意見書(甲49)、
松井意見書(甲72)、
松崎意見書(5)(甲227)
を全て採用して、その上で、 子どもたちの「生命・身体・健康に由々しい事態の進行が懸念される」と判断したのです。

この真っ当な判断をした裁判官は、この真っ当な記述を書いたあと、どこへ消えたのか。

今回の判決のクライマックスとも言うべき最も重要な事実「将来の時点で甲状腺がん等の健康被害が発生する可能性」があるかないかについて、この判決は
一方で、 将来の時点で甲状腺がん等の健康被害が発生する可能性」はあるといい(12~13頁)、
そのすぐあとで将来の時点で甲状腺がん等の健康被害が発生する可能性」はない(13頁)
と、異なる証拠に基づいて正反対の事実認定をしています。

これは、ちょうど、殺人罪に問われた刑事裁判の判決で、
或る箇所で、「被告人は殺人を行った」と事実認定し、
別の箇所で、「被告人は殺人を行ったとは証拠上認め難い」と事実認定するようなものです。

これは許されることができないほどの致命的な証明の破綻です、言い換えれば判決の破綻です。


C、その3(14頁~15頁12行目)ブログの記事

                       判決原文
このように、福島第一原発から流出した放射性物質から放出される低線量の放射線は、抗告人が現に居住し生活する空間に遍く存在しているのであって、抗告人が現、住所に居住して生活し、そこから相手方の設置する■■■■中学校に登校する限りは、その通学する学校外においても日夜間断なく相当な量の放射線に晒されていることになる。実際、上記認定の相手方の管轄行政区域内 における空間線量率は、平成242月から平成252月の3回の測定値をみても、抗告入が平均被ばく量の上限と主張する0.193マイクロシーベルト/ 時の倍以上である0.41マイクコシーベルト/時以上に達するものであり (なお、この数値は、平成244月、平成252月における■■■■中学校校庭における空間線量率の平均値を上回っている。)、この数値を前提とする限 り、抗告人力■■■■中学校において学校生活を送ると考えられる8時間を除外したその余の16時間の学校外での生活空間(全時間を木造家屋内とする。)で 生活をした場合に被ばくするものと算定される1年間の積算追加放射線量は抗告人主張の1ミリシーベル1・を3割以上も超過することとなる ((0.41μSv - 0.037μSv) x (1 - 0.4) x 16時間× 365 ≒ 1306μSv ≒ 1.3mSv)。すなわち、抗告人は、郡山市に引き続き居住する限りは、相手方の設置する学校施設以外の生活空間において既に抗告人がその生命・身体・健 康に対する被害を回避し得る上限値として主張する年間の積算被ばく量を超える量の放射線を被ばくすることが避けられないこととなるから、学校生活における 被ばく量の多寡にかかわらず、その主張する被害を避けることはできない計算となる。そして、抗告人において、現在学校施設外での被ばく量を減少させること ができるような施設設備の下で日常生活を送り、あるいは送ることができるような状況にあるとの特別の事情も認めることはできない。
そうしてみると、抗告人が引き続き郡山市に居住する限りは、その主張するような教育活動の差止めをしてみても、抗告人が被ばく放射線量の年間積算量の上限と主張する量(そ の当否は暫く措く。)を超える放射線量の被ばくを回避するという目的を達することはできず、その回避のためには、そうした空間線量率以下の地域に居住する ほかには通常執りうる手段がなく、そうであれば、年間の積算放於線量の被ばく回避を目的とする抗告人主張の差止請求権の発生を認める余地はない。また、同様に、■■■■中学校での教育活動に当たっての相手方が負うべき安全配慮義務として、抗告人が主張するような空間線量率を上限とすべきことを前提に、これを超え る学校施設での教育活動を差し控えるべき注意義務があるということもできない(なお、抗告人が現に通学する■■■■中学校における平均空間線量率が郡山市 の平均的なそれを下回っているという状況にあることは上記のとおりである。)
  したがって、教育活動の差止めを求める抗告人の請求は、結局被保全権利の疎明を欠くということになる。


 法的判断(法律の解釈)
  判決では、事実問題についての判断(事実認定)が済んだら、その事実認定を踏まえて、次に、法的な判断を下します。それは次のような法律問題について法的判断でした。

第1、はじめに
4月24日の仙台高裁の判決(決定)は、以下のとおり、未だかつて見たことがないほどの相容れない激しく矛盾する2つの内容が並べられていました。

1、事実認定
(1)、郡山市の子どもは低線量被ばくにより、生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される、
(2)、除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得えられていない
(3)、被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない 

  ↓↑
 2、結論
子どもを安全な環境で教育する憲法上の義務を負う郡山市に、郡山市の子どもを安全な他の地域に避難させる義務はない。

問題は、この2つの内容をどうやって橋をかけるか、つまりつなぐかです。

第2、本論(第1の橋)
 この点、判決は2つに分解して、バラバラに橋をかけました。

最初の橋は、「子どもたちを年1ミリシーベルト以上の危険な環境で教育するな」という要求に対するものです。

これについて、判決はこう言いました。
子どもたちは郡山市の現住所に住み続ける限り、「通学する学校外においても、日夜間断なく相当量の放射線にさらされいることにな」(14頁4行目)り、学校外において、その値は年1ミリシーベルトを越える。
つまり、学校の外において、年1ミリシーベルト以上被ばくしているのだから、今さら、学校内で 「子どもたちを年1ミリシーベルト以上の危険な環境で教育するな」を求めても意味がない。そのような意味がないことを求める権利はその「発生を認める余地がない」。

どうせ、学校外の通学路や自宅周辺がヤバイ環境にあるのだから、今さら「学校がヤバイからそこで教育をするな」と求めても無意味だ、だから救済を求める権利は発生しない、と。

 もし、私たちが、郡山市の「 学校外の通学路や自宅周辺で教育をしろ」と求めていたのであれば、このような理屈も分からないではありません。しかし、私たちは当初から首尾一貫して、「子どもたちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育をしろ」と求めてきたのです。
この「危険な場所で教育をするな」という要求と「安全な場所で教育をせよ」という要求はコインの表と裏のように不可分一体のものです。両者を切り離して論じることはできません。

私たちが「安全な場所で教育をせよ」という要求の大前提として、「危険な場所で教育をするな」と要求しているのに、これを無視し、この要求をバラバラに分解して、どうせ、学校外でも危険なのだから、危険な学校内で教育をするな、と求める権利も発生しないと切捨てました。
これが何を意味するかは一目瞭然です。引き続き、その危険な学校内で教育を受けていろ、という現状肯定です。そして、危険だと思う子どもは自分の判断で逃げろ、という自己責任論です。


D、その4(15頁13行目~末行)ブログの記事

                        判決原文
(5) 次に、抗告人は、一定の空間線量率以外の学校施設における教育活動の実施を請求する。
  上記(4)で説示したところによれば、抗告人が現に居住している自宅周辺の地域を含む相手方の管轄行政区域においては遍く放射性物質による放射線被ばくが避けられないのであって、抗告人が主張するような年間1ミリシーベルト以下という積算空間線量率の環境が確保されるような学校生活を含めた生活を送るとなる と、抗告人が自宅を離れた地に転居して教育活動を受けることは避けることができない。抗告人はそうした前提で上記請求をするようであるが、他方で、相手方 は、現にその設置する■■■■中学校で多数の生徒に教育活動を行っているものであるところ、現にその学校施設での教育を受けている生徒がおり、その教育活 動を継続することが直ちにその生徒の生命身体の安全を侵害するほどの危険があるとまで認め得る証拠もないから、相手方が現在の学校施設での教育活動を継続 することが直ちに不当であるというべきものではない。


ところで、抗告人の転居する地域に相手方が学校施設を開設してそこでの教育活動を施 すことは、現に抗告人が被っている放射線被害から解放される一つの選択肢ではあろうけれども、そうした地での教育は、そうした地における教育機関によって 行われることが原則であり、遠隔地の公的教育機関がわざわざ地元の公的教育機関を差し置いてまで別の学校施設を開設する必要があるとはいえない。転居をす る場合には転居先での公的教育機関による教育を受けることでその目的は十分に達することができるはずである。
   抗告人は、この点について、同窓の友人らを始めとする教育環境を重視すべきであるとして、個人での自主転居に否定的な意見を述べるが、本件は抗告人が原審以来一貫して主張し、抗告理由においても強調するように、相手方の管轄行政区域にいるすべての児童生徒に対する教育活動に関する請求ではなく、あくまで、 抗告人個人の放射線被ばくを回避するためにその人格権ないし安全配慮義務の履行請求権に基づく抗告人個人の請求なのであるから、他の生徒の動向については 当然にこれを勘酌すべきものではない(他地域で学校施設を新たに開設し、あるいはこれに代えて教育事務を他の市町村に委託する(学校教育法40条、49 )としても、就学希望者や収容能力その他の関係上、希望者全員が同一の施設で教育を受けることができるとは限らないはずであり、'教育上の配慮の要請が あるとはいっても、各人個別の対応をとることさえあり得よう。したがって、抗告人が主張するような「集団疎開」は、抗告人が主張するような被ばく被害を回 避する一つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢ではあろうけれども、もとより抗告人個人の請求権に係る本件請求に関する判断の対象外というべきものである。)
このように、抗告人の主張するような放射線被害を回避するためには現住居から転居し て相手方の管轄行政区域外に居住することを前提とするほかはなく、その場合には、その転居先での公的教育機関が設置した学校施設で学校教育を受けることに 何らの妨げもない以上は、抗告人の人格権に基づく妨害排除請求として、相手方の管轄行政区域外の地で相手方に学校教育を行うことを求めることはできず、ま た、相手方はその管轄行政区域外に居住することとなる者に対する関係で、引き続き教育活動の実施をすべき安全配慮義務を負うものではないから、抗告人はその履行請求としての教育活動を求めることもできない。
   したがって、抗告人の上記請求についても、被保全権利の辣明がないというべきである。



第3、本論(続き:第2の橋)
 この点、判決は2つに分解して、バラバラに橋をかけました。

1つ目の橋は「子どもたちを年1ミリシーベルト以上の危険な環境で教育するな」という要求に対するものです。その詳細は->【仙台高裁の判決(決定)の紹介(3)】
2つ目の橋は、「子どもたちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育をしろ」という要求に対するものです。
2つ目の橋について、判決はこう言いました(15頁(5)~17頁7行目)。

、現に、郡山市の学校施設で教育を受けている生徒がおり、その教育活動を継続することが直ちにその生徒の生命身体の安全を侵害するほどの危険があるとまでは認め得る証拠もない。だから、郡山市が現在の学校施設で教育活動を継続しても「直ちに不当であるというべきものではない」(15頁下から5行目~)。
、 避難先での教育は、避難先の市町村の手で行われるのが原則であり、郡山市がわざわざ避難先の市町村を差し置いてまで、新たな学校を開設する必要はない。(16頁3~6行目)
、子どもたちは、自主避難すれば、避難先の市町村の学校が受け入れてくれるから、それで放射線障害から解放されるという目的は十分に達成できるはずである(16頁6~7行目)。
、原告は、子どもたちの友情が自主避難の障害になっていると主張するが、本裁判は原告個人の救済を求めているのだから、友情といった他の生徒の動向を考慮すべきでなく、障害とはいえない(16頁8行目以下)。
、以上から、 「子どもたちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育をしろ」という要求は認められない。

1について
 判決の上記の事実認定(1)~(3)に素直に従えば、「郡山市が現在の学校施設で教育活動を継続」することは、子どもを安全な環境で教育する憲法上の義務を負う郡山市にとって許されない、となる筈です。
 しかし、それでは困る。ではどうするか。それなら、別の事実認定をひそかに忍び込ませればよい。それが、判決の13頁下から9行目~末行まで、突然挿入された盲腸のような以下の事実認定です。
子どもたちの生命・健康は、現在直ちに不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは証拠上認め難い。
まず、この事実認定が疎開裁判で提出された証拠に照らして、いかに不合理なものかは、【仙台高裁の判決(決定)の紹介(2)】で解説しました。
さらに、この不合理な事実認定を全面に出し、それ以外の上 記の事実認定(1)~(3)は「目をつぶれば世界は消える」がごとき扱いをしてひと思いに吹き消してしまいました。そこから「郡山市で引き続き教育活動を 行っても違法ではない」という念願の結論を導き出して見せたのです。これが仙台高裁のマジック(魔法)のトリックです。仙台高裁の裁判官は法の番人という より、魔法使い顔負けの技を披露してくれました。

2について
 もとより「避難先での教育は、避難先の市町村の手で行われるのが原則である」ことは私たちも十分承知していました。その上で、日本史上最大の人災である福島原発事故という未曾有の事態を踏まえて、次のように主張したのです。これは判決でも「抗告人の主張」としてきちんと認定しています(6頁(カ) 小中学校の設置場所)。

小中学校の設置場所については、文科省の通達により次のようになっていて、やむを得ない理由がある場合、その区域外に設置することも当然に認められる、と。

 市町村が小・中学校を設置するに当たっては、その区域内に設けるのが原則であるが、やむを得ない理由がある場合は区域外に設けることもできる。(昭和34・4・23委初80 初中局長回答)
そこで、ここでの争点は、本件では郡山市以外の区域に設置できる「やむを得ない理由がある場合」かどうか、です。この点、私たちは次のように主張しました(判決6頁に引用)
平成23年3月12日から同年5月25日までの75日間だけで年間最大許容限度である1ミリシーベルトの3.8~6.67倍もの外部被ばくとなった状況は、上記やむを得ない理由があることが明らかである。
 だとしたら、判決はこの争点について正面から判断すべきです。しかし、判決はこの争点について一言も判断しませんでした。ここでも「目をつぶれば世界は消える」という魔法を使って争点そのものを消してみせたのです。
そして文科省が「やむを得ない理由がある場合には、避難先で新たな学校を設置することができる」と言っているのに、「郡山市がわざわざ避難先の市町村を差し置いてまで、新たな学校を開設する必要はない。」と説教じみた口調で、原則論をくり返したのです。 

こんなぶざまな魔法を使うくらいだったら、あらかじめ「抗告人の主張」の6頁(カ) 小中学校の設置場所でも、私たちの主張を正確に紹介せずに、用意周到にごまかすべきです。すぐ化けの皮が剥がれるようでは、魔法の修行がなっとらん!

3について
  ここは、一言で言って「自主避難のすすめ」です。言い換えれば、危険と思うなら自分で逃げろ、自分で避難しない奴は、あとからくたばっても知らないぞ、自分の命は自分で守れ、リスクは自分の責任で取れ、という昨今はやりの自己責任論、弱肉強食の論理です。

 この点、百歩譲って、福島原発の誘致・稼動に賛成した大人であれば原発事故による危険について、リスクは自分の責任で取れ、という議論は可能でしょう。また、福島原発の事故発生に責任がある大人であれば、原発事故による危険について、リスクは自分の責任で取れ、という議論は可能でしょう。
しかし、いま、疎開裁判で、自己責任が問われているのは大人ではありません。子どもです。いったい彼らは、福島原発の誘致・稼動に賛成したのでしょうか。遊んで福島原発を壊してしまったのでしょうか。子どもたちに、このような苛酷な自己責任が課せられるだけの、どのような福島原発事故発生に対する責任や関与があるのでしょうか。 
子どもたちは、100%被害者です。本来、無条件で完璧に救済されるべき存在です。他方、原発事故の加害者である国は、加害者として被害者を救済する義務を負っている存在です。なぜ、100%被害者である子どもたちは加害者である国(及びその国から公教育を実施する責任を分担している郡山市)から救済されないまま、「 危険と思うなら自分で逃げろ、自分で避難しない奴は、あとからくたばっても知らないぞ」という苛酷な自己責任が課せられることが正当化できるのか、このようなあべこべな論理がまかり通る理由が全くなされていません。
仙台高裁の世界は、被害者が加害者になり、加害者が被害者となり、無実の者が犯罪者となり、犯罪者が無実の者となり、正義が悪となり、悪が正義となるような魔法の世界なのでしょうか。 
  
 4について
  民事裁判の原則として「本裁判が原告個人の救済を求めている」ことは十分承知しています。ここで友情と言ったのは、あくまでも自主避難を決断できない原告自身にとっての重大な事情(他の生徒との人間関係)として言及したのです。他の生徒が自主避難できない事情を抱えているといった「他の生徒の動向」のことを主張した覚えは全くありません。

5について
 以上の1~4のまとめとして導き出された判決の結論【「子どもたちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育をしろ」という要求は認められない。】が認められないのは当然です。


(4)、「裁判所の判断」の解説の補足
以上が、判決に沿った解説です。
以下は、少し判決から離れて、今回の判決の構造や特徴について、解説したものです。 


A、「子ども達の避難の権利・自由」ではなく、憲法に由来する「子ども達を避難させる義務」こそ疎開裁判のエッセンス->ブログの記事
B、一審(郡山支部)の判決と比べて、どこが進歩し、どこが後退したか

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